Flash王国の興亡
情報処理王国史 外典第十二巻
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Flash王国の興亡

25年動いた青いプラグインと、消えたWebの記憶

FLASH .SWF
この記事について
この記事は、Adobe Flash Player(以下「Flash」)というプラグインソフトの誕生から終焉までの実話に基づきます。年月日・人名・統計数値・引用は実在の資料・報道・公式発表に拠っていますが、語り口は「歴史書を装ったブラックコメディ」です。事実とフィクション的修辞をご了承のうえお読みください。
【用語解説】Flash(フラッシュ)/プラグイン
Flash は、Web ブラウザ上で動画やゲーム、リッチアニメーションを再生するための追加ソフト。「プラグイン」は、ブラウザに後付けする拡張部品のことで、足りない再生機能をあとから差し込む小さな歯車のようなもの。Flash 専用の動画ファイルは拡張子が .swf(Small Web Format の略)で、当時の Web は文字どおりこの「青い歯車」が回らないと、動画も広告も学習教材も動かなかった。
CH.01

ペン入力機の余り物として、王国は生まれた

王国の起源は、まだ Web に動画もアニメも存在しなかった 1990 年代前半に遡る。

カリフォルニア州サンディエゴの小さな会社 FutureWave Software に、ジョナサン・ゲイ(Jonathan Gay)という若いプログラマがいた。彼が書いていたのは、ペン入力タブレットで絵を描くためのソフト「SmartSketch」。ところが、肝心のタブレット端末(PenPoint OS 機、GO Corporation 製)が市場で受け入れられず、ソフトだけが残された。

ゲイは、このお絵描きソフトを Web ブラウザで再生できるアニメ作成ツールに作り変えた。1996 年 5 月、製品名「FutureSplash Animator」として発表、同年 8 月 19 日に出荷。

翌月、Microsoft の MSN と Disney がこれを採用したという話が業界に伝わる。それを聞きつけた Macromedia 社が、1996 年 12 月、FutureWave をまるごと買収。製品名は「Macromedia Flash 1.0」と改められ、ゲイは Macromedia の Flash エンジニアリング部門のトップに据えられた。

ペン入力機の余り物が、世界中の Web で動く王国の礎になった。


CH.02

黄金期 ― 日本の Web が、青い歯車で踊った

王国がもっとも華やかに咲いたのは、日本だった。

1990 年代末、ADSL(電話線を使った高速インターネット)が普及し、ようやく動画が配信できる帯域が一般家庭にも届く。だが、当時の Web ブラウザは動画再生機能を内蔵していない。そこに、Flash が滑り込んだ。

【用語解説】2ch(にちゃんねる)/FLASH 黄金期
2ch は、1999 年に開設された日本最大の匿名掲示板(現在の名称は 5ch)。「FLASH 黄金期」は、おおむね 2001 年から 2005 年ごろを指す。2ch に「FLASH・動画板」が設立され、無名のクリエイターたちが個人サイトで Flash 作品を公開し、口コミで広まった時代を指す。

2002 年には、Flash 制作者と視聴者が年末に集う「紅白 FLASH 合戦」がインターネット上で開催された(第 1 回は 2002 年 12 月、投票総数 2,750 票)。「ドラえもんの最終回」をテーマにした感動系 Flash、政治風刺、お笑いネタ、音楽 PV 風アニメ。テレビ局でも広告代理店でもない、無名の個人が作ったアニメが、何百万回と再生された時代だった。

短い春の終わりは、2005 年に来る。「のまネコ問題」――2 ちゃんねる発祥のキャラクターを音楽レーベルが商品化したことをめぐる炎上騒動――を境に、黄金期の純朴な空気は薄れていく。同時期に YouTube が台頭し、動画の主役は .swf から汎用フォーマットへと移り始めていた。

その同じ年、王国は太平洋の向こうでも持ち主を変えていた。米国では、Adobe が Macromedia を株式交換 34 億ドル相当で買収すると発表(2005 年 4 月 18 日発表、12 月 3 日完了)。Flash は、お絵描きソフトの会社の手を離れ、PDF を作る大企業の傘下に入った。


CH.03

ジョブズの手紙 ― 「これは、あなたたちの問題だ」

王国の凋落は、誰もが憎んだセキュリティホールから始まったのではない。1 通の公開書簡から始まった。

2010 年 4 月 29 日、Apple の最高経営責任者スティーブ・ジョブズが、自社のサイトに「Thoughts on Flash(Flash についての考察)」と題する文章を発表する。1,700 語ほどの短い文章だった。

「Flash は PC 時代のために作られた。マウスのために作られたソフトであって、タッチのためのものではない。バッテリー寿命を縮め、セキュリティに穴をあけ、しかも閉じた独自仕様だ。これからのモバイル時代には HTML5 のような開かれた標準が要る」
― 2010 年 4 月 29 日、スティーブ・ジョブズ「Thoughts on Flash」より要約
【用語解説】HTML5(エイチティーエムエル ファイブ)
Web ページの土台となる言語「HTML(HyperText Markup Language=ハイパーテキスト記述言語)」の第 5 世代。2014 年に正式勧告。動画再生、アニメ、ゲームなどを、追加プラグインなしでブラウザだけで動かせるよう設計されている。Flash の置き換え先としてジョブズが指名した規格。

3 年前の 2007 年 6 月に発売された初代 iPhone は、最初から Flash を搭載しなかった。ジョブズの手紙は、その方針の事後正当化でもあったが、業界に与えた衝撃は大きかった。世界の Web デザイナーは「もう iPhone で見られないものは作るな」という暗黙の了解に従い始める。

2011 年 11 月、Adobe は「モバイル版 Flash の開発を中止する」と発表。スマホでの王国は、生まれる前に滅んだ。


CH.04

猶予は3年半、しかし誰も動かない

【用語解説】EOL(イーオーエル)/End of Life
直訳すれば「製品寿命の終わり」。ソフトウェア業界では、メーカーがそのソフトのサポート(不具合修正・セキュリティ更新)を終わらせる日を指す。Windows 10 の EOL(2025 年 10 月 14 日)と並ぶ、IT 業界の「終焉日カレンダー」上の重要日付の 1 つ。

2017 年 7 月 25 日、Adobe は「Flash Player の EOL を 2020 年 12 月 31 日とする」と公式に予告した。

予告から終了まで、約 3 年半。これは、世界中の Web 担当者と業務システム責任者に、コンテンツを HTML5 などへ移行させるためにアドビ社が用意した「ゆるやかな引退式」だった。

ところが現実には、その猶予を多くの組織が使いきれなかった。

日本では、教育・行政・金融など現場での依存が深かった。数研出版の数学デジタル教材「Studyaid D.B.」、東京書籍の指導者用デジタル教科書――いずれも Flash で動いていた教材は更新版を案内する事態となった。eラーニング教材、社員研修コンテンツ、自治体サイトの動画解説、銀行のオンライン取引画面の一部、企業の会社案内ページ。どれも、ファイルの中身が動画ではなく .swf という Flash 形式に変換されていた。

Flash で書かれた教材は、Flash でしか再生できない。HTML5 への変換は、ほぼ作り直しに等しかった。猶予の3年半を、多くの組織は「まだ先のこと」と先送りにした。


CH.05

ブロックの夜、大連駅は止まった

サポート終了の日(2020 年 12 月 31 日)は、静かに過ぎた。

問題は、その 12 日後に起きた。

2021 年 1 月 12 日、Adobe は Flash Player に「コンテンツ実行をブロックする」更新を配信する。世界中で、青い歯車が一斉に止まった。

中国遼寧省、大連駅。発車案内システムが、表示できなくなった。乗務管理システムが、Flash で書かれていたのである。

事態を把握した技術部門は、その夜のうちに正規流通から外れた Flash の旧バージョンを入手し、最新の Windows 上で動くよう改造して、システムを復旧させた(GIGAZINE 2021 年 1 月 25 日報)。世界最大の鉄道大国の駅員が、ライセンスの保証なきプラグインで業務を再開する。Flash 王国の終焉を象徴する夜だった。

2021 年 1 月 26 日、Mozilla Firefox はバージョン 85 で Flash 対応を完全に削除する。Apple の Safari 14(2020 年秋の macOS Big Sur 同梱版)はそれより前に対応を切っていた。25 年動き続けた青い歯車は、世界中のブラウザから抜き取られた。


CH.06

中国市場は、王国を保存することにした

王国は、ある地方で、生き延びた。

【用語解説】重慶重橙網絡科技(じゅうけいちょうじゅうネットワークテクノロジー)
中国・重慶市にある企業。Adobe の中国における Flash Player の独占ライセンス契約を結び、サポート終了後も「Flash Player 中国特供版」をリリースしている。中国国内では Flash で書かれた業務システムが行政・鉄道・教育に多数残存しており、撤去ではなく延命が選ばれた。

世界が Flash を捨てた一方で、中国市場では Adobe ライセンスの形で「中国限定の Flash」が配布され続けている。国家の方針というより、市場全体の慣性として、「使い続ける」ほうが「捨てる」より安かった、という結果である。

「Adobe の長期パートナーである HARMAN が、Flash Player の企業向け公式ディストリビュータとなり、サポート終了日以降も商用サポートを必要とする顧客にセキュリティ更新を提供する」
― 2017 年 7 月 25 日、Adobe 公式「Flash & The Future of Interactive Content」より要約
【用語解説】HARMAN(ハーマン)
米国に本拠を置く電装機器メーカー。2017 年に韓国 Samsung に買収された。Adobe との独占契約により、企業向け Flash 延命サポートの窓口を引き受けた。「家庭用は終わり、業務用は別料金で続ける」という、IT 業界では珍しくないが、徹底すれば徹底するほど終わらないやり方の典型。

家庭で Flash は死に、企業の中で Flash は今も静かに生きている。


CH.07

王国の年代記

1996 年 5 月 ジョナサン・ゲイ率いる FutureWave Software が「FutureSplash Animator」を発表(同年 8 月 19 日出荷)
1996 年 12 月 Macromedia が FutureWave 買収。「Macromedia Flash 1.0」として再出発
1999 年 日本で 2ch(現 5ch)開設、後に「FLASH・動画板」設立
2001-2005 年 日本の「Flash 黄金期」。個人クリエイターが匿名で動画作品を公開する文化が花開く
2002 年 12 月 第 1 回「紅白 FLASH 合戦」開催(投票総数 2,750 票)
2005 年 4 月 18 日 Adobe Systems が Macromedia を株式交換 34 億ドル相当で買収すると発表
2005 年 12 月 3 日 Adobe-Macromedia 買収完了。Flash は Adobe 傘下へ
2007 年 6 月 初代 iPhone 発売。最初から Flash 非搭載
2010 年 4 月 29 日 スティーブ・ジョブズ「Thoughts on Flash」公開。HTML5 への移行を促す
2011 年 11 月 Adobe、モバイル版 Flash の開発中止を発表
2017 年 7 月 25 日 Adobe、Flash Player の EOL を 2020 年 12 月 31 日と予告
2020 年 12 月 31 日 Adobe Flash Player サポート終了
2021 年 1 月 12 日 Flash コンテンツ実行ブロック開始。中国・大連駅の発車管理システムが停止し、職員が旧バージョンを改造して復旧
2021 年 1 月 26 日 Firefox 85 で Flash 対応削除
2021 年以降 中国・重慶重橙網絡科技が「Flash Player 中国特供版」を継続。HARMAN が企業向け商用サポートを継続

CH.08

何が消えたかは、誰も完全には数えていない

サポート終了で消えたのは、ソフトの 1 種類ではない。

紅白 FLASH 合戦に出展された数千本の作品。のまネコ騒動以前の、罪のない 2ch 発フラッシュ。個人サイトに 20 年眠り続け、誰のサーバーにも保存されていなかった .swf ファイル。九九を覚えるための Flash 教材、地方銀行の「ご利用ガイド」、市役所の防災ページの動画解説、会社案内サイトのトップでロゴが踊るオープニングアニメ。具体的な作品としての固有名はもう辿れないほど、無数に存在していた。

これらが置かれていたサーバーが消えたわけではない。.swf ファイルは、今もどこかのハードディスクに残っている。ただ、それを再生するソフトが、合法的にはもう手に入らない。

「Internet Archive」を中心に、Flash 作品をエミュレータ(Ruffle: ソフトウェアによる Flash 再現プログラム)で再生する保存運動が続いている。だが、再生できる作品は限られる。

【用語解説】エミュレータ/Ruffle(ラッフル)
エミュレータとは、別の機器・ソフトの動作を真似て再現するプログラム。Ruffle は、Flash の .swf ファイルを、HTML5 の標準機能だけで再現する有志のオープンソース・プロジェクト。Flash プラグインそのものは死んだが、過去の作品を生かそうとする取り組みは続いている。

文化遺産は、保存しようとした人がいた範囲だけ残る。それ以外は、ある日のブラウザ更新で、静かに失われる。


CH.09

誰が悪かったかという話ではなかった

Flash 王国の終焉を「Apple がやった」「Adobe が遅かった」「セキュリティが脆弱だった」と、誰か 1 人を悪者にすると、25 年の話はうまく収まる。だが、収めた瞬間に見えなくなるものがある。

王国を作ったのは、動画も再生できない当時のブラウザだった。HTML 自身が動画を再生できれば、Flash は要らなかった。Flash は、Web 標準の不足を埋めるために必要とされ、その役目を 25 年果たした。

王国を延命させたのは、現場の Web 担当者と業務システム責任者だけではない。「いま動いているものを止めて、見た目が同じものを作り直すために予算を取る」という決裁を、経営層も発注側も誰も切り出さなかった。動いているものに金をかける合理的な理由は、それが止まったあとにしか生まれない。

王国を看取ったのも、結局は同じ慣性だった。中国市場では Adobe ライセンス契約の形で配布が続き、各国の企業は HARMAN の延長サポートを契約し、大連駅は旧バージョンを改造してその夜のうちに業務を再開した。

それぞれの場所での判断は、それぞれの場所では正しかった。正しい判断が積み重なった結果として、王国は予告から3年半経っても多くが残り、ブロック当日になってようやく止まる。組織の惰性は、悪意ではない。一つひとつは合理的だった判断の、積み残しでできている。


CH.10

青い歯車は、止まった

Flash は終わった。

Web の動画は、ブラウザに内蔵された HTML5 の <video> タグに置き換わった。アニメは軽量フォーマット(Lottie)や CSS の機能で代替され、ゲームや 3D 表現はブラウザ内描画の標準(WebGL/Canvas API)で書かれるようになった。動画配信は YouTube と HTML5 動画タグに集約された。Flash が果たしていた役割は、いくつもの Web 標準に分解されて、ブラウザの中に組み込まれた。

それは、よいことだった。ジョブズの手紙が予告したとおり、Web は速く、軽く、安全になり、バッテリーも長持ちするようになった。

ただ、25 年間に蓄積されたコンテンツは、その移行に追いつかなかった。「ドラえもんの最終回」の Flash も、「ご当地の市役所の防災動画」も、「九九のアニメ」も、いまの Web ブラウザでは標準的には再生できない。

王国は滅び、王国が支えていた市井の文化と業務の細部は、その都度、現場の判断で「再構築する」「見なかったことにする」「ライセンス外の延命を黙認する」のいずれかが選ばれている。

このどれが正解かを、誰も決めていない。


世の中で動いているものの多くは、
誰かが「とりあえず動かした」ものである。
そして、そのことを意識する機会は、
それが動かなくなる日まで、めったに訪れない。
青い歯車が静かに止まった日、
私たちはようやくそのことを知った。
―― 再生 終了 / 互換 喪失 / 記憶 散逸

参考・引用資料
Adobe「Flash & The Future of Interactive Content」(2017 年 7 月 25 日)
Steve Jobs「Thoughts on Flash」(2010 年 4 月 29 日、Apple 公式)
Microsoft Lifecycle「Adobe Flash のサポート終了(2020 年 12 月 31 日)」
Wikipedia「Macromedia」「Thoughts on Flash」「Jonathan Gay」
Web Design Museum「FutureSplash Animator in 1996」
ピクシブ百科事典/ニコニコ大百科「FLASH 黄金時代」「のまネコ」
ASCII.jp「全世界で昨年末サポート終了も、ダメサービスとして継続される中国 Flash 事情」
GIGAZINE「中国の鉄道が Flash 終了で運用停止」(2021 年 1 月 25 日)
WIRED.jp「Flash Player:公式サポート終了後もセキュリティ上の危険性」(2021 年 1 月 26 日)
数研出版「Studyaid D.B. Adobe Flash Player サポート終了に伴う対応」
東京書籍「Adobe Flash Player サポート終了の影響を受ける指導者用デジタル教科書の対応につきまして」
カスペルスキー「Adobe Flash 誕生から死まで」
Microsoft「Adobe Flash Player のサポート終了に関する最新情報」(Windows Blog for Japan, 2020 年 9 月 14 日)