Lモード王国の興亡
情報処理王国史 外典第六十七巻

Lモード王国の興亡

固定電話に「iモード」を載せた国が、誰も来ないまま消えるまで

L-MODE i-MODE
この記事について
本稿は、2001年に東西NTT(NTT東日本・NTT西日本)が固定電話機向けに始め、2010年に静かに幕を下ろした情報サービス「Lモード」の興亡を、史実に基づいて再構成した歴史書仕立ての読み物です。年号・制度名・統計・引用はいずれも実在の報道・公式発表・資料に基づいていますが、語り口には王国の興亡記になぞらえたフィクション的な脚色が含まれます。特定の企業・団体・個人を貶める意図はありません。

かつて、家庭の電話機の画面で、インターネットの情報を見られた時代があった。

携帯電話で爆発的に広まった「iモード」の熱狂を、こんどは家の固定電話でも――そんな願いから生まれたサービスがあった。その名を、Lモードという。

これは、携帯での成功を家の電話で再現しようとした王国が、守るはずだった民にも、法律の引いた見えない県境にも阻まれ、誰も来ないまま静かに消えていくまでの物語である。

CH.01

王国の創建 ―― 固定電話に、もう一つの「i」を

2001年6月29日。東西NTT(NTT東日本・NTT西日本)が、ひとつの新しいサービスの旗を揚げた。家庭の固定電話機やファクスから、画面を見ながらインターネットの情報にアクセスできる――その名を「Lモード」という。

当時、携帯電話の世界では、ある革命がすでに起きていた。NTTドコモの「iモード」である。

【用語解説】iモード(アイモード)
1999年にNTTドコモが始めた、携帯電話向けのインターネット接続サービス。携帯の小さな画面で、ニュースや天気、着信メロディのダウンロード、メールのやり取りができるようにした。パソコンを持たない若者から主婦まで一気に広まり、「携帯でネット」という習慣をこの国に根づかせた立役者だった。

iモードが携帯電話で起こした熱狂を、こんどは家庭の固定電話で再現できないか――Lモードは、そういう発想から生まれた。画面のレイアウトも操作感も、iモードを忠実になぞっていた。違いはただ一点、舞台が「携帯」ではなく「家の電話」だったことである。

東西NTTは本気だった。テレビCM(コマーシャル)には、東日本で八代亜紀、西日本で浅野ゆう子を起用し、お茶の間に向けて大々的に売り込んだ。固定電話機は当時、年間およそ700万台が買い替えられている。電話を新しくするたびに、少しずつLモード付きの機種が広まっていく――そんな緩やかな普及を、王国は思い描いていた。こうして旗は揚がった。


CH.02

「L」は、誰のためのLだったか

Lモードの「L」には、複数の意味が込められていた。Living(暮らし)、Local(地域)、Lady(女性)、そしてLarge(大きな文字)である。

この四つの単語が、王国が狙った民の姿を物語っている。暮らしに役立ち、地域の情報を届け、とりわけ女性――家庭にいる主婦層を想定し、表示文字を大きくして見やすくする。パソコンや携帯電話を持たない、あるいは苦手とする人々に、もっとも簡単な形でインターネットを届ける。それがLモードの掲げた理想だった。

【用語解説】FAX(ファクス)での画面印刷
Lモードの売りのひとつが、表示した画面をそのまま紙に印刷できることだった。ファクス(電話回線で書類の画像を送受信する機械)の印刷機能を使い、レシピや時刻表、地図を手元の紙に出せる。画面を覚えなくていい、メモを取らなくていい――パソコンに不慣れな層を意識した、いかにも家庭向けの工夫だった。

大きな文字、紙に印刷できる安心感、見慣れた電話機の延長。理屈のうえでは、たしかに「パソコンも携帯も難しい」という人にぴったりの設計に見えた。問題は、その理想の民が、本当にLモードを必要としていたのか、という一点にあった。


CH.03

法律が引いた、見えない県境

王国は、船出の前から思わぬ嵐に見舞われた。相手は競争でも技術でもない。一本の法律である。

【用語解説】NTT法と「県内通信」の縛り
東西NTTの仕事の範囲は「日本電信電話株式会社等に関する法律」(通称NTT法)で定められており、原則として「県内(地域内)の通信」に限られていた。かつてNTTが全国の電話網を独り占めしていた名残で、長距離(県をまたぐ)通信の市場を独占しないよう、地域会社の活動範囲に枠がはめられていたのである。

ここで問題が起きる。Lモードでは、利用者が県外の相手にもメールを送れるし、全国どこのホームページにもアクセスできる。これは「県内通信」という枠をはみ出しているのではないか――そう異を唱えたのが、KDDIをはじめとする競合の通信会社だった。地域の電話網という強力な足場を持つNTTが、その足場を使ってインターネットの分野にまで版図を広げれば、公正な競争が損なわれる、というのである。

通信を「県内」「県間」に分けて考える発想そのものが、電話時代の名残にすぎない。インターネットの世界では、利用者が県境を意識することはなく、そもそもネットワークの構造が電話とは根本から異なっている。
— 情報通信総合研究所「『Lモード』事件が教えるもの」(2001年)の論旨より要約

行政の審議機関である情報通信審議会も、2001年3月、Lモードの申請内容がNTT法の業務範囲に抵触しないかを論点に審議した。当初の申請のままでは懸念が残るとされ、東西NTTは計画の修正を迫られる。王国は、生まれる前に足止めを食らったのである。

最終的に東西NTTは計画を組み替えた。情報の入り口となる中枢設備(ゲートウェイ)を東京と大阪の2か所に置き、県をまたぐ域外の通信部分をNTTPCコミュニケーションズとインターネットイニシアティブ(IIJ)という別会社に委託する。こうして「県内通信に専念する地域会社」という建前を整え、事実上の認可を得て、ようやく2001年6月の開始にこぎ着けた。技術的には何も難しくないサービスが、制度の県境を越えるためだけに、迂回路を一本余計に通された格好だった。


CH.04

高い電話機と、時間で増える料金

制度の壁を越えても、王国の前にはもっと現実的な壁がそびえていた。お金である。

第一に、端末が高かった。Lモードを使うには、大型の液晶画面(およそ4〜6インチ)を備えた専用の電話機やファクスが要る。これらは各メーカーの最上位モデルに位置づけられ、実勢価格は2万円台から6万円台。Lモードのつかない普通の留守番電話やファクスと比べて、倍ほどの開きがあった。「ちょっと試してみよう」と気軽に手を出せる値段ではない。

第二に、使い方そのものにお金がかかった。

【用語解説】従量制課金と回線交換
Lモードの通信は、アナログのモデム(電話回線でデータをやり取りする装置。多くは毎秒33.6キロビットという、今では考えられないほど遅い速度)を使い、電話をかけるのと同じ「回線交換」というしくみで接続していた。つまり、ネットを見ている間じゅう電話をかけ続けているのと同じで、つないだ時間に応じて料金が増える「従量制」だった。じっくり情報を読むほど、財布が痛む構造である。

これは、王国の本家であるiモードとの決定的な違いだった。iモードは、やがて「パケット定額制」――いくら使っても月額が一定の料金プラン――を広めていく。読み放題のiモードと、時間で課金されるLモード。同じ見た目をしていても、利用者の安心感はまるで違った。

Lモードがふるわない理由は、料金体系と端末価格にある。時間で課金される回線交換のままでは、利用者は気軽に使えない。
— ITmedia News「Lモードはなぜダメなのか?」(2001年2月)の論旨より要約

CH.05

黒い箱は、もう茶の間にあった

王国にとって最大の誤算は、ライバルの強さではなく、時代の速さだった。Lモードが「パソコンも携帯も持たない人々」を待っているあいだに、その人々のもとへ、別のものが次々と届いてしまったのである。

【用語解説】ADSL(エーディーエスエル)/ブロードバンド
既存の電話回線を使って、従来よりずっと高速にインターネットがつなげる技術がADSL。これを含む、常時つながりっぱなしの高速回線をまとめて「ブロードバンド(広帯域)」と呼ぶ。Lモードが始まった2001年前後、日本ではこのブロードバンドが急速に家庭へ広まりつつあった。

すでにパソコンとブロードバンドで快適にネットを使っている家庭にとって、わざわざ遅くて従量課金のLモードに乗り換える理由はない。一方、王国が本命と見込んだ主婦層は、どうなったか。彼女たちの多くは、家族割引や定額制の登場した携帯電話――いわゆるガラケー――を手にしていった。手のひらに収まり、外でも使え、メールも写真も楽しめる一台。それは、台所に据え付けられた大きな電話機より、はるかに自由だった。

つまり、Lモードの機能を欲しがる人は、もっと便利な携帯やパソコンをすでに買っていた。そして、その機能を必要としない人は、はじめからLモードに関心がなかった。王国が守ろうとした「あいだの民」は、気づけば左右どちらかへ流れ去り、城のなかには誰も残っていなかった。


CH.06

遅れてきた定額と、公衆電話のカード

王国も、手をこまねいていたわけではない。弱点を補おうと、いくつかの手を打った。2004年7月、東西NTTは「Lモード on フレッツ」を始める。

【用語解説】フレッツ/「Lモード on フレッツ」
「フレッツ」は東西NTTが提供するブロードバンド回線サービスの名前。「Lモード on フレッツ」は、その高速回線を通してLモードを使えるようにしたもので、つなぎっぱなしでも別途の通信料がかからず、表示も速くなった。従量課金という最大の弱点を、ようやく解消する一手だった。

だが、それは遅すぎた。ブロードバンドで快適にネットを使う家庭は、すでにパソコンで用を足している。いまさら電話機の小さな画面に戻る理由はない。しかも利用できる回線はフレッツに限られ、他社のブロードバンドを使う人は、わざわざ乗り換えなければならなかった。

もう一つ、王国は外への遠征も試みた。「Lモードカード」である。これは、外出先のICカード式公衆電話でLモードを使うためのカードで、発行料金は525円(税込)、月額の利用料はかからなかった。家の電話で見ていた情報を、街角の公衆電話でも――という構想である。しかしこの遠征は、足元から崩れた。NTTはICカード式の公衆電話そのものを2006年3月末で廃止してしまい、その時点でLモードカードは使い道を失った。支える土台のほうが、先に消えたのである。

ちなみに、王国の登場に慌てたのは身内だけではない。日本テレコム(のちのソフトバンク)は、Lモードに対抗して「J-web」という類似サービスを2001年7月に始めている。だがこちらも振るわず、2007年8月末に幕を下ろした。固定電話にネットを載せるという夢は、複数の陣営がほぼ同時に追いかけ、ほぼ同時に行き詰まったのだった。


CH.07

王国の年代記

1999年 NTTドコモが携帯向けの「iモード」を開始。後のLモードの手本となる
2001年3月 情報通信審議会がLモードの業務範囲を審議。当初の申請内容に懸念が示され、NTTが計画修正を迫られる
2001年6月29日 計画を組み替え、Lモードのサービスを開始。CMに八代亜紀・浅野ゆう子を起用
2001年7月 日本テレコムが対抗サービス「J-web」を開始(2007年8月末に終了)
2004年7月1日 弱点だった従量課金を補う「Lモード on フレッツ」を開始
2004年8月末 契約数が約52万件に。目標の150万〜200万件には届かず
2006年3月末 ICカード式公衆電話の廃止により、Lモードカードが利用不可に
2006年11月30日 新規申し込みの受付を終了
2010年3月31日 Lモード、サービスを終了。約9年の歴史に幕

CH.08

誰も悪くなかった、という結末

Lモードは、なぜ根づかなかったのか。

iモードの成功を固定電話でも、と考えた人々は正しかった。パソコンも携帯も苦手な層に、やさしい入り口を用意しようとした志も正しい。地域会社の活動範囲を法律で枠にはめ、独占の弊害を防ごうとした制度も、その時代には筋が通っていた。それに従って計画を組み替えた東西NTTも、ルールに忠実だっただけだ。誰ひとり、はっきりした悪役はいない。

ただ、それぞれの「正しさ」が、ひとつの方向にまとまらなかった。とりわけ象徴的なのは、王国を足止めした「県境」である。インターネットには、もともと県内も県外もない。利用者が県境を意識することはないし、ネットワークの構造も電話とはまるで違う。それなのに、電話の時代に引かれた「県内・県間」という見えない線の上で、新しいサービスは何か月も足を止められた。技術はとうに県境を消していたのに、制度の地図には、まだ古い県境が残っていた。その地図に合わせて迂回路を引いているあいだに、肝心の民は、もっと速い乗り物で去っていった。

これは、Lモードひとつの物語ではない。優れているかどうかとは別の理由で――制度の古い枠や、組織の論理や、誰も悪くない歯車の食い違いによって――新しい試みが立ち上がる前に時機を逃していく、よくある光景の縮図である。私たちはつい、何かが消えると「中身が悪かったから」と片づけてしまう。だが本当はもっと厄介なことが多い。全員が、それぞれの持ち場で正しかった。ただ、その正しさが噛み合うのに手間取っているあいだに、世界のほうが先へ進んでしまった。それだけのことで、ひとつの便利は、生まれた意味を失う。叱るべき相手が、どこにもいないまま。

いまも実家の片隅には、大きな画面のついた古い電話機が眠っているかもしれない。ボタンを押せば、まだメニューが立ち上がるだろうか。けれど、その先につながる王国は、もうどこにもない。


台所の電話機に、小さな世界が映った夏があった。
レシピを紙に刷り、天気を確かめ、遠くへ短い便りを送った。
大きな文字は、たしかに誰かにやさしかった。
やがて手のひらの電話が、その役目を引き取り、
速い回線が、台所の画面を追い越していった。
県境は、もとから無かった。
ただ、地図のほうが、消すのに少し手間取っただけだ。
――接続、終了

参考・引用資料
Lモード(Wikipedia 日本語版)
「Lモードは第2のiモードとなるか?〜NTT東日本担当者に聞く」INTERNET Watch(Impress、2001年)
「『Lモード』事件が教えるもの」情報通信総合研究所 InfoComニュースレター(2001年)
「Lモードはなぜダメなのか?」ITmedia News(2001年2月19日)
「睨み合うNTT東日本とNTTコム〜Lモード”認可”でグループ内対立が加速」INTERNET Watch(2001年3月21日)
「NTT東西の『Lモード』、2010年3月末でサービス終了」INTERNET Watch(2009年3月30日)
「Lモード」サービス終了のお知らせ/NTT東日本 報道発表
「『Lモード on フレッツ』の提供について」NTT東日本 報道発表(2004年)
「iじゃなくて、L! 平成のネットサービス『Lモード』」週プレNEWS(山下メロの平成レトロ遺産)ほか各種報道