FeliCa王国の興亡
かざす文化を育てた技術が、世界標準の椅子を逃した話
この記事は、ソニーの非接触ICカード技術「FeliCa」と、そこから生まれた「おサイフケータイ」やSuicaにまつわる実際の出来事をもとにしています。年号・製品名・発言などはできるかぎり公開資料に沿って書いていますが、語り口は「王国の歴史書」に見立てたフィクション仕立てです。特定の企業や個人を批判する意図はありません。
朝の改札で、誰も立ち止まらない国がある。日本だ。
切符も財布も出さず、手にした板をひらりとかざすだけで、人の川はよどみなく流れていく。この当たり前を支えているのは、じつは世界ではあまり使われていない、日本生まれの技術である。
品質では負けなかった。それなのに、世界の標準にはなれなかった。これは、あまりにうまく走り出したせいで、途中で線路を切り替えられなくなった王国の話である。
かざすだけ、という魔法
1.1 誰も立ち止まらない改札
朝の駅。改札の前に、人の川が流れている。
誰も立ち止まらない。財布を出す人も、切符を探す人もいない。みんな、手にした板やカードを、四角い読み取り面の上でひらりと振るだけだ。ピッ、という短い音。緑のランプ。そして次の一歩。
海外から来た人がこの光景を見ると、たいてい少し驚く。「タッチしていないのに、なぜ反応するのか」と。実は、多くの人は本当に触れてはいない。かざしているだけだ。この「触れずに、かざすだけ」を可能にした技術に、名前がある。
FeliCa(フェリカ)という。
1.2 「至福」という名の回路
FeliCaは、ソニーが開発した非接触ICカードの技術だ。名前は「Felicity(フェリシティ=至福、幸福)」と「Card」を組み合わせた造語で、日々の暮らしをちょっと幸せにする、という願いが込められている。
FeliCaの正体は、財布を軽くする技術ではなかった。行列を消す技術だった。改札のように、1分間に何十人もが通り抜ける場所では、処理が0コンマ数秒でも遅れると、たちまち人が詰まる。だからFeliCaは、とにかく速く読めることを最優先に設計された。
そして日本は、この「速さ」に恋をした。恋をしたまま、世界から少しだけ、はぐれることになる。
香港の勝利、そして日本の離陸
2.1 最初の舞台は香港だった
物語は、日本ではなく香港から始まる。
FeliCaが世界で初めて大規模に使われたのは、1997年、香港の交通カード「オクトパス(八達通)」だった。地下鉄やバスで、かざすだけで運賃を払える。当時としては未来的な仕組みで、これが世界に「非接触ICは使える」と示した最初の実例になった。皮肉なことに、日本生まれの技術の晴れ舞台は、まず海の向こうで整えられたのである。
2.2 Suicaという衝撃
日本国内での本格デビューは、2001年。JR東日本の「Suica」だった。同じ年、電子マネーの「Edy」も登場している。
Suicaは、瞬く間に受け入れられた。定期券を改札に差し込んでいた時代を知る人にとって、かざすだけで通れる体験は、素直に感動的だった。切符を買う列も、定期を入れて詰まる改札も、少しずつ消えていった。
日本の非接触IC文化は、ここから一気に離陸する。交通から始まり、コンビニの支払いへ、自動販売機へ、そして次の主役が現れる。財布そのものを、電話の中に入れてしまおう、という発想だ。
携帯が財布になった日
3.1 2004年7月10日、土曜日
2004年7月10日。土曜日。
この日、日本のポケットの中で、静かな革命が起きた。NTTドコモが、FeliCaを内蔵した携帯電話「ムーバP506iC」を発売し、同時に「iモード FeliCa サービス」が始まったのだ。ドコモは、この新しい体験にひとつの名前を与えた。
おサイフケータイ。
3.2 財布が電話に吸い込まれる
携帯電話が、財布になる。カードを何枚も持ち歩く代わりに、いつも手にしている電話をかざせばいい。サービスは10社の同時参加で始まり、その後、電子マネーも、ポイントカードも、社員証も、家の鍵さえも、次々とこの小さな端末に吸い込まれていった。
このころの日本は、間違いなく、世界の非接触決済の最先端を走っていた。欧米の人々がまだ現金とサインの世界にいたころ、日本のサラリーマンは、電話を自動販売機にかざしてコーヒーを買っていた。
だが、まさにこの絶頂の裏側で、王国は世界の地図から静かに切り離されようとしていた。技術ではなく、規格という名の椅子取りゲームで、日本は座る椅子を失っていたのである。
世界標準の椅子取りゲームに敗れる
4.1 優れていても、選ばれない
技術がどれほど優れていても、それが「世界標準」に選ばれるかどうかは、また別の話だ。
非接触ICカードの国際規格をめぐる議論の場で、FeliCaは世界標準の座を狙った。しかし、規格の一員としては採用されず、当時の主導権は、オランダのフィリップス(後のNXPセミコンダクターズ)などが手がける「Mifare(マイフェア)」系の方式が握っていった。世界の交通カードや入退室の仕組みの多くは、この系統をベースに広がっていく。
その結果、非接触ICの世界は、大きく二つに分かれた。世界の多くが使う「Type A/Type B」と、日本がほぼ独占的に使う「Type F」である。FeliCaは、この「Type F」にあたる。
4.2 同じ傘の下の、よそ者
もっとも、FeliCaが完全に締め出されたわけではない。2003年12月、ソニーとフィリップスが中心となって進めた近距離無線通信の国際規格が成立し、FeliCaの通信方式もそこに組み込まれた。翌2004年には、NXP・ノキア・ソニーが中心となってNFCの推進団体も発足している。
同じNFCという傘の下にいながら、日本のかざす文化だけが、世界のスマホと直接は握手できない。技術的には仲間なのに、実務的にはよそ者。この宙ぶらりんな立場が、次の悲喜劇を生むことになる。舞台は、世界でもっとも売れた電話、iPhoneである。
王国の年代記
10枚のカードと、またがれない境界
6.1 カードが、増えた
かざす文化が広がるにつれ、日本には奇妙な光景が生まれた。カードが、増えたのである。
Suicaがある。PASMOがある。関西にはICOCAとPiTaPa、東海にはTOICA、名古屋にはmanaca、北海道にはKitaca、九州にはSUGOCAとnimocaとはやかけん。同じ「かざすだけ」の技術を使いながら、地域ごと、事業者ごとに、別々のカードが林立した。
この乱立を少しでも和らげようと、2013年3月23日、「交通系ICカード全国相互利用サービス」が始まった。これで、主要な10種類のカードが、全国の対応エリアで相互に使えるようになった。手持ちの1枚で、東京でも大阪でも福岡でも改札を通れる。大きな前進だった。
6.2 便利さの極みに引かれた境界線
この「全国で使える」には、静かな但し書きがついていた。相互利用ができるのは、あくまで対応エリアの中での話だ。地方のローカル路線や一部の区間では、そもそも交通系ICが導入されていなかったり、県境をまたぐ長距離乗車がシステム上できなかったりする。
つまり、同じ1枚のカードでも、都市の中では魔法のように使えて、少し郊外へ出た瞬間、ただのプラスチックに戻る。利用者からすれば、どこで使えてどこで使えないのか、実のところよく分からない。誰かが意地悪をしているわけではない。各事業者が、それぞれの都合と歴史の中で、合理的に選択を積み重ねた結果、地図の上に見えない境界線が引かれていったのだ。
iPhoneが折れるまでの12年
7.1 最先端の電話と、旧式のカード
世界標準からはぐれたことの代償は、思わぬ形で日本の消費者に降りかかった。iPhoneである。
2007年に登場したiPhoneは、瞬く間に世界を席巻した。しかし、日本のユーザーには長らく、ひとつの不満があった。おサイフケータイが使えないのだ。ガラケー(従来型の携帯電話)ではとっくに当たり前だった「かざして改札を通る」が、最先端のはずのiPhoneではできない。Type FであるFeliCaに、iPhoneが対応していなかったからである。
日本のユーザーは、iPhoneのために、Suicaのカードを別に持ち歩いた。世界でもっとも進んだ電話を握りしめながら、改札では旧式のプラスチックカードをかざす。この光景こそ、規格戦争に敗れた王国の、もっとも正直な姿だった。
7.2 Appleが折れた日
転機は2016年に訪れる。この年に発売されたiPhone 7が、ついにFeliCaに対応したのだ。Appleの発表資料は、日本市場のためだけに特別な対応を組み込んだことを、数字とともに認めている。
世界標準だけを見ていたはずのAppleが、日本のためにわざわざType Fを積んだ。それだけ、日本のかざす文化が根深く、無視できない規模に育っていたということでもある。おサイフケータイの登場から、実に12年。ようやく、日本のiPhoneユーザーは、電話ひとつで改札を通れるようになった。
勝ったのか、負けたのか。答えは、たぶんその両方だ。
速さは正義だったのか
8.1 悪役のいない物語
ここで、公平を期すために言っておきたいことがある。
FeliCaは、悪くない。むしろ、よくできすぎていた。混雑した改札をさばくための速さも、電池のいらない仕組みも、暮らしをちょっと幸せにという名前に込めた思想も、どれも一級品だった。技術の勝負では、FeliCaは負けていない。
では、なぜ世界からはぐれたのか。技術が優れていることと、世界標準に選ばれることは、別の問題だからだ。標準を決めるのは、性能の点数ではない。どの陣営が、どれだけの国と企業を巻き込み、どのタイミングで椅子に座れるか、という力学である。FeliCaは技術で勝ち、政治で及ばなかった。ただそれだけのことだ。
8.2 便利すぎた国の宿命
そして日本は、自国で完璧に回る仕組みを手にしたがゆえに、世界と足並みをそろえる動機を持ちにくかった。国内が便利すぎたのだ。改札はスムーズに流れ、コンビニの支払いは一瞬で終わる。誰も困っていないのに、なぜ世界標準に合わせ直す必要があるのか。この問いに、明確に答えられる人はいなかった。
8.3 島の中の正義
誰かが判断を誤ったわけではない。ソニーは優れた技術を作った。JRは駅を便利にした。ドコモは財布を電話に入れた。利用者はその便利さを享受した。全員が、それぞれの持ち場で正しく振る舞った。その正しさが積み重なった先に、世界とは少しだけ違う、独自の島ができあがっていた。
速さは、正義だったのか。たぶん、正義だった。ただしそれは、島の中だけで通用する正義だった。