税率改修王国の興亡
情報処理王国史 外典第八十九巻

税率改修王国の興亡

3%から複数税率まで、レジと格闘し続けた30年

KEIGEN ZEIRITSU 8% & 10%
この記事について
本記事は、日本の消費税とその税率変更にまつわるシステム改修の歴史を、実際の制度・報道・公的資料に基づいてブラックコメディ仕立てで描いた読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発表に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
CH.01

3%という名の黒船、到来

1989年(平成元年)4月1日。日本の商店に、まったく新しい概念が上陸した。

名を「消費税」という。買い物のたびに、代金の3%を国に納める。ヨーロッパでは「付加価値税」として何十年も前から動いていた仕組みだったが、日本にとっては初めての体験だった。

そして、この日を境に、日本中のレジ(金銭登録機。商店で会計をする機械)が一斉に「壊れた」。正確には、壊れてはいない。ただ、それまで「100円の品物は100円」で会計していた機械が、突然「100円の品物は103円」を計算しなければならなくなったのだ。

商店主たちは、レジのメーカーに電話をかけた。「税込みで計算できるように直してくれ」と。メーカーは全国を駆け回り、レジのプログラムを書き換え、あるいは新しいレジに置き換えた。値札も貼り替えた。レシートの様式も変えた。

誰も望んでいなかった。しかし、法律が変わった以上、機械も従うしかない。これが、この王国における最初の「改修の儀式」だった。以後30年、この儀式は繰り返されることになる。

【用語解説】レジ(レジスター)
正式には金銭登録機(キャッシュレジスター)。商店で会計金額を計算し、レシートを発行し、現金を保管する機械。近年はタブレット端末とアプリを組み合わせた「POSレジ」(Point of Sale=販売時点情報管理)が主流。税率が変わるたびに、このレジの内部プログラムを書き換える作業が全国で発生する。

CH.02

5%への道、そして重なる災厄

1997年(平成9年)4月1日。税率は3%から5%へ引き上げられた。

たった2%。しかし現場にとっては、また同じ儀式のやり直しである。レジを直し、値札を貼り替え、会計ソフトの税率設定を更新する。8年前にやったことを、もう一度やる。

しかも、この時期の日本のオフィスには、別の巨大な爆弾が転がっていた。「2000年問題(Y2K)」である。西暦の下2桁だけで年を管理していた古いコンピュータが、2000年を「00年」=1900年と誤認するかもしれない、という懸念だ。

つまり1990年代後半のシステム担当者は、「税率を5%に直す作業」と「西暦2000年に備える作業」を、同時にこなしていた。片手で税率を、もう片手で日付を握りしめ、どちらも間違えれば会社が止まる。誰も表彰されないのに、失敗だけは許されない。地味で、重く、報われない仕事だった。

【用語解説】Y2K(2000年問題)
Y=Year(年)、2K=2×1,000=2000年の略。コンピュータの世界ではK(キロ)が1,000を意味する。西暦を「99」のように下2桁で保存していたシステムが、2000年を「00年」と読み、計算を誤る恐れがあった問題。世界中で対策作業が行われた。

CH.03

8%、駆け込みと反動の季節

2014年(平成26年)4月1日。税率は5%から8%へ。17年ぶりの引き上げだった。

この時、日本人は新しい風物詩を発見する。「駆け込み需要」である。増税の前日までに買えば5%、翌日からは8%。ならば今のうちに——と、住宅も、自動車も、日用品も、増税前に買い込む人が殺到した。そして増税後、その反動で消費はぱたりと止まった。

システムの現場では、また改修である。だが今回はひとつ、やっかいな追加要素があった。「経過措置」だ。増税日をまたぐ契約や工事、定期券などは、一定の条件を満たせば旧税率のまま——という細かなルールが定められた。

つまりシステムは、「4月1日以降は8%」と単純に切り替えるだけでは足りない。「この取引は例外だから5%のまま」という判定を、条件ごとに組み込まねばならない。税率がひとつ増えるだけで、プログラムの分岐は倍以上に増えていく。

【用語解説】経過措置(けいかそち)
制度の切り替え時に、混乱を避けるため一定の取引に旧ルールを当てはめる救済措置。消費税では、増税日をまたぐ工事請負契約や旅客運賃などが対象になった。親切な制度である一方、システムにとっては「例外処理」が増えることを意味し、改修を複雑にする一因となった。

CH.04

軽減税率という名の魔物

2019年(令和元年)10月1日。税率は8%から10%へ。だが、この日を境に王国の様相は一変する。

初めて「軽減税率」が導入されたのだ。標準税率は10%。しかし酒類と外食を除く飲食料品、そして週2回以上発行される定期購読の新聞は、8%に据え置かれた。

つまり、この国には税率が2つ、同時に存在することになった。「複数税率」の時代の幕開けである。

30年間、日本のレジと会計ソフトは「税率はひとつ」という前提で作られてきた。金額に一律の率を掛ければよかった。ところが今度は、商品を一つひとつ「これは8%」「これは10%」と仕分けなければならない。レシートにも、税率ごとに分けた金額を印字する必要が生じた。

多くの店では、既存のレジではもはや対応できなかった。買い替えるしかない。かくして、飲食料品を扱う全国の中小店舗で、レジの一斉入れ替えという、王国史上最大規模の改修が始まった。

【用語解説】軽減税率(けいげんぜいりつ)
生活に欠かせない品目の税率を、標準税率より低く据え置く仕組み。日本では2019年10月から、酒類・外食を除く飲食料品と、週2回以上発行される定期購読新聞が8%に据え置かれた。低所得層への配慮が目的とされるが、「税率が2つある」状態が、事業者の実務を一気に複雑にした。

CH.05

イートインという哲学的難問

複数税率は、思いもよらぬ場所で人々を悩ませた。コンビニエンスストアである。

同じおにぎりでも、持ち帰れば「飲食料品の販売」で8%。店内のイートインスペースで食べれば「外食」とみなされ10%。商品は同じ。値段だけが、食べる場所で変わる。

現場は混乱した。レジで店員が「店内でお召し上がりですか」と尋ねる。客が「持ち帰り」と答えれば8%。だが会計後に気が変わって店内で食べたら——。「イートイン脱税」という言葉がSNSを駆けめぐり、ちょっとした社会現象になった。

だが、これは誤解だった。国税庁は、税率の判定は「事業者が商品を販売した時点」で行われると説明した。レジで会計した瞬間に税率は確定するのであって、その後に客が店内で食べても、店が適正に納税していれば制度上の問題はない、というのが国の見解だった。

つまり「イートイン脱税」なる罪は、そもそも存在しなかった。存在したのは、複数税率という制度が生んだ、無数の小さな戸惑いだけである。同じ商品に2つの値段が並ぶ世界に、人々はまだ慣れていなかった。

軽減税率が適用されるかどうかの判定は、事業者が顧客に飲食料品を譲渡した時点で行われる。販売した時点で判定されるため、その後に顧客が店内で飲食していたとしても、制度上の問題はない。
— 国税庁の見解として各種報道が伝えた説明より要約

CH.06

補助金という応急処置

国も、現場の混乱を予期していなかったわけではない。むしろ、対応を迫られる中小事業者のために、あらかじめ手を打っていた。「軽減税率対策補助金」である。

複数税率に対応したレジの導入や、受発注システム・請求書管理システムの改修にかかる費用の一部を、国が補助する。補助率は原則3分の2、補助の上限は最大200万円。予算は予備費から996億円が計上された。申請は2016年から始まり、増税を目前に控えた2019年夏の時点で、申請件数は10万件を超えたと報じられた。

数字だけを見れば、手厚い支援に見える。だが裏を返せば、これは「制度をひとつ変えるために、国が1,000億円近くを投じ、何万もの事業者が書類を書いてレジを入れ替えねばならなかった」という事実でもある。

税率を上げれば税収は増える。しかしその裏で、レジの買い替え、システムの改修、補助金の審査という、膨大な事務作業のコストが社会全体に発生していた。増えた分の一部は、こうして静かに相殺されていったのである。

中小企業・小規模事業者等が、複数税率に対応するために行うレジの導入や受発注システムの改修等について、その経費の一部を補助する。
— 中小企業庁「軽減税率対策補助金」制度案内より要約

CH.07

インボイスという続編

物語には、まだ続きがあった。2023年(令和5年)10月1日、「インボイス制度」が始まったのだ。

正式名称は「適格請求書等保存方式」。複数税率のもとで、どの取引にどの税率がかかったのかを正確に記録するため、請求書に登録番号・適用税率・税率ごとの消費税額を書き込むことが求められるようになった。

軽減税率で税率が2つになった以上、税額を正しく計算するには、取引ごとの税率をきちんと記録する仕組みが要る——理屈としては筋が通っている。だが現場にとっては、また新たな改修であり、また新たな事務負担だった。請求書のフォーマットを直し、会計ソフトを更新し、取引先の登録番号を管理する。とりわけ、これまで消費税の納税を免除されてきた小規模事業者にとっては、制度の根幹に関わる重い変化だった。

税率をひとつ増やしたことの余波は、4年後の請求書の書式にまで及んだ。ひとつの政策決定が、川下へ川下へと波及し、末端の事務作業を静かに増やし続けていく。改修に終わりはなかった。

【用語解説】インボイス制度
インボイス(invoice)は「請求書」の意味。正式には「適格請求書等保存方式」。複数税率のもとで正確な消費税額を把握するため、登録番号や税率ごとの税額を記載した請求書をやり取りする仕組み。2023年10月開始。免税事業者からの仕入れについては、2023年10月から2029年9月までの6年間、段階的な経過措置が設けられた。

CH.08

王国の年代記

1989年4月1日 消費税を税率3%で導入。全国のレジと値札が一斉に改修される
1997年4月1日 税率を5%へ引き上げ。2000年問題(Y2K)対応と時期が重なる
2000年前後 Y2K対応が完了。システム現場は税率と日付の二正面作戦を乗り越える
2014年4月1日 税率を8%へ引き上げ。駆け込み需要と経過措置対応が発生
2019年10月1日 税率を10%へ。同時に軽減税率(8%)を初導入。複数税率時代が始まる
2019年10月 コンビニのイートインをめぐり「イートイン脱税」が話題に。国税庁は制度上問題なしと説明
2016〜2019年 軽減税率対策補助金の申請が進む。予備費996億円を計上、申請は10万件超と報じられる
2023年10月1日 インボイス制度(適格請求書等保存方式)開始。請求書の書式改修が全国に波及
2026年(現在) 8%と10%が併存する日々が、もはや当たり前の風景として定着している

CH.09

誰も悪くない、税率の物語

ここで、公平を期すために言っておかねばならないことがある。

税率を上げた政治家が悪いわけではない。社会保障の財源をどう確保するかは、避けて通れない難題だった。軽減税率を入れた人々も、生活必需品の負担をやわらげたいという善意から動いた。国税庁も中小企業庁も、混乱を減らそうと補助金や経過措置を用意した。レジのメーカーも、会計ソフトの開発者も、求められた改修を黙々とこなした。

全員が、それぞれの立場で合理的に、あるいは善意で行動していた。それでも結果として、社会全体では「30年で4度も税率を変え、そのたびに全国のレジとシステムを改修し続ける」という、途方もない反復作業が積み上がった。

これは、悪人がいて起きた不幸ではない。制度を動かすと必ず生じる「調整のコスト」が、目に見えないところで誰かの手作業として支払われ続けた、という話である。数字がひとつ変わるだけで、その裏では無数の機械が書き換えられ、無数の人が残業をする。政策の紙の上では一行の変更が、現場では何万時間もの労働に化ける。

税率とは、単なるパーセントではない。それは、社会という巨大なシステムを一斉に書き換える命令であり、その改修コストは、いつも静かに、末端が引き受けてきた。


かくして王国は、今日も8%と10%を数えている。
レジの前で、店員がバーコードを読み取り、
これは8%、これは10%と、機械が仕分けていく。
客はもう、何も疑わない。
どこかの事務所では、
経理担当者が請求書の登録番号を確かめ、
税率ごとの金額を、そっと足し合わせている。
30年前、たった3%から始まった数字は、
いくつにも枝分かれし、
それでも誰も、立ち止まらない。
数字がまたひとつ変わる日まで、
機械は静かに、計算を続ける。
―― 計算 継続

参考・引用資料
財務省「消費税率の推移」および税制関連資料
国税庁「消費税の軽減税率制度」および軽減税率に関する説明資料
中小企業庁「軽減税率対策補助金」制度案内
政府広報オンライン「インボイス制度(適格請求書等保存方式)」