テレホーダイ王国の興亡
深夜23時、全国民が一斉に電話をかけた時代
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
王国の誕生——1995年夏、定額の夜明け
1995年8月22日。日本電信電話株式会社(NTT)は、ひとつのサービスを静かに開始した。
名を「テレホーダイ」という。深夜23時から翌朝8時までの9時間、あらかじめ登録した2つの電話番号への通話料金が、月額定額となる。テレホーダイ1800(近距離用)は月額1,800円。テレホーダイ3600(遠距離用)は月額3,600円。
当時、ダイヤルアップ接続でインターネットを使うとはどういうことか。答えは「電話代が怖い」ということだった。3分10円の従量課金。夕方から夜にかけて1日5時間のネット接続を30日続ければ、電話代だけで約3万円に達する。興味本位でつなぎすぎた家庭に、月末、10万円を超える請求書が届いた——そんな都市伝説ならぬ実話が、あちこちに転がっていた時代である。
Windows 95が同年に発売され、パソコンとインターネットが「一般人のもの」になろうとしていた。しかし料金体系は、まだ「研究者や企業のもの」のままだった。テレホーダイはその隙間を埋めるために生まれた——少なくとも、深夜という条件付きで。
テレホタイムという聖夜——23時の号砲
こうして「テレホタイム」が生まれた。
23時ちょうど、日本中のモデムが一斉に鳴き始める。「ピーーーガーーー……ガコン」という、あの独特の接続音が、全国の家庭の深夜に響いた。
問題はすぐに現れた。
プロバイダのアクセスポイントは、この「23時00分の大波」に耐えられなかった。接続しようとしても「話し中」。何度かけても「話し中」。23時を回ってから1時間近く、まともに接続できないことが日常だった。
対抗策として生まれたのが「22時50分接続」である。テレホーダイの料金が適用される23時より前に回線をつないで席を確保しようという作戦だ。しかしこの手口が広まると、22時50分にアクセスする者が増え、またしても「話し中」になる。人々はさらに前倒しし、22時45分、22時30分——と早夜競争が際限なく続いた。
テレホマンの生態——夜型になった国民の記録
テレホタイムに活動する者たちは「テレホマン」と呼ばれた。
テレホマンの生活リズムは独特だった。夕飯を食べ、風呂に入り、テレビを眺め、23時を待つ。23時になった瞬間、パソコンの前に座り、接続を試みる。繋がれば勝ち。繋がらなければ、リダイヤルを繰り返す苦行が待つ。
繋がった後の世界は、昼間とは別の顔を持っていた。電子掲示板(BBS)、個人ホームページ、チャットルーム——どれも深夜に活気づく。書き込みのタイムスタンプを見ると、0時、1時、2時、3時……朝方まで活動記録が並ぶ。
当時の個人サイトが更新される時刻は、統計的に23時〜2時に集中していたと言われる。「深夜に更新される」ということが、個人サイトの「普通」だった。テレホタイムとはすなわち、日本のインターネット文化がもっとも活性化する「聖なる時間」だったのだ。
1999年5月に開設された2ちゃんねるの初期文化が、どこか「深夜のノリ」を持っていたことは偶然ではない。掲示板の利用者が深夜に集中し、昼間と夜では書き込みの雰囲気が違う——そういう文化が自然と形成された。
定額なのに混む——誰も得しない渋滞王国
テレホーダイ王国の根本的な問題は、「定額」が「無制限」を意味していなかったことだ。
料金は定額でも、回線は有限だった。アクセスポイントが捌ける同時接続数には上限がある。テレホーダイが普及すればするほど、23時の集中負荷は激しくなり、個々のユーザーが得られる恩恵は減少した。
これは「コモンズの悲劇」の教科書的な事例である。
さらに問題があった。テレホーダイの対象時間は深夜のみ。昼間のインターネット利用は従量課金のまま。これは日本のインターネット文化を「夜型」に固定し、企業や教育機関の日中利用を抑制した。
「インターネットは夜するもの」という感覚は、1990年代後半の日本では常識だった。欧米では昼間も自由にネットを使う企業や個人が増えていたのに、日本では「テレホタイム以外にネットをすると電話代が怖い」という心理的抑制が常に働いていた。
NTTとしても意図せざる副作用だったはずだが、結果として、テレホーダイは「日本のインターネット普及を昼間に許さなかった制度」として機能した。誰も悪くないのに、誰も得をしない——典型的な調整問題の産物だった。
崩壊の足音——ADSLが来た日
2000年、ADSLの波が来た。
非対称デジタル加入者線(ADSL)は、電話線を使いながら常時接続かつ定額制を実現した技術だ。NTT東西が「フレッツ・ADSL」として月額約4,600円(プロバイダ費用込みでは6,000〜8,000円程度)で提供を開始し、一気に普及が加速した。
ADSLの決定的な差は「常時接続」だった。接続したまま放置できる。23時を待たなくていい。朝でも昼でも、起動すれば即座にネットに繋がる。しかも速度は最大で数Mbps——テレホーダイ時代の56kbpsとは、桁が違った。
テレホーダイを解約し、ADSLに乗り換える人々が2001年頃から急増した。「テレホタイム」という言葉は、懐かしい過去の慣用語になっていった。
2000年代後半には光ファイバー(FTTH)が主流となり、速度は100Mbps〜1Gbpsへと跳ね上がった。ダイヤルアップもテレホーダイも、もはや誰も使わない遺物になっていった。
王国の年代記
それでも、王国は28年続いた
テレホーダイが終了したのは2023年12月31日。開始から28年が経っていた。
ADSLが普及した2001年の時点で、テレホーダイを積極的に使う理由はほぼ消滅していた。それでも、NTTは22年間、サービスを維持し続けた。廃止するコストより継続するコストの方が小さかったのか。惰性か。あるいは、どこかにまだ使っている人がいたのか——おそらくすべてが混在した結果だろう。
テレホーダイが生んだ「テレホマン文化」は、のちの日本のインターネット文化の原型を形作った。匿名掲示板の文化、深夜に活発になるオンラインコミュニティ、「ネットはアングラで夜のもの」という感覚——これらはテレホタイムという制約が偶然に産み出した副産物だった。
制約が文化を作る。不便が共同体を作る。23時に一斉接続するという儀式が、見知らぬ他人を同じ時間に同じ回線に集め、日本のインターネット文化の最初の「場」を作り出した。
誰かが設計したわけではなかった。NTTの料金設計という経済的な都合が、たまたま、深夜のコミュニティという奇跡を生み出した。
それは技術でも政策でもなく、「人間が制約に適応するときの創造性」の産物だった。