MSX王国の興亡
情報処理王国史 外典第六十九巻
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MSX王国の興亡

すべてのメーカーのパソコンを「ひとつ」にしようとした国の物語

MSX ASCII
この記事について
この物語は、1980年代の日本で実際に起きた家庭用パソコンの統一規格「MSX」の興亡を、実在の資料にもとづいて再構成したものです。年号・人名・数値は公開資料で確認していますが、語り口には「王国の歴史書」というフィクションの体裁を含みます。特定の企業や人物をおとしめる意図はありません。むしろ、誰も悪人がいないのに理想が崩れていった、その「足並みをそろえることの難しさ」を記録するための一冊です。

「どのメーカーの機械を買っても、同じソフトが動く」――いまでは当たり前のこの便利さを、40年前の日本で本気で実現しようとした若者がいた。

彼の名は西和彦。20代にしてマイクロソフトとアスキー、二つの会社の副社長を兼ねた天才だった。彼が掲げた旗の名は「MSX」。日本中のパソコンを、たったひとつの共通規格でまとめてしまおうという、途方もない計画である。

これは、その理想がいったんは大ブームになりながら、味方どうしの値下げ合戦と、上下から挟む二つの強敵によって静かに消えていった――誰も悪くないのに、全員の正しさがすれ違った王国の物語である。

CH.01

王国の建国宣言

1983年(昭和58年)6月16日、一人の若者が世界を相手に大きな旗を掲げた。

旗の名は「MSX(エムエスエックス)」。日本中の電機メーカーがバラバラに作っていた家庭用パソコンを、たったひとつの共通規格でまとめてしまおう、という計画である。掲げたのは、当時まだ20代だったアスキー副社長・西和彦(にし・かずひこ)。彼は同時に、米マイクロソフト社の副社長でもあった。共に旗を立てた相棒は、後に世界一の富豪となるビル・ゲイツその人だった。

二人の頭にあったのは、家庭用ビデオの「VHS(ブイエイチエス。当時普及した家庭用ビデオテープの規格)」だった。ビデオデッキは、どのメーカーのものを買っても同じテープが使える。だからこそ茶の間に普及した。パソコンも同じにできるはずだ――そう信じたのである。

【用語解説】統一規格(とういつきかく)
複数のメーカーが「同じ作り方」で製品を作ることを約束したルールのこと。ルールが共通だと、A社のソフトがB社の機械でも動き、利用者は機種選びで迷わなくて済む。VHSビデオやSDカードがその成功例。当時のパソコンは各社バラバラで、買った機械が変わるとソフトもデータも一切引き継げなかった。
【用語解説】MSX(エムエスエックス)
アスキーとマイクロソフトが提唱した家庭用パソコンの統一規格。1983年に発表され、松下電器(現パナソニック)やソニーなど多くのメーカーが同じ仕様の機械を発売した。中身の頭脳である「CPU(中央演算処理装置。コンピュータの計算の中心)」には、当時よく使われた「Z80」という8ビットの部品を採用していた。

CH.02

「MSX」とは何の略か

奇妙なことに、王国の名前そのものが、いまだに謎をはらんでいる。

「MSX」が何の頭文字なのか――これには諸説ある。西本人は当初、「Machines with Software eXchangeability(ソフトを交換できる機械たち)」の略だと語った。一方で「Microsoft eXtended(マイクロソフトの拡張BASIC)」だろうという人もいれば、参加の中心だった「Matsushita(松下)とSony」の頭文字だ、という見立てもあった。後年、西自身が「MXミサイルから取った」と冗談めかして語ったこともある。

名前の由来すら一つに定まらない。それはこの王国の性格を、はやくも暗示していたのかもしれない。理想は美しく、関係者は多く、解釈は人それぞれだったのである。

【用語解説】BASIC(ベーシック)
初心者向けのプログラミング言語。電源を入れるとすぐに命令を打ち込めたため、当時のパソコンは「BASICで自分のプログラムを書く道具」でもあった。MSXにはマイクロソフト製のBASICが標準搭載されていた。

CH.03

開戦前夜の「挑戦状」

ところが、建国宣言の直前、王国に思わぬ横やりが入る。

当時まだ新興企業だった日本ソフトバンクの孫正義(そん・まさよし)が、十数社のメーカーを率いて「MSXに対抗する別の統一規格を出す用意がある」と発表したのだ。統一規格を作ろうという計画に、もうひとつの統一規格をぶつける――マスコミは「MSX戦争か」と書き立てた。統一のための旗が、分裂の火種になりかける。皮肉な幕開けだった。

【用語解説】MSX戦争
MSX発表前後に起きた、規格の主導権をめぐる騒動。「みんなを一つにまとめる規格」が、その主導権をめぐってかえって対立を生むという、統一事業につきものの矛盾を象徴している。

この一件は、松下電器の前田一泰(まえだ・かずやす)らの仲介でほどなく収束した。こうして1983年10月、いよいよ各社のMSXパソコンが店頭に並びはじめる。記録上、最初に発売された一般向けMSXは、三菱電機の「ML-8000」(同年10月21日)だったとされる。


CH.04

5万円の蜜月

王国の滑り出しは、上々だった。

価格はおおむね5万円前後。手ごろで使いやすく、その年の年末商戦でちょっとしたブームになった。参画する企業も次々と増えた。顔ぶれは、松下電器、ソニー、日立、東芝、三菱、富士通、三洋、日本ビクター、パイオニア、京セラ、キヤノン、ヤマハ――日本の電機産業を代表する錚々たる王侯たちである。MSXは1983年の日経優秀製品賞も受賞した。

「これはうまくいく」。誰もがそう思っていた。理想に賛同する仲間が、これほど集まったのだから。


CH.05

カシオの2万9800円

蜜月は長くは続かなかった。王国を内側から揺るがしたのは、敵ではなく、味方だった。

カシオ計算機が、ほぼ半額の2万9800円(PV-7、1984年10月発売)でMSXパソコンを投入したのである。電卓で鍛えた価格破壊の腕前だった。安さは利用者にとってありがたい。だが、これをきっかけに、MSX陣営の内部で激しい値引き合戦が始まってしまう。同じ規格の機械を、仲間同士で叩き合うことになったのだ。

ところが、カシオが、ほぼ半額の2万9800円でMSXマシンを発売。これをきっかけに、MSX陣営内部での激しい値引き合戦が始まった。これが痛かった。一生懸命作って、一生懸命売っても、それで利益が出なければプロジェクトは続かない。
— 西和彦『反省記』(ダイヤモンド社・2020年)より

各社にとって、値下げは正しい判断だった。安くしなければ、同じMSXの隣の機種に客を取られる。だが、全員が同じ正しさを追求した結果、陣営全体が利益を失った。誰も間違っていないのに、全員が損をする。統一規格の最大の弱点が、ここで牙をむいた。


CH.06

上と下に、挟まれて

王国にはもう一つ、より深い構造的な不運があった。立っていた場所そのものが、悪かったのだ。

MSXが旗を立てた翌月の1983年7月、任天堂が「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」を1万4800円で発売する。ゲームを遊ぶだけなら、こちらのほうがずっと安い。一方、本格的に仕事で使う上位のパソコンの世界では、米IBM(アイ・ビー・エム。当時の世界最大のコンピュータ会社)の規格が事実上の標準になりつつあり、処理速度でMSXを上回っていた。安くて速いゲーム機が下に、速くて本格的な業務機が上に。MSXは、その狭間に立たされた。

上位機種である16ビット・マシンについては、IBMが事実上の標準になっていたし、普及版としては任天堂のファミコンがあった。その間に立たされて、MSXは存在意義を十分に発揮することができなかった。
— 西和彦『反省記』(ダイヤモンド社・2020年)より

西はもう一つ、さらに本質的な失敗の理由を挙げている。「コンピュータは、コンピュータのままでは、一家に一台必要な機械にはなり得ない」。安くて便利な計算機を作れば家庭に入り込むと信じていたが、人々が茶の間に求めていたのは「計算機」そのものではなかった。それがゲームになり、後のスマートフォンのように「生活の道具」になって初めて一家に一台になる――その答えが出るのは、ずっと先のことだった。


CH.07

王国の年代記

それでもMSXは、日本でおよそ300万台、海外でおよそ100万台が売れたとされ、1990年には全世界の累計が400万台を超えた。けっして小さな王国ではなかった。だが規格が新しい世代に進むたび、王侯たちは一人また一人と城を去っていった。

1983年6月 アスキーがMSX規格を発表。VHS型の「統一」を掲げ建国
1983年7月 任天堂がファミコンを14,800円で発売(翌月にあらわれた伏兵)
1983年10月 三菱ML-8000など、各社のMSXが店頭に並びはじめる
1983年末 5万円前後で年末商戦のブームに。日経優秀製品賞を受賞
1984年10月 カシオがPV-7を29,800円で発売。陣営内の値引き合戦が激化
1985年 上位規格「MSX2」登場。性能は上がるが海外勢は離脱へ
1988年 「MSX2+」登場。発売は国内3社のみに縮小
1990年 16ビットCPU搭載「MSXturboR」登場。発売は松下1社のみ。同年、全世界の累計出荷が400万台を突破
1991年 松下「FS-A1GT」が、大手による事実上最後のMSX本体に
【用語解説】MSX2/MSX2+/turboR
MSXの後継規格。世代を追うごとに画面表示や音、処理能力が向上した。しかし高機能化とともに作るメーカーは減り、最後の「turboR」を発売したのは松下電器ただ1社だった。理想を最後まで背負ったのは、結局いちばん古くからの王侯だった。

CH.08

誰も悪くなかった、という結末

MSXの物語には、悪役がいない。

西和彦の理想は、間違っていなかった。バラバラの機械を一つにまとめれば利用者は幸せになる――その読みは、今のスマートフォンやUSB(パソコンと周辺機器をつなぐ共通の差込口の規格)、SDカードを見れば正しかったとわかる。各メーカーが値下げで競ったのも、生き残りのための当然の経営判断だった。カシオが安く売ったのも、利用者にとっては福音だった。ファミコンが安かったのも、IBM機が速かったのも、それぞれが自分の持ち場で最善を尽くした結果にすぎない。

全員が、自分の場所では正しかった。なのに、その正しさが噛み合わなかった。これは「調整問題」と呼ばれる、人間の集団につきものの宿命である。一人ひとりの合理的な選択を足し合わせても、全体にとって最良の結果になるとは限らない。統一の理想は、皮肉にも「みんなで足並みをそろえ続ける」という、最も難しい約束の上にしか成り立たなかった。そして人は、目の前の一台を売るために、足並みを崩す。

MSXは失敗だったのか。一時の大流行を作り出したのは確かだ。多くの少年少女が、この5万円の機械で初めてプログラムを書き、初めて「自分で命令を出すと機械が動く」という魔法を知った。その経験が、後の日本のIT技術者を静かに育てたことも、また確かなのである。


王国は、誰の悪意でもなく、ただ全員の善意がすれ違って消えた。
統一を願った旗は、統一の難しさだけを、後世に教えて去っていった。
それでも、あの茶の間で点った小さな画面の光は、
一度だけ、確かに未来を映していた。
――起動、完了

参考・引用資料
西和彦『反省記』ダイヤモンド社、2020年(ダイヤモンド・オンライン連載「【伝説のパソコンMSX】仕掛け人がついに明かす『失敗の本質』」2020年12月26日)
Wikipedia「MSX」「MSXturboR」「Casio PV-7」各項目
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