SNS三国志の興亡
mixi・GREE・モバゲー、覇権を争った王国たちの記録
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
同じ年、ガラケーを舞台に勃興したGREEとDeNA/モバゲーは、無料ゲームと課金の組み合わせで「錬金術」を完成させ、東証一部上場まで駆け上がった。
しかし2012年、消費者庁のコンプガチャ規制が宴を終わらせ、翌年スマートフォンが全員の土台をひっくり返した。三つの王国は、誰も悪くないまま、静かに退いた。
招待された楽園
1.1 鍵のかかった扉
西暦2004年2月。日本のインターネットに、珍しい扉が現れた。
名をmixi(ミクシィ)という。
この扉には鍵がかかっていた。入るには、すでに中にいる誰かから「招待状」を受け取らなければならない。知り合いの知り合いでなければ、入れない。見知らぬ人間に声をかけられることもない。インターネットの広大な荒野の中に、ぽつんと現れた「身内だけの安全な集落」だった。
創業者の笠原健治は、この閉鎖性を意図的に設計した。当時のネットは荒れていた。2ちゃんねるでは罵倒が飛び交い、出会い系サイトは詐欺業者に汚染されていた。そのカウンター思想として、mixiは「信頼できる人間関係を持ち込む」ことを設計原理とした。
1.2 「足あと」という発明
ユーザーたちは日記を書き、コメントを残し、「足あと」でお互いの訪問を確認し合った。足あとは、デジタル時代における「表札の前に立った証拠」だった。誰かが来た、見てくれた、それだけで少し嬉しい。その機能のためだけにmixiを開くユーザーも多かった。
2009年9月時点でmixiの会員数は約1792万人に達した。当時の日本のインターネット利用者の約4人に1人がmixiを使っていた計算になる。ユーザーたちはそこで日記を書き、趣味のコミュニティで語り合い、「マイミク(マイミクシィ)」という言葉を使って、現実の友人関係のデジタル版を丁寧に育てた。
これは楽園だった。少なくとも、しばらくの間は。
ガラケー王国の勃興
2.1 趣味の延長から生まれた帝国
同じ2004年2月、別の王国が産声を上げていた。
田中良和——当時28歳、楽天の社員——が、趣味で作ったSNSサービスを公開した。名をGREE(グリー)という。
GREEはmixiと同じくSNSだったが、初期から「携帯電話(ガラケー)」を主戦場とした。PCで日記を書く文化のmixiに対し、GREEはあの小さな画面の中で成立する設計を追求した。法人化した2004年12月時点で、すでに会員数は10万人を超えていた。田中は楽天を辞め、GREEに専念した。
2.2 もう一つの雄、モバゲー
そして2006年2月、もう一人の主役が現れる。
DeNA(ディー・エヌ・エー)の「モバゲータウン」——通称モバゲー——である。DeNAは1999年に南場智子(なんば・ともこ)が設立したeコマース企業だったが、フィーチャーフォン(ガラケー)の普及を見てモバイル事業に大きく舵を切った。モバゲーは無料ゲームとSNSを組み合わせた、新しい形のプラットフォームだった。
ゲームは無料だった。しかし、中には「アイテム課金」という仕組みがあった。より強い装備を手に入れるには、現実のお金が必要になる。ゲームは無料で始められるが、本気になると課金が必要になる構造——のちに「フリーミアム」と呼ばれるモデルの、日本における先駆けだった。
2011年7月時点でモバゲーの会員数は3000万人に達した。GREEも同時期にグローバルで2億ユーザーを標榜するまでに成長した。日本の携帯電話という「ガラパゴス」の中で育ったSNSが、ガラパゴスのまま巨大化した。
錬金術師たちの饗宴
3.1 世界初のモバイルソーシャルゲーム
2010年前後、ソーシャルゲームは文字通り「金を生む機械」になった。
GREEの2007年5月24日リリース「釣り★スタ」は、世界初のモバイルソーシャルゲームとされる。釣りゲームというシンプルな仕掛けの中に、友人に自慢できる要素と、より良い道具を求める欲求が巧みに組み込まれていた。
モバゲーでは「怪盗ロワイヤル」が爆発的にヒットした。プレイヤーが互いに攻撃し合い、より強いカードやアイテムを集めるという構造が、ユーザーの競争心と課金意欲を同時に刺激した。
3.2 課金という錬金術
課金額はどんどん膨らんだ。月に数万円を使うユーザーが続出し、会社員が給料のほぼ全額をゲームに注ぎ込む事例も報道された。ゲームの設計者たちは「ユーザーが自発的に選んだ行動だ」と言い、批判者は「射幸性(ギャンブル的な興奮を煽る性質)を意図的に設計している」と言った。
どちらも、正しかった。
GREEは2008年12月に東証マザーズに上場し、翌2010年6月には東証一部(現・東証プライム)に指定替えとなった。DeNAも上場し、それぞれの株価は急上昇した。ゲームという「遊び」が、日本を代表するIT企業の成長エンジンになった瞬間だった。
コンプガチャ・ショック
4.1 審判の日
2012年5月、錬金術師たちに審判が下った。
消費者庁は同年5月18日、ソーシャルゲームの「コンプリートガチャ(コンプガチャ)」が景品表示法に定める「カード合わせ」に該当し、違法である旨の正式見解を表明した。7月1日からの運用適用が決定した。
コンプガチャとは何か。複数の異なるカード(アイテム)を集め、「コンプリート(全種類揃える)」することでレアなアイテムを入手できる仕組みである。1枚1枚はガチャ(ランダム抽選)で手に入るため、揃えようとすれば莫大な課金が必要になる。なかには数十万円を費やしてもコンプリートできないケースもあった。
4.2 株価と規制の連鎖
規制報道が最初に出たのは大型連休中の5月5日前後だった。連休明け5月7日にはGREEとDeNAの株価が急落し、同月9日には両社がコンプガチャの終了を正式発表した。「コンプガチャショック」と呼ばれたこの一連の動きは、ソーシャルゲームバブルの終わりの始まりだった。
2012年11月8日、業界団体「一般社団法人ソーシャルゲーム協会(JASGA)」が発足した。NHN Japan・GREE・CyberAgent・DeNA・Dwango・Mixiの6社協議会によって設立され、共同会長・代表理事にはDeNA代表取締役の守安功と、GREE代表取締役の田中良和が就任した。昨日まで競い合っていた王国たちが、規制という「外圧」によって同じ壇上に立った。
足あとが消えた日
5.1 改修という地雷
2011年6月、mixiは「足あと機能」を改修した。
それまでの足あとは、誰が何時に自分のページを訪れたかをリアルタイムで確認できる機能だった。これがmixiの独自文化を支える根幹だった——「誰かが来た」「見てくれた」という小さな確認が、ユーザーに日記を書き続ける動機を与えていた。
新仕様では、訪問者は「1週間後にまとめて表示」に変わった。リアルタイムの足あとは消えた。
5.2 26万人の署名
ユーザーの反応は激烈だった。「mixi足あと機能改悪反対!」と名付けられたコミュニティには、発足後わずか数日で26万人のユーザーが参加した。1万7000件の署名も集まった。この廃止を機にmixiを退会したユーザーも多数に上った。
2009年頃から日本でもTwitterの利用が急増し、著名人がリアルタイムに発言するスタイルが広まっていた。Facebookは2011年頃から実名SNSとして日本のビジネス層に浸透した。mixiはこれらへの対抗上、「開かれたSNS」への転換を図ろうとした。しかし、ユーザーが求めていたのは「開かれた場所」ではなく、「丁寧に管理された身内の空間」だった。
足あとが消えた日から、mixiのアクティブユーザーは静かに、しかし確実に減り続けた。
スマートフォンという黒船
6.1 LINEという刺客
2011年6月、別の「新顔」が日本のモバイル市場に現れた。
LINE(ライン)である。NHN Japan(現・LINE株式会社)が提供したこのメッセージアプリは、スマートフォン専用として設計されていた。友人同士でグループを作り、写真を送り、スタンプ(絵文字の進化版)でリアクションする。シンプルで直感的で、無料だった。
問題は、これがGREEとモバゲーの設計思想と根本から相容れないことだった。
6.2 ガラケー設計という呪い
GREEとモバゲーは「ガラケー(フィーチャーフォン)」のブラウザ上で動作する前提で作られていた。画面は小さく、通信速度は遅く、操作は方向キーとボタンが中心だった。サービス設計全体が「ガラケー最適化」だったのだ。
2010〜2012年にかけて、日本でもiPhoneとAndroidスマートフォンが急速に普及した。スマートフォンは大きなタッチスクリーン、高速通信、アプリストア経由のネイティブアプリを持っていた。ガラケー用のブラウザゲームは、突然「時代遅れのもの」になった。
GREE、DeNAともにスマートフォン対応に多額を投じたが、ガラケー時代に構築したユーザー基盤の再現は難しかった。特に若年層は、スマートフォン上のLINEやTwitter、そしてiOS/Android向けネイティブゲームへと移行した。2013〜2014年にかけて、両社の売上は急激に落ち込んだ。スマートフォンという新しいプラットフォームの出現が、ガラケー王国そのものを時代遅れにしていたのだ。
スマートフォンに移行したとき、何も感じなかっただろうか。
それとも、何かが終わった感覚があっただろうか。
王国の年代記
誰が悪かったのか
8.1 明確な悪役のいない物語
王国が滅びた後、人々はしばしば問う。「誰が悪かったのか」と。
しかし、この物語には明確な悪役がいない。
mixiは「ユーザーが求めるもの」を改修しようとして、「ユーザーが大切にしていたもの」を壊した。GREE・DeNAはユーザーの心理を巧みに利用する仕組みを設計したが、それを好んで使い続けたのはユーザー自身だった。コンプガチャは違法と判定されたが、それまでは誰も止めなかった。スマートフォンは突然来たのではなく、iPhoneは2007年にすでに米国でデビューしていた。
8.2 誰も悪くない、という構造
各企業はそれぞれの論理の中で、合理的に行動していた。ユーザーは与えられた仕組みの中で、自発的に選択していた。規制当局は法律の範囲で動いていた。
それなのに、気づいたら王国は消えていた。
これが「誰も悪くない調整問題」というものの本質である。個々の判断は正しくても、全体の帰結が誰も望まなかった方向に向かう。そしてプラットフォームの覇権は一世代で交代する。SNSは日記文化を変え、ガラケーゲームはコンプガチャを生み、スマートフォンはその全てを刷新した。次の刷新も、もう始まっているかもしれない。
足あとは消えた。しかし、誰かが「見ていた」という記憶は、案外しぶとく残るものだ。
そのSNSも、10年後に「そういえばあったね」と語られる王国になるかもしれない。