日の丸半導体王国の興亡
「安すぎる」と叱られた王国は、やがて「高品質すぎて」売れなくなった
本記事は、1980年代に世界の半導体市場の半分を制し、その後30年をかけて静かに転落し、いま再び国家の総力を挙げて再興を図っている「日の丸半導体」の実話を、歴史書体裁のブラックコメディとして再構成したものです。年月日・統計・制度名・発表内容はすべて公表資料に基づきますが、本文の語り口や比喩は読み物として楽しんでいただくためのフィクション演出を含みます。
1980年3月、ワシントンの品質セミナーで、「日本製DRAMは米国製より壊れない」という検査データが公表された。
それから8年で、王国は世界の半導体の半分を作るようになり、その30年後には「シェアはほぼ0%になる」という予言を、王国の役所が自ら書くことになる。
「安すぎる」と国際問題として叱られた王国は——やがて、高品質すぎて売れなくなった。
王国の勃興 ― 通産省、7社を一つの研究所に閉じ込める
1.1 冗談のような研究所
1976年3月。通商産業省(現在の経済産業省)の主導で、「超LSI技術研究組合」という奇妙な組織が発足した。LSI(Large Scale Integration=大規模集積回路。トランジスタなどの素子を1枚の小さなシリコン片に大量に詰め込んだ電子部品)の次世代技術を、国を挙げて開発するための国家プロジェクトである。
参加したのは富士通、日立製作所、三菱電機、東芝、NECといった、ふだんは市場で殺し合っているライバル企業たち。総資金は約700億円、うち約300億円が国の補助金。競合他社の技術者が同じ研究所の同じ廊下を歩くという、当時の欧米から見れば冗談のような光景が、そこにはあった。
1.2 全社が同じ武器を持った
冗談は、4年後に笑えなくなる。プロジェクト開始時に2割程度だった半導体製造装置の国産化率は、1980年代初めには7割を超えた。微細加工の基盤技術は各社に持ち帰られ、平準化され、そして——全社が同じ武器を持って、同じ製品を作り始めた。DRAMである。
黄金時代 ― 世界の半分がメイド・イン・ジャパン
2.1 アンダーソンの爆弾
1980年3月25日、米国ワシントンで開かれた品質セミナーで、事件が起きた。コンピュータ大手ヒューレット・パッカード(HP)社の担当者アンダーソン氏が、自社の検査データを公表したのである。
「安かろう悪かろう」と見られていた日本製メモリが、本家アメリカ製より壊れない。この「アンダーソン発言」は米国業界に爆弾のように落ち、日本製DRAMの評価は一夜にして反転した。
2.2 シェア50%の絶頂
あとは坂道を駆け上がるだけだった。1986年、日本の半導体シェアは米国を抜いて世界一に。DRAMに限れば世界シェアは約8割。1988年には日本の半導体全体の世界シェアが約50%に達した。世界のコンピュータの記憶を、日本列島が半分製造していたのである。NEC、東芝、日立が世界ランキングの上位を占め、王国は絶頂にあった。
帝国の逆襲 ― 「安すぎる」と叱られる
3.1 太平洋の向こうからの請求書
絶頂の王国に、太平洋の向こうから請求書が届く。
1985年6月、米国半導体工業会(SIA=Semiconductor Industry Association。米国の半導体メーカーの業界団体)が、「日本企業が半導体を不当に安く売っている」として、米通商代表部(USTR)にダンピング提訴を行った。
3.2 自由貿易の総本山が数値目標を課す
1986年9月、日米半導体協定が締結された。日本製半導体の価格を監視し、さらに「外国製半導体の日本市場でのシェアを20%以上に」という数値が、公表本文とは別の書簡(サイドレター)で事実上の約束として盛り込まれた。自由貿易の総本山アメリカが、「うちの製品をもっと買え」と数値目標を掲げた瞬間である。
それでも足りず、1987年4月、レーガン政権は協定違反を理由に、日本製パソコンやカラーテレビなど約3億ドル相当に100%の報復関税を課した。価格が倍になる関税である。王国は「安すぎる」ことを、国際問題として正式に叱られた。
品質という名の呪い ― 25年保証のDRAM
4.1 25年壊れないメモリ
ところが王国を本当に滅ぼしたのは、報復関税ではなかった。王国自身の美徳——品質——である。
1980年代の主要顧客はメインフレーム(銀行や官公庁で使われる大型汎用コンピュータ)だった。メインフレームは25年使われる。だから顧客は25年壊れないDRAMを求め、日本メーカーは本当に25年壊れない超高品質DRAMを作ってしまった。それがアンダーソン発言の品質であり、世界シェア8割の源泉だった。
4.2 種目が変わったことに気づかない
1990年代、市場の主役がメインフレームからパソコンに交代する。パソコンの寿命は数年。25年保証の品質は要らない。韓国のサムスン電子は「5年持てばいい」割り切りで、工程を簡略化した安価なDRAMを大量生産した。1992年、サムスンはDRAM世界シェア首位に立つ。日本メーカーは高品質・高コストのDRAMを作り続け、「過剰品質」という言葉だけが後に残った。
安く大量に作る技術も、技術である。王国は品質という一種目だけで戦い続け、種目そのものが変わったことに気づくのが遅れた。
連合艦隊 ― 会社を合体させれば強くなるはず
5.1 日の丸DRAM最後の砦
2000年前後、追い詰められた王国は伝家の宝刀を抜く。「各社の赤字事業を集めて、一つの大きな会社にする」——連合艦隊の建造である。
1999年、NECと日立のDRAM事業が統合され、後のエルピーダメモリが生まれた(2003年には三菱電機のDRAM事業も合流)。「日の丸DRAM最後の砦」と呼ばれ、2002年に社長へ就任した坂本幸雄氏のもとで一時は世界シェア3位に浮上。2009年には改正産業活力再生特別措置法(産活法)に基づき、公的資金による約300億円の出資まで受けた。この枠組みによる資本注入の適用第1号である。
5.2 戦後最大級の沈没
しかし2012年2月27日、エルピーダメモリは会社更生法の適用を申請した。負債総額約4,480億円。国内製造業では戦後最大の経営破綻と報じられた。DRAM価格の暴落、リーマン・ショック後の歴史的な円高、そして巨額の設備投資競争。翌2013年7月、エルピーダは米マイクロン・テクノロジーに買収され、日の丸DRAMの歴史は幕を閉じた。
国が音頭を取って生まれ、国のお金で延命され、それでも沈んだ連合艦隊。皮肉なことに、買収したマイクロンのもとで広島工場は現在も世界有数のDRAM工場として稼働し続けている。船は沈んだが、乗組員と船体は優秀だったのである。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末 ― そして国家は再び夢を見る
7.1 全員が正しかった
こうして年代記を眺めると、登場人物の誰ひとりとして、間違ったことをしていない。
ライバル同士を一つ屋根の下に集めた通産省は正しかった。顧客の求める25年品質を実現した技術者たちは正しかった。自国産業を守ろうとしたアメリカも、彼らの立場では正しかった。5年持てばいいと割り切ったサムスンは、商売として完全に正しかった。赤字事業を統合して延命を図った経営判断も、当時の選択肢としては正しかった。
全員が正しかった結果、世界シェア50%は約10%まで滑り落ちた。
7.2 ほぼ0%という予言
2021年6月、経済産業省は「半導体戦略」を公表する。
ほぼ0%。かつて50%を握った国の役所が、自らそう書いた。
7.3 同じ形の船
そして2022年、国は再び号令をかける。トヨタ、ソニーグループ、NTTなど8社が出資し、最先端の2ナノメートル世代半導体(回路の細かさが2ナノメートル級という意味の世代呼称。1ナノメートルは10億分の1メートル)の国産化を目指すラピダスが設立された。米IBMとの提携、北海道千歳市の新工場、政府支援は累計約2.9兆円規模。2025年には試作ラインが動き出し、2027年度の量産開始を目指している。
国が音頭を取り、大企業が相乗りし、巨額の公的資金が投じられる。この座組をどこかで見た気がするのは、本書を第1巻から読んでこられた読者だけではあるまい。超LSI技術研究組合は成功した。エルピーダは沈んだ。同じ形の船は、追い風なら世界一速く、向かい風なら誰も舵を切れない。
ラピダスがどちらの風を受けるのか、それはまだ、歴史書には書かれていない。確かなのは一つだけである。王国は、シリコンの夢を、まだ諦めていない。
クリーンルームの中で、今日もウエハーが静かに回っている。
50%の栄光も、0%の予言も、露光装置は知らない。
ただ設計図の通りに、光が回路を焼き付けていく。
25年壊れない品質を作った手は、まだこの国のどこかにある。
―― 露光 継続