ITゼネコン王国の興亡
五次まで届く仕様書と、誰も書いていない設計図の半世紀
本稿は、戦後日本の情報サービス産業に根づいた「多重下請け」――業界では ITゼネコン と呼びならわされる構造――を、歴史書体裁のブラックコメディとして再構成したものです。年月日・人名・統計値・公的文書名は公開資料(経済産業省、公正取引委員会、IPA、会計検査院、各社プレスリリース、報道)に基づきますが、王国・儀式・年代記といった語り口はフィクション的演出を含みます。
ピラミッドのはじまり――情シスは外へ出された
王国は、節約から始まった。
1960年代、日本企業は社内に「電算室」を置き、自前のコンピュータを動かしていた。やがて1970年代後半、汎用機の保守・運用と業務システムの開発はあまりに重く、各社は外に出した。情シス――情報システム部門――は、コア業務以外を切り離していった。NEC、富士通、日立、NTTデータの前身(日本電信電話公社のデータ通信事業)が、その受け皿になった。
1980年代、銀行のオンライン勘定系、製造業の生産管理、流通の在庫システム――社会の骨格となる業務システムが、ユーザー企業の社員ではなく、外部のSI(システムインテグレーション)会社――冒頭の用語解説で触れた SIer にあたる企業群――の手で作られはじめた。ユーザー企業に残ったのは、要件をまとめる数人の情シス担当者と、外注先を管理する発注書だった。
骨格は、外で組まれていた。
元請け、1次、2次、3次……――構造の名前
外注は、一段では収まらなかった。
大型案件は、まず元請けの大手SIerが受注する。元請けはプロジェクト管理と上流設計を担い、コーディングや単体テストは1次請けに出す。1次請けは自社のエンジニアと、2次請けの応援要員を組み合わせる。2次請けはさらに3次に出す。フリーランス級の個人事業主が、4次や5次の末端で、画面ひとつ分のJavaScriptを書いている――そんな現場が日常化した。
この構造に、業界は1990年代から「ITゼネコン」という呼び名を与えた。建設業界のゼネコン――鹿島・大成・大林・清水――が、巨大ビルを元請けし、何次にもわたる下請け業者を束ねるのと同じ風景が、ITの世界にもあった。違うのは、運ばれているのが鉄骨ではなく仕様書であること、そして仕様書はしばしば、現場に着くまでに何度も書き換えられたこと。
1株1円の61万株――2005年、誰も止められなかった注文
2005年12月8日午前9時27分56秒、東京証券取引所マザーズ市場。
新規上場した総合人材サービス会社「ジェイコム」(現・ライク)。みずほ証券の男性担当者が、注文を打ち間違えた。「61万円で1株 売り」とすべきところを、「1円で61万株 売り」と入力した。発行済株式総数 14,500株しかない銘柄に、61万株の売り注文が出た。
担当者はすぐ気づき、取消注文を入れた。だが、東京証券取引所の株式売買システムには、特定条件下で取消注文を受け付けないバグがあった。注文は止まらず、約定が積み上がった。
東証社長 鶴島琢夫は、12月20日付で辞任した。みずほ証券は2006年3月期決算で、誤発注に伴う特別損失として 400億円超 を計上した。後にみずほ証券は、システム不備で損失が拡大したとして東証を提訴し、最高裁まで争った。
事件の主因は、人間の指1本と、東証の売買システムが抱えていたバグだった。多重下請けは、この事件を生んだ原因ではない。ただ、巨大金融システムの開発・保守の責任が、何次にもわたる委託先と発注側のあいだに分散していたことを、事件は副次的に可視化した。誰のミスかと問われれば、誰のミスとも言えない――そう答えざるを得ない構造だけが、後に残った。
55億円の白紙――特許庁基幹システムの記録
2006年7月、特許庁は基幹系システムの全面刷新を入札にかけた。特許審査の所要期間を約2年から1年に短縮するという目標があった。
落札者は、東芝ソリューション。入札価格は 99億2,500万円――予定価格の6割以下。コンサル契約はアクセンチュアと結ばれた。元請けと、上流コンサルと、その下に並ぶ下請け群――ピラミッドは、官公庁の最重要案件でも当然のように組まれた。
5年後の2012年1月、特許庁の技術検証委員会は「開発中断」を提言する報告書を提出した。仕様凍結ができず、設計が膨張し続けたためだった。会計検査院は「約54億円が無駄になった」と指摘した。新しいシステムは、ついに完成しなかった。
物語にはわずかな後日譚がある。2013年9月、東芝ソリューションとアクセンチュアは、開発費に利子を加えた 約56億円を国に返納 した。返金で済むなら御の字――そう言える額ではなかったが、行政システム史上、開発費全額を元請け側が返した珍しい事例として記録されている。
準委任の谷――5次請けと偽装請負
ピラミッドの底辺で、別の問題が起きていた。
2000年代後半、厚生労働省は 請負・派遣適正化キャンペーン の対象に、製造業に加えて情報サービス産業を含めるようになった。「偽装請負」――契約書では請負(仕事の完成に対する対価)とされていながら、実態は派遣(労働者の指揮命令)になっている取引――が、IT現場で横行していたためだ。
2008年1月、人材派遣業界最大規模だったグッドウィルが、二重派遣を理由に事業停止命令を受け、同年廃業した。事件はIT業界の話ではなかったが、「下請けの下請けに人を回す」構造が法に抵触しうることを、業界全体に突きつけた。
その後も実態は続いた。2022年6月29日、公正取引委員会 がソフトウェア業の下請取引に関する実態調査報告書を公表した。資本金3億円以下のソフトウェア事業者 約21,000社を対象とした大規模調査である。
5社の中間業者。1人のエンジニアの単価は、5回の中抜きを経て、現場に届く頃には大幅に目減りすることもあった。
モデル契約書の二十年――処方箋は、王国を倒さなかった
処方箋は、何度も出された。しかし王国は、いまも立っている。
2007年、経済産業省は『情報システム・モデル取引・契約書(受託開発、保守運用)第一版』を策定した。要件定義の責任分担、追加変更の取り扱い、検収基準――発注者と受注者が揉めやすい論点を、契約条項のひな型として整えた。2008年に第二版(追補版)、その後も改訂が続いた。2020年、IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)はDX時代に向けた アジャイル開発版 を公開した。
2014年3月、中小企業庁は『情報サービス・ソフトウェア産業における下請適正取引等の推進のためのガイドライン』を改訂した。下請代金支払遅延等防止法の対象として、買いたたき・支払遅延・仕様変更時の追加代金不払いなど、業界に多発する違反類型を整理した。
しかし処方箋は、ピラミッドの形そのものを変えはしなかった。要件が膨らみ、納期は動かず、現場が積み上がる構造――その根は契約書ではなく、発注のしかたにあった。
みずほ銀行、合併の朝――誰も書いていない設計図
2002年4月1日。第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行が合併し、みずほ銀行が発足した、その朝。
ATMが止まり、口座振替の遅れは 250万件、二重引き落としは 3万件。3行それぞれの勘定系システムを、合併までに統合できないまま、リレーコンピュータでつなぐ”暫定運用”の判断が、当日の高負荷に耐えられなかった。
9年後の2011年3月15日。東日本大震災の義援金の集中受付処理が、再びシステムを破綻させた。最大 116万件、約8,300億円 の取引が滞留した。
第三者で構成されたシステム障害特別調査委員会が、同年5月20日に調査報告書を公表した。報告書は、外部委託先の多重構造と、ベンダー間で分割された保守責任、そして経営層の関与の薄さを、要因の一部として指摘した。
社会インフラの中枢に、誰も全体像を書いていない設計図があった。設計図がないのではなく、各層の下請けが各々の担当範囲を書いていたのに、それを束ねる人がもう、社内にいなかった。
日本 26.4%、米国 64.9%――内製化という、遠い対岸
王国が形作られた理由は、ひとつの統計に集約される。
2023年、IPAは『DX白書2023』を公表した。そのなかに、日米のIT人材の所属先比較がある。米国では、IT人材の 64.9% がユーザー企業(事業会社)に所属し、35.1% がIT企業に所属している。日本では、その比率が逆転する――IT人材の 73.6% がIT企業に所属し、ユーザー企業に所属するのは 26.4% にとどまる(日本は2020年国勢調査、米国は2021年職業雇用統計に基づく)。
ここに、王国の根が見える。米国の事業会社は、自社のシステムを自社のエンジニアが書く。日本の事業会社は、自社のシステムを外部のベンダーに書いてもらう。前者は、設計の意思決定とコードの所有権が同じ屋根の下にある。後者は、何次にもわたる契約書の連なりの先に、それらが分散している。
ピラミッドの形は、契約書ではなく、発注側の人材構成 によって決まっていた。
ITゼネコン王国の年代記
ピラミッドはまだ立っている
ピラミッドは、いま、まだ立っている。
公正取引委員会の調査も、経産省のモデル契約書も、デジタル庁の発足も、王国を倒すには至っていない。倒さなかったのは、王国に悪意があったからではない。誰もが、自分の役回りを誠実にこなしていた からだった。
元請けは、官公庁の予算枠と納期を守るために動いた。1次請けは、元請けの設計を翻訳して2次に渡した。2次請けは、3次に頭数を頼んだ。3次は、4次に画面ひとつを依頼した。4次は、5次のフリーランスに、午後9時のチャットで「明日朝までに修正お願いします」と書いた。
もちろん、発注する側にも誤算はあった。安く、早く、要件未確定のまま頼んだ結果として、5次の階層が必要になったのだから。ピラミッドを深掘りさせたインセンティブの片側は、確かにユーザー企業の発注姿勢のなかにあった。
誰も、悪くなかった。誰も、王国を作ろうとはしていなかった。しかし王国はあり、半世紀のあいだ、社会の骨格を支え続けてきた。それが、組織の惰性というものの、最も誠実な姿である。
設計図を書く人を、社内に取り戻すこと――2026年現在、それは「DX」と呼ばれる長い宿題のなかで、いまだ書きかけのページに留まっている。