ミレニアム王国の興亡
次の王朝が間に合わず、古い血筋で建てられた「つなぎ」の王国
この記事は、Windows Me(Windows Millennium Edition)にまつわる実際の出来事をもとにしています。年号・製品名・発言などはできるかぎり公開資料に沿って書いていますが、語り口は「王国の歴史書」に見立てたフィクション仕立てです。特定の企業や個人を批判する意図はありません。
西暦2000年。新しい千年紀という言葉が、まだ少しだけまぶしかったころ、ひとつの王国が名乗りを上げた。
その王は、発売当初こそ「家庭のための頼れる王」と歓迎された。ところが数年後には、技術史に残る不名誉な称号を背負うことになる。
なぜ、晴れやかに迎えられた王が「史上最悪」と呼ばれたのか。その答えは、王の性能よりも「生まれた事情」のほうにある。
王国の建国
1.1 千年紀の名を冠した王
西暦2000年。新しい千年紀という言葉が、まだ少しだけまぶしかったころのことである。
その年の9月、ひとつの王国が名乗りを上げた。名を「ミレニアム」という。正式には Windows Millennium Edition、人々は縮めて Windows Me と呼んだ。アメリカでは9月14日に店頭へ並び、日本語版は9月23日に発売された。前日の9月22日夕方には、数量限定の特別パッケージが一足先に売り出され、家電量販店のソフト売り場に小さな列ができた。
1.2 「家庭のための王」という看板
王国は、自らを「家庭のための王」と名乗った。仕事用の堅牢な王朝(Windows 2000)とは別に、居間のパソコンで写真を整理し、動画を編集し、家族でインターネットを分け合う。そういう暮らしのための王である、と。
その看板政策には「PC ヘルス(PC Health)」という健康診断めいた名前がつけられていた。中でも目玉は「システムの復元」だった。
新しい王は、たしかに未来の道具をいくつも携えていた。問題は、その王が「なぜ立てられたのか」という一点にあった。
なぜ「つなぎ」の王が立ったのか
2.1 2年前の予告
じつはこの王国、初めから「短い治世」を宿命づけられていた。
さかのぼること2年、1998年。マイクロソフトのビル・ゲイツは、開発者向けの会議でこう予告していた。Windows 98 を、古い設計(9x系)の最後の王とする。次の家庭向けWindowsは、仕事用と同じ頑丈な土台(NT系)の上に建て、ふたつに分かれていた王朝をひとつに統一する、と。
2.2 間に合わなかった新王朝
つまり本来なら、2000年に来るはずだったのは、頑丈な新王朝のほうだった。その第一歩として、家庭向けを新しい土台(NT系)へ移すために進められた計画が「Neptune(ネプチューン)」である。ところが、この移行事業は思ったより難物だった。作業は膨れ上がり、2000年中の完成にはとても間に合わない。Neptune は結局、日の目を見ずに畳まれた。
新王朝は、間に合わなかった。しかし、時代の暦は待ってくれない。2000年という節目に、家庭向けの新製品を何も出さないわけにはいかない。
そこで王国は、苦肉の策に出た。古い血筋(9x系)の設計をもう一度だけ引っぱり出し、そこへ新機能を継ぎ足して、一体の王に仕立てたのである。それがミレニアムだった。
王の新しい装い
3.1 時代の空気に合った道具
古い土台の上とはいえ、ミレニアムは当時の家庭にとって目新しい道具をそろえていた。
動画をつなぎ合わせて編集できる「Windows ムービーメーカー」。音楽も映像も再生できる「Windows Media Player 7」。家じゅうのパソコンを一本の回線でつなぐ「ホームネットワークウィザード」。機器をつなげば自動で認識してくれる仕組み。ちょうど日本の家庭のインターネットが、電話回線から常時接続の時代へと移りはじめ、「一家に一台」から「一家に複数台」へと動こうとしていた時期である。王国の売り込みは、時代の空気とよく合っていた。
3.2 晴れやかな門出
発売直後、評判はむしろ悪くなかった。「システムの復元」や「PC ヘルス」は、パソコンに詳しくない家庭のユーザーにとって心強い安全網だと歓迎された。専門誌のレビューにも、前向きな言葉が並んだ。
王国の門出は、晴れやかだった。少なくとも、この時点では。
「MS-DOSへ降りる扉」を閉じた王
4.1 閉ざされた裏口
ミレニアムには、目立たないが決定的な「改造」がひとつあった。
歴代のWindowsは、その足元に MS-DOS という古い基盤を隠し持っていた。いざとなればWindowsを介さず、この古い基盤に直接「降りて」操作できた。長年のユーザーや、業務用の古いソフトは、この「裏口」を頼りにしていた。
4.2 まっとうな狙いが生んだ断絶
ミレニアムは、この裏口を事実上ふさいだ。正確には、起動を速くし、ソフト同士の衝突を減らすために、リアルモードのMS-DOSへ降りる経路を制限したのである。狙いはまっとうだった。速く、安全に、家庭向けに。
ところが、である。古い裏口を頼りに動いていた業務ソフトや周辺機器は、この改造でとたんに動かなくなった。「前のパソコンでは動いていたソフトが、新しいパソコンで動かない」。家庭向けをうたった王国は、その古さと新しさの中途半端さゆえに、あちこちで小さな断絶を生んだ。
ちなみに Windows Me は、MS-DOS を土台に持つ最後のWindowsとなった。裏口を閉じた王が、同時に「MS-DOSの血を引く最後の王」でもあったというのは、歴史の皮肉である。
「史上最悪」の烙印
5.1 軋みはじめた継ぎ目
門出は晴れやかだった。しかし、蜜月は長くは続かなかった。
普及が進むにつれ、王国のあちこちから悲鳴が上がりはじめた。インストールがうまくいかない。動かしても不安定になる。ほかの機器やソフトとかみ合わない。そして、止めようとしても止まらない。青い画面(ブルースクリーン)は、いつしかこの王国の紋章のように語られるようになった。
古い土台に新しい機能を無理やり継ぎ足した、その継ぎ目が、あちこちで軋んだのである。
5.2 「間違い版」という称号
やがてミレニアムは、技術史に残る不名誉な称号を与えられる。PC Worldは2006年、「史上最悪のテック製品25」の第4位に Windows Me を挙げ、「Mistake Edition(間違い版)」と呼んだ。発売当初こそ好意的に迎えられた王が、である。
わずか14か月の治世
6.1 帰ってきた新王朝
新王朝は、思ったより早く帰ってきた。
2001年10月25日、家庭用と仕事用をひとつに束ねた新しい王「Windows XP」が米国で即位する。頑丈な土台(NT系)の上に、家庭向けの親しみやすい顔を載せた、まさに1998年に約束された「統一王朝」だった。日本語版も同じ年の11月16日に登場した。
6.2 早すぎる退位
ミレニアムの治世は、発売からわずか1年あまり。歴代Windowsの中でも、際立って短い在位だった。人々は古い王をあっさりと見限り、新王朝へと移っていった。もとより「つなぎ」として立った王である。役目を終えれば、退くのも早い。
マイクロソフトによる公式の支援も、静かに幕を下ろした。基本的なサポートは2003年末に、延長サポートも2006年7月11日に終了する。同じ日、兄にあたる Windows 98 のサポートも終わった。9x系という古い血筋は、この日、まとめて歴史の彼方へと送られたのである。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末
8.1 悪役のいない物語
ミレニアム王国を振り返ると、悪役がひとりも見当たらないことに気づく。
新王朝を統一しようとした計画は、志が高すぎて間に合わなかった。それ自体は、決して怠慢ではない。難事業に挑めば、遅れることはある。一方で、2000年という節目に家庭向けの製品を出すという判断も、ビジネスとしては筋が通っている。古い土台をもう一度使うのも、限られた時間の中では現実的な選択だった。継ぎ足した新機能そのものは、のちのWindowsへ受け継がれるほど優れていた。
一人ひとりの判断は、それぞれの場所で正しかった。ただ、その正しさが「新王朝は間に合わない、けれど暦は待てない」という一点でぶつかったとき、割を食ったのが、あいだに立たされたミレニアムだった。
8.2 つなぎに名前を与えると
ここに、組織というものの厄介な性質が透けて見える。「つなぎ」というのは、本来なら名前を持たない、ただの空白のはずだ。ところが、その空白に製品名を与え、値札をつけて店頭に並べた瞬間、それは「本物の王」として評価されてしまう。つなぎのつもりのものが、つなぎとしてではなく、一個の完成品として裁かれる。ミレニアムの不運は、性能そのものよりも、この「立ち位置」にあったのかもしれない。
8.3 橋になれなかった橋
短い治世を終えたミレニアムは、次の王朝への橋を渡した。橋になれなかった橋、とも言える。だがその失敗があったからこそ、統一王朝XPは長きにわたる安定の時代を築いた。
王国は、間に合わなかった未来のために、みずから隙間を埋めて消えていった。