Lモード王国の興亡
固定電話に「iモード」を載せた国が、誰も来ないまま消えるまで
本稿は、2001年に東西NTT(NTT東日本・NTT西日本)が固定電話機向けに始め、2010年に静かに幕を下ろした情報サービス「Lモード」の興亡を、史実に基づいて再構成した歴史書仕立ての読み物です。年号・制度名・統計・引用はいずれも実在の報道・公式発表・資料に基づいていますが、語り口には王国の興亡記になぞらえたフィクション的な脚色が含まれます。特定の企業・団体・個人を貶める意図はありません。
かつて、家庭の電話機の画面で、インターネットの情報を見られた時代があった。
携帯電話で爆発的に広まった「iモード」の熱狂を、こんどは家の固定電話でも――そんな願いから生まれたサービスがあった。その名を、Lモードという。
これは、携帯での成功を家の電話で再現しようとした王国が、守るはずだった民にも、法律の引いた見えない県境にも阻まれ、誰も来ないまま静かに消えていくまでの物語である。
王国の創建 ―― 固定電話に、もう一つの「i」を
2001年6月29日。東西NTT(NTT東日本・NTT西日本)が、ひとつの新しいサービスの旗を揚げた。家庭の固定電話機やファクスから、画面を見ながらインターネットの情報にアクセスできる――その名を「Lモード」という。
当時、携帯電話の世界では、ある革命がすでに起きていた。NTTドコモの「iモード」である。
iモードが携帯電話で起こした熱狂を、こんどは家庭の固定電話で再現できないか――Lモードは、そういう発想から生まれた。画面のレイアウトも操作感も、iモードを忠実になぞっていた。違いはただ一点、舞台が「携帯」ではなく「家の電話」だったことである。
東西NTTは本気だった。テレビCM(コマーシャル)には、東日本で八代亜紀、西日本で浅野ゆう子を起用し、お茶の間に向けて大々的に売り込んだ。固定電話機は当時、年間およそ700万台が買い替えられている。電話を新しくするたびに、少しずつLモード付きの機種が広まっていく――そんな緩やかな普及を、王国は思い描いていた。こうして旗は揚がった。
「L」は、誰のためのLだったか
Lモードの「L」には、複数の意味が込められていた。Living(暮らし)、Local(地域)、Lady(女性)、そしてLarge(大きな文字)である。
この四つの単語が、王国が狙った民の姿を物語っている。暮らしに役立ち、地域の情報を届け、とりわけ女性――家庭にいる主婦層を想定し、表示文字を大きくして見やすくする。パソコンや携帯電話を持たない、あるいは苦手とする人々に、もっとも簡単な形でインターネットを届ける。それがLモードの掲げた理想だった。
大きな文字、紙に印刷できる安心感、見慣れた電話機の延長。理屈のうえでは、たしかに「パソコンも携帯も難しい」という人にぴったりの設計に見えた。問題は、その理想の民が、本当にLモードを必要としていたのか、という一点にあった。
法律が引いた、見えない県境
王国は、船出の前から思わぬ嵐に見舞われた。相手は競争でも技術でもない。一本の法律である。
ここで問題が起きる。Lモードでは、利用者が県外の相手にもメールを送れるし、全国どこのホームページにもアクセスできる。これは「県内通信」という枠をはみ出しているのではないか――そう異を唱えたのが、KDDIをはじめとする競合の通信会社だった。地域の電話網という強力な足場を持つNTTが、その足場を使ってインターネットの分野にまで版図を広げれば、公正な競争が損なわれる、というのである。
行政の審議機関である情報通信審議会も、2001年3月、Lモードの申請内容がNTT法の業務範囲に抵触しないかを論点に審議した。当初の申請のままでは懸念が残るとされ、東西NTTは計画の修正を迫られる。王国は、生まれる前に足止めを食らったのである。
最終的に東西NTTは計画を組み替えた。情報の入り口となる中枢設備(ゲートウェイ)を東京と大阪の2か所に置き、県をまたぐ域外の通信部分をNTTPCコミュニケーションズとインターネットイニシアティブ(IIJ)という別会社に委託する。こうして「県内通信に専念する地域会社」という建前を整え、事実上の認可を得て、ようやく2001年6月の開始にこぎ着けた。技術的には何も難しくないサービスが、制度の県境を越えるためだけに、迂回路を一本余計に通された格好だった。
高い電話機と、時間で増える料金
制度の壁を越えても、王国の前にはもっと現実的な壁がそびえていた。お金である。
第一に、端末が高かった。Lモードを使うには、大型の液晶画面(およそ4〜6インチ)を備えた専用の電話機やファクスが要る。これらは各メーカーの最上位モデルに位置づけられ、実勢価格は2万円台から6万円台。Lモードのつかない普通の留守番電話やファクスと比べて、倍ほどの開きがあった。「ちょっと試してみよう」と気軽に手を出せる値段ではない。
第二に、使い方そのものにお金がかかった。
これは、王国の本家であるiモードとの決定的な違いだった。iモードは、やがて「パケット定額制」――いくら使っても月額が一定の料金プラン――を広めていく。読み放題のiモードと、時間で課金されるLモード。同じ見た目をしていても、利用者の安心感はまるで違った。
黒い箱は、もう茶の間にあった
王国にとって最大の誤算は、ライバルの強さではなく、時代の速さだった。Lモードが「パソコンも携帯も持たない人々」を待っているあいだに、その人々のもとへ、別のものが次々と届いてしまったのである。
すでにパソコンとブロードバンドで快適にネットを使っている家庭にとって、わざわざ遅くて従量課金のLモードに乗り換える理由はない。一方、王国が本命と見込んだ主婦層は、どうなったか。彼女たちの多くは、家族割引や定額制の登場した携帯電話――いわゆるガラケー――を手にしていった。手のひらに収まり、外でも使え、メールも写真も楽しめる一台。それは、台所に据え付けられた大きな電話機より、はるかに自由だった。
つまり、Lモードの機能を欲しがる人は、もっと便利な携帯やパソコンをすでに買っていた。そして、その機能を必要としない人は、はじめからLモードに関心がなかった。王国が守ろうとした「あいだの民」は、気づけば左右どちらかへ流れ去り、城のなかには誰も残っていなかった。
遅れてきた定額と、公衆電話のカード
王国も、手をこまねいていたわけではない。弱点を補おうと、いくつかの手を打った。2004年7月、東西NTTは「Lモード on フレッツ」を始める。
だが、それは遅すぎた。ブロードバンドで快適にネットを使う家庭は、すでにパソコンで用を足している。いまさら電話機の小さな画面に戻る理由はない。しかも利用できる回線はフレッツに限られ、他社のブロードバンドを使う人は、わざわざ乗り換えなければならなかった。
もう一つ、王国は外への遠征も試みた。「Lモードカード」である。これは、外出先のICカード式公衆電話でLモードを使うためのカードで、発行料金は525円(税込)、月額の利用料はかからなかった。家の電話で見ていた情報を、街角の公衆電話でも――という構想である。しかしこの遠征は、足元から崩れた。NTTはICカード式の公衆電話そのものを2006年3月末で廃止してしまい、その時点でLモードカードは使い道を失った。支える土台のほうが、先に消えたのである。
ちなみに、王国の登場に慌てたのは身内だけではない。日本テレコム(のちのソフトバンク)は、Lモードに対抗して「J-web」という類似サービスを2001年7月に始めている。だがこちらも振るわず、2007年8月末に幕を下ろした。固定電話にネットを載せるという夢は、複数の陣営がほぼ同時に追いかけ、ほぼ同時に行き詰まったのだった。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末
Lモードは、なぜ根づかなかったのか。
iモードの成功を固定電話でも、と考えた人々は正しかった。パソコンも携帯も苦手な層に、やさしい入り口を用意しようとした志も正しい。地域会社の活動範囲を法律で枠にはめ、独占の弊害を防ごうとした制度も、その時代には筋が通っていた。それに従って計画を組み替えた東西NTTも、ルールに忠実だっただけだ。誰ひとり、はっきりした悪役はいない。
ただ、それぞれの「正しさ」が、ひとつの方向にまとまらなかった。とりわけ象徴的なのは、王国を足止めした「県境」である。インターネットには、もともと県内も県外もない。利用者が県境を意識することはないし、ネットワークの構造も電話とはまるで違う。それなのに、電話の時代に引かれた「県内・県間」という見えない線の上で、新しいサービスは何か月も足を止められた。技術はとうに県境を消していたのに、制度の地図には、まだ古い県境が残っていた。その地図に合わせて迂回路を引いているあいだに、肝心の民は、もっと速い乗り物で去っていった。
これは、Lモードひとつの物語ではない。優れているかどうかとは別の理由で――制度の古い枠や、組織の論理や、誰も悪くない歯車の食い違いによって――新しい試みが立ち上がる前に時機を逃していく、よくある光景の縮図である。私たちはつい、何かが消えると「中身が悪かったから」と片づけてしまう。だが本当はもっと厄介なことが多い。全員が、それぞれの持ち場で正しかった。ただ、その正しさが噛み合うのに手間取っているあいだに、世界のほうが先へ進んでしまった。それだけのことで、ひとつの便利は、生まれた意味を失う。叱るべき相手が、どこにもいないまま。
いまも実家の片隅には、大きな画面のついた古い電話機が眠っているかもしれない。ボタンを押せば、まだメニューが立ち上がるだろうか。けれど、その先につながる王国は、もうどこにもない。