Yahoo! BB王国の興亡
赤い袋が日本のインターネットを変えた1000日と22年
本稿は、2001年から2024年にかけての日本のブロードバンド普及史を、実在する事実・統計・報道をもとに記述したものです。組織や人物の行動を風刺的・文学的に描写する部分を含みますが、史実の歪曲を意図したものではありません。登場する企業・団体・人物はすべて実在します。
王国以前の闇
2000年、日本はインターネットの荒野だった。
パソコンを持つ家庭はそれなりに増えていたが、接続は「ダイヤルアップ」と呼ばれる方式が主流だった。電話線を使って1回線ずつ手動でつなぐこの仕組みでは、メールを1本送るたびに「ピーガガガッ」という音が鳴り、その間は電話が使えなくなる。しかも料金は従量制、つまりつないでいる時間ぶんだけ電話代がかかった。
ADSLという技術は存在していた。同じ電話線を使いながら、データと音声を別の周波数に分けることで、「電話しながらネットが使える」「月額定額で使い放題」を実現する技術だ。1999年には「東京めたりっく通信」が都市部でサービスを始め、NTT東日本・西日本も「フレッツADSL」を本格展開していた。しかし料金は高かった。ADSLとプロバイダを合わせると月額5,000〜6,000円。一般家庭にとっては「贅沢な通信費」の領域だった。
その闇に、赤い袋を持った男が現れた。
孫正義、宣戦布告
孫正義は当時、ITバブル崩壊の直撃を受け、グループ全体の含み損が一時1兆円を超えていたとも言われた。誰もが「孫正義の時代は終わった」と囁いていた2001年、彼は全く異なる戦場へ足を踏み入れた。
2001年6月19日、孫正義は「Yahoo! BB」の発表会見に立った。ADSLとプロバイダをセットにして月額わずか2,280円で提供する、という宣言だった。
当時の業界相場の半値以下である。
「価格破壊」という言葉は当時も使われていたが、これは価格の破壊というより業界秩序そのものへの宣戦布告だった。NTTはインフラを握り、プロバイダ各社は横並びの料金を維持し、ユーザーは選択肢のない市場でじっとしていた。そこに「月額2,280円で常時接続」という爆弾が投げ込まれた。
同年9月1日、Yahoo! BBのADSLサービスは正式に開始された。「ブロードバンド」は2001年のユーキャン新語・流行語大賞トップテンに選出され、孫正義は同賞に選ばれた。
パラソル隊の大進軍
サービスの価格が安くても、知らなければ申し込めない。ここで孫正義が打った手が、日本のマーケティング史に残る奇策だった。
「パラソル隊」——赤と白のパラソルを持ったスタッフが全国の駅前・量販店・商店街に出動し、モデムを入れた赤い紙袋を通行人に無料で手渡す戦略だ。「これを持ち帰って申し込めばすぐにADSLが使える」というわけだ。
ソフトバンクは「最初は赤字になってもいいから、どんどん顧客獲得コストをかける」と決断した。数十社の代理店に委託し、北から南まで数千箇所に及ぶ配布拠点が展開された。配布したモデムの総数は数百万台と言われる。
この「赤い袋」は社会現象になった。電車に乗っていると、隣に座った人が赤い袋を持っていた。スーパーの出口で手渡された。「見覚えがある」という人は今でも多い。
結果は劇的だった。サービス開始後わずか6ヶ月で約49万人が加入。2002年9月には100万人を突破し、2004年には加入者数が国内のADSL事業者でトップに躍り出て、2005年12月時点でもADSL加入者数日本一を維持した。
NTTという名の城壁
ただし、すべてが順風満帆だったわけではない。
Yahoo! BBがADSLを提供するには、NTT東日本・西日本の電話回線インフラを借りなければならない。ところがNTTは当初、ライバル企業への設備開放に積極的ではなかった。申請から実際の開通までに数ヶ月かかることも珍しくなく、「開通待ち」の顧客が長蛇の列をなした。
孫正義は公の場でNTTを名指しで批判し、政府のIT戦略会議でも「NTTはインフラを独占している」と声を上げた。当時のNTTは政府が株式の約46%を保有する半公的企業であり、「国策」への協力には一定の圧力が働いた。
総務省は競争促進の立場からNTTへの指導を強め、接続ルールも整備されていった。Yahoo! BBの参入効果は業界全体に波及し、ADSL+プロバイダの月額料金は5,000〜6,000円の水準から3,000〜4,000円へと一気に下落。2004年には日本全体のADSL加入者が1,000万人を突破した。
451万件の亀裂
絶頂期は、内側から崩れた。
過小発表から正式謝罪へ——3日間の沈黙
2004年2月24日、ソフトバンクBBは緊急会見を開いた。しかしその時点で公表した漏洩件数は「242人」だった。3日後の2月27日、孫正義本人が改めて会見に臨み、衝撃の数字を告げた。
「Yahoo! BBのお客様の個人情報が、大量に流出しました。深くお詫び申し上げます」
流出した顧客情報は、451万7,039件。氏名・住所・電話番号・メールアドレス・申込日など。Yahoo! JAPAN IDを含む情報も漏れていた。当時としては「日本最大規模の個人情報漏洩事件」として記録された。
内部者による不正取得と恐喝
犯人は内部者だった。元ソフトバンクBB社員および代理店関係者が、管理体制の甘さを突いてデータベースに不正アクセスし、顧客情報を持ち出した。漏洩したデータは複数人の手を経て、ソフトバンクへの恐喝に使われた。要求額は30億円。「情報を公開されたくなければ払え」という脅しだった。
警察は捜査を進め、右翼団体「新誠日本協議会」の元会長ら複数名を恐喝未遂容疑で逮捕した。
孫正義は謝罪の証として、全会員への500円金券の送付と役員報酬の大幅削減を発表した。「お詫びが500円か」という批判は当然巻き起こったが、451万通の金券を送るコストだけでも2億円を超える。その後、被害を受けた顧客が集団訴訟を起こし、2006年には「500円では足りない」という裁判所の判断も示された。
ADSLから光へ、王国の変容
個人情報漏洩事件で信頼は傷ついたが、Yahoo! BBは生き続けた。
しかし技術の潮流は動いていた。ADSLは電話局から距離が離れると速度が落ちる宿命がある。対して光ファイバーを使った「FTTH(光回線)」は、距離に関係なく安定した高速通信が可能だ。NTTは「フレッツ光」を本格的に普及させはじめ、2006年度にはDSL(ADSL)の契約数が初めて前年比で減少に転じた。
2008年度には、FTTH(光回線)の総契約数がDSLを追い越した。Yahoo! BBも独自の光回線サービスを展開したが、NTTのフレッツ光との競争は厳しく、2010年3月には独自光回線の新規受付を終了。以降はNTTの回線を使う形に切り替わっていった。
かつてNTTのインフラを「開放しろ」と迫った孫正義のサービスが、NTTのインフラに依存して生き延びる——歴史の皮肉はいつも、こういう形でやってくる。
静かなる終幕
2019年2月、Yahoo! BB ADSLは新規申し込みの受付を終了した。
理由は単純だった。「データ通信量の増大に伴う光回線の主流化」と「保守素材の枯渇と設備の老朽化」。一度敷いた電話線のインフラは永遠には使えない。維持費は嵩み、ユーザーは減り続けた。
そして2024年3月31日、Yahoo! BB ADSLは静かにサービスを終了した。2001年9月に始まり、22年と6ヶ月の歴史に幕を下ろした。
赤い袋はもう街角に現れない。パラソル隊は解散した。
王国の年代記
[画像挿入:Yahoo! BB / ブロードバンド革命 年代記]
誰も悪くなかった、という結論
この物語には明確な悪役がいない。
NTTはインフラを守る責任があった。国有に近い企業として、無秩序な開放は電話サービスの安定にも関わる。慎重にならざるを得ない事情は理解できる。
孫正義は「安くて速いインターネットをすべての家庭に」という大義を掲げた。その価格破壊は現実のものとなり、日本のブロードバンド普及を確実に加速させた。しかし急成長の陰で、個人情報管理の甘さが露呈した。
政府は競争促進を旗印に動いたが、NTT完全分割には踏み込めなかった。インフラは公共財でもあるからだ。
ユーザーは安い料金で常時接続を手に入れた。ただし、自分の個人情報は流出した。
全員が最善を尽くしていたのかもしれない。全員が何かを見落としていたのかもしれない。誰も悪くない調整問題——それが複雑な現実の正直な名前だ。
Yahoo! BBがまいた赤い袋の種は、今日あなたが使っている光回線のどこかに眠っている。
赤い袋は、街角から消えた。
パラソルの下で渡されたモデムは、棚の奥で眠っている。
あの頃「常時接続」は夢の言葉だった。
今、誰もそれを夢とは呼ばない。
夢は、インフラになった。
―― 回線 確立