年賀状ソフト王国の興亡
情報処理王国史 外典第九十巻

年賀状ソフト王国の興亡

四人の「筆」の王が、一人の主君に仕えるまで。市場は六分の一に縮んでいた

NENGA FUDE
この記事について
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。

年末のこたつの上に、みかんの皮と、印刷中のプリンタの音があった時代を覚えているだろうか。住所録を開き、宛名の一つひとつに相手の顔を思い浮かべながら、印刷ボタンを押す。あの作業を手伝っていたのが、年賀状ソフトだった。

その世界には、かつて四人の王がいた。「筆まめ」「筆王」「筆ぐるめ」「宛名職人」。どれも「筆」か「宛名」の名を掲げ、毎年秋になると、互いの機能を競い合った。

そして2025年、その四人が同じ主君の家臣になった。同じ会社から、同じ日に売り出される。かつて競い合った王たちを一つにまとめたその頃、彼らが治める市場は、最盛期の六分の一に縮んでいた。これは、年に一度の行事のために生まれた道具が、その行事とともに畳まれていく物語である。


CH.01

王国の建国――「筆」の名を持つ四家

西暦1990年。日本のパソコンに、一本のソフトが届いた。

名を「筆まめ」という。株式会社クレオが世に出した、この国で最初の本格的な年賀状ソフトである。住所録を作り、宛名を印刷し、干支のイラストを並べて、はがきの表と裏を一台で仕上げる。手書きでもなく、印刷屋に頼むのでもない、第三の道がそこにあった。

やがて、同じ「筆」の名を掲げる家が次々と旗を上げた。

1993年、Macの世界に「宛名職人」が現れた。株式会社アジェンダが手がけた、Mac用年賀状ソフトの草分けである。1996年には「筆王」が名乗りを上げる。アスキーサムシンググッドが開発し、その年の秋に売り出された。そして富士ソフトの「筆ぐるめ」が、パソコンに最初から入っている定番として、静かに版図を広げていった。

筆まめ、筆王、筆ぐるめ、宛名職人。四つの家は、それぞれの城を築き、毎年秋になると互いの機能を競い合った。年賀状という一年に一度の行事のためだけに、これほどの兵が集められた国は、世界を見渡してもそう多くない。

【用語解説】はがき作成ソフト(年賀状ソフト)
住所録を管理し、宛名面の印刷と、裏面のデザイン作成をまとめて行うソフトのこと。年末にだけ使う人が多いため「年賀状ソフト」と呼ばれる。宛名の差し込み印刷、干支やイラストの素材集、写真の配置などが主な機能で、表計算やワープロとは別の、日本独自に発達したジャンルである。

CH.02

毎年秋の即位式――バージョンと干支の商法

この王国には、独特の暦があった。

毎年夏の終わりから秋にかけて、四つの家はいっせいに「最新版」を売り出す。筆まめはVer.いくつ、筆王はVer.いくつと、版数を一つずつ増やしながら、その年の干支の素材を新たに加える。来年が午年なら、馬のイラストが増える。それだけのために、人々は毎年、新しい箱を買った。

機能そのものは、前の年とそれほど変わらない。それでも「今年の干支が入っていないと、なんとなく古い」という気持ちが、財布を開かせた。ソフトを一年ごとに買い替えるという習慣は、他のジャンルではめったに見られない。年賀状ソフトだけが、季節商品としての性格を色濃く持っていた。

もう一つの戦場が、パソコンへの「プリインストール」である。

【用語解説】プリインストール(バンドル)
パソコンを買ったとき、あらかじめソフトが入れられている状態のこと。「バンドル」とも呼ぶ。利用者が自分で選んで買ったわけではないが、最初から入っているため、そのまま使われることが多い。メーカーにとっては、店頭で選ばれなくても大量に配れる強力な販路になる。

筆ぐるめは、この道で頭一つ抜けていた。店頭のパッケージ販売の順位では長く三番手にいたが、パソコンに最初から入っている本数まで数えれば話は変わる。報道によれば、その数は年間およそ四百万本にのぼるとされ、「導入実績一位」を名乗る根拠となっていた。

店で選ばれて勝つ王もいれば、選ばれる前から家の中にいる王もいた。同じ「筆」の名の下で、四家の戦い方はそれぞれ違っていたのである。


CH.03

王国の絶頂――四十四億枚の版図

王国の勢いは、年賀はがきそのものの発行枚数と歩みをともにした。

各種の記録によれば、年賀はがきの発行枚数は1964年に十億枚を、1973年に二十億枚を突破し、伸び続けた。そして頂点は2003年度(平成15年)、四十四億五千九百三十六万枚に達する。当時の人口で割れば、国民一人あたりおよそ三十五枚。赤ん坊から高齢者まで含めての数だから、働く世代なら一人で百枚、二百枚と書いた人も珍しくなかった。

【用語解説】年賀はがきの発行枚数
郵便局が売り出す年賀はがきの枚数のこと。私製はがきや年賀状ソフトの利用実態そのものではないが、日本の年賀状文化の規模を測るものさしとしてよく使われる。ピークは2003年度で、以後は一貫して減り続けている。

百枚、二百枚の宛名を、手で書くのは骨が折れる。だからこそ年賀状ソフトが要る。住所録に一度打ち込めば、あとは毎年、印刷ボタンを押すだけでよい。四十四億枚という数字の裏側で、四つの「筆」の王国は最も豊かな季節を迎えていた。

一家に一本、年賀状ソフト。年末の食卓には、こたつとみかんと、印刷中のプリンタの音があった。それは、王国の黄金時代の情景だった。あなたの家の押し入れにも、色あせた干支のパッケージが眠ってはいないだろうか。


CH.04

版図の縮小――届け先が、年々減っていく

頂点は、下り坂の始まりでもある。

2003年度をピークに、年賀はがきの発行枚数は坂を転げるように減っていった。2020年には十九億枚あまりと、ピークのおよそ半分を割り込む。理由は一つではない。携帯電話のメール、そしてLINEをはじめとするSNSが、新年の挨拶を担うようになった。「あけましておめでとう」は、元日の朝、スマートフォンの画面の中で交わされるものになっていった。

【用語解説】年賀状じまい(終活年賀状)
「来年からは年賀状のやり取りを控えます」と、最後の年賀状で相手に伝えること。高齢を理由にする場合は「終活年賀状」とも呼ばれる。かつては年配者の習慣とされたが、近年は四十代から八十代まで幅広い世代に広がり、年賀状文化を静かに畳んでいく動きとして定着しつつある。

追い打ちをかけたのが、値上げだった。2024年10月、通常はがきの料金は63円から85円へと引き上げられる。一枚あたり二十円を超える上乗せは、百枚出す人にとって二千円を超える負担増になる。「年賀状じまい」という言葉が広く知られるようになったのも、ちょうどこの頃である。

そして2026年用の年賀はがきの当初発行枚数は、七億四千八百四十一万枚。ピークだった2003年度の、およそ六分の一である。

王国の版図は、二十年あまりで六分の一に縮んだ。宛名は今も印字できる。ただ、届け先が年々減っていく。


CH.05

諸侯、一人の主君の下に

版図が縮むほど、諸侯は一人の主君の下に集められていった。

最初に旗を降ろしたのは、筆王だった。開発元のアスキーサムシンググッドは1999年にアイフォーと名を変え、2003年に自己破産する。権利はイーフロンティアへ渡り、2007年、ソースネクストへとすべてが譲られた。次いで筆まめが、2017年のVer.28からソースネクストの名で売られるようになる。Mac用の宛名職人も、2016年に権利がソースネクストへ移り、その傘の下に加わった。

長く独立を保っていたのが、パソコンへの搭載で最大の勢力を誇った筆ぐるめである。だがその筆ぐるめも、ついに軍門に下る。

「従来の3ブランドに加え、パソコン導入実績第1位の『筆ぐるめ』も、ソースネクストから販売することとなりました。」
— ソースネクスト プレスリリース「年賀状ソフト4ブランド」(2025年8月21日)より

2025年8月、ソースネクストは「筆まめ」「筆王」「筆ぐるめ」「宛名職人」の四ブランドを、自社から一斉に売り出すと発表した。かつて秋の店頭で互いの機能を競い合った四人の王が、今や同じ主君の家臣として、同じ日に肩を並べて世に出る。

これは敗北の物語ではない。縮んでいく市場で生き残るための、きわめて合理的な選択だった。開発費を分け合い、素材を融通し、サポートをまとめる。四つの城を別々に守るより、一つの城に兵を集めるほうが、はるかに理にかなっている。ただ、その光景には、どこか祭りのあとの静けさが漂っていた。


CH.06

王国の年代記

1990年 クレオが「筆まめ」を発売。国産の本格的な年賀状ソフトの草分けとなる
1993年 Mac用の「宛名職人」がアジェンダから登場
1996年 アスキーサムシンググッドが「筆王」を発売
1990年代 富士ソフトの「筆ぐるめ」がパソコンへの搭載を軸に普及
2003年度 年賀はがき発行枚数が約44億6千万枚でピークに
2007年 筆王の権利がソースネクストへ譲渡される
2016年 宛名職人の権利がアジェンダからソースネクストへ譲渡
2017年 筆まめがVer.28からソースネクスト名義で販売に
2020年 年賀はがき発行枚数が約19億枚まで減少
2024年10月 はがき料金が63円から85円へ値上げ
2025年8月 ソースネクストが4ブランドを一斉に発売。四家が一つの傘の下に集う
2026年用 当初発行枚数は約7億5千万枚。ピークの約6分の1に

CH.終

誰も悪くなかった、という結末

ここで、公平を期すために言っておきたいことがある。

年賀状ソフトは、悪くない。四つの「筆」の王国は、どれも仕事をきちんと果たした。住所録を守り、宛名をきれいに刷り、毎年、律儀に新しい干支の絵を用意した。使う人が減ったのは、ソフトの出来のせいではない。

では、誰が悪かったのか。

誰も悪くない――というのが、たぶん一番正確な答えだ。

若い世代は、はがきよりLINEのほうが早くて安いと知っていた。年配の人は、値上がりした料金と、年々細くなる宛名の列を見て、そろそろ潮時かと考えた。作り手は、縮む市場でサービスを続けるために、四つの城を一つにまとめた。全員が、それぞれの立場で、まっとうに判断した。その総和として、王国は静かに小さくなった。

これは、技術の敗北ではない。年に一度、遠くの誰かを思い出し、短い一言を添えて送るという習慣が、別のかたちへ移っていく途中の話だ。かつては、その思い出す作業を、年賀状ソフトが手伝っていた。差出人の欄に自分の名を刷りながら、宛名の一つひとつに、しばし相手の顔を思い浮かべた人は多いはずだ。

道具は、習慣とともに栄え、習慣とともに畳まれる。四つの王国が一つになった今も、誰かの住所録の中では、もう年賀状を出さなくなった相手の名が、消されずに残っている。それは、王国が確かにそこにあったことの、静かな証しなのかもしれない。


かくして、四人の王は一人の主君の家臣となり、
王国は今日も、ずっと小さな版図で稼働している。
年末が近づけば、どこかの家で、
また印刷ボタンが押される。
宛名が一枚、また一枚と刷り出される。
その枚数が、去年より少し少ないことに、
押した本人は気づかないふりをしながら。
宛名は、まだ印字されている。
届け先が、年々減っていくとしても。
―― 投函 完了

参考・引用資料
「筆まめ」「筆王」「筆ぐるめ」「宛名職人」各製品ページ・沿革(ソースネクスト、Wikipedia各項目)
ソースネクスト プレスリリース「年賀状ソフト4ブランド」(2025年8月21日)
日本郵政グループ 年賀葉書発行枚数の記録、および各種報道による発行枚数の推移
2026年用年賀はがきの当初発行枚数に関する各種報道(2025年)
「年賀状じまい(終活年賀状)」に関する各種解説記事