コンプガチャ王国の興亡
錬金術師たちの五月の夢
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。登場する企業・制度・事件はすべて実在しますが、「王国」としての表現はあくまで物語的な修辞です。
ガラケーの大地に、王国は生まれた
西暦2000年代初頭。日本の携帯電話——世界から「ガラパゴス」と呼ばれたその端末の上に、奇妙な王国が生まれつつあった。
田中良和という名の青年は、2003年の冬、自室でコードを書いていた。楽天に在籍しながら、彼は個人の趣味として「友人とつながれるウェブサービス」を作っていた。2004年2月、それは「GREE」として世に出た。名の由来は「6次の隔たり(Six Degrees of Separation)」——人類全員が6人の知人を介してつながれるという仮説。日本初のSNSだった。
一方、1999年。元マッキンゼーのコンサルタントだった南場智子は、渋谷に小さな会社を設立していた。株式会社ディー・エヌ・エー、略してDeNA。当初はオークションサービスを手がける会社だった。
この二つの芽が、やがて巨大な王国を形成し、そして————ある5月の朝に、すべてが揺らぐことになる。
錬金術の発見——ガチャという仕掛け
2006年2月、DeNAは「モバゲータウン」を開始した。ゲームと日記、掲示板が融合したモバイルSNS。無料で使えるかわりに、広告収入で運営する構造だった。
2007年、GREEが「釣り★スタ」をリリースした。世界初のモバイルSNS連動ゲームである。友人と競い合いながら魚を釣る、シンプルなゲーム。
しかし歴史が動いたのは、2009年10月のことだった。
DeNAが「怪盗ロワイヤル」をリリースした。カードを集め、他プレイヤーと戦い、レアカードを追い求める。その課金設計が、何かを変えた。人々はカードのために課金した。レアカードのために、さらに課金した。ゲームは「遊ぶもの」から「集めるもの」へと変質した。
これが、錬金術の発見だった。
「ガチャ」とは、タカラトミーアーツが展開するカプセルトイ(100〜200円を入れてハンドルを回すと景品が出る玩具)から来た言葉だ。デジタルの世界に持ち込まれたそれは、アイテムの獲得確率を操作することができた。「レアカードが出るかもしれない」——その不確実性が、人間の脳に刻まれた報酬回路を直撃した。
市場は爆発した。2009年に約371億円だった国内ソーシャルゲーム市場は、2011年に2,570億円、2012年には3,429億円に達した。GREEの2011年6月期の営業利益率は48.5%。DeNAの2012年3月期売上高は1,457億円。
ガラケーの上に、黄金の王国が建っていた。
王国の陰——誰かが泣いている
しかし王国には、影があった。
「子どもが親のクレジットカードで、10万円以上の課金をしていた」
2011年ごろから、そのような報告が消費者センターに寄せられ始めた。子どもたちはゲームのレアカードを手に入れるため、親のクレジットカード情報を使い、次々と課金していた。コンプリートを目指して、際限なく。
課金額の上限がなく、コンプリートまでにかかる金額も不透明で、子どもには「あといくら払えば揃うか」がわからなかった。
メディアが騒ぎ始めた。「ソーシャルゲームは賭博か」「子どもを食い物にしている」。批判の火の手が上がった。
2012年3月、GREEは対応を迫られた。仮想通貨の購入総額について、15歳以下は月間5,000円まで、16歳から19歳は月間10,000円までという上限を設けた。4月1日から実施。
しかし、問題の核心はそこではなかった。
同じ2012年2月、別の事件が起きていた。グリーが提供するソーシャルゲーム「探検ドリランド」で、バグを利用してレアカードを不正に複製したユーザーが現れ、それをヤフオクで販売したのだ。「探検ドリランド・レアカード増殖事件」として大きく報道された。
王国の土台に、ひびが入り始めていた。
5月5日、読売の朝刊
2012年5月5日、こどもの日。
その朝、読売新聞に一本の記事が載った。内容は——「消費者庁が、コンプリートガチャを景品表示法違反として、ゲーム会社に中止を要請する方針を固めた」というものだった。
たった一行が、王国を揺るがした。
連休明けの5月7日、東京証券取引所が開いた瞬間、GREEとDeNAの株価は暴落した。売り注文が殺到し、関連会社の株も軒並み下落した。この日は「コンプガチャショック」として記録されている。
しかし、ここには、奇妙な伏線があった。
実は同年2月、消費者庁が開催した「インターネット消費者取引連絡会」において、消費者庁の担当者は「ガチャは取引に付随する景品ではないため、景品表示法の景品規制には該当しない」と説明していた。さらに同年3月には、ソーシャルゲーム各社が消費者庁に問い合わせたところ、「違法性は認められない」という回答を得ていた。
2月に「問題なし」と言われた企業が、5月に「違法」と報じられた。
日本の行政とビジネスの間に流れる、この奇妙な時間差は、日本のIT王国史に何度も繰り返されるパターンである。
六社協議と、慌てた自主規制
コンプガチャショックから4日後の2012年5月9日。
GREE、DeNA、サイバーエージェント、ミクシィ、ドワンゴ、NHN Japanの6社は、一斉に声明を出した。「コンプリートガチャを、自社タイトルにおいて5月末までに廃止する」。
世間では「英断」と報じられた。しかし内実は——株価対策と消費者庁への先手打ちが混在した、嵐の前の撤収作戦だった。
実際、廃止の対象は「コンプリートガチャのみ」だった。通常のガチャ(単体で回すランダム報酬)は存続した。「問題の核心」と「廃止の範囲」の間には、計算された距離があった。
2012年5月18日、消費者庁は正式見解を公表した。コンプリートガチャは景品表示法(カード合わせ)に違反する——。同年7月1日以降は執行対象とすると明言した。
続いて5月25日、6社の協議会は「コンプリートガチャガイドライン」を策定・発表。6月22日には「インゲーム表示ガイドライン」「リアルマネートレード(RMT)対策ガイドライン」「コンプリートガチャ事例集」を発表した。
業界は、法律施行より先に自主規制で逃げ切った、という見方もある。消費者庁は、法的には一社も処分しなかった。
王国の黄昏——それでもガチャは続く
2012年11月8日、一般社団法人「ソーシャルゲーム協会」が設立された。業界の自浄作用と健全化を掲げた組織だ。
しかしその後も、ゲーム業界の課金問題は続いた。コンプガチャという「形式」は消えたが、高確率ピックアップ、期間限定排出、天井システム——課金を促す仕組みは、形を変えながら進化した。
むしろ、コンプガチャ規制は「ガチャの洗練化」を促したとも言える。単純なカード合わせは禁止されたが、より複雑で、より巧妙な課金設計が生まれた。規制が技術革新を生んだという、皮肉な歴史である。
GREEとDeNAは、スマートフォン時代の到来とともに、ガラケー向けソーシャルゲームの覇者という地位を失った。Cygamesやガンホー(代表作:パズル&ドラゴンズ)、スクウェア・エニックス(ファイナルファンタジー系)など、後発のゲーム会社がスマホ時代の主役となった。
コンプガチャの規制は、結果として旧来のソーシャルゲーム企業に深刻なダメージを与えた。市場の構造変化と相まって、GREEは海外事業への転換を余儀なくされ、DeNAはスポーツ事業(横浜DeNAベイスターズ)へと多角化を進めた。
王国は滅びず、変容した。錬金術師たちは、別の錬金術を求めて散った。
王国の年代記
カードは誰の手に
コンプガチャの問題を振り返るとき、「悪者」を探したくなる。しかし、王国の歴史はそれを許さない。
企業は、規制されていないグレーゾーンで収益を最大化しようとした。当然の行動だ。消費者庁は、2月に「問題なし」と言いながら、3か月後に「違法」とした。行政あるある、である。親たちは、子どもがゲームに何万円使っているかを知らなかった。忙しかったのだ。子どもたちは、カードを集めたかっただけだ。それだけだ。
プラットフォームは、課金が生む収益の一部を分配した。コンテンツは、そのお金で作られた。コンプリートをめざすユーザーは、自分の意志で課金した——と、少なくとも形式上は言える。
誰も罰せられなかった。誰も傷つかなかったことにされた。王国は整然と解体され、整然と別の形に組み直された。
日本のIT王国史において、コンプガチャの物語が教えるのは、「禁止は形を変えさせるだけで、欲望の構造は変わらない」という、ありふれた、しかし何度でも忘れられる真実である。
カードはまだ、回っている。
画面の向こうで、今日も誰かが引いている。
「次は出るかもしれない」と、思いながら。
―― 課金 完了