ダイヤルQ2王国の興亡
― 電話料金に相乗りした「声の商店街」、25年の栄光と請求書 ―
本記事は、1989年にNTTが開始し、2014年に幕を閉じた電話の有料情報サービス「ダイヤルQ2」の実話を、歴史書体裁のブラックコメディとして再構成したものです。年月日・数値・判例はすべて公表資料に基づきますが、「王国」「入植者」などの語り口はフィクション的な演出を含みます。
1990年のある晩、日本のどこかの家で、少年が受話器をそっと持ち上げた。ダイヤルするのは「0990」で始まる、学校では誰も教えてくれない番号である。
翌月、その家に届いた電話料金の請求書には、家族の誰も見たことのない金額が印字されていた。父親は電話局に問い合わせ、電話局は「お客様の回線から発信されています」と答えた。全員が事実を言っており、誰も嘘をついていない。ただ請求書だけが、そこにあった。
これは、電話料金という日本でもっとも確実な集金システムの上に築かれ、わずか2年で絶頂を迎え、25年かけてゆっくりと看板を下ろした王国――ダイヤルQ2王国の記録である。
王国の建国 ― 集金力という城壁
1.1 電話代に相乗りする発明
1989年7月10日、NTTは「ダイヤルQ2」というサービスを開始した(当初は試験サービスで、本格サービスは1990年7月10日)。
仕組みは単純にして強力だった。情報を提供したい事業者――IP(インフォメーションプロバイダ。情報提供者のこと)――は、NTTと契約して番組を開設する。利用者が0990番号に電話をかけると、通話料とは別に情報料が発生し、NTTが情報料の9%を回収代行手数料として受け取ったうえで、残りをIPに渡す。
これが何を意味するか。個人経営の小さな事業者でも、日本最強の集金インフラ「電話料金の請求書」に相乗りできるということである。クレジットカードも銀行口座の登録も要らない。電話をかけた瞬間、課金は成立する。後年のインターネット決済が苦労して築いたものを、王国は建国初日から持っていた。
1.2 建国者の見た夢
NTTが想定していたのは、ニュース、天気、テレフォン相談、ファンクラブ向けの会員情報といった、健全で、やや退屈な用途だった。
想定というものは、たいてい裏切られるためにある。
黄金時代 ― 声の商店街に、夜の店が並ぶ
2.1 想定外の入植者
開国からほどなく、王国には想定外の入植者が押し寄せた。成人向けの情報提供業者である。
彼らは課金上限いっぱいの「3分300円」という料金を設定し、艶っぽい音声サービスや、見知らぬ男女が一対一で話せる「ツーショットダイヤル」、伝言を録音・再生し合う「伝言ダイヤル」を次々に開設した。電話回線の上に、24時間眠らない歓楽街が出現したのである。
2.2 約8,500番組の絶頂
集金は電話局がやってくれる。広告は雑誌の裏表紙が引き受けた。ピークの1991年、王国には約8,500もの番組が軒を連ねていた。開国からわずか2年での絶頂である。
請求書が届いた日 ― 王国の影
3.1 数十万円の請求書
黄金時代の請求書は、家庭の郵便受けに届いた。
若年層が長時間利用したことによる情報料は、数十万円から数百万円に達する例もあり、高額請求は社会問題となった。子どもは番号を知っており、親は仕組みを知らず、NTTは粛々と請求した。援助交際や少年非行の温床になっているという批判も高まった。
――あなたの家にも、家族会議の引き金になった請求書が届いたことは、なかっただろうか。
3.2 自作自演の錬金術
さらに、身に覚えのない請求が届く「不当請求」の訴えも相次いだ。1991年6月には朝日新聞朝刊がこの問題を報じている。極めつけは、情報提供事業者が自ら偽造・変造テレホンカードを使い、公衆電話から自分の番組に電話をかけ続けて情報料を稼ぐ、という自作自演である。集金力という城壁は、内側から掘り崩すこともできたのだ。
王国の門は誰にでも開かれていた。それが繁栄の理由であり、混乱の理由でもあった。
防壁工事 ― 番号は分割され、ピーという音が鳴る
4.1 第一期工事 ― 審査の厳格化
世論を重く見たNTTは、1991年から防壁工事を始める。
第一期工事では、IPの利用企画書の審査を厳格化し、企画書と異なる内容の番組――つまりツーショットダイヤル――の契約を更新しない方針を打ち出した。これにより1992年には、ダイヤルQ2回線を使うツーショット事業者は事実上消滅する。
4.2 第二期工事 ― パスワードとピー音
第二期工事(1995年11月1日)は、さらに大がかりだった。番号帯を「0990-3」(アダルト向け)と「0990-5・6」(一般向け)に分割し、アダルト向けへの発信には事前のパスワード設定を必須にした。課金も、着信した瞬間ではなく、番組名と提供者名のガイダンスが流れたあと「ピー」という音が鳴ってから始まる方式に改めた。
4.3 門まで塞がった日
ここで、いかにもこの王国らしい珍事が起きる。当時のNTTの電話交換機はデジタル化の途上にあり、この新方式に対応できない未デジタル化地域では、すべてのダイヤルQ2に電話がかけられなくなった。実際にサービス中の番号にかけても「現在使われておりません」と告げられたのである。防壁を高くしたら、門まで塞がってしまった。
新大陸の罠 ― インターネットが王国を延命させる
5.1 会員登録のいらないネット接続
1990年代後半、インターネットという新大陸の出現は、王国を滅ぼすかに見えた。声の商店街の客は、画像と文字の新大陸へ移っていく。
ところが王国は、意外な形で新大陸と接続する。当時のインターネットは電話回線でつなぐ「ダイヤルアップ接続」の時代。接続先を0990番号にすれば、会員登録もクレジットカードも不要の従量課金インターネットが作れたのだ。実際にGMO(当時インターキュー)の「interQ ORIGINAL」など、この仕組みを使った接続サービスも登場した(同サービスは2002年1月に終了)。
5.2 Q2ダイヤラーという闇
そして、闇もまた接続された。「続きを見るにはここをクリック」の先で小さなプログラムを実行させ、パソコンの接続先電話番号をこっそりQ2番号や国際電話に書き換えてしまう――いわゆる「Q2ダイヤラー」の被害が、1998年頃から後を絶たなくなる。利用者は普段どおりネットを見ているつもりで、電話は深夜の高額番組にかけ続けている。翌月、請求書が届く。1990年の少年の家に届いたものと、同じ顔をした請求書である。
警察庁が1998年3月に発表した調査では、調査対象となった営業用アダルト画像サイトの6割近くが、決済手段としてダイヤルQ2を採用していたと報告された。
5.3 門番だらけの商店街
NTT東西は監視を強化して悪質な事例の情報料を支払い対象から外し、2001年4月にはインターネット番組にパスワード制を導入、2002年1月23日には一般向け番組にもパスワード制を広げ、同日から公衆電話・ピンク電話からの利用も一切できなくした。
門番を増やすほど、商店街は静かになっていった。
法廷の審判 ― 「回線の持ち主が全部払え」への答え
6.1 かけた人と、払う人
王国の根本問題は、最初から一つだった。電話をかけた人と、請求される人が、同じとは限らない。
家族が、同居人が、あるいは書き換えられたパソコンが勝手にかけた電話の代金を、回線契約者はどこまで払うべきなのか。この問いは最高裁判所まで持ち込まれた。
6.2 5割の重み
さらに同日の最高裁判決(通話料金請求事件・民集55巻2号434頁)は、未成年の子が親に無断で多数回・長時間利用したケースの通話料についても判断を示した。NTTには、サービス開始にあたって料金が高額化する危険性を十分に周知し、対策を講じる責務があったのにそれを果たしていなかった。だから、親が高額化の事実と原因に気づいて手を打てるようになるまでの間に発生した通話料は、その5割を超える部分を請求できない――信義則(お互いの信頼を裏切らないように誠実に行動せよ、という民法の基本原則)に照らして、そう結論づけたのである。
電話料金の請求書は、日本でもっとも確実な集金システムである――王国の城壁だったその前提に、司法が「ただし、限度がある」と刻んだのだった。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末
8.1 55番組の静かな最期
王国の落日は、静かだった。
サービス終了が発表された2011年10月末、番組数はピーク時の約8,500から55にまで減っていた。しかもその約3分の1は株式情報番組だったという。夜の歓楽街として栄えた王国は、最後は投資情報と募金の窓口として、ひっそりと看板を下ろした。2014年2月28日、25年の歴史が終わった。
8.2 全員が合理的だった
振り返れば、誰も悪くなかった、と言えなくもない。
NTTは、優れた集金インフラを開放しただけである。IPたちは、ルールの範囲で商売をしただけである。利用者は、提供されたサービスを利用しただけである。親たちは、まさか電話機がレジになっているとは知らなかっただけである。全員がそれぞれの持ち場で合理的に振る舞った結果、家庭の郵便受けに数十万円の請求書が届き、規制が積み重なり、客が去り、王国は終わった。
8.3 0990の子孫たち
そして王国が残した問いは、いまも有効である。決済が簡単になるほど、「使った人」と「払う人」のずれは深刻になる。スマホのワンタップ課金も、サブスクの自動更新も、ゲームの課金も、あの0990番号の子孫たちだ。彼らは王国の失敗から多くを学んだが、請求書が届いてから家族会議が開かれるという人類の伝統だけは、いまだに更新されていない。
――あなたのスマホにも、「使った覚えのない月額課金」は眠っていないだろうか。
なお、王国の紋章は思わぬところに残っていた。NTTドコモの類似サービス「モバイルQ」(1998年開始、2003年終了)にちなんだiモード時代のドコモ絵文字「モバQ」は、このサービスの名残である。王国は滅んでも、絵文字の名前には歴史が刻まれるのである。