ベンダーロックイン王国の興亡
脱出不能な城壁を、誰が建てたのか
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
システムという名の城、建設開始
1970年代、日本の官庁と大企業はコンピュータと出会った。
それは魔法の機械だった。計算が速い。帳票が出せる。管理できる。しかし、操作できる人間が社内にいない。当然だ、誰も教わっていないのだから。
こうして「お任せします」という言葉が生まれた。
富士通、NEC、日立、NTT系の会社たち——のちに「ITゼネコン」と呼ばれることになる大手ベンダーが、次々と官庁・自治体・銀行・大企業のシステムを受注した。設計する。作る。運用する。保守する。全部やる。 仕様書も、自分たちで書く。
顧客は喜んだ。「プロに全部任せられる」と。
ここに、城が建ち始めた。目に見えない、しかし頑強な城が。
「仕様書」という名の鍵
城の仕組みはシンプルだった。
システムを作るとき、必ず「仕様書」が必要になる。どんな機能が必要か、どんなデータを扱うか、何万行もの記述。普通は「発注者が書き、業者が実装する」ものだ。
しかし日本の官庁・自治体では、長年の慣行が逆転していた。
「ベンダーが仕様書を書き、官庁がそれを承認する」
なぜそうなったか。ITに精通した職員が庁内にいなかったからだ。異動サイクルが2〜3年の公務員は、専門知識を蓄積する前に別の部署に移る。一方、担当ベンダーは同じシステムを何十年と保守し続ける。自然と、「詳細を知っているのはベンダーだけ」という状況が生まれた。
地図なき者は、城を攻めることも、出ることもできない。
こうして、各省庁・自治体のシステムは、それぞれのベンダーが書いた独自仕様で覆われていった。A社のシステムとB社のシステムはデータ形式が違う。APIも違う。言語も違う。隣の自治体と同じ業務をしているのに、互換性がまるでない。
日本全国1,747の市区町村(2022年度時点)が、それぞれ独自仕様のシステムを抱えた。
競争入札という幻想
「競争入札にすれば、価格が下がって良いシステムになる」
これは正しい。ただし、競争が成立すれば、の話だ。
公正取引委員会が2022年2月8日に公表した「官公庁における情報システム調達に関する実態調査報告書」は、驚くべき実態を明らかにした。
調査対象の98.9%の官公庁が、「既存ベンダーと再度契約することになった事例がある」と回答した。
理由を聞くと、48.3%が「既存ベンダーしか既存システムの機能の詳細を把握することができなかったため」と答えた。次いで33.6%が「入札の結果、既存ベンダーが落札した」、24.3%が「既存システムの機能に係る権利が既存ベンダーに帰属していた」と続く。
入札が行われても、他社が参入できない。仕様書が読み解けないからだ。見積もりすら出せない。自然と1社しか手を挙げない「1社応札」になる。その1社は、もちろん既存ベンダーだ。
「競争」の名を借りた独占が、30年以上続いた。
コロナ禍、城壁は外から見えた
2020年。新型コロナウイルス感染症が日本を直撃した。
「感染者の情報を集めろ」「陽性者を追跡するアプリを作れ」「給付金を早く配れ」
あの時期、日本の行政システムの「見えない城壁」は、一気に可視化された。
FAXでしか送れない感染者報告。マイナンバーと銀行口座が紐付いていないゆえの給付金の遅延。自治体ごとにバラバラなワクチン接種予約システム。
接触確認アプリ「COCOA」は、約3億8,000万円(2020年度)をかけて開発されたが、Android版で接触通知が機能しない重大な不具合が約4か月間(2020年9月28日〜2021年2月18日)放置された。「開発した会社の下請けの、そのまた下請けにソースコードがあり、誰も全体を把握していなかった」という状況が原因とされ、会計検査院は2021年10月27日に是正要求を行い、「客観的に検証できない」と指摘した。
皮肉なことに、この危機は「城が存在すること」を国民全員に教えた。
デジタル庁という救世主、参上
2021年9月1日。菅義偉内閣が「デジタル庁」を発足させた。
「行政のデジタル化」「縦割り打破」「ベンダーロックイン解消」——意気軒高なスローガンが並んだ。大手IT企業ではなく、スタートアップや民間デジタル人材を積極採用した。一部幹部が大手ITベンダーへの批判的発言を行ったと報じられ(ダイヤモンド・オンライン、2021年)、業界は色めき立った。
しかし現実は、城を前に立ち尽くすことになった。
デジタル庁が実施した調達の約6割が1社応札だったと報じられた(日経xTECH)。既存の巨大システムを短期間で切り替えることは不可能に近い。仕様書は依然としてベンダーが書く。デジタル庁ですら、結局NTTデータや富士通に頼らざるを得ない場面が続いた。
「城を壊す」と言って乗り込んだ人間が、気づけば城の中で仕事をしていた。
標準化法という楔
2021年、「地方公共団体情報システムの標準化に関する法律(標準化法)」が成立・施行された。
内容はシンプルだ。2025年度末までに、住民基本台帳・税・福祉など標準化の対象となる20業務のシステムを、国が定めた「標準仕様」に準拠させる。自治体ごとに独自仕様を作ることを原則禁止とし、カスタマイズも極力禁ずる。
これは歴史的な方針転換だった。「自治体が好きに仕様を決める」→「国が標準を決め、自治体はそれに従う」への大転換。
しかし現場では悲鳴が上がった。「標準準拠システムに移行したら、却ってコストが上がった」「標準仕様が現場のニーズに合っていない」という声が各地から届いた。2025年度内の移行は難航し、デジタル庁は繰り返し対応策の検討を余儀なくされた。
城を壊しているのか、新しい城を建てているのか。現場は首を傾げた。
公正取引委員会、独禁法の警鐘を鳴らす
2022年2月8日の報告書は、競争政策上の問題にも踏み込んだ。
ベンダーが他社の参入を意図的に妨害する行為——ソースコードの非開示、データ形式の非標準化、移行コストの意図的な引き上げ——が独占禁止法に抵触する可能性があるとし、具体的な禁止行為を初めて例示した。
しかし報告書は同時に、こう指摘した。
城を建てたのはベンダーか。それとも、城を作らせた発注者か。
あるいは、その構造を何十年も放置してきた政策か。
誰が悪いとも言い切れない。だから何十年も続いた。
王国の年代記
誰も悪くなかった王国
この物語に、明確な悪役はいない。
ベンダーは仕事をしただけだ。 依頼されたシステムを作り、依頼されたとおり運用した。独自仕様は「効率的だったから」そうなった。他社が参入できないのは、「結果的に」そうなったのであって、最初から意図したわけではない——と少なくとも彼らは言うだろう。
官庁の担当者も、最善を尽くした。 専門知識のない中でシステムを管理し、「信頼できる業者」に任せた。異動で2年ごとに担当が変わる制度の中で、継続性を保つ方法は「同じ業者に頼み続けること」しかなかった。
政策立案者も、問題は認識していた。 ただし優先度と予算と政治的抵抗の前に、何十年も後回しになった。
そしてシステムを使う市民は、最初から城の存在を知らなかった。 ただ、手続きが遅く、不便で、融通が利かないことだけを感じていた。
これは怠慢の物語ではなく、構造の物語だ。 誰かが悪意を持って城を建てたのではない。合理的な判断の積み重ねが、50年かけて、誰も脱出できない城を作り上げた。
コンピュータが日本のオフィスに来た日、最初の設計者たちは思っただろう。「これは便利な機械だ。全部お任せしよう」と。
その言葉の余韻は、まだ、終わっていない。
https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2022/feb/220208_system.html
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01988/031100001/
https://diamond.jp/articles/-/279618
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00989/021700075/
https://www.digital.go.jp/policies/local_governments