住基ネット王国の興亡
巨費を投じ、誰も使わなかった「番号」の物語
本稿は、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)と住民基本台帳カード(住基カード)をめぐる実際の経緯に基づいた、ブラックコメディ仕立ての読み物です。年月日・人名・自治体名・統計値は公開資料に基づきますが、「王国」「亡霊」「玉座」のような語り口にはフィクション的演出を含みます。
―― 30年以上前から、この国は何度も「番号」を国民にあげようとしてきた。1968年の研究会議、1980年のグリーンカード、1999年の住基ネット、そして2013年のマイナンバー。
名前は変わっても、夢はひとつ——「全員にひとりずつ番号を」。
これは、その夢が4回試みられ、3回挫折し、4回目でようやく8割に届いた、長い長い物語である。
- 住基ネット:「住民基本台帳ネットワークシステム」の略。市区町村が持つ住民票情報(氏名・住所・性別・生年月日・住民票コードなど)を、専用回線で結んだ全国ネットワーク。
- 住基カード:住基ネットの利用者向けに2003年から発行された、ICチップ入りのカード(住民基本台帳カード)。希望者のみ取得。
- J-LIS(ジェイリス):「地方公共団体情報システム機構」の略称。住基ネットを運営している総務省所管の特別な法人。マイナンバーカードの発行管理も担う。
長すぎた前史——「背番号」という亡霊
王国の話を始める前に、その地下に眠る古い亡霊を呼び出さねばならない。
時は1968年。佐藤栄作内閣のもと、政府は「各省庁統一個人コード連絡研究会議」を設置し、すべての国民に個人コードを付ける計画を立てた。当時の日本は高度経済成長の絶頂期。住民票も納税情報も社会保険も、各省庁が別々に管理していた。それを「ひとつの番号で串刺しにすれば便利だろう」というのが、官僚たちの素朴な夢だった。
ところが世の反応は素朴ではなかった。1972年1月28日、雑誌『朝日ジャーナル』が「個を否定する国民総背番号制」と題する大特集を組んだ。「お前は番号で呼ばれる存在になるのか」という問いは、戦後日本のリベラル知識人の心の柔らかい部分を強く刺した。
10年後の1980年、政府税制調査会は、預金利子の脱税を防ぐために少額貯蓄等利用者カード(グリーンカード)制度の導入を答申した。1980年3月末には所得税法改正案が国会で可決され、1984年1月の制度実施が決まった。
しかし、各界からの猛反発にあい、一度も実施されないまま1985年に廃案となった。「番号」は、もう一度地下に押し戻された。
亡霊は、忘れられたわけではない。ただ、出番を待っていた。
1999年——亡霊、ついに地上へ
時代が変わった。インターネットが普及し始め、行政の電子化(後の「e-Japan戦略」へとつながる構想)が議論され始めていた。
1999年8月、改正住民基本台帳法が成立した。市区町村ごとに別々だった住民票を、全国一元的なネットワークで結ぶ仕組み——のちに「住基ネット」と呼ばれるシステムの法的根拠が、こうして確立した。
各人には11桁の住民票コードが割り当てられる。「番号で人を識別する」ことを、国は今度こそ諦めなかった。30年越しの夢である。
法案は通った。だが、人々の心は通っていなかった。法成立の前後から、各地で反対運動が芽吹き始める。「自分の情報が、知らないところで知らない誰かに見られるのではないか」——その素朴な不安は、四半世紀前と何ひとつ変わっていなかった。
亡霊は、別の名前で帰ってきただけだった。
2002年8月5日——稼働、そして「離脱」する自治体たち
2002年8月5日。住基ネットは第1次稼働を迎えた。
総務省は祝賀ムード——のはずだった。ところがその日、ニュースが伝えたのは、稼働の喜びではなく、接続を拒否した自治体たちの名前だった。
東京都杉並区、中野区、国分寺市、そして国立市(くにたちし)。福島県東白川郡矢祭町(やまつりまち)。神奈川県横浜市は当初は完全不参加で、その後市民選択制——希望者の本人確認情報を神奈川県に送信しない方式——での部分接続に移行する。あわせて六つの自治体が、それぞれの形で「うちは入らない」と宣言した。
杉並区では、2001年9月に住基ネットプライバシー条例が制定されていた。山田宏区長は「個人情報の保護上大きな危惧を抱かざるを得ない」と区議会で答弁。区民アンケートでは、回答者の82.53%が「凍結・延期すべき」と答えていた。
国立市も、2002年に住基ネット接続を切断する。再接続したのは約9年後の2012年2月だった。
矢祭町。福島県の山あいの小さな町だ。当時の根本良一町長は、「町民の情報を国に差し出す必然性がない」と接続を拒否した。これ以後、矢祭町は13年間、全国でただひとつの未接続自治体として存続することになる。
総務省は2009年、福島県知事に対し、矢祭町に住基ネット接続を是正要求するよう指示を出した。だが、矢祭町は屈しなかった。
横浜市は2002年10月、片山虎之助総務大臣と中田宏市長の会談を経て、市民選択制での段階的接続を始めた。その後2004年4月に「全員参加」に方針転換し、同年7月から順次データを神奈川県に送信した。「横浜方式」は、日本のIT行政史に残る一里塚となった。
国は止まらず、自治体は動かない。住基ネットの地図には、ぽつんと「未接続」のしるしが、東京と福島の各所で点滅し続けた。
最高裁、合憲と判決——「自己情報コントロール権」は宙に浮いた
各地で訴訟が提起された。「住基ネットは憲法13条(個人の尊重)が保障するプライバシー権を侵害する」——市民団体・弁護士・研究者が、住基ネットからの情報削除や差し止めを求めて全国各地で裁判を起こした。
下級審の判断は揺れた。2006年11月、大阪高等裁判所は「自己情報コントロール権は憲法13条で保障される」とし、住基ネットを違憲と断じる踏み込んだ判決を下した。原告勝訴の象徴的な瞬間だった。
しかし2008年3月6日、最高裁判所第一小法廷はこの流れを止める。
最高裁は住基ネットを合憲と結論づけた。ただし、自己情報コントロール権そのものを正面から肯定も否定もせず、ふんわりと宙に浮かせたまま、判決は終わった。
「危険は具体的でない」——この判決文は、その後20年にわたり、行政が個人情報システムを拡張するときのお守りとして使われ続けた。
住基カード——5%しか使わなかった「国民ID」
2003年8月25日、住基ネットは第2次稼働へと進んだ。住民票の広域交付(自分の住所地以外の役所でも住民票が取れる仕組み)、転入転出ワンストップ、そして本命の——住民基本台帳カード(住基カード)の発行が始まった。
ICチップ入りのカード。希望者には電子証明書も付けられる。e-Tax(国税電子申告)にも使える。当時としては最先端だった。
ところが、そのカードは——売れなかった。
総務省の集計によれば、住基カードの普及率は2010年(平成22年)3月末時点で約3.5%。2014年(平成26年)3月末時点で累計交付枚数約834万枚、人口比でなお5%前後にとどまった。
なぜ普及しなかったのか。理由は、ひとつではない。
- カードリーダーを別途購入する必要があった(数千円)
- 対応するパソコン・ブラウザが限られていた
- 電子証明書の有効期限が3年で、更新のたびに役所に行かねばならなかった
- そして何よりも——使う場面が、ほぼなかった
5%のカードのために、国・自治体は約391億円の構築費(平成11〜15年度累計)と、年間100億円台の運用費を投じ続けた。総務省は「住基ネットは年金記録の確認や災害時の安否確認にも貢献している」と説明したが、市民の財布には住基カードは入っていなかった。
王国の年代記
番号は、別の名前で生き続ける
2013年5月、マイナンバー法(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律)が成立した。新しい12桁の番号——マイナンバー——が、すべての住民に割り当てられることになった。
住基ネットは廃止されたわけではない。マイナンバー制度の裏側のインフラとして、住基ネットは今も稼働している。住所・氏名・生年月日・性別の「4情報」を一元的に管理する基盤として、住基ネットはむしろマイナンバー時代により深く社会に組み込まれた。
2015年3月30日、矢祭町がついに住基ネットに接続した。13年ぶりの全国接続完了——だがこの頃には、もう住基カードは終わりつつあった。同年12月31日、住基カードの新規発行・更新は停止。翌2016年1月、マイナンバーカードの交付が始まった。
カードは、別の名前で生まれ変わった。
そして10年後の2026年現在、マイナンバーカードの保有枚数率は81.2%(2026年1月末時点)に達した——ただし、それは「健康保険証廃止」という強制力を伴った末の数字である。住基カードのように「ご自由にどうぞ」では、結局5%しか手に取らなかった。
人は、自由に選べる「番号」は受け取らない。選択肢を奪われた瞬間、初めて受け取る。 これは皮肉でも、悲観でもなく、ただの観察結果である。
誰が王国を建て、誰が王国に住んだのか
住基ネット王国は、誰のために建てられたのか。
国のため——ではあった。行政事務の効率化。重複登録の解消。年金記録の確認。災害時の安否確認。すべて、もっともな理由だ。
国民のため——でもあった。引っ越しの手続きが、ワンストップで終わる。住民票の写しが、全国どこの役所でも取れる。便利な機能は、確かに用意されていた。
ところが、誰も住まなかった。建てた行政も、住むはずの市民も、お互いに「誰かが使うだろう」と思い込んだまま、391億円が地中に消えた。そして20年後、すべてはマイナンバーという新しい名前の同じ亡霊として、地上に再臨した。
組織は決して間違えていない。総務省は法令に従って稼働させた。自治体は与えられた予算で運用した。市民は与えられた選択肢の中で「いらない」と答えた。司法は最高裁判決で「合憲」と認めた。
全員が合理的に行動した結果、誰も使わない王国が完成した——これが、住基ネットの最も誠実な総括である。
これは「日本のIT行政の失敗」と片付けてはいけない。同じことは、世界中で繰り返されている。エストニアの電子IDも、英国のID Cards Actも、それぞれ違う形で「番号と人間」の関係を試行錯誤してきた。違いは、失敗を潔く終わらせるか、別の名前で再開させるかだけだ。
日本は、後者を選んだ。それが間違いかどうかは、まだ歴史が答えを出していない。