マルス王国の興亡
― 世界初の座席予約網が、消せなかった「みどりの窓口」の物語 ―
この記事は、日本の鉄道の切符を半世紀以上支えてきた座席予約システム「マルス」と、その窓口である「みどりの窓口」の歴史を、史実に基づいて再構成した読み物です。年号・制度名・統計・引用はすべて公表資料に基づいていますが、語り口は「王国の興亡」を描く歴史書ふうのフィクション仕立てを含みます。特定の企業や個人を批判する意図はありません。
駅の片隅に、いつも人が並んでいる緑色の窓口がある。
券売機でもアプリでもなく、なぜか人はそこに列をつくる。学割の切符、複雑な乗り継ぎ、外国からの旅行者の相談――機械では片づかない用事が、その窓口に集まってくる。
これは、世界に先駆けて「切符をコンピュータで予約する」仕組みを生み出しながら、最後まで人間の窓口を消せなかった一つの王国――マルスの物語である。
王国の建国 ― 立ったまま乗った技師の思いつき
1.1 座れなかった車中の着想
物語は、一人の技師のささやかな不満から始まる。
国鉄(日本国有鉄道)の鉄道技術研究所に、穂坂衛(ほさか まもる)という博士がいた。ある日、研究所の懇親旅行に出かけたところ、列車の座席予約が取れず、目的地まで立ったまま乗るはめになった。その揺れる車中で、彼は考えた。「席の空き状況を、離れた駅どうしで即座にやり取りできれば、こんな苦労はないはずだ」と。
当時、指定席の予約は「台帳」で管理されていた。全国の予約状況を一冊の帳簿に集め、電話や電報でやり取りし、人が手書きで押さえていく。手間がかかり、間違いも起きる。ある駅で「満席」と言われた列車に、別の駅ではまだ空席が残っている――そんなことも珍しくなかった。
1.2 1960年2月1日、世界初のオンライン予約
穂坂博士の着想は、日立製作所の技術陣とともに形になった。試作機は日立が回路を設計・製作し、1959年(昭和34年)7月に完成する。そして翌1960年(昭和35年)2月1日、「マルス1(MARS-1)」が運用を開始した。
これは、日本国内で初めての「オンラインシステム」であり、鉄道の座席予約としては世界で初めての、リアルタイム処理による予約システムだった。
1.3 真空管とトランジスタでできた「装置」
マルス1は、今日の意味での「コンピュータ」ではなかった。プログラムを内蔵して動く汎用機ではなく、磁気ドラムにデータを持ち、電子回路で判断のロジックを組んだ、いわば予約専用の「装置」だった。
使われた部品は、トランジスタ約2,000個、ダイオード約10,000個、真空管約70本、そして記録用の磁気ドラム。これで4つの列車・3,600席・15日先までの予約をさばいた。中央装置は東京駅丸の内側の乗車券センターに置かれ、端末は東京都内に10台、名古屋と大阪に各1台の計12台。対象は下りの「第1こだま」「第2こだま」から始まり、同年6月には「第1つばめ」「第2つばめ」が加わった。
驚くべきは、その安定性である。運用開始からの初期10か月間の稼働率は99.86%、以後は99.95%以上を記録した。手作りの装置が、これほど正確に働き続けたのだ。
みどりの窓口という城門
2.1 1965年、全国に開いた城門
マルス1は好評だった。予約できる列車も座席も、たちまち足りなくなる。そこで国鉄は1964年(昭和39年)、初めて本格的なコンピュータを用いた予約システム「マルス101」を稼働させる。さらに同年、1列5席の新幹線座席にも対応した「マルス102」が加わった。この二つが一体となったシステムは、従来の約5倍にあたる約15万席を扱えるようになった。台帳で管理していたころは、東海道新幹線の切符を1枚出すのに30分〜1時間もかかっていたが、それも素早く発券できるようになった。
そして1965年9月24日。全国の主要152駅と、日本交通公社(現在のJTB)の83か所の営業所に、指定席券を扱う専用窓口が一斉に開設された。これが「みどりの窓口」の誕生である。10月1日のダイヤ改正当日に始発駅を発車する列車から、発売が始まった。端末は全国主要駅に約500台が置かれた。
2.2 なぜ「みどり」なのか
窓口の名の由来については諸説あるが、よく語られるのは「ここで発券される指定券が、淡い緑色をしていたから」という説である。改札や券売機に埋もれない、ひと目でそれとわかる緑の窓口。旅は、いつもこの城門から始まった。
みどりの窓口は、王国の顔になった。人々は旅を思い立つと、まずこの緑の窓口に並ぶ。駅員が端末を操作し、遠く離れた列車の一席が、目の前の切符になって出てくる。その裏側で世界初の予約網が動いていることを、並ぶ人の多くは知らなかった。
民営化を越えて生き延びた王国
3.1 国鉄解体という大地震
1987年(昭和62年)4月1日、日本の鉄道史を揺るがす大地震が起きる。国鉄が分割・民営化され、6つの旅客会社(JR各社)などに解体されたのだ。巨大な組織が、いくつもの会社に割れた。
だが、全国の切符をつなぐマルスは、割るわけにいかなかった。どの会社の列車も、どの駅からでも予約できなければ、旅客は困ってしまう。そこでマルスの運営は、JRグループ共通のシステムを担う専門会社――鉄道情報システム株式会社(JRシステム)に受け継がれた。会社の枠を越えて、王国は一つのまま生き延びたのである。
3.2 止まらずに世代を重ねる
マルスは、その後も静かに世代交代を続けた。機械は新しくなり、扱える切符は増え、窓口だけでなく、券売機やインターネットへと販売の入口も広がっていく。半世紀を越えて、この予約網は日本の鉄道の切符を支え続けた。
デジタルの黒船 ― ネット予約と券売機
4.1 えきねっととチケットレスの時代
2000年代以降、切符の買い方は大きく変わった。パソコンやスマートフォンから予約できる「えきねっと」(JR東日本のインターネット予約サービス)が普及し、紙の切符を受け取らずにスマホの画面だけで乗れる「チケットレス」も広がっていく。駅には、指定席まで買える「指定席券売機」が並んだ。
理屈のうえでは、もう緑の窓口に並ぶ必要はない。家でもホームでも、指先ひとつで席が取れる時代が来たはずだった。
4.2 便利になったはずが、複雑になった
ところが、現実はそう単純ではなかった。えきねっとは、リニューアルのたびに「使いにくい」という声が絶えなかった。新幹線か在来線か、eチケットかチケットレスか、乗車券を別に買うか――選択肢が幾重にも枝分かれし、慣れない人には迷路のようだった。
紙の切符には長い歴史のなかで積み上がった細かなルールがあり、新しいチケットレスにはまた別の仕組みがある。その両方を理解していないと使いこなせない。便利にするための道具が、かえって手続きを複雑にしてしまった面があった。
数字のうえでは、窓口離れは着実に進んでいた。みどりの窓口で買われる切符の割合(近距離を除く)は、2010年ごろの約50%から、2019年には約30%、2020年には約20%へと下がっていった。王国の城門は、静かに使われなくなっていくように見えた。
城門を減らせ ― 7割削減の号令
5.1 2021年、7割削減の計画
2021年(令和3年)5月11日、JR東日本は大きな計画を発表した。みどりの窓口を、2025年度までに約7割削減するというものである。首都圏と地方をあわせて440駅ほどにあった窓口を、140駅程度まで絞り込む。減らしたぶんは、券売機やえきねっと、そして「話せる指定席券売機」に置き換えていく。
計画の背景には、あの「窓口離れ」の数字があった。窓口で切符を買う人が2割まで減ったのなら、8割の人はもう窓口を必要としていない――そう読めば、大胆な削減は合理的な判断に見えた。
5.2 読み違えられた「2割」
だが、この数字の読み方に、落とし穴があった。
窓口で買う人が2割に減ったのは事実である。しかしその残った2割は、「たまたま窓口に残っていた人」ではなかった。券売機やアプリでは片づかない用事を抱えた人――つまり、窓口でしか解決できない人たちが、そこに凝縮されていたのである。
学生割引や、ジパング倶楽部(高齢者向けの割引会員制度)のように、証明書の確認が要る切符。通勤定期の複雑な手続き。何度も乗り換える切符や、他社線をまたぐ切符。こうした用事は、機械の画面では完結しない。窓口が減っても、これらの人が消えるわけではない。ただ、行き場を失うだけだった。
行列という反乱、そして凍結
6.1 繁忙期に噴き出した混乱
計画は進み、2024年4月には、窓口は209駅まで減っていた。すると、繁忙期のたびに問題が噴き出した。
有楽町や大崎といった主要駅から窓口が消え、年末年始やゴールデンウィークには、残った窓口に人が集中した。高齢者や外国人旅行者を含む長い行列ができ、1時間以上待たされることも珍しくなかった。ネット上では「みどりの窓口行列問題」が話題になり、「こんなの分かるわけがない」「えきねっとが使いにくい」といった声があふれた。デジタルへの移行を促すはずの施策が、かえって現場を混乱させたのである。
6.2 2024年5月8日、削減の凍結
そして2024年(令和6年)5月8日。JR東日本の喜勢陽一(きせ よういち)社長は、記者会見でこう表明した。2021年以来進めてきたみどりの窓口の削減を、いったん凍結する、と。
理由として挙げられたのは、チケットレス化が想定通りには進まなかったこと、そして訪日外国人(インバウンド)の増加で、対面での対応を必要とする利用者が増えたことだった。同年7月9日には、夏の繁忙期対策として、閉じた窓口の一部を臨時に開設することも発表された。
いったん消しかけた城門を、王国はもう一度開け直したのである。
王国の年代記
誕生から65年。世界初の予約網は、今も日本じゅうの切符を支え続けている。そして、その最も古い顔である「みどりの窓口」もまた、消えかけては、また開いている。
誰も悪くなかった、という結末
マルス王国の歴史をたどると、ここでもまた、責めるべき悪人がどこにもいないことに気づく。
窓口を減らそうとしたJR東日本は、暴挙に出たわけではない。窓口で切符を買う人は本当に2割まで減っていたし、人手不足のなかで対面サービスを縮小するのは、経営として理にかなった判断だった。えきねっとや券売機を作った人たちも、利用者の手間を減らそうと真剣に働いていた。利用者もまた、複雑なルールに従って正しく切符を求めていただけである。
全員が、それぞれの持ち場で合理的にふるまっていた。にもかかわらず、削減された窓口には行き場を失った人が殺到し、便利にするはずのアプリは「使いにくい」と言われ、世界初の予約網を持つ王国は、その最も古い顔を消せずにいる。
見落とされていたのは、たった一つの視点だった。「機械へ移せる用事から順に移っていくと、最後に人間の窓口へ残るのは、機械では絶対にできない用事ばかりになる」。だから利用者が減っても、窓口の必要性はゼロにはならない。むしろ、残った一件一件は重くなる。数字のうえでの「2割」は、消してよい2割ではなく、最も人の手を必要とする2割だったのだ。
これは、日本のあちこちで起きている「誰も悪くない調整問題」の一つの形である。デジタル化はほとんどの用事を効率化する。だが、どんなに自動化を進めても、最後には「人でなければ片づかない仕事」が残る。その最後のひとにぎりを見誤ると、便利にしたはずの改革が、かえって現場を苦しめる。
世界に先駆けて切符を自動化した王国が、最後まで人間の窓口を手放せなかった。それは失敗の記録ではない。むしろ、どれほど技術が進んでも消えない「人にしかできない仕事」の輪郭を、65年かけて静かに描き出した記録なのである。
緑色の窓口には、今日もまた、機械では片づかない用事を抱えた誰かが並んでいる。