パッケージ王国の黄昏
CD-ROMという夢の礎、そして静かな幕引き
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
インターネットへの接続方法は、CD-ROMで郵送されてきた。百科事典は円盤に焼かれて書店に並んだ。深夜の秋葉原に、2万人が行列した日があった。
やがてドライブはPCから消え、棚からパッケージが消え、行列が消えた。誰も悪くなかった——ただ、便利さが先に歩いていっただけだ。
これは、銀の円盤が輝いていた、あの短い黄金時代の記録である。
円盤の降臨
音楽から情報へ ― 円盤の変容
1982年10月1日。ソニーとフィリップスが共同開発した小さな銀の円盤が、日本の量販店に並んだ。
直径12センチ。重さ約15グラム。音楽を「光」で読み取るという、それまでの常識を覆す媒体——コンパクトディスク(CD)の誕生だ。アナログレコードの時代を生きてきた人々は、傷一つつけても音が飛ばないその円盤に、未来を見た。
しかし技術者たちの野心は、音楽だけで終わらなかった。1985年、国際標準規格「イエローブック」が策定される。CDに音楽だけでなく、あらゆるデジタルデータを焼き付ける規格、それが「CD-ROM」だ。
650MB、フロッピー450枚分の容量。この数字が、一つの時代を作ることになる。
ゲーム機とパソコン、最初の搭載
1988年12月、PCエンジン用の周辺機器「CD-ROM²システム」が発売される。世界初のCD-ROM対応ゲームシステムだ。大容量を活かしたアニメ映像、音声付きゲーム——フロッピーやカセットでは不可能だったコンテンツが、家庭のテレビに流れ込んだ。
翌1989年11月、NECがデスクトップPC「PC-8801MC」を発売した。日本で初めてCD-ROMドライブを搭載できる機種だ。価格はドライブ別売りモデルで169,000円、CD-ROMドライブ標準搭載モデルで199,000円。ゲーム、百科事典、マルチメディアコンテンツ——光の円盤が、情報の新しい器として注目を集めた。
円盤王国の扉が、ゆっくりと開いた。
雑誌という名の配達員
フロッピーから銀盤へ ― 容量の革命
1990年代。日本のパソコン雑誌に異変が起きていた。
厚さがどんどん増している。ページ数ではない。「付録」だ。
月刊ASCII、PC USER、DOS/V POWER REPORT、Oh! PC——名だたるパソコン誌が、こぞってフロッピーディスクの付録をつけ始めた。しかし1993年頃からその付録は、銀色の薄い円盤に変わった。CD-ROMだ。
650MBの容量は、かつて一枚一枚配布していたフロッピーでは到底配れなかった量のソフトウェアを、一度に届けることができた。フリーソフト数百本、シェアウェアの体験版、人気ゲームのデモ版——雑誌は情報誌であると同時に「ソフトウェアの配達員」になった。
読者は毎月、雑誌を買うたびに宝探しをした。何が入っているかわからないCD-ROMを光に透かし、読み込ませ、インストールした。それ自体が一種の娯楽だった。
この付録CD-ROM文化は日本独自の発展を遂げた。欧米でも雑誌の付録ディスクは存在したが、日本ほど体系的に発達した例は珍しい。月刊ASCIIは1997年7月号の創刊20周年記念号に「ASCII HISTORY DISC」と題した特製CD-ROMを付録として配布した。雑誌の歴史を円盤に刻む——時代のメタファーだった。
インターネットをCD-ROMで届けよ
インターネットを「郵便」で届ける ― AOLの絨毯爆撃
1990年代後半、ある逆説が世界を席巻した。
「インターネットにつながるためのソフトウェアを、インターネットではなくCD-ROMで配布する」
その旗手がAOL(America Online)だ。1985年に設立された米国最大手のインターネットサービス企業である。
AOLは1996年頃から、接続ソフトが入ったCD-ROMを、書籍の付録に、雑誌の折り込みに、ピザ店のチラシとともに、コーヒーショップのカウンターに、空港のロビーに、ありとあらゆる場所にばらまいた。その規模は凄まじく、「ある時期、世界で生産されるCDの半分にはAOLのロゴが入っていた」とまで言われる。
AOLの当時のマーケティング最高責任者であるジャン・ブラント氏の推計によれば、同社はこの無料配布CD-ROMキャンペーンに3億ドル以上を費やしたとされる。しかしその効果は絶大で、加入者数は1996年の150万人から数年で4,600万人へと膨らんだ。
日本のプロバイダも同じ道を
日本でも同様の光景があった。1997年4月に日本語版サービスを正式開始したAOLジャパンは、CD-ROMを通じた加入者獲得を試みた。それより前から、ニフティサーブ(のちのnifty)、So-net、@niftyなどの国内プロバイダーも接続キットのCD-ROMを雑誌付録や店頭で配布していた。
インターネットは、自分自身の入口を郵便で届けていた。この構造的な笑いは、「デジタル時代の入り口はアナログだった」という、歴史の一ページに静かに刻まれている。
箱の神聖性
Windows 95発売 ― パッケージの最高潮
1995年11月23日、勤労感謝の日の深夜。
秋葉原に、2万人が集まったと言われる。
目的は一つ。「Windows 95日本語版」の購入だ。マイクロソフトが投入したこの新しいOS(オペレーティングシステム=パソコンを動かす基本ソフト)は、発売前から異様な熱気に包まれていた。深夜0時の発売に合わせて、秋葉原の量販店や小売店は軒並み深夜販売を実施した。
当時の販売価格は新規インストール版が29,800円、アップグレード版が13,800円。決して安くはない。しかし人々は並んだ。並んで、箱を受け取り、抱きしめて帰宅した。中にはパソコンを持っていないにもかかわらず、Windows 95のパッケージを「記念品」として購入した人もいたと伝えられる。
インストールという名の儀式
この時代、パッケージソフトは「所有物」だった。ゲームショップの棚に並ぶ箱の列は壮観だった。大きな箱、厚いマニュアル、光沢のある印刷——ソフトウェアは手に取れるものだった。CDを取り出してドライブに挿れ、インストールの進捗バーを眺め、完了のメッセージを読む。この一連の儀式が「ソフトを手に入れた」という実感を与えた。
秋葉原のパソコンショップには、壁一面にパッケージが並んでいた。表計算ソフト、ゲーム、年賀状作成ソフト、辞書、百科事典——あらゆる用途に対応した箱が、整然と、あるいは雑然と、鎮座していた。
パッケージの厚さには意味があった。マニュアルが分厚いほど、機能が豊富に見えた。箱が大きいほど、価値があるように感じられた。ソフトウェアは「形のないもの」だったが、その形のなさを、箱とCD-ROMと印刷物が補っていた。
ドライブの消滅
ドライブが消えた日 ― 薄型PCと配信革命
変化は静かに、しかし確実に訪れた。
2003年9月、Valveが「Steam」を正式にリリースした。PCゲームをインターネット経由で購入し、即座にダウンロードして遊べるプラットフォームだ。当初は自社ゲームの配信のみだったが、2005年以降にサードパーティが参入し、急速に拡大した。
同年、Appleが「iTunes Music Store」を開始。楽曲が1曲99セントでダウンロードできる時代が来た。CDを買いに行く必要がなくなった。
2005年、ソニー・BMGが音楽CDに搭載したコピー防止技術・DRM(Digital Rights Management=デジタル著作権管理:音楽や映像の不正コピーを防ぐ技術的な保護措置)が、ユーザーのPCに無断でソフトウェアをインストールしていた問題が発覚した。大規模なリコールと訴訟に発展し、物理メディアをめぐる信頼が揺らいだ。
パッケージ棚の閉店ラッシュ
日本のゲームショップは、2010年代に入ると次々と閉店した。かつてパッケージで溢れていた棚は縮小し、フロアはソーシャルゲームのプリペイドカードや周辺機器に置き換わっていった。
そして2012年、Appleが「MacBook Air」でDVDドライブを搭載しないことを標準とした。薄型化のためだった。その後、ノートPCからCD/DVDドライブが消えていくのに、数年かからなかった。
2022年のデータでは、ソニー・インタラクティブエンタテインメントのゲームソフト売上に占めるダウンロード販売の割合は93.6%に達した。かつて秋葉原に2万人を集めたパッケージの時代は、数字の上ではほぼ終わっていた。
王国の年代記
誰も悪くない——そして、ほんのすこし惜しい
功罪の評価 ― CD-ROMは悪くなかった
ここで、公平を期すために言わなければならないことがある。
CD-ROMは、悪くなかった。
フロッピーでは不可能だった容量でコンテンツを届け、百科事典を家庭に広め、ゲームに音声とムービーをもたらし、インターネットへの入口を物理的に手渡した。その功績は、消えゆく今だからこそ、正確に評価されるべきだ。
パッケージを愛した人々も、正当だった。
「所有する実感」は人間の原始的な欲求だ。ダウンロードしたゲームには、棚に並べることができない。割れてしまっても捨てられない。停電でも読める分厚いマニュアルがない。ショップで手にとって眺めることができない。——これらの喪失は、効率化という言葉では完全には補えない。
2018年のゲームメディア「Game*Spark」の読者調査では、「ゲームの購入はダウンロードが主」と答えた人が多数を占めたが、「パッケージ版を好む理由」の上位には「コレクションとして所有したい」「売買・貸し借りができる」が挙げられていた。
それでも残る「惜しい」という感覚
なぜパッケージ文化は終わったのか。誰かが悪意を持って終わらせたわけではない。利便性と経済合理性が、静かに、しかし着実に、物理メディアの需要を溶かしていった。
今でも任天堂Switchのパッケージ版は相当数が売れている。プレミアがつくパッケージ版ゲームも多い。「円盤への愛着」は、完全に過去のものになったわけではない。
ただ——「ちょっと惜しかった」という感覚を、完全に否定できる人は、多くないはずだ。
秋葉原の深夜行列も、雑誌付録のCD-ROMを光に透かして眺めた午後も、インストールが完了した瞬間の達成感も、全部、確かにあったのだから。