MO王国の興亡
世界がCD-Rへ乗り換えた後も、日本の役所と病院だけが回し続けた円盤の物語
本記事は「情報処理王国史 外典」シリーズの一編です。日本のIT・通信・行政・ビジネスにまつわる実話をベースに、歴史書のような語り口とブラックコメディを混ぜて記録しています。数字・日付・制度名はできる限り公式資料や当時の一次報道に沿っていますが、章タイトルや比喩表現には物語的な誇張が含まれます。特定の企業・団体を貶める意図はなく、「誰も間違っていないのに、そうなってしまう」構造を記録することが目的です。
なお本記事の主役「MO(エムオー)」とは、光磁気ディスク(こうじきディスク、英語で Magneto-Optical disk)の略称です。レーザーの熱と磁石の力を組み合わせてデータを書き込む、円盤型の記録メディアのことを指します。
かつて、日本のオフィスの引き出しには、四角いプラスチックのケースに収まった、小さな円盤が眠っていた。
フロッピーディスクより厚く、CDより頑丈で、そして世界の多くの国が手放した後も、日本で長く使われ続けた。
これは「日本が生んだ優秀なメディアの物語」ではなく、「あまりに丈夫で、あまりに信頼できたがゆえに、誰も捨てるきっかけをつかめなかった円盤」の物語である。
王国の建国 ― レーザーと磁石で書く円盤
1980年代、コンピュータの世界は「もっと大きく、もっと安全に保存したい」という欲望に満ちていた。フロッピーディスクは手軽だが、容量が小さく、磁石や湿気に弱い。その次を狙って登場したのが、光磁気ディスク(MO)である。
最初のMOは、1985年ごろに5.25インチという大きなサイズで世に出た。1988年には、故スティーブ・ジョブズが手がけたワークステーション「NeXT(ネクスト)」が、記憶装置にMOドライブを積んで登場している。そして1991年、手のひらに載る3.5インチサイズ・容量128MB(メガバイト)のMOが現れた。フロッピー約90枚分を、たった1枚に収める計算だった。
MOの原理は、少し風変わりだ。書き込むときはレーザーで円盤の一点を熱し、そこへ磁石で情報を刻む。読むときは弱いレーザーの反射でそれを読み取る。おかげでMOは、表面の傷、ほこり、磁気、紫外線に強かった。うっかり机から落としても、鞄の中で揉まれても、たいてい平気だった。
フロッピーの跡目を継いだ王
MOが真価を発揮したのは、企業の現場だった。
容量は世代を重ねるごとに膨らんでいく。128MBから始まり、230MB、540MB、640MB。1枚で何百枚もの書類や写真を持ち運べるようになった。CD-Rが「一度書いたら基本は書き換えられない」のに対し、MOはフロッピーのように何度も上書きできた。だから、日々更新する業務データの保存にちょうどよかった。
とりわけ相性が良かったのが、印刷会社、デザイン事務所、そして医療機関である。印刷やデザインの現場では、写真やレイアウトの重いデータを取引先へ手渡すのに、丈夫なMOが選ばれた。「大事なデータは、CDじゃなくてMOで渡してくれ」——そんな符牒が、業界の常識として通用していた。
MOは派手ではなかった。だが、頼りになった。人はしばしば、頼りになるものを手放せなくなる。
GIGAMOという頂点
王国が絶頂を迎えたのは、1998年である。
この年の11月、富士通とソニーが手を組み、1枚あたり1.3GB(ギガバイト=約1,000MB)という大容量のMO規格を発表した。名を「GIGAMO(ギガモ)」という。富士通が読み書きする装置を、ソニーが円盤(メディア)そのものを担った。のちに2.3GBの規格まで登場する。
「世界で初めて」。この一語に、当時の技術者たちの誇りがにじむ。実際、MOという技術は日本の複数メーカーが主導して育てたものだった。円盤の中に、日本のものづくりの自負が詰まっていた。
だが皮肉なことに、王国が容量の頂を極めつつあったちょうどその頃、足元では別の地殻変動が始まっていた。安くて手軽なCD-Rが、じわじわと机の上に忍び寄っていたのである。
役所と病院が、手放さなかった理由
世の中の主役がCD-RやDVD、やがてUSBメモリへ移っても、MOを握って離さない場所があった。医療機関と、行政である。
医療の世界では、レントゲンやCTの画像、そして診療報酬の請求データを保存・提出するのに、長らくMOが使われた。診療報酬の請求書——通称「レセプト」——を電子データで役所へ出す際、その受け皿のひとつがMOだった。年金の分野でも、企業が従業員の社会保険の届け出を出すのに、MOという選択肢が長く残っていた。
なぜ、これらの現場はMOを選び続けたのか。理由は単純で、まっとうだ。傷や磁気に強く、10年、20年と保管しても読み出せる信頼性。患者の記録や保険のデータは、消えては困る。「安いから」より「確実だから」が優先される世界では、MOの頑丈さこそが最大の美点だった。
つまり、彼らがMOを手放さなかったのは、怠慢ではない。むしろ、大切なものを守ろうとする誠実さの表れだった。ただ、その誠実さが、結果として一枚の円盤を時代に取り残していく。
世界は乗り換え、日本だけが回し続けた
ここに、静かな「ねじれ」が生まれる。
MOという技術そのものは日本のメーカーが主導して育てたが、海外では比較的早くにCD-R・DVD・USBメモリへと主役が移っていった。ところが日本では、オフィスや医療・行政の現場で、MOが2000年代を越えてなお現役だった。世界がとっくに別のメディアで動いているのに、日本の一部だけが、律儀に円盤を回し続けていた。
理由を並べると、どれも一つひとつは正しい。信頼性が高い。過去のデータがすべてMOに入っている。提出先の役所や取引先がMOを求めてくる。読み書きの機械(ドライブ)も、まだ手元にある。だから買い替える差し迫った理由がない——。
こうして「変えない理由」が積み重なり、「変える理由」を上回り続けた。誰かが強情を張ったわけではない。関係者はみな合理的だった。取引先がMOで来る以上、自分もMOを用意するのが親切だし、確実だ。その合理的な判断を全員が持ち寄った結果、王国はやめどきを失って延命した。
いまだに手放せていない古い仕組みや道具は、ないだろうか。
王様より先に、供給元が降りた
王国の終わりは、使い手ではなく、作り手のほうから訪れた。
2009年、MOメディアの主要な作り手だった三菱化学メディアと日立マクセルが、相次いで販売終了を発表する。パソコンの保存媒体がCD・DVDへ移り、需要が細ったためだった。円盤を作る会社が、次々と店じまいを始めたのである。
それでもMOはしぶとかった。ソニーは3.5インチMOメディアを2017年ごろまで、5.25インチMOメディアを2018年ごろまで供給し続けた。使い手が現場に残っている限り、供給を完全には止められなかったのだ。
一方、受け入れる側の役所も、ゆっくりと扉を閉じていく。日本年金機構は2015年、「MOディスクは国内主要メーカーが生産・販売を終了したため」として、2016年9月末をもってMOによる届け出の受付を終了すると告知した。理由は前向きな決断というより、「作る会社がなくなったから、もう受け取れない」という、供給の途絶に押された撤退だった。
王国は、内側から改革されたのではない。外側から、材料が尽きて畳まれた。誰も「やめよう」と決断しないまま、部品が先に消えたことで、静かに幕が下りた。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末
MO王国の顛末を眺めていると、犯人がひとりも見当たらないことに気づく。
作った技術者は誇り高く、丈夫で信頼できる円盤を世に送った。使い続けた病院や役所は、大切なデータを守ろうとしていただけだ。供給を長く続けたメーカーは、現場を見捨てなかった。取引先にMOで渡した人は、相手に確実に届けようとしていた。全員が、それぞれの場所で正しくふるまった。
にもかかわらず、日本の一角だけが、世界から一枚の円盤ぶん取り残された。ここにあるのは、誰かの失敗ではなく、「良いもの」ほど乗り換えのきっかけをつかみにくい、という調整のむずかしさである。壊れやすい道具なら、壊れたときが替えどきになる。だがMOは、壊れなかった。丈夫で確実だったからこそ、「まだ使える」が「いつまでも使う」に化けてしまった。
これは円盤に限った話ではない。よく動くシステム、慣れた手順、長く付き合った取引の作法。うまくいっているものほど、変える理由を見つけにくい。そして気づいたときには、周りはとうに次の景色へ移っている。
MO王国が教えてくれるのは、たぶんこういうことだ。ものを替えるいちばん難しいタイミングは、それが壊れたときではなく、それがまだ立派に使えるときなのである。