文字図形王国の興亡
キャプテンシステム、未来を映すはずだった画面
本記事は実際の制度的・技術的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
ニューメディア元年
1.1 画面に映る、未来
1984年(昭和59年)、日本は浮き立っていた。
新聞も雑誌も、こぞって「ニューメディア」という言葉を踊らせた。家庭のテレビ画面に、ニュースも、天気も、買い物も、列車の時刻も映し出される——そんな未来が、もうすぐそこまで来ていると誰もが信じた。この年は後に「ニューメディア元年」と呼ばれることになる。
1.2 インターネットより10年早く
その主役として華々しく登場したのが、キャプテンシステムだった。1984年11月30日、当時の電電公社(現在のNTTグループの前身)が、首都圏と京阪神を中心に本サービスを開始する。電話回線で中央のコンピュータにつなぎ、利用者が見たい情報を呼び出すと、文字や絵が画面に映る。今でいうウェブサイトの閲覧に、どこか似ていた。
ただし、それはインターネットが日本の家庭に届くより、10年以上も前の話である。
漢字という宿題
2.1 アルファベットと、漢字の差
キャプテンには、最初から重い宿題が課せられていた。漢字である。
英語やフランス語なら、アルファベットと記号を数十種類そろえれば、文字はだいたい表現できる。端末の側に「文字の形」をあらかじめ持たせておき、「この文字を出せ」という短い信号を送るだけで済む。だから端末は安く作れる。
ところが日本語は、ひらがな・カタカナ・漢字を合わせて何千字も使う。これを端末の側にすべて持たせるのは、当時の技術では現実的でなかった。そこで日本が選んだのが「パターン伝送方式」だった。文字を「形のデータ(絵)」として中央から送りつけ、画面にそのまま描く。端末は文字の形を覚えていなくてよい代わりに、送られてきた絵を忠実に映すだけの存在になる。
2.2 世界標準になった、美しさ
この方式は、美しかった。漢字も図形も、写真のように精細に表示できた。1984年10月には、北米のNAPLPS方式、欧州のCEPT方式と並んで、日本が提案したCAPTAIN方式が国際標準の一つとして承認される。技術としては、世界に認められたのだ。
だが、美しさには代償があった。
22万円の未来
3.1 給料の、ほぼ2か月分
未来を見るための入場料は、22万円だった。
キャプテンを家庭で楽しむには、専用の端末(アダプター)が必要だった。その価格が、およそ22万円。1984年当時の大卒初任給が13万円前後だった時代に、初任給のおよそ1.5〜2か月分にあたる。翌1985年には8万円台の端末も登場したが、それでも「テレビで文字を見るため」に気軽に出せる額ではなかった。
3.2 街角の掲示板になった王国
加えて、表示は遅く、扱える情報も限られていた。せっかく漢字を美しく描けても、一画面を映すのにじりじりと待たされる。電話料金もかかる。「これで何ができるのか」という問いに、王国は説得力のある答えを返せなかった。
結果、キャプテンの端末は家庭にはほとんど広がらなかった。実際に置かれたのは、駅前や公共施設の案内端末など、人が立ち寄って数分だけ使う場所が中心だった。「家庭の情報端末」を目指したはずの王国は、いつのまにか「街角の掲示板」に落ち着いていた。
海の向こうの正解
4.1 タダで配るという発想
同じころ、フランスでは、まったく逆の判断が下されていた。
フランスのビデオテックス「ミニテル」(正式にはテレテルというシステムの愛称)は、1982年から全国展開された。フランスの電話事業を担う組織は、ミニテルの端末を、希望する電話加入者に無料で貸し出したのである。
なぜタダで配れたのか。狙いが地味で、明快だったからだ。分厚い紙の電話帳を毎年印刷して全国に配るのをやめ、その費用を端末配布に回す。利用者は端末で電話番号を検索できるようになり、国は紙代を浮かせる。「未来の情報社会」のような壮大な旗ではなく、「電話帳の紙代を節約する」という、そろばん勘定の動機だった。
4.2 9百万の王国
ところが、ひとたび端末が各家庭に行き渡ると、人々はそれで切符を予約し、買い物をし、株価を見て、見知らぬ相手とおしゃべりを始めた。ミニテルはビデオテックスとして世界で唯一の大成功例となり、一時は900万世帯規模が利用したとされる。皮肉なことに、あまりに便利だったため「フランスのインターネット普及をかえって遅らせた」とまで議論されるほどだった。
無料の安い端末が、9百万の王国を築いた。22万円の美しい端末は、20万に届かなかった。
491社の大行進
5.1 錚々たる顔ぶれ
キャプテンは、決して手を抜いて生まれた王国ではない。
本サービス開始にあたり、電電公社が回線とシステムを用意し、情報を提供する側として491の民間企業が名を連ねた。新聞社、銀行、百貨店、旅行会社——錚々たる顔ぶれが、自社の情報を画面に載せた。同じ1984年9月には、電電公社が東京・三鷹と武蔵野で、光ファイバーを使う次世代の通信網「INS(高度情報通信システム)」の実験も始めている。官も民も、未来に向けて足並みをそろえていた。
5.2 誰も問わなかった一つの問い
調整は、完璧だった。仕様は国際標準になり、参加企業は集まり、実験は進んだ。
ただ一つ、誰も大きな声で問わなかったことがある。「で、この画面を、ふつうの家庭の誰が、何のために、22万円払って毎日見るのか」——。
巨大な組織が大勢で足並みをそろえると、計画は止まらなくなる。仕様を決め、企業を募り、回線を敷く。一つひとつの仕事は真面目で、誰も間違っていない。だが「そもそも誰が使うのか」という、最初に確かめるべき問いは、足並みのそろった行進の足音にかき消されていった。
王国の年代記
静かな終幕
7.1 はるかに安い未来が来た
王国に、派手な最期はなかった。
1990年代後半、パソコン通信が広がり、やがてインターネットが家庭に届きはじめる。安価なパソコンと、世界中につながる回線。それは、キャプテンが10年以上前に「未来」として描いた画面を、はるかに安く、はるかに自由に実現してしまった。漢字を美しく描く専用端末は、もう誰も必要としなかった。
7.2 桁が二つ違った
全国の端末総数は、ピーク時でも20万に届かなかったと記録されている。フランスのミニテルとは、桁が二つ違った。
そして2002年(平成14年)3月31日、キャプテンシステムは静かにサービスを終えた。1984年の開始から、およそ17年。「ニューメディア元年」の歓声を思えば、それはあまりに地味な幕引きだった。終わったことに気づかなかった人さえ、きっと少なくなかった。
完璧という名の落とし穴
8.1 誰も怠けていない敗北
文字図形王国の物語にも、悪役らしい悪役はいない。
漢字を美しく描こうとした技術者たちは、誇るべき仕事をした。国際標準を勝ち取った方式は、本物の達成だった。491社の参加企業も、未来を信じて手を挙げた。郵政省も電電公社も、その時代の最善を尽くしていた。誰一人、怠けてはいない。
それでも、王国は広がらなかった。
8.2 良いものと、使われるもの
理由は、たぶんこうだ。王国は「いいものを作れば、人は使う」と信じすぎた。だから、技術をどこまでも磨いた。漢字の美しさを追い、写真のような精細さを求め、その代償として端末は高価になった。完璧を目指すほど、入場料は上がっていった。そして、ふつうの人が払える値段を超えた瞬間、どれほど美しい画面も、見る人のいない画面になった。
海の向こうでは、誰かが逆の問いを立てていた。「どうすれば、いちばん多くの人の手元に届くか」。答えは「安くしてタダで配る」。技術的にはずっと地味で、ずっと賢かった。
良いものを作ることと、広く使われることは、別の仕事である。前者は職人の誇りで進み、後者は「使う人の財布と暮らし」から逆算して進む。キャプテンが取り違えたのは、たぶんその一点だけだった。たった一点。だが、王国の興亡を分けるには、それで十分だった。
画面は、もう光らない。
未来を映すはずだった四角い窓は、
誰にも見られないまま美しく、
静かに暗くなっていった。
―― 受信、終了