ノーツ王国の興亡
情報処理王国史 外典第十五巻

ノーツ王国の興亡

35年生き続ける血管と、誰も解体できない3,000のデータベース

Lotus Notes Domino
この記事について
本稿は、1989年に米国で生まれ、日本企業の血管として20〜30年間動き続けた Lotus Notes(ロータス・ノーツ/後の IBM Notes、現 HCL Notes)と、その上に積み上げられた数千の業務データベースをめぐる物語を、歴史書体裁のブラックコメディとして再構成したものです。年月日・人名・社名・統計値は公開資料に基づきますが、王国・血管・年代記といった語り口はフィクション的演出を含みます。

―― 35年前、ある一つのソフトが日本の大企業に静かに上陸した。やがてそれは、メールでも、文書庫でも、稟議書でもなく、「血管」 と呼ぶしかない何かに変貌した。今、その血管をどう抜くかをめぐって、何千もの日本企業が日々頭を抱えている。これは、その血管の物語である。

【用語解説】グループウェア/Lotus Notes
グループウェアは、メール・掲示板・スケジュール・文書共有などを一つのソフトに束ねた「組織のための情報基盤」のこと。Lotus Notes はその代表格で、1989年に米 Lotus Development(ロータス社)から発売された。クライアントとサーバの組み合わせで動き、サーバ側は Domino(ドミノ)と呼ばれる。本稿では総称として「Notes」と書く。
【用語解説】DB(ディービー、データベース)
「Database」の略。表計算でいう「シート1冊ぶんの台帳」をイメージしてもらえばよい。Notes ではこの DB が拡張子 .nsf のファイルとして保存され、社内の誰かがいつでも自由に新しい DB を作って増やすことができた。これが後の悲喜劇の温床になる。
CH.01

PLATO の片隅で生まれた発想

王国の起源は、1970年代初頭の米国・イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校にある。

当時の同校には PLATO(プラトー、Programmed Logic for Automatic Teaching Operations の略。コンピュータ補助教育のための先駆的システム)というメインフレーム型の教育用コンピュータが置かれていた。1973年、その PLATO 上で PLATO Notes という機能が動き始める。学内の利用者が掲示板にメモを書き込み、互いに読み合うための、世界最初期のオンライン議論ボードのひとつである。

その PLATO Notes の隣で学生時代を過ごした青年がいた。レイ・オジー(Ray Ozzie, 1955年生まれ)。彼は卒業後 Lotus Development に短期間在籍したのち、1984年12月7日、独立して Iris Associates(アイリス・アソシエイツ)社をマサチューセッツ州リトルトンに設立する。やりたいことはひとつ。「PLATO Notes のような場所を、企業に持ち込みたい」。

【用語解説】メインフレーム
大型の汎用コンピュータ。1台で何百〜何千人がぶら下がる方式で、銀行の勘定系や航空券予約など、社会インフラの中核に長年使われてきた。

オジーは、Lotus 創業者ミッチ・カポーから資金とブランド使用権を受け、開発は Iris、販売とマーケティングは Lotus が担うという分業を組んだ。10年後の1994年、Lotus Development は Iris Associates を 約8,400万ドル で正式に買収する(出典:Wikipedia 英語版 “Iris Associates” ほか)。

Notes は、社内 BBS(電子掲示板)でもあり、共有ファイル庫でもあり、メールサーバでもある「全部入り」を狙った、当時としては野心的な設計だった。


CH.02

1989年12月、王国は出荷される

開発は難航した。ベータ版の期間が長く、業界紙では「ベイパーウェア(vapor=蒸気+ware=製品。出る出ると言われていつまでも出てこないソフトを揶揄する語)」と揶揄された。

それでも、1989年12月、Lotus Notes 1.0 はついに出荷される。最初の年に売れたライセンスは 約35,000本(出典:Lotus Software 公式年表ほか)。当時の業務ソフトとしては大成功だった。

販売の主戦場は、米国の大企業だった。Notes は何より、社内に散らばる文書とメールを一つの容れ物に押し込めるのが上手かった。担当者が変わってもメモが残り、組織を横断してプロジェクトを共有できる。1990年代を通じ、Notes は 「グループウェアの代名詞」 になっていった。


CH.03

1995年、IBMが35億ドルでNotesを買う

1995年、IBM は突然動いた。

「IBM は Lotus Development の買収に 35億ドル(1995年当時、現在価値でおよそ66億ドルに相当)を支払った。狙いは、何より Lotus Notes を手中にすることだった」
― Lotus Software/IBM 関連各種公開資料の趣旨より

90年代半ばの IBM は、メインフレーム時代の体質をなお色濃く残し、自社のメッセージングと文書共有の柱を必要としていた。Notes は、それにぴったりの “完成品” だった。買収後、Notes は IBM Lotus Notes、続いて IBM Notes とブランド名を変えながら、IBM ソフトウェア部門の旗艦製品の一つとなる。

このころが、世界の Notes が最も輝いていた時代である。


CH.04

日本上陸、そして「7割が使う」時代へ

日本での Notes の歴史は、グループウェアの導入競争そのものだった。

業界紙や移行ベンダー各社の回顧によれば、2000年代の日本のグループウェア市場で、Notes は一時期 70%前後のシェアを取っていた とされる(出典:日経クロステック・JBCC・ワークスアプリケーションズ各社のコラム要約)。富士通、日立、三菱グループ、製造業大手から金融・商社まで、Notes は 「日本の大企業の標準」 に近づいていった。

理由は、いくつもある。

ひとつは、通信回線が遅かった時代に向いていたこと。Notes は「レプリケーション」(複製)と呼ばれる仕組みを持っていた。手元のクライアントが社内サーバ、海外拠点のサーバ、出張中のノート PC それぞれと差分だけを行き来させて同期する。1990年代の細い専用線でも動かせる、稀有な分散ソフトだった。

【用語解説】レプリケーション
あるサーバの中身を、別のサーバや手元のパソコンへ「同期コピー」する仕組み。Notes は変更点だけを送るので、回線が細くても通信量が少なく済んだ。海外拠点を抱える日本の商社・メーカーにとって、これは強力な売り文句だった。

もうひとつは、自社で簡単に DB を作れたこと。Notes は、ユーザー部門の担当者が「申請書を作りたい」「議事録を回覧したい」と思えば、IT 部門を待たずに自分で DB を立ち上げられた。@式(アットしき、Notes 独自の関数言語、英語名 @formula language)と LotusScript(ロータススクリプト、Visual Basic に似た手続き型言語)を覚えれば、ちょっとしたワークフローも作れた。

【用語解説】ワークフロー
申請書が「上司 → 部長 → 経理」と決められた順番で回っていく、社内手続きの流れのこと。紙の稟議書をそのまま電子化したものをイメージすればよい。

ユーザー部門は喜んだ。IT 部門は「ガバナンス」という言葉をまだ知らなかった。


CH.05

DB が、増殖する

数年が過ぎ、各社の Notes サーバの中で異変が起きていた。

DB が、増えていた。気づけば数百になり、千を超え、ある会社では 3,000 を超える DB が積み上がっていた(後述の横浜ゴム事例)。誰がいつ何のために作ったか分からない DB、似たような名前で重複している DB、最後の更新が10年前で止まっている DB。社内のどこかにそれは確かに動いていて、誰かがそれにメールリンクを送り、誰かがそれをブックマークし、誰かの業務がそれに依存している。

「Notesは自社でアプリを作成できることから、自社に必要なさまざまなアプリを作成して使用してきた企業が多く、それによってアプリが乱立し、加えて開発者もいなくなったことからそのまま放置されているものもあり、このようなブラックボックス化が Notes では特に顕著です」
― ワークスアプリケーションズ「Notes は移行する必要あり?」コラム要約より

開発した本人は退職した。仕様書は最初から書かれていなかった。@式と LotusScript を読める人は、社内に1人しかいない。その1人が、社内で 「Notesおじさん」(業界の俗称)と呼ばれていることに、本人は気づいていない。あるいは気づいていて、半分諦めている。

王国の血管は、もう誰にも全体図が描けない迷宮になっていた。地図は、永遠に作り直しのまま、書斎の引き出しに眠っていた。


CH.06

Webの大波、しかし血管は抜けない

2000年代後半、もう一つの大波がやってきた。Webブラウザだけで完結するグループウェア の登場である。

サイボウズ Office、Google Apps(2006年提供開始、後の Google Workspace)、Microsoft の Exchange/SharePoint、のちに登場する Microsoft 365。インストール不要、保守は提供事業者まかせ、社外からも使える。Notes が誇った「遅い回線でも動く」という強みは、ブロードバンドと携帯回線の高速化のなかで急速に意味を失った。

「Notesの衰退は、インターネットの普及にともなう急速なWeb化によって、低速回線でも快適に動作するという Notes の存在理由が脅かされたことが大きかった」
― 業界誌・移行ベンダー各社による回顧の趣旨より

それでも、王国はそう簡単に明け渡されなかった。日本企業のなかで動いている Notes には、承認ワークフローと、社内文書庫と、製造業の品質記録と、法務の契約管理と、何より過去20年ぶんの議事録と決裁が、すべて積み重なっていたからだ。新しいグループウェアに「乗り換え」と一言でいうが、それは全身の血管を別系統に取り替える大手術 に近い。

2018年4月の日経クロステック報告では、Notes は最新版 V10 を出して “今も現役” と紹介された(出典:日経クロステック「グループウエアの元祖Notesは今も現役、2018年に最新版」2018年)。30年経って、なおメジャーバージョンが続いていた。


CH.07

2018年12月6日、IBM が手放す

しかし、本家側には別の事情があった。

「IBM は2018年12月6日、HCL Technologies に対し、Notes/Domino を含む選別ソフトウェア製品群を 約18億ドル(2018年12月時点の為替で約2,000億円規模)で売却することに合意したと発表した」
― IBM 公式リリース/TechCrunch ほか各社報道の趣旨より

IBMは、Notes、Domino、Connections、Portal、Commerce、AppScan、BigFix、Unica といったかつての主力製品群をまとめて、インドの IT サービス大手 HCL Technologies(HCL テクノロジーズ)に手放すことを決めた。クロージング(最終手続き完了)は2019年。

IBM はクラウドと AI に経営資源を集中させたかった。クライアントPCに依存する旧来型のグループウェアは、その戦略から外れた。Notes は IBM の旗艦から降ろされ、HCL Notes として、もう一度別の親に引き取られていく。

35億ドルで買われた製品が、23年後、別バンドルに混ぜられて18億ドルで売られた。買い値の半額に届かない。だがその間に、Notes は世界中の何百万もの企業ユーザーの業務に、文字通り溶け込んでいた。血管は、親会社が変わっても、流れ続けた


CH.08

日本市場の地殻変動――2.4%

HCL に渡ったあと、世界では Notes の存在感はじわじわと薄れていく。日本でもそれは同じだった。

調査会社キーマンズネットの2020年の調査では、Notes の国内シェアは 2.4% にまで落ちていた(出典:JBCC 株式会社「Notes が2024年6月1日にサポート終了」コラムが引用するキーマンズネット2020年調査)。一時 70%とも言われた王国は、およそ20年で30分の1規模に縮小していた。

脱Notes」「ポストNotes」という言葉が、IT ベンダーの提案資料の表紙を飾るようになった。Microsoft 365 へ、Google Workspace へ、SalesforcekintoneSmartDB へ。各社が「Notes 移行支援サービス」のページを作り、移行ガイドが出版された。

そして、HCL は決定的な期限を打った。

「HCL Notes/Domino V9.0.x および V10.0.x の通常サポートは 2024年6月1日 をもって終了します。延長サポートは 2030年6月30日 まで継続されますが、新規不具合修正の対象外です」
― HCL Software 公式アナウンス(2022年公開、2025年更新)の趣旨より

V9 は2013年提供、V10 は2018年提供、いずれも IBM 時代の最後のメジャー版だった。HCL に切り替わったあとに出た V11 以降に乗り換えるか、別製品に移行するか。期限が、ゆっくりと、しかし確実に近づいていた。


CH.09

横浜ゴム、3,000の DB を 300 にする

「脱Notes」の現場で、最も知られた事例のひとつが、横浜ゴム の移行プロジェクトである。

ドリーム・アーツ社の公開事例によれば、横浜ゴムは20年にわたって全社で IBM Lotus Notes/Domino を使い続け、社内に 約3,000の業務 DB を抱えていた。新基盤の SmartDB に移行するにあたり、まずやったのは、棚卸し だった。

3,000の DB を、Notes のアクセスログを参照しながら「本当に使われているか」でふるい直す。実際に動いているのは 約500。さらに、業務上の重要度と重複度で絞り込み、最終的に300の DB が新基盤への移行対象となった。

そして、約2年で 300 の業務 DB の95%以上 が SmartDB に移行された(出典:ドリーム・アーツ「短期間で大規模 “脱Notes” を成功させるプロジェクトの進め方」2017年公開・横浜ゴム導入事例)。

つまり、20年の蓄積のうち、実際に必要だったのはおよそ10分の1 だった。残りの2,700は、誰のものでもなく、誰のためのものでもなく、ただ「動いていたから残っていた」のである。これは横浜ゴムだけの話ではない。あらゆる Notes 王国に、似たような比率の影が積み重なっていた。


CH.10

王国の年代記

1973年 米イリノイ大学の PLATO 上で「PLATO Notes」が動き始める
1984年12月7日 レイ・オジーが Iris Associates 社をマサチューセッツ州リトルトンに設立
1989年12月 Lotus Notes 1.0 出荷。初年度に約35,000ライセンスを販売
1994年 Lotus Development が Iris Associates を約8,400万ドルで買収
1995年 IBM が Lotus Development を約35億ドルで買収
1990年代後半 日本の大企業に Notes が急速に普及。グループウェア市場で一時 70%前後のシェアとされる
2000年代前半 日本企業に Notes 上の独自 DB が大量に増殖し、ブラックボックス化が進む
2000年代後半〜2010年頃 サイボウズ Office、Google Apps(2006年)、Microsoft Exchange/SharePoint など Web 系グループウェアが勢力を伸ばす
2013年 IBM Notes/Domino V9.0 提供開始
2017年 横浜ゴムが約2年かけ、Notes 上の3,000DB を 300 まで絞り込み SmartDB へ移行
2018年 IBM Notes/Domino V10.0 提供開始
2018年12月6日 IBM が HCL Technologies へ Notes/Domino を含む製品群を約18億ドルで売却することに合意
2019年 売却クロージング、製品名は HCL Notes/HCL Domino へ
2020年 キーマンズネット調査で日本国内 Notes シェア 2.4%に低下
2022年12月1日 HCL が V9.0.x/V10.0.x の営業活動終了(新規販売終了)を発表
2024年6月1日 V9.0.x/V10.0.x の通常サポート終了
2030年6月30日 V9.0.x/V10.0.x の延長サポート終了予定

CH.11

誰も悪くない、しかし誰もやめられなかった

ノーツ王国の興亡を眺めると、悪人がいないことに気づく。

開発者のレイ・オジーは、当時の制約のなかで先進的なソフトを世に出した。IBM は時代の主役を買い、時代の変わり目で手放した。日本の大企業は、回線が細い時代に Notes を選び、業務をその上に積んだ。ユーザー部門は、IT に頼らず自分たちで DB を作れる自由を喜んだ。Notesおじさんは、引退しないで現場を支えた。

すべての判断は、その時点では正しかった。問題は、判断が 積み上がっていくことだった。

紙の決裁を Notes DB に置き換えた1990年代の判断と、海外拠点のレプリケーションを Notes に任せた2000年代の判断と、退職した先輩の DB を「とりあえず動いているから」と残した2010年代の判断は、別々の人間の、別々の合理的な選択だった。それらが20年積み重なって、3,000 の DB の塔ができていた。

【用語解説】レガシー
「遺産」の意。IT の文脈では、古いが業務にがっちり食い込んでいて、廃止も置き換えも難しいシステムを指す。Notes は世界有数の “レガシー成功例” でもあり、”レガシー悲喜劇” の舞台でもある。

血管を入れ替える手術には、莫大な金と時間と政治的な意志がいる。手術の途中で出血すれば、業務が止まる。だからほとんどの組織は、「いまの血管をだましだまし使い続ける」 ことを選んできた。

これは Notes に限った話ではない。FAX、Excel方眼紙、IE依存、ハンコ、ガラケー、Y2K、文字コード、ITゼネコンの多重下請け――外典シリーズで眺めてきた王国は、すべて「いま動いている血管を抜けない」という同じ構造を共有している。Notes はその中で、最も上手に、最も長く、企業の血管に成りすました製品だったといえる。


CH.12

血管の太さは、組織の年齢に比例する

最後に、王国の興亡から残るのは、また人間論である。

組織は、長く生きるほど、ソフトウェアの血管が太くなる。創業から20年経った会社は、20年ぶんの DB を抱える。30年経った会社は、30年ぶんの “誰の作かわからない DB” を抱える。新しいソフトに乗り換えるための予算は、その血管の太さに比例して必要になる。だが、その予算を出してくれる経営判断は、新しいソフトの機能差には反応しても、古いソフトの沈黙の負債にはあまり反応しない。

Notes の30年は、「いま動いているソフトを止められないこと」が、機能の問題ではなく、組織の年齢と意思決定のクセの問題である ことを、私たちにゆっくり教えてくれた。サポート終了という外圧でようやく動き出すのは、Y2K のときと同じである。期限が決まらなければ、組織は動かない。

それでも、いま脱Notes の現場で起きていることには、希望もある。3,000の DB のうち、本当に必要なのは300だった、という事実は、過去20年の蓄積のうち、およそ10分の1で十分だった という気づきでもある。引っ越しは、捨てる作業でもある。どの DB を残すかを決めることは、自分たちの仕事の重みと意味を、もう一度測り直すことでもある。

Notes が遺した最も大きな贈り物は、もしかすると、「全部は持っていけない」と気づく機会 だったのかもしれない。


かくして王国は、今日も静かに動いている。
どこかの社内サーバで、
.nsf ファイルが、
レプリケーションを続けている。
その DB を作った人は、もういない。
その DB を引き継いだ人も、いつかいなくなる。
DB だけが、淡々と差分を送り続ける。
サポート終了の朝、Notesおじさんは、
最後の棚卸しを終えて静かに帰宅した。
その背中こそが、王国の真の遺産だった。
――同期 完了

参考・引用資料
IBM “IBM to Divest Select Software Products to HCL”(2018年12月6日リリース)
TechCrunch “IBM selling Lotus Notes/Domino business to HCL for $1.8B”(2018年12月7日)
HCL Software 公式サポート文書「HCL Notes/Domino v9.0.x および v10.0.x の営業活動終了とサポート終了について」(2022年公開・2025年9月8日更新)
日経クロステック「グループウエアの元祖Notesは今も現役、2018年に最新版」(2018年4月)
ドリーム・アーツ「横浜ゴム様 導入事例」「短期間で大規模”脱Notes”を成功させるプロジェクトの進め方」(2017年公開)
Wikipedia 英語版 “Lotus Software”/”HCL Notes”/”Iris Associates”/”Ray Ozzie”
“Founders at Work: Stories of Startups’ Early Days”(Jessica Livingston 著、O’Reilly Media、2007年、レイ・オジーへのインタビュー収録)
JBCC 株式会社「グループウェア『Notes』が2024年6月1日にサポート終了」(2024年)
ワークスアプリケーションズ「Notes は移行する必要あり?」「事例から学ぶ『Notes』移行成功の秘訣」(各コラム)
キーマンズネット 2020年グループウェア利用実態調査(JBCC コラムが引用)