キャリアメール帝国の興亡
電話番号は持ち運べたのに、アドレスが枷になった話
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
あなたは今でも、@docomo.ne.jpや@ezweb.ne.jpのアドレスを覚えているだろうか。
友人のアドレスを携帯に登録し、絵文字の入ったメールを送り合っていたあの時代。あのアドレスには、実は鎖がついていた。キャリアを変えれば消える。でも変えれば、銀行も、保険会社も、学校の緊急連絡網も、すべてが崩れる——。
これは、日本だけで起きた、「全員が合理的に行動したのに、全体が不合理になった」という奇妙な物語である。
1999年、メールが電話に宿った日
西暦1999年2月22日。
NTTドコモが「iモード」というサービスを開始した日、日本の携帯電話は静かに変貌した。
「モバイルインターネット接続サービス」。そう説明されたiモードの目玉機能は、実のところメールだった。@docomo.ne.jpのアドレス。プッシュ型通知(メールが届いたら即座に端末へ知らせる仕組み)。絵文字対応。1通あたりの送受信料はわずか数円。
同年4月14日には、DDIセルラーが「EZweb」を開始し、@ezweb.ne.jpが誕生した。2000年代初頭にはJ-フォン(後のボーダフォン、現ソフトバンク)も独自ドメインを持ち、3キャリアの帝国が出揃った。
世界はこのとき、SMS(ショートメッセージサービス)に夢中だった。欧米のモバイルユーザーは160文字以内のテキストを送り合い、絵文字もなく画像も添付できないSMSを、それでも重宝していた。
日本だけが、別の道を選んだ。いや、正確には——SMSの普及を待たずに「もっと便利なもの」が来てしまったのだ。
SMSを踏み越えていった日本
世界の携帯メール史を振り返ると、ほぼ全ての国が同じ経路をたどっている。SMS → MMS(マルチメディアメッセージ)→ スマートフォン普及 → アプリメッセージング(WhatsApp・LINE等)。
日本はこの経路を、ショートカットした。
1997年からNTTドコモはSMSの一種「ショートメール」を提供していたが、他キャリアへの送受信はできず、文字数制限も厳しかった。そこに1999年のiモードメールが登場し、「インターネットメールが使える」「PCメールとも送受信できる」「画像も添付できる」という圧倒的な機能差を見せた。
日本の携帯ユーザーはSMSをほぼ経由せずに、インターネットメールの世界に踏み込んだ。
2000年代初頭、日本の若者にとって「メアド」とはキャリアメールのアドレスのことだった。@docomo.ne.jp、@ezweb.ne.jp、@softbank.ne.jp(当時はJ-フォン系)。友人に連絡先を教えるとき、渡すのは携帯番号とメアドの2つだった。
それはアイデンティティの一部だった。この飛躍は、後の悲劇の種でもあった。
帝国の黄金時代——独自進化という名の孤立
キャリアメールは進化し続けた。
絵文字の独自拡張。デコメール(装飾入りのHTML形式メール)。フォト付き自動返信。受信容量の際限ない拡大。ガラパゴス携帯の多機能化と歩調を合わせるように、キャリアメールもまた独自の生態系を築いた。研究者はこれを「ガラパゴスメール」と呼んだ。日本の外では通用しない進化を遂げた、孤島の生き物のように。
しかし帝国の内側では、誰もその孤立に気づいていなかった。
帝国の臣民は次第に、@docomo.ne.jpのアドレスにあらゆるものを紐づけた。通販サイトのアカウント。銀行の取引通知。ネットサービスの会員登録。保険会社からの連絡先。子どもの学校の緊急連絡網。
誰も悪くはなかった。ただ、当時の最善を選んだだけだった。
MNP——「電話番号は持ち運べる。メアドは置いていけ」
2006年10月24日、総務省の方針により「MNP(携帯電話番号ポータビリティ)」が導入された。
MNPとは、携帯会社を乗り換えても電話番号を変えずに使い続けられる制度だ。ドコモからauに乗り換えても、090-XXXX-XXXXはそのままでいい。競争促進のための政策であり、当時は画期的な転換と歓迎された。
しかし誰も正面から言わなかった。「メールアドレスは、ついてこない」と。
@docomo.ne.jpはドコモのドメインだ。ドコモを解約すれば、原則として消える。キャリアメールはキャリアに縛られている——これは仕様だったが、MNP導入時に合わせてメールの持ち運びは議題に上がらなかった。電話番号が引き継げることへの歓声の陰で、「もう一つの電話番号」としてのメールアドレスの問題は棚上げされた。
乗り換えを検討した人々は、ここで現実に直面した。
——番号はそのままにできる。でも、10年間使ってきた@ezweb.ne.jpを登録している、銀行も、保険会社も、ネットスーパーも、友人のアドレス帳も、全て更新しなければならない。
そのコストを計算した人々は、乗り換えをあきらめた。MNPの「乗り換えの自由」は、メールアドレスの鎖によって半分だけ実現していた。
Gmailの侵攻と、帝国の内なる崩壊
2007年、iPhoneが発売された。2010年頃からスマートフォンが日本でも急速に普及し始めた。
スマートフォンには、Gmailが入っていた。
Gmailはキャリアに縛られない。どのスマホに換えても、アドレスは変わらない。iPhoneからAndroidに乗り換えても、使い続けられる。世界標準のメールだった。
IT業界は宣言した——「Gmailに移れ」と。
しかし帝国の臣民たちが気づいたのは、もっと厄介な問題だった。キャリアメールがGmailをブロックしていた。
キャリアメールには独自の迷惑メールフィルタが存在した。このフィルタは「パソコンからのメール」を迷惑メールとして弾く傾向があった。GmailはパソコンのメールサービスだからGmailからのメールは届かない——そう設定している人が一定数いた。「メールを送ったのに届かない」「届いていないと思ったら迷惑メールフォルダにあった」という状況が日常化した。
逆のパターンも起きた。キャリアメールをGmailに転送しているユーザーの転送メールを、GmailがSPF認証エラー(メール送信元の正当性検証の失敗)でスパム判定することも珍しくなかった。
そして最も深刻な問題が浮上した。銀行・証券会社・行政機関が、本人確認の通知先としてキャリアメールを要求しているケースだ。「利用中のメールアドレスを変更する場合は、窓口にご来店ください」——そんな注記が至るところに現れた。キャリアメールを変えることは、物理的な作業を伴う手続きを意味した。
2021年、菅政権は「キャリアメールの持ち運び」を旗印に掲げた。「スイッチング円滑化タスクフォース」が設置され、官製の圧力が業界に向けられた。皮肉なことに、政府が数字を示さなければ、この問題は長く放置されていただろう。
2021年12月、ドコモ(16日)・au・ソフトバンク(20日)の3社が一斉に「キャリアメール持ち運びサービス」を開始した。月額330円(税込)を払えば、解約後もキャリアメールアドレスを使い続けられる。
「メールアドレスを守るために月330円を払う」——これが、2021年12月時点での帝国の現実だった。
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誰も悪くなかった——それが最大の問題だった
キャリアメール帝国の何が本質的な問題だったのか。
ドコモが悪かったのか。違う。1999年に当時の最良技術でモバイルインターネットを実現した。MNPを設計した総務省が悪かったのか。違う。電話番号の持ち運びは画期的な政策だった。銀行が悪かったのか。違う。手元にある最も安定した連絡先を採用したのは合理的だった。ユーザーが悪かったのか。まさか。生活の中で最も使いやすいメールアドレスを使い続けただけだ。
それでも帝国は、人々を縛り続けた。
これを経済学では「協調の失敗」と呼ぶ。誰も悪くないのに、誰も最初の一歩を踏み出せないせいで、全員が不利な均衡に縛られる状態だ。
電話番号という「一意識別子」には、2006年に持ち運び制度が与えられた。しかしメールアドレスという「もう一つの一意識別子」には、22年間(1999年〜2021年)、その権利が存在しなかった。
この帝国の本当の名前は、「調整コストが高すぎる世界」だった。誰もが変えたい、しかし最初に動く者のコストが理不尽に高い。そのコストを誰かが引き受けるまで、帝国は続く。
2021年12月に月330円というコストが設定された。「記憶の中に住むアドレス」に、値段がついた。
それは解放の始まりか、あるいは次の縛りの名前か。歴史書はまだ、最後のページを書いていない。