手のひら王国の興亡
スマートフォンが来る前に、すべては終わっていた
ポケットの中にコンピュータを——その夢を誰よりも早く実現しようとした人たちがいた。
15年間、シャープは手書き認識を磨き、Palmはシンプルさを貫き、マイクロソフトはWindowsを小さくした。
そして2007年、音楽プレイヤーを作っていた会社が、すべてを一瞬で過去にした。
本記事は実際の技術的・産業的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の製品・文献・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。登場する企業・製品・人物に対する批判的意図はなく、「誰も悪くないのに、なぜこうなったのか」という問いへの洞察を目的としています。
手のひらに、王国の芽が出た
1.1 Apple Newtonが「PDA」という言葉を作った
1993年8月。アメリカのボストンで、一つの新しい機械が世界に披露された。
Apple Newton(ニュートン)——アップルが開発した「個人用デジタル情報端末」である。クリーム色の板状の機械は、縦21センチ、重さ約450グラム。キーボードはなく、スタイラスペンで液晶画面に直接書き込む。住所録、スケジュール、メモ——「ポケットに入るコンピュータ」という夢が、初めて形になった。
アップルのジョン・スカリーCEOは、この製品を発表する際に新しい言葉を作った。
「Personal Digital Assistant」——PDA。
個人の秘書。手のひらの中に入る、スケジュールと住所録の管理人。その名の通り、この言葉はすぐに業界の標準用語になった。
1.2 笑えない手書き認識、そして廃止
しかし、Newtonの門出は必ずしも順調ではなかった。定価は699ドル(日本では約7万円超)。そして最大の売りだった「手書き文字認識機能」が、笑えないほど精度が悪かった。「I am writing a letter(手紙を書いています)」と書くと「Siam fighting a litter(シャムで戦闘中、床に散乱)」のような誤変換が起きた。米国の政治漫画「Doonesbury」(ゲイリー・トルドー作)にまで揶揄されるほどだった。
Newtonはその後改良を重ねた。しかし1997年にスティーブ・ジョブズがアップルに復帰すると、翌1998年2月にNewtonの開発中止が発表された。後継者はいなかった。
だが、種はまかれていた。「手のひらに、コンピュータを持ち歩く」という夢は、大西洋を越え、太平洋を越え、日本に届いた。
ザウルスという、日本の答え
2.1 65,000円の手書き専用機が市場を制した
Newtonの発表から約1カ月後の1993年9月。シャープ株式会社が一つの製品を発売した。
Zaurus(ザウルス)PI-3000——価格65,000円。
モノクロ液晶、手書き入力、住所録・スケジュール管理。コンセプトはNewtonとほぼ同じだった。だが、決定的に違う点があった。「日本語が使える」ことだ。
Newtonは日本語対応が不十分だった。一方、ザウルスは最初から日本語の手書き文字認識に特化して設計された。漢字も、ひらがなも、カタカナも書ける。日本の住所や名前も問題なく入力できる。
2.2 スーツの内ポケットに入った王国
ザウルスはヒットした。PIシリーズ、MIシリーズと進化を続け、日本のPDA市場においてシャープは「ほぼ独占」に近い支配力を持った。
1990年代後半、ビジネスパーソンのスーツの内ポケットには、手帳ではなくザウルスが入っていた。
三国志の始まり——PalmとWindowsが参戦した
3.1 シンプルと互換の二大侵略者
1997年。海の向こうから、二つの侵略者が現れた。
Palm PilotとWindows CEである。
Palm Pilotは1996年にアメリカで発売され、18カ月で100万台を突破した小さな奇跡だった。日本市場への進出は1997年前後。その設計思想はシンプルで徹底していた。「できることを絞り込む。起動は一瞬。電池は長持ち。同期はパソコンと。」
一方のWindows CEは、マイクロソフトが1996年に投入した「手のひら用Windows」だ。日本では1997年、カシオの「カシオペア」とNECの「モバイルギア」がいち早く採用した。
3.2 三国志の実態——誰も標準化しなかった
かくして日本のPDA市場は三国志の様相を呈した。1999年度の日本のPDA出荷台数は約90万4,000台。2000年度は前年比41%増の約126万4,000台と推定された。市場は明らかに拡大していた。
しかし、拡大はバラバラだった。Palm用のアプリはZaurusで動かない。Windows CEのファイルはPalmで開けない。三陣営は互いに「自分が業界標準になる」と信じ、それぞれに独自の生態系を作り続けた。
誰も横断的な標準化など目指さなかった。なぜなら、標準化は「相手を生かすこと」だからだ。
リナザウという叛乱
4.1 エンジニアのための「ポケットLinux」
2001年。シャープは、奇妙な選択をした。
次世代ザウルスのOSに、Linuxを採用したのだ。
「SL-5000D」——開発者向けに2001年11月に発売されたこの機種は、オープンソースのLinuxを搭載した。コマンドラインが動く。ターミナルが開ける。「手のひらの中に動くUnixがある」という事実は、ハードコアなITエンジニアたちを熱狂させた。
2002年8月、一般向けのSL-A300が発売され、「リナザウ(Linux Zaurus)」という愛称でコアなファンを獲得した。シャープはOSのソースコードを公開し、開発ツールまで無償提供した。
SLシリーズは最終的に「SL-C3200」(2006年3月発売)まで続いた。VGA液晶とスライド式QWERTYキーボード。スペックだけなら当時のスマートフォンを凌いでいた。
4.2 旗印を上げるほど、船は沈んだ
しかし、ここに一つの矛盾があった。
「ポケットの中でLinuxを使いたいエンジニア」という層は、熱心だが少数だ。一般のビジネスパーソンは、コマンドラインより手書き認識を求めていた。シャープは高機能化するほど、一般市場から遠ざかった。
旗印は上がり続けた。船底には水が入り続けた。
救世主にして、弔砲
5.1 日本初のスマートフォンと呼ばれた機械
2005年12月。シャープとウィルコムが、奇妙な機械を発売した。
W-ZERO3(ウィルコム03)——WS003SH。縦スライド式QWERTYキーボード、Windows Mobile 5.0、3.7インチVGA液晶(640×480ドット)、無線LAN搭載。日本では初の本格的な「スマートフォン」と呼ばれた。
発売前から予約が殺到し、発売日には量販店に行列ができた。「これは夢の機械だ」という熱狂が、インターネットの掲示板を埋めた。
5.2 「惜しい」は夢じゃない、呪いだ
しかしW-ZERO3は同時に「終わりの始まり」でもあった。すべてを詰め込んだ結果、本体は分厚く重くなり、バッテリーは半日しかもたなかった。爪楊枝のように細いスタイラスで、小さすぎるキーボードを操作する——それが2005年の「最先端」だった。
「これは惜しい」——誰もがそう感じた。惜しいが、惜しいままだった。
王国の年代記
iPhoneという「裁定」
7.1 「電話を再発明する」
2007年1月9日。サンフランシスコのMoscone Center(モスコーニ・センター)で、スティーブ・ジョブズは言った。
「今日、我々は電話を再発明する。」
iPhone——全面ガラスの板。スタイラスも、物理キーボードも、スライドカバーもない。指で直接触れる大型マルチタッチディスプレイ。
iPhone 3Gが日本に上陸したのは2008年7月11日。同年、シャープはZaurusの後継機開発終了を静かに発表した。
7.2 「足し算」vs「引き算」——答えは一瞬で出た
PDA各社は15年間「足し算」をしてきた。機能を増やし、互換性を増やし、接続先を増やした。
Jobsが示した答えは「引き算」だった。物理キーボードを捨て、スタイラスを捨て、「なめらかさ」と「生態系」に集中する。結果として、15年間かけてPDA各社が積み上げたものは、一瞬で陳腐化した。
ザウルスは日本語手書き入力を磨き続けた。しかし2008年以降の日本人は、フリック入力でスマートフォンに文字を打ち込んでいる。
手書き認識の精度が、問題ではなかった。
誰も間違っていなかった、という結論
8.1 王国の終わりに、悪役はいなかった
この物語に、悪役はいない。
シャープは日本語手書き入力を磨き続け、ユーザーの要望に誠実に応えた。Palmはシンプルさという哲学を貫いた。マイクロソフトはパソコンとの互換性を重視し、企業ニーズに応えた。ウィルコムとシャープは、限られた制約の中で「できる最高のもの」を作った。
しかし、みんなが別々の方向を向いていた。
PDA各社は「より良いPDA」を作ろうとした。ジョブズは「新しいカテゴリー」を作ろうとした。「より良い」の追求と、「新しい」の創造は、しばしば交差しない。
8.2 問いは正しかった。答えは別の場所から来た
「移動中にも使えるコンピュータがほしい」——この問いは正しかった。だが各社がそれぞれに異なる答えを積み重ね、互換性のない孤島をたくさん作った。ユーザーは投資したプラットフォームが消えるたびに、乗り換えコストを払い続けた。
そして最終的に、「手のひら王国」を統一したのは、PDAメーカーではなく、音楽プレイヤーを作っていた会社だった。
王国の廃墟には今も、中古品市場でSL-C3200が愛され続けている。
「最後のザウルス」は、今も動く。
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