NOTTV王国の興亡
地デジで空いた電波に、スマホ向けテレビ局を建てた4年3か月
本記事は「情報処理王国史 外典」シリーズの一編です。日本のIT・通信・行政にまつわる実話をベースに、歴史書のような語り口とブラックコメディを混ぜて記録しています。数字・日付・発言はできる限り公式資料や当時の一次報道に沿っていますが、章タイトルや比喩表現には物語的な誇張が含まれます。特定の企業・個人を貶める意図はなく、「誰も間違っていないのに、そうなってしまう」構造を記録することが目的です。なお「NOTTV(ノッティーヴィー)」とは、2012年から2016年まで放送されていたスマートフォン向けの放送サービスの名前で、「not tv=これまでのテレビとは違う」という意味が込められていました。
かつて、テレビは家の中の据え置きの箱だった。決まった時間に、決まった場所で、みんなで見上げるものだった。
そこへ2012年の春、「テレビを、ポケットの中へ」という壮大な計画が動き出した。地上デジタル放送への移行で空いた貴重な電波を使い、スマートフォンに向けて専用のテレビ局を建てる——巨大企業グループが1,000億円近くを投じた、日本初の試みだった。
これは「モバイル放送が日本を変えた物語」ではない。「空から電波は降り注いだのに、受け取る手が、ついに足りなかった」という、静かな物語である。
空いた電波と、壮大な計画
1.1 国家事業の「おつり」だった電波
2011年7月、日本の大半の地域で地上アナログ放送が終わった。長らくアナログ放送が使ってきた「VHF」(ブイエイチエフ。テレビやラジオに古くから使われてきた電波の帯)のうち、一部の帯域がぽっかりと空いた。
この空いた電波は国民共有の財産である。誰にどう使わせるか。総務省は事業者を公募し、NTTドコモ(以下「ドコモ」)グループが手を挙げた。
1.2 月額420円のテレビ局
構想はこうだ。空いた電波に専用の放送局を建て、スマートフォンに向けて放送を流す。放送の仕組みの呼び名が「モバキャス」、そのサービス名が「NOTTV」である。
料金は月額420円(税込。当時の消費税は5%)。地上デジタル移行という国家事業の「おつり」のような電波を元手に、まったく新しいテレビ局が生まれようとしていた。
「テレビでもVODでもない」という宣言
2.1 第三の何か、という自己紹介
NOTTVは自らをこう名乗った。
ビデオ・オン・デマンド(VOD。見たい番組を、見たいときに呼び出して再生する仕組み。今の動画配信サービスの原型)とも違う。かといって普通のテレビとも違う。その中間に、新しい何かを作ろうとしていた。
2.2 凝った仕組みの数々
技術的な売りもあった。放送規格「ISDB-Tmm」(アイエスディービー・ティー・エムエム。日本のデジタル放送方式を携帯端末向けに拡張したもの)を採用し、携帯電話向けの「ワンセグ」(画面の小さな簡易テレビ放送)と比べて「約10倍の高品質」をうたった。深夜の空いた時間に番組データを端末へ自動で溜め込み、好きなときに高画質で見られる「シフトタイム視聴」という凝った仕組みまで用意した。
端末という、閉じた門
3.1 たった2機種から始まった
壮大な計画には最初から小さな穴が空いていた。「受信機」である。
放送は空から降ってくる。しかしそれを受け取るには、NOTTV対応のチューナーを内蔵した端末が要る。ところがサービス開始時、対応していたのはドコモのスマートフォンとタブレット、各1機種だけだった。
3.2 いちばん売れる端末で、見られない
しかも、当時世界で最も売れていたスマートフォンであるiPhoneは、NOTTVに対応していなかった。iPhoneは自社の設計で作られており、日本の放送規格のチューナーを積んでいない。つまり、多くの人が持ちたがった端末では、そもそも見られなかった。
親が、我が子の息の根を止める
4.1 主力商品が、我が子を見られない
さらに皮肉な展開が待っていた。
2013年9月、親会社であるドコモがついにiPhoneの販売を始めた。長年アップルと契約せず国産スマホを推してきたドコモが、方針を転換したのである。経営判断としては当然だった。iPhoneを売らなければ、顧客が他社に逃げてしまう。
だが、そのiPhoneはNOTTVに対応していない。ドコモの店頭で最も売れる主力商品が、自グループのNOTTVを見られない端末だった。売れば売るほど、NOTTVを見られない人が増えていく。
4.2 通信が、放送を追い越す
追い打ちをかけたのが、同じドコモが手がけるもう一つのサービス「dビデオ」(2015年に「dTV」へ改称)だった。こちらはインターネット回線で動画を配信する、いわば「通信」の動画サービス。月額500円(税別)で映画やドラマが見放題のこのサービスは好調で、放送のNOTTVと明暗を分けた。
同じ会社の中で、通信が放送を静かに追い越していく。誰も裏切ってはいない。それぞれが自分の持ち場で最善を尽くしただけだ。ただ、時代が欲しがったのは「放送」ではなく「通信」のほうだった。
1,000万の夢と、175万の現実
5.1 掲げられた壮大な目標
mmbiが当初掲げた契約目標は、初年度末に100万、2015年度末に600万、将来的には1,000万——という壮大なものだった。
5.2 175万で止まった針
現実はどうだったか。100万契約を突破したのは、開始から1年2か月後の2013年6月。ここまではまだよかった。しかしその後は伸び悩み、2015年3月末の約175万を頂点に、契約数は減少へと転じてしまう。600万にも、1,000万にも、はるか遠く届かなかった。
赤字は膨らみ続けた。運営会社mmbiの損失は、2012年度に約215億円、2013年度に約168億円、2014年度には約503億円。累積赤字は約996億円、およそ1,000億円に達した。
王国の年代記
放送か、通信か ― 時代が出した答え
7.1 放送の理屈は、正しかった
NOTTVがつまずいた理由は、技術の優劣ではない。むしろ画質も仕組みも、当時としては凝っていた。問題は、時代が選んだ道の「反対側」に立っていたことだった。
放送には放送の強みがある。1つの電波を何百万人が同時に受け取っても混雑しない。大災害でネット回線がパンクしても、放送なら届く。この理屈は、いまも正しい。
7.2 世界はVODへ流れた
だが2010年代前半、人々の手の中で起きていたのは「通信」の爆発だった。回線は速くなり、料金は下がり、見たい動画を見たいときに呼び出せるようになった。放送のように「番組表に合わせて待つ」必要は、もうなかった。NOTTVが「テレビでもVODでもない」と胸を張った、まさにそのVODのほうへ、世界は流れていった。
7.3 積み荷が重いほど、止まれない
そして忘れてはならない前提がある。NOTTVが使っていたのは、国民共有の電波だったということだ。地デジ移行で空いた貴重な帯域を、4年3か月使って、返した。マルチメディア放送として、日本で初めての「廃止」だった。
誰かが無能だったわけではない。優秀な人々が、正規の免許を得て、巨額を投じ、真剣に番組を作った。ただ、賭けた方向が時代とすれ違っていた。組織というものは、いったん大きな計画に電波と資金を積み込むと、途中で「やはり通信の時代だ」と気づいても、簡単には舵を切れない。積み荷が重いほど、止まれない。
大きく投資したシステム、鳴り物入りで始めた事業、引き返しにくくなったプロジェクト。
「ここまで注ぎ込んだのだから」と続ける判断と、「時代が変わったから」と退く判断。その線引きを、誰が、いつ引くのか。
閉局特別番組
8.1 静かな暗転
2016年6月30日、正午。
サービス終了を前に、NOTTVは最後の番組「NOTTVのキセキ」を流した。地上アナログ放送が終わったあの日、各局が流した停波前のクロージング映像に、それはよく似ていた。画面には、こんなテロップとアナウンスが流れた。
そして最後に、「これをもちまして、NOTTVの放送をすべて終了させていただきます」の言葉とともに、画面は静かに暗転した。停波である。
8.2 面白すぎたテレビ
サービス終了を報じたある記事の見出しは、こうだった。「テレビと呼ぶには、面白すぎる」。皮肉にも、その面白さを見届けた人は、最後まで多くはなかった。