TRON王国の興亡
国産OSが世界標準寸前で米国に潰され、家電の中で密かに生き続けた42年の記録
本記事は実際の技術史・公的資料・報道に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。一部、シェアや市場規模などは調査主体によって解釈が分かれるため、本文中で両論を併記しています。
あなたの家のエアコンも、洗濯機も、車のエンジンルームも、その中では日本製OSが動いている——と言われたら、信じるだろうか。
その日本製OSは、1984年に東京大学の若き助手が発表し、1989年に米国の圧力で世界標準のチャンスを失い、それでも家電の中で40年動き続けた。
これは、潰されたはずの国産OSが、潰した米国の家電の中でも黙々と稼働し続けた、日本人がいちばん知らない日本発の世界規格 の物語である。
東大の助手、世界標準を企てる
1984年6月。東京大学理学部の一室に、ひとりの若き助手がいた。
名を 坂村健(さかむら けん)、当時33歳。彼が同年に発表したのが、後に「日本IT史最大の何か」と語り継がれる構想——TRONプロジェクト だった。
1980年代の日本は、コンピュータの 戦国時代 だった。NEC、富士通、日立、東芝、シャープ、各社が独自仕様の機械を出し、操作方法もデータ形式もバラバラ。「A社のフロッピーがB社のパソコンで読めない」が日常風景。
坂村が描いた青写真は壮大だった。家電も、パソコンも、通信機器も、街中の機械も、すべて同じ思想のOSで動かす——いまでこそ「IoT(モノのインターネット)」と呼ばれる発想を、彼は40年早く構想していた。
プロジェクトは4つの兄弟仕様に分かれた。
ITRON(Industrial TRON)—— 工場機械や家電の「中身」用
BTRON(Business TRON)—— パソコン・ワークステーション用
CTRON(Communication TRON)—— 電話交換機・通信機器用
MTRON(Macro TRON)—— 上記3つを統合する全体OS
WindowsもmacOSもLinuxも、まだ世に出ていないか、生まれたばかり。TRONは、人類がOSという概念をまだ模索していた時代に登場した、日本発の壮大な統一構想だったのである。
文部省、TRONに賭ける
1987年7月。文部省(現・文部科学省)は中学校の学習指導要領を改訂し、「技術・家庭科」に「情報基礎」という科目を追加すると決めた。
つまり、全国の中学校に、子どもたちが触るパソコンを大量に配る 必要があった。1校あたり40台として、全国で何十万台規模の調達である。
このプロジェクトを取りまとめたのが CEC(コンピュータ教育開発センター) という財団法人だった。CECは1988年初頭、教育用パソコンの統一OSとして BTRONを採用する と発表した。
これは大事件だった。日本中の中学生が、人生で初めて触るパソコンが、国産OSのBTRON機になる。子どもの世代から、TRONが「当たり前」になる——という、教育を起点にしたOS普及戦略である。
各メーカーは試作機の開発に動いた。松下電器、日立、富士通、東芝、シャープ、三菱、沖、三洋、ユニバック、ソニー、日本IBM……。仕様決定後、各社は1988年2月末までに試作機を提出することになった。3月、CECは各社の試作機を披露するイベントを開いた。
このとき提出された試作機は、NECを除く11社分——との記録が残る。
ところが、その披露会の場に、ある一社の姿がなかった。
NECである。
当時、日本のパソコン市場の半分以上を占めていた絶対王者・NEC。彼らは「PC-9801(キューハチ)」シリーズで、独自仕様(実質MS-DOS)の覇権を確立していた。
CECがBTRONを正式採用すれば、NECは「国民機」を捨てるか、教育市場を諦めるかの二者択一を迫られる。NECは1988年5月、約2か月遅れて試作機を提出したが、それは仕様書通りの「MS-DOSとBTRONの両用機」ではなく、単なるMS-DOS機にBTRONをごく一部仕込んだだけ の代物だった、と当時の関係者は伝える。
NECは抵抗した。教育現場からも「過去のMS-DOSプログラム資産が使えなくなる」という反対意見が上がった。仕様策定の段階で、TRON王国は内部で軋み始めていた。
それでも、1989年春の時点では、まだBTRON採用路線は生きていた。
そこに——太平洋の向こうから、一通の文書が届いた。
1989年4月21日、ワシントンの誤解
USTRの報告書は、TRONを スーパー301条の「制裁候補」 として名指しした。米国市場から日本製品を締め出すかもしれない——という、貿易戦争の呼び鈴である。
実は、これは「誤解」だった。
TRONは仕様(ルールブック)であり、米国企業も自由に実装できる開かれた規格だった。実際、IBMもマイクロソフトも、参入しようと思えば参入できた。1989年5月、TRON協会はUSTRに正式な抗議文を送った。USTRは内容を再確認し、同月中にTRONを制裁候補から外した。
「誤解は解けた、めでたしめでたし」——とは、ならなかった。
誰も止めなかった撤退連鎖
USTRが矛を収めても、日本国内には恐怖が残った。「米国が嫌がっているらしい」「制裁されるかもしれない」「巻き込まれたくない」——空気は、事実より早く広がる。
NECは、この機を逃さなかった。CEC側に「BTRONを採用しないでほしい」と強く要求した。教育現場からも「米国製OS(MS-DOS)資産との互換性が必要だ」という声が再燃した。
1989年6月、CECは決定を覆した。BTRON仕様による教育用パソコンの統一を、断念する。
ここから、ドミノが倒れ始めた。
各メーカーは冷静に計算した。「BTRONが教育市場を独占するなら、BTRON機を作る意味がある。だが独占がないなら、わざわざ赤字覚悟で新規OS機を作る理由はない」——結論は、撤退一択。
メーカー数十社が、雪崩を打ってBTRON陣営から離脱した。報道では「100社近く」とも伝えられた数字には諸説あるが、いずれにせよ商用パソコン市場でのBTRONは、この夏、事実上の死を迎えた。
教育現場には、結局、PC-9801を中心とするMS-DOS機が並んだ。子どもたちは「PC-98のキー配列」を覚えた。世代交代の機会は失われた。
地下に潜った魂——家電の中で生き残ったTRON
ここで物語が終われば、これは単なる悲劇である。だがTRONには、地下水脈 があった。
パソコン用のBTRONは死んだ。しかし、組み込み用の ITRON は、当初からまったく別の道を歩んでいた。
ITRONは、無料で使える「仕様」だった。各メーカーが自社の機械に合わせて自由に実装できた。
ここで、あなたが今日触ったものを少し思い出してほしい。エアコンのリモコン、洗濯機のスタートボタン、車のエンジン、駅の自動券売機、スマホ以前の携帯電話、コンビニで使ったカーナビの音声案内……。
——その内側で動いていた可能性が高いのが、ITRONである。
携帯電話(特にガラケー時代の国産機種)の中身、カーナビゲーションシステム、デジタルカメラの制御部、ファクシミリ、複合機、エアコン、テレビ、洗濯機の制御基板、工場のロボット、自動販売機、駅の券売機——日本人が日々触っている ほぼあらゆる電子機器 の内側で、ITRONは黙々と動き続けた。
トヨタも、その一社である。2005年発売の トヨタ・ランドクルーザー プラド のエンジン制御ユニット(ECU)には、μITRONが採用されたと報じられている。
トロンフォーラムが毎年公表している組み込みOS利用実態調査では、TRON系OS(ITRONおよびμT-Kernel系)の国内シェアは約60%、25回連続で利用実績トップという。一方、世界規模の調査会社のデータでは、TRON/ITRONのシェアは1%未満〜ランク外で、世界市場ではFreeRTOS、Zephyr、ThreadX、Linux系が上位を占めるとされる(2024年時点)。
——両論を併せて読むと、こう言える。「日本の家電・自動車という閉じた島の中では、TRONは死ぬどころか覇者であり続けている」。
潰されたはずの国産OSは、潰した米国の家電が日本製である限り、敵地の中でも動いていた。これが、TRONの真実の姿である。
王国の年代記
IEEEの賛辞——三十数年遅れの認定書
時計の針を、現在に戻そう。
2017年、坂村健(このとき東洋大学教授・東京大学名誉教授)とトロンフォーラムは、TRONの最新仕様 μT-Kernel 2.0 の著作権を、米国の IEEE に譲渡した。
IEEEは2018年5月11日に内部標準としてμT-Kernel 2.0を採用、8月24日に標準文書を公開、9月6日にプレスリリース、そして 2018年9月11日、μT-Kernel 2.0は「IEEE 2050-2018」として国際標準仕様に正式承認された。米国の学会が、米国に潰されかけた日本のOSを、世界規格として認定した——これだけでも、十分に皮肉な出来事である。
ところが話は、もう一段ある。
2023年6月、IEEEは「TRONリアルタイムOSファミリー」をIEEEマイルストーンに認定した。1989年4月21日にTRONを名指しした、あの国の学会が、40年近く経って「これは人類史的な貢献である」と公式に認めたのだ。
同年10月14日、坂村の前任校である東京大学で贈呈式が催され、ブロンズ銘板が授与された。
潰されたOSは、潰した国の家の中でも動いていた
例によって、この物語にも「明確な悪人」は存在しない。
USTRの担当官は、ワシントンで届いたロビイストの声を整理して、報告書に書いただけだ。誠実な仕事だった。
NECは、自社の主力商品「PC-98」を守ろうとした。経営者として正しい判断だった。
CECは、米国との摩擦を避け、教育現場の反対を尊重して、BTRON採用を撤回した。組織人として穏当な選択だった。
他のメーカーは、「独占がない市場で新規OSを作っても採算が合わない」と判断した。商売として合理的だった。
全員が、それぞれの持ち場で、それぞれの役割に忠実に振る舞った。
その合算として、日本は世界標準OSを取り損ねた。
そして同じ合算として、ITRONは家電の中で世界中の機械を動かし続けた。
不思議なことに、この国は 両方とも自国で起きていることを、ほとんど誰も意識していない。
「日本にはOSがない」と言われ続け、「世界標準を取れない国だ」と嘆かれてきた。一方で、洗濯機もエアコンも自動車のECUも、その内側でずっと国産OSが動いていた。
潰されて勝った——というのが、TRONの最も正確な要約かもしれない。あるいは、勝ったが誰にも知られていない、と言ってもいい。
教科書に「日本発の世界標準OS」という章はない。しかし家電量販店の店頭にも、街を走る車のエンジンルームにも、TRONは静かに息づいている。
新しい技術が登場するたび、社会は最初に「これを誰が支配するか」を問う。誰も支配できないようにすると、規格は死ぬ。誰かが独占しようとしても、空気を読んだ周囲がそれを潰す。それでも技術自体は、どこかで生き延びる方法を見つける。規格戦争は表向きの勝敗で語られるが、技術はもっと地下深くで生き残る。
TRONは、その最も雄弁な事例として、日本人がいちばん知らない日本発の世界規格として、今日も洗濯機の制御基板で割り込み信号を待っている。