弾幕王国の興亡 ― ニコニコ動画、コメントが画面を覆った18年の記録
情報処理王国史 外典第五十巻

弾幕王国の興亡

― ニコニコ動画、コメントが画面を覆った18年の記録 ―
弾幕 NICONICO
2006年12月、自前サーバーすら持たず「(仮)」の名で産声を上げた動画サービスがあった。それが弾幕でインターネットの文化を塗り替え、256万人の有料会員を集め、そして18年後に再び「(仮)」の名で復活することになる。これはニコニコ動画という奇妙な王国の、終わりと始まりが同じ文字で書かれた物語である。
この記事について
本記事は実際に起きた出来事をもとに執筆しています。登場する人物・組織・サービス名はすべて実在しますが、「王国史」体裁の語り口はフィクション的表現を含みます。引用部分は出典を明記しています。
CH.01

王国の誕生、あるいはYouTubeへの間借り

1.1 寄居蟹のようなデビュー

2006年12月12日、午後11時ごろ。
ドワンゴのエンジニア・戀塚昭彦が作り上げたそのサービスは、自前の動画サーバーをもたなかった。

「ニコニコ動画(仮)」と名付けられたそれは、YouTubeに投稿された動画のURLを入力すると、その上にコメントを重ねて表示するだけの仕組みだった。動画はYouTubeのもの。コメントだけがドワンゴのもの。プラットフォームの上に寄生した寄居蟹(やどかり)のようなサービスとして、弾幕王国は産声を上げた。

1.2 名前にも「(仮)」がついたまま出荷

命名は川上量生(かわかみのぶお)ドワンゴ会長の提案が発端で、2ちゃんねる創設者・西村博之(ひろゆき)も関与して決定したとされる。「ニコニコ動画」というゆるい響きが、その後18年にわたってインターネットの一角を占拠することになるとは、命名者自身も予想しなかっただろう。「未完成のままリリースし、改善していけばいい」というひろゆきの言葉通り、サービス名にすら「(仮)」の文字がついたまま公開された。

用語解説:弾幕(だんまく)
もともとは軍事用語で、大量の砲弾や銃弾を一斉に発射して空域を覆うこと。ニコニコ動画では、動画の再生タイミングに合わせて視聴者のコメントが右から左へ流れるシステムを指す。コメントが殺到すると画面を埋め尽くす様子が弾幕に似ているとして定着した。日本発のこの文化は後に中国のbilibiliやAcFunにも輸出された。

CH.02

追放と自立、そして独自サーバーへ

2.1 YouTubeによる遮断と逆説的な独立

2007年3月、YouTube側がニコニコ動画による無断利用を遮断した。王国は土台ごと消えかけた。

しかしここで奇妙なことが起きた。ドワンゴは自前の動画サーバーを急いで構築し、サービスを継続したのである。追放が自立を生んだ。この年のうちにニコニコ動画は「γ(ガンマ)」「RC」「RC2」と次々にバージョンを更新し、2008年には「ニコニコ生放送」による生配信機能を追加。単なる”コメントつき動画サイト”から、リアルタイムの集合体験を提供するプラットフォームへと脱皮していった。

2.2 種は海を越えたが、農夫は縮小した

弾幕の発明は世界にも飛び火した。中国の動画サービスAcFun(2007年)、bilibili(2009年)が弾幕システムを模倣し、現在ではむしろ中国の方が本家を凌ぐ規模になっている。種は海を越えたが、育てた農夫は国内で縮小を続けることになる。

用語解説:ニコニコ生放送(ニコ生)
ユーザーが自分の映像や音声をリアルタイムで配信し、視聴者のコメントが弾幕として流れるサービス。2008年10月に開始。YouTube LiveやTwitchよりも早く、日本における個人ライブ配信文化の先駆けとなった。

CH.03

弾幕文化の百花繚乱

3.1 画面が埋まる——あの現象の正体

弾幕王国で何が起きていたのか、実際に見たことのない人には想像しにくいかもしれない。

たとえば、感動的なシーンが流れるとき。画面の右端から「泣いた」「泣いた」「泣いた」という文字が連続して流れ、やがて画面の半分を埋め尽くす。視聴者は互いを知らない。再生しているタイミングも少しずつずれている。しかしそのコメントが重なることで、「見知らぬ誰かと今この瞬間を共有している」という奇妙な感覚が生まれた。

3.2 草・神・職人——弾幕が生んだ言語と芸術

弾幕文化は独自の語彙と様式を育てた。

「w」は笑いを表すネットスラングで、複数重ねると「wwww」となり、これが草が生えている様子に見えることから「草」と呼ばれるようになった。今では日本語のネットスラングとして広く定着しているが、その普及にニコニコの弾幕が果たした役割は小さくない。「神曲」「神動画」という評価語も弾幕発の語彙だ。

さらに特筆すべきは「字幕職人」と「AAコメント職人」の存在だ。字幕職人とは、動画のセリフや音楽のリズムに合わせてコメントを精密に配置し、まるで映画の字幕のように仕上げる技術者たちのことを指す。AAコメント職人は、半角文字を組み合わせたアスキーアート(AA)を動画上に展開し、絵や演出を追加した。彼らは報酬なしで、ただ「面白いから」という動機だけで動いていた。

用語解説:アスキーアート(AA)
文字・記号・スペースを組み合わせて図形や絵を表現する技法。「ASCII(アスキー)」は文字コードの規格名。2ちゃんねる文化と並走するかたちでニコニコにも持ち込まれ、弾幕として動画上に展開されることで独特の演出効果を生み出した。

CH.04

絶頂期、超会議という祭

4.1 ネット文化がリアル空間に溢れ出た日

2012年4月28〜29日。幕張メッセに9万人超が集結した。

「ニコニコ超会議」と名付けられたこのリアルイベントは、ネットのコメント文化をリアル空間に再現しようとした奇祭だった。動画投稿者が壇上でパフォーマンスし、観客がスマートフォンからコメントを送り込み、それが会場の大スクリーンに弾幕として流れる。オンラインとオフラインの境界を無化しようとした実験は、一定の成功を収めた。

4.2 紙の巨人との合流

KADOKAWAはドワンゴと2011年に資本提携を結び、ドワンゴ株の12.2%を取得する第2位株主となっていた。2014年5月14日、両社は経営統合を正式発表。同年10月1日、統合持株会社「株式会社KADOKAWA・DWANGO」が設立された(両社は100%子会社として存続)。出版・映像・ゲームの巨人と、インターネット文化の旗手。紙とデジタルの婚姻は、少なくとも表面上は華やかだった。

2016年9月末、プレミアム会員数が256万人に達した。これが頂点だった。


CH.05

プレミアム会員制という構造的矛盾

5.1 「お金を払わないと快適に見られない」設計

弾幕王国の財政は奇妙な仕組みの上に成り立っていた。

無料ユーザーは動画が混雑時に低画質で再生され、待機列に並ばされた。月額550円(当時)を支払うプレミアム会員になると、高画質・優先視聴・広告非表示の特典が与えられた。つまり「お金を払わないと快適に見られない」という設計で、サービスへの忠誠心を資金に変換する仕掛けだった。

5.2 競合が無料で快適さを提供し始めた

しかしこの構造には穴があった。YouTubeは無料で高画質動画を流し、広告収益でクリエイターに報酬を支払った。Netflixは高品質コンテンツを月額定額で提供した。ニコニコが有料化で快適さを”販売”していたあいだに、競合は快適さを無料で提供し始めたのである。

ニコニコ動画、総再生数やプレミア会員(有料会員)数が減少が止まらないと話題に
― ねとらぼ・Notissary、2021年10月報道より

2016年のピーク後、プレミアム会員数は毎四半期着実に減り続けた。2017年、翌年、また翌年。王国の税収は静かに細っていった。


CH.06

Adobe Flash廃止という地殻変動

6.1 王国のインフラが消えた日

弾幕王国はFlashで動いていた。

動画プレイヤーはFlash製、コメント描画エンジンもFlash。視聴者のPCにブラウザプラグインとしてインストールされたAdobe Flashが、弾幕の流れを支えていた。2020年12月31日、AdobeがFlashのサポートを全世界で終了した。ニコニコ動画はHTML5への移行を強いられたが、この過渡期にサービス体験がさらに劣化したという声が相次いだ。

6.2 移行を終えていた競合、遅れた王国

YouTubeも元々Flashを使っていたが、Googleは早々にHTML5へ移行を完了させていた。ニコニコの場合、独自の弾幕システムを丸ごとHTML5で再実装する工数が重く、移行は後手に回った。技術的負債が蓄積するなか、サービスの快適さは競合に追いつかなかった。

用語解説:Adobe Flash
米Adobe Systems(現Adobe)が開発した、動画・アニメーション・インタラクティブコンテンツをブラウザ上で動かすためのプラグイン技術。1990年代末から2000年代のウェブを支えたが、セキュリティ脆弱性が多く、スマートフォン(特にiPhone)に非対応だったため衰退。2020年12月31日をもってサポート終了。詳細は「外典第二十二巻 Flash王国の興亡」参照。

CH.07

ランサムウェアが王国を沈黙させた日

7.1 電源を物理的に抜くまで追い込まれた

2024年6月8日、午前3時30分。
ニコニコ動画への接続が突如、応答しなくなった。

KADOKAWAグループのサーバーに対し、ランサムウェアを含む大規模サイバー攻撃が始まっていた。ドワンゴは午前6時ごろ、全ニコニコサービスを緊急停止した。攻撃者はさらに遠隔でサーバーを再起動し感染を広げようとしたため、ドワンゴはデータセンターの電源と通信回線を物理的に遮断するという決断を迫られた。

6月14日、ドワンゴは公式ブログで攻撃の実態を発表した。犯行声明を出したのはロシア系のランサムウェアグループ「BlackSuit」。KADOKAWAは身代金を支払ったが、データは完全には復旧しなかった。クリエイター・取引先法人・社員の個人情報が漏洩した。

KADOKAWAがランサム攻撃で「ニコニコ」停止、身代金を支払うもデータ復旧できず
― 日経クロステック、2024年7月報道より

7.2 弾幕のない王国、名前に再び「仮」がついた

臨時措置として、同日(6月14日)15時に「ニコニコ動画(Re:仮)」が緊急公開された。2006〜2007年ごろの懐かしい人気動画が再生可能な状態で提供された。しかしコメントは流れなかった。弾幕のない弾幕王国。名前にふたたび「(仮)」がついた。

2024年8月5日、約2ヶ月ぶりに「帰ってきたニコニコ」として正式に再開。しかしプレミアム会員数はすでに108万人まで落ちており、256万人いたピーク時の半分以下となっていた。


CH.08

王国の年代記

2006年12月12日
「ニコニコ動画(仮)」サービス開始。YouTubeの動画上にコメントを流す実験的サービスとして公開。名称にも「(仮)」がついたまま公開という異例のデビュー
2007年3月
YouTubeによるAPIアクセス遮断。自前サーバーへの移行を余儀なくされるが、これが自立への契機となる
2007年6〜12月
「γ」「RC」「RC2」と急速にバージョンアップ。会員数が急増し、初音ミク・東方Projectなどのクリエイター文化が花開く
2008年10月
ニコニコ生放送(ニコ生)開始。日本の個人ライブ配信文化の原点となる
2012年4月
第1回ニコニコ超会議開催(幕張メッセ)。2日間で来場者9万人超。ネット文化がリアル空間に溢れ出た
2014年10月
KADOKAWAとドワンゴが経営統合。統合持株会社「KADOKAWA・DWANGO」設立。紙の巨人とネットの異端児の結婚
2016年9月
プレミアム会員数256万人のピーク。以降は減少の一途をたどる
2020年12月
Adobe Flashサポート終了。王国のインフラを支えてきた技術が消える。HTML5移行に苦しむ
2024年3月
プレミアム会員料金を月額550円から660円に値上げ。会員数のさらなる流出を招く
2024年6月8日
ランサムウェアグループ「BlackSuit」によるサイバー攻撃発覚。全サービス緊急停止。データセンターの電源を物理的に遮断
2024年6月14日
臨時サービス「ニコニコ動画(Re:仮)」公開。再び「仮」の文字を冠した王国の緊急帰還
2024年8月5日
「帰ってきたニコニコ」として正式再開。プレミアム会員数は108万人。弾幕は戻ったが、かつての密度はもう戻らない

CH.09

弾幕は何のためにあったのか

9.1 孤独な視聴を集合体験に変えた装置

弾幕王国の衰退を「技術の遅れ」や「経営の失敗」だけで語るのは、どこか違う気がする。

ニコニコ動画が体現していたのは、孤独なひとりの視聴体験を集合的な祭りに変換する装置だった。深夜に一人でアニメを見ながら、「わかるwww」「ここ好き」という他人のコメントが画面を流れる瞬間。それはある種の共在感、一人であることを忘れる錯覚だった。

9.2 快適さではなく「密度」が本質だった

YouTubeの方が技術的に優れていた。TikTokの方が動画は面白かった。しかしニコニコが提供していた「同じ瞬間を知らない誰かと共有している感覚」は、それらとは微妙に異なるものだったかもしれない。

その感覚を維持するためのサーバー代は重く、無料ユーザーへの課金モデルは破綻し、Flashは消え、ランサムウェアが最後の引き金を引いた。

2024年8月5日、静かに復活した王国に、かつての弾幕は戻ってこなかった。コメント機能は動いている。しかしあの「画面を埋め尽くす弾幕」を支えていた大量の視聴者は、もうそこにはいなかった。弾幕は技術ではなく、人の密度が生み出すものだったから。


弾幕 消滅
画面は静かになった
コメントはまだ、右から左へ流れている
ただ、見ている人がずいぶん減っただけだ
―― 受信 完了
参考・引用資料
・ ニコニコ動画 Wikipedia(日本語版)「ニコニコ動画」
・ ドワンゴ公式プレスリリース「niconicoのプレミアム会員数が250万人を突破 総登録会員数は5,000万人に」(2016年)
・ ニコニコインフォ「8/5ニコニコサービスの再開と新バージョン『帰ってきたニコニコ』のお知らせ」(2024年8月)
・ 日経クロステック「KADOKAWAがランサム攻撃で『ニコニコ』停止、身代金を支払うもデータ復旧できず」(2024年7月)
・ ねとらぼ「ニコニコ動画、プレミアム会員数が初の減少」(2017年2月)
・ 日経ITpro「開発者が語る『3日で作ったニコニコ動画』―― ドワンゴ 戀塚昭彦氏」(2007年)
・ MarkeZine「ひろゆき氏と開発スタッフによる今だから話せる『ニコニコ動画』開発秘話」
・ Wikipedia「2024年KADOKAWA・ニコニコ動画へのサイバー攻撃」
・ ITmedia NEWS「ドワンゴとKADOKAWA、経営統合を発表 新会社『KADOKAWA・DWANGO』10月設立」(2014年5月)