仮想王国の興亡
セカンドライフと、誰もいない島々の記録
「これは次の巨大メディアだ。今すぐ拠点を構えるべきだ」。 2007年、画面の中の3D仮想空間「セカンドライフ」に、日本の名だたる企業が次々と上陸した。三越が出店し、電通が「バーチャル東京」を開き、雑誌は特集を組んだ。
だが、その豪華な島々には、ほとんど人がいなかった。「登録者数」は数百万人。「いま、そこにいる人」は、世界全体でも数万人。この2つの数字の桁違いに、ブームの渦中では誰も足を止めなかった。
なぜ全員が、空っぽの部屋に向かってパレードを進めたのか。そして15年後、なぜ「メタバース」という名で、同じ行進がもう一度始まったのか。外典として記録しておく。
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。登場する個人・組織への批判意図はなく、「誰も悪くない、けれどこうなった」という構造的問題を描くことを目的としています。
もうひとつの人生、という触れ込み
2003年、アメリカに不思議なサービスが生まれた。名前は「Second Life(セカンドライフ)」。直訳すれば「第二の人生」である。
運営したのはリンデンラボ(Linden Lab)という会社で、創業者はフィリップ・ローズデールという技術者だった。サービスの中身は、3D(立体的なコンピュータグラフィックス)でつくられた、もうひとつの世界。利用者は自分の分身を画面の中に持ち、その分身を歩かせ、空を飛ばせ、家を建て、見知らぬ誰かと話すことができた。
この「画面の中の分身」をアバターと呼ぶ。アバターとは、もともとヒンドゥー教で神が地上に現れるときの姿を指す言葉で、コンピュータの世界では「ネット上での自分の化身」という意味で使われる。
そして、この世界には独自のお金があった。「リンデンドル(L$)」という仮想通貨である。しかも、ただのゲーム内ポイントではなかった。リンデンドルは、現実のドルと両替できた。つまり、仮想世界で稼いだお金を、本物のお金に換えられる——そういう仕組みだったのである。
ここに、すべての発火点があった。「画面の中で土地を売り、家を建て、商売をして、本物のお金を手にできる」。それは、ゲームというより、新しい経済圏の誕生のように見えた。
100万ドルの分身
ブームの号砲を鳴らしたのは、ひとりの「仮想不動産王」だった。
アンシェ・チャンと名乗るアバターの持ち主は、セカンドライフの中で土地を買い、造成し、貸し出す事業を続けた結果、その仮想資産が100万ドル(当時のレートで約1億円超)相当に達したと報じられた。2006年5月には、アメリカのビジネス誌『ビジネスウィーク』の表紙を、彼女のアバターが飾る。画面の中の不動産屋が、現実の億万長者になった——そのニュースは、世界を一周した。
メッセージは単純で、強烈だった。「ここには、新しい金脈がある」。
土地が資産になるなら、企業が店を出さない理由はない。広告を打たない手はない。世界中の有名ブランドが、われ先にと仮想世界へ駆け込んだ。トヨタ、日産、アディダス、IBM、デル、ソニー、ロイター通信——名だたる企業が、画面の中の島に旗を立てていった。
冷静に考えれば、ひとりの成功例は、全体の保証にはならない。だが「乗り遅れる」という恐怖の前では、冷静さはたいてい後回しになる。
日本という名の、遅れてきた熱狂
海の向こうの熱狂が、日本に本格上陸したのは2007年のことである。
2007年の初め、セカンドライフの全世界の登録者数は300万人を超えたと伝えられ、2007年6月ごろには700万人を超えたとされる。数字だけを見れば、巨大な新市場が、まさに立ち上がりつつあるように見えた。
火を大きくしたのは、広告とコンサルティングの専門家たちだった。なかでも電通をはじめとする広告代理店や、野村総合研究所のような調査会社が、セカンドライフのマーケティング上の可能性を熱心に語った。「これは次の巨大メディアだ」「企業は今すぐ拠点を構えるべきだ」——専門家の太鼓判は、迷っていた企業の背中を押した。
書店には解説書が平積みされ、『週刊東洋経済』をはじめとする雑誌が特集を組んだ。「セカンドライフの始め方」「企業の活用事例」という見出しが、いたるところに踊った。知らないと時代に取り残される——そんな空気が、静かに、しかし確実に広がっていった。
そして日本企業も、続々と島に上陸する。サントリー、ソフトバンクモバイル(当時)、東芝、富士通、日産、ブックオフ……。2007年7月19日には、三越が日本の百貨店として初めてセカンドライフに出店した。8月には、電通が複数の島からなる「バーチャル東京」を立ち上げ、金融機関を中心に30社規模の参加をめざすと発表した。
旗は次々と立った。問題は、その旗を見上げる人が、島にほとんどいなかったことである。
誰もいない、豪華な店
熱狂の最中、ひとりの広告マンが、こっそり真実を確かめに行った。
2007年8月、アメリカの雑誌『WIRED(ワイアード)』が、フランク・ローズの署名で一本の記事を載せる。題は「Lonely Planet(孤独な惑星)」。だが、人々の記憶に残ったのは、その紹介文のほうだった。曰く——「マディソン街は、誰もいない仮想世界に数百万ドルを溶かしている」。マディソン街とは、アメリカ広告業界の代名詞である。
記事の中で、ある大手飲料メーカーの幹部は、自分のアバターで有名ブランドの店を一軒ずつ巡ってみた。立派な店構えのアパレル店、シューズ店、自動車のショールーム。どこも金をかけてつくり込まれていた。だが、どの店に入っても、感想はいつも同じだった——「誰もいなかった」。
理由は、数字を正しく読めば、最初からわかるはずだった。「登録者数」は累計の話で、一度アカウントをつくって二度と来ない人も含まれる。実際に「今そこにいる人」、つまり同時に接続している人数は、世界全体でも数万人程度にすぎなかった。そして、その数万人が、無数に増えすぎた島々に薄く散らばっていた。1つの島の定員は数十人。多くの島は、いつ訪れても無人だった。
豪華な店をつくれば客が来る、という現実世界の常識は、ここでは通用しなかった。客はそもそも、街に来ていなかったのである。
仮想銀行は、現実に破綻した
奇妙だったのは、この空っぽの世界の中で、現実そっくりの事件まで起きたことだ。
仮想通貨リンデンドルが本物のお金と両替できたため、セカンドライフの中には「銀行」を名乗るサービスが現れた。利用者からリンデンドルを預かり、高い利子をつけて返すと約束する。だが、それを保証する規制も、後ろ盾も、何もなかった。
2007年8月、「ギンコ・ファイナンシャル(Ginko Financial)」という代表的な仮想銀行が、預けたお金を払い戻せなくなる。利用者が一斉に引き出そうとする、いわゆる取り付け騒ぎが、画面の中で起きた。現実の通貨に換算して、相当額が宙に消えたとされる。運営元のリンデンラボは、最終的に「現実の金融免許を持たない銀行業」を世界から禁じることになった。
人がいないと言われた世界で、人を巻き込む金融事故だけは、現実と同じ精度で起きた。仮想であっても、お金が現実とつながった瞬間、リスクは少しも仮想ではなくなる。
潮が引くように
ブームの頂点は、意外なほど早く訪れた。2007年の夏が、ピークだった。
秋が深まるころには、雑誌の特集は目に見えて減っていった。年が明けて2008年になると、潮が引くように、人も企業も去っていった。SIM(島)を分譲していた「仮想不動産会社」が事業をたたみ、宣伝のために島を構えていた企業が、いつのまにか看板を下ろした。誰かが「撤退します」と高らかに宣言したわけではない。ただ、更新されなくなり、訪れる人がいなくなり、静かに忘れられていった。
不思議なことに、世界そのものが消えたわけではなかった。セカンドライフは、その後もずっと存在し続けている。今なお一定の住人が暮らし、独自の文化を育てている。崩壊したのは「世界」ではなく、それを取り囲んでいた「期待」のほうだった。
日本企業がそこから持ち帰ったのは、製品でも利益でもなく、ひとつの教訓——いや、教訓未満の、ばつの悪い記憶だった。「あのとき、なぜ全員で同じ島に旗を立てたのだろう」。問いは残ったが、答え合わせをする場は、もう用意されなかった。
王国の年代記
空き地に、もう一度旗が立つ
セカンドライフの日本企業参入を「集団的な勘違い」と笑うのは、たやすい。
豪華な島に人は来なかった。広告費は溶けた。誰もが使う仮想店舗は根づかなかった。事実を並べれば、たしかに分が悪い。
だが、関わった人々を一人ずつ見ていくと、責めるべき相手は、どこにも見当たらない。可能性を語った専門家は、自分の仕事を誠実に果たした。特集を組んだ編集者は、読者が読みたいものを届けた。島に旗を立てた企業の担当者は、「乗り遅れるな」という社内外の空気の中で、むしろ慎重に振る舞ったほうだったかもしれない。みんな、それぞれの持ち場で、それぞれに正しかった。
問題は、人ではなく、構造の側にあった。「みんなが行くから行く」という流れの中では、「で、本当に人はいるのか」と尋ねる役割が、誰にも割り当てられない。期待を膨らませることに全員の利害が一致し、それを冷ますことに誰の利害も一致しない。こうして、空っぽの部屋に向かって、豪華なパレードが進んでいく。
そして、この物語の本当に恐ろしいところは、結末ではなく、続編にある。それから15年あまり経った2021年、「メタバース」という新しい名前で、よく似たブームがもう一度立ち上がった。同じ高揚、同じ専門家の太鼓判、同じ「乗り遅れるな」。違うのは、グラフィックスが少しきれいになったことくらいだった。
人は、前の航海者がどこで座礁したかを、出航してからようやく思い出す。誰も悪くないからこそ、誰も深くは学ばない。そして空き地には、また旗が立つ。
それを愚かと呼ぶこともできる。だが、新しい場所に最初に旗を立てたがるその性分こそ、人を遠くまで運んできた力でもある。問われているのは、旗を立てるなということではなく、立てる前に一度、部屋に人がいるかを確かめる——その一手間を、流れの中で誰が引き受けるか、ということだけなのだ。
その国には、海に浮かぶ無数の島があった。
どの島にも、立派な建物が建っていた。
百貨店があり、銀行があり、自動車のショールームがあった。
夜になると、窓には明かりが灯った。
ただ、ひとつだけ足りないものがあった。
通りを歩く、人の姿である。
旗は風にはためき、看板は光り、
噴水は誰も見ていない広場で、静かに水を上げ続けた。
やがて潮が引き、灯りはひとつずつ消えていった。
島が沈んだのではない。
そこへ向かう船が、来なくなっただけだった。
水平線の向こうで、新しい島が、もう浮かびはじめている。
帆を上げた船が、また同じ海へ漕ぎ出していく。
―― 接続 完了。在席者、ゼロ。
https://www.frankrose.com/reporting/second-life-lonely-planet/
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/23/news079.html
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/10/news018.html
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/07/news074.html
https://toyokeizai.net/articles/-/12859
https://xtech.nikkei.com/it/pc/article/NPC/20070208/261404/