宙に浮いた王国の興亡
5,000万件の年金記録は、どこへ消えたのか
本記事は実際の制度的・技術的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
番号という名の、整理整頓
1.1 5,000万件という衝撃
2007年(平成19年)、日本に衝撃が走った。「あなたが納めたはずの年金記録が、5,000万件も、持ち主のわからないまま宙に浮いている」——。
物語の始まりは、その10年前にさかのぼる。
1.2 一人にひとつの番号、という理想
かつて日本の公的年金は、制度ごとにバラバラの番号で管理されていた。会社員が入る厚生年金、自営業者などが入る国民年金、公務員などが入る共済年金。それぞれが別々の台帳と番号を持っていた。転職して会社員から自営業になれば、また新しい番号が振られる。一人の人間が、人生の中でいくつもの番号を持っているのが当たり前だった。
これでは記録がつながらない。そこで国は、一人にひとつの番号を割り当て、すべての年金記録を束ねる仕組みを考えた。1997年(平成9年)1月に導入された「基礎年金番号」である。
理屈は美しかった。問題は、それまで散らばっていた記録を、ひとつの番号の下に「正しく」集めなおせるかどうか、という一点にあった。
記録は、紙から磁気テープへ
2.1 数十年にわたる「記録の引っ越し」
なぜ記録は、こんなにも散らばってしまったのか。それを理解するには、年金記録が「どうやって保管されてきたか」を見る必要がある。
日本の年金記録は、もともと紙の台帳に手書きで記されていた。やがて電子計算機の時代が来る。厚生年金では1962年(昭和37年)から、国民年金では1965年(昭和40年)から、記録を磁気テープに移して電算処理する取り組みが始まった。
つまり、ある時期までは「紙の台帳」と「磁気テープのデータ」が併存し、人の手で紙からデータへ転記する作業が延々と続いていた。そして1989年(平成元年)2月、全国の社会保険事務所と中央をつなぐオンラインシステムが完成する。
2.2 一文字ずつ打ち込む、という現実
ここに、後の悲劇の種が蒔かれていた。手書きの台帳をデータに打ち込む——その一回ごとに、読み間違い、打ち間違い、氏名のカナの揺れが入り込む余地があったのだ。
5,095万件、宙に浮く
3.1 国会で明かされた数字
2007年2月、国会で衝撃の数字が明らかになる。2006年(平成18年)6月時点で、基礎年金番号に統合されていない年金記録が、なんと5,095万件(5,095万1,103件)にのぼるというのだ。
内訳は、60歳以上の人にひもづく可能性のある記録が約2,850万件、60歳未満が約2,215万件、生年月日すら不明なものが約30万件。これらは「誰のものか特定できないまま、宙に浮いた記録」だった。
「宙に浮いた年金記録」「消えた年金」——言葉は瞬く間に日本中を駆け巡った。自分が払った年金が、本当に自分の記録になっているのか。誰もが不安になった。
3.2 「消えた」のではなく「結びつかない」
だが正確に言えば、記録そのものは「消えた」わけではない。データは存在していた。ただ、それが「誰のものか」を示す基礎年金番号と、結びついていなかったのだ。札束はある。しかし誰の財布のものか、わからない。それが「宙に浮いた」の意味だった。
なぜ、統合できなかったのか
4.1 四つの、小さなズレ
5,000万件もの記録が、なぜ持ち主とつながらなかったのか。原因は一つではない。むしろ、誰も悪くない小さなズレが、何十年も積み重なった結果だった。
第一に、氏名の問題。記録はカナ(フリガナ)で管理されていたが、「ワタナベ」が「渡辺」か「渡部」か、「ハジメ」が「一」か「肇」か、データだけでは判別できない。読み方の揺れ、入力時の打ち間違いが、同一人物を別人にしてしまった。
第二に、結婚による改姓。姓が変われば、旧姓時代の記録とつながりにくくなる。
第三に、転職。会社を変わるたびに新しい番号が振られていた時代の記録は、そもそもバラバラに存在していた。
4.2 機械的な名寄せの限界
そして第四に、肝心の「名寄せ」作業そのものの限界。社会保険庁は、氏名・性別・生年月日の3項目を頼りに記録を突き合わせようとした。だが、この3つが完全に一致する記録だけを機械的に結びつけても、表記の揺れた記録、生年月日の入力を誤った記録は、永遠にすくいあげられなかった。
「最後の一人まで」という公約
5.1 政治の最大争点へ
2007年は、選挙の年だった。
7月に控えた参議院選挙を前に、年金記録問題は政治の最大の争点となる。時の第一次安倍政権は、火消しに追われた。安倍晋三首相(当時)は「最後のお一人に至るまで、すべての記録をチェックする」と断言する。
選挙後の内閣改造で厚生労働大臣となった舛添要一氏は、就任会見でこう述べた。
5.2 達成できなかった約束
国民は記憶を確かめるよう促された。2007年12月からは、加入者・受給者の全員に「ねんきん特別便」が順次送られ、「あなたの記録に、心当たりのない空白はありませんか」と問いかけた。
しかし「最後の一人まで」は、あまりに重い言葉だった。後に、宙に浮いた記録のうち約4割にあたる1,975万件が「持ち主の特定が困難」と判明する。公約は、達成できなかった。「消えた年金」はこの年の世相を映す流行語として広く記憶され、2009年の政権交代を後押しする一因ともなった。
王国の年代記
王国の解体
7.1 看板の架け替え
年金記録問題は、一つの組織の命運を決めた。
ずさんな記録管理と度重なる不祥事の責任を問われ、記録を管理してきた社会保険庁は解体されることになる。2007年6月30日には早くも日本年金機構法が国会で成立(同年7月6日公布)し、その後の準備を経て、2009年(平成21年)12月31日、社会保険庁は廃止された。翌2010年(平成22年)1月1日、後継組織として日本年金機構が発足する。
組織の幕引きには、痛みも伴った。廃止にあたっては、懲戒処分歴などの問題を抱えた職員525人が職を失った(分限免職)。看板を替えることで、信頼を回復しようとしたのだ。
7.2 いまも降りきらない記録
では、記録そのものはどうなったのか。地道な名寄せと、ねんきん特別便による本人確認によって、約3,000万件の記録が持ち主のもとへ戻った。これは大きな成果だった。だが裏を返せば、いまなお約2,000万件近い記録が、持ち主の特定に至らないまま残されている。王国は解体されても、宙に浮いた記録は、完全には地上に降りていない。
記録とは、誰のものか
8.1 悪役のいない物語
宙に浮いた王国の物語には、悪役らしい悪役がいない。
基礎年金番号で記録を一本化しようとした発想は、正しかった。紙を磁気テープへ、磁気テープをオンラインへと移してきた数十年の作業も、その時々の最善だった。窓口で記録を打ち込んだ職員も、転職や結婚で姓を変えた国民も、誰一人として間違ったことはしていない。
それでも、5,000万件は宙に浮いた。
8.2 データは、生き物のように世話を要する
理由は、たぶんこうだ。記録の管理とは「一度きりの大事業」ではなく、「永遠に終わらない手入れ」だということを、組織が構造として軽く見ていた。番号を統一すれば終わり、システムを入れれば終わり——そういう「終わり」の幻想があった。だが記録は、人が生き、働き、名を変え、移動するかぎり、ずれ続ける。データは、生き物のように世話を必要とする。
そしてもう一つ。年金記録は単なるデータではなく、一人ひとりが働いて生きてきた「人生の証し」だった。それを「件数」として扱った瞬間、5,095万件は数字になり、5,095万人の不安は背景に退いた。
記録とは、誰のものか。それを生み出し、それによって支えられるはずの、人間のものだ。当たり前すぎるその答えに、王国全体が向き合うまでに、ずいぶん長い時間がかかった。そして、その照合は、今日もまだ終わっていない。
台帳は、今日も静かに眠っている。
持ち主を待つ記録と、
記録を待つ人の、
まだ出会えていない無数の縁について。
―― 照合、未了