カーナビ王国の興亡
世界初を3度取った国が、無料の地図に負けた話
本記事は、1981年に世界で初めて地図を表示するカーナビを生み、その後3度にわたって「世界初」を取りながら、無料の地図アプリに主役の座を明け渡した日本のカーナビの実話を、歴史書体裁のブラックコメディとして再構成したものです。年月日・統計・製品名・制度名は公表資料に基づきますが、本文の語り口や比喩は読み物としての演出を含みます。特定の企業や団体を批判する意図はありません。
信号が赤になるたび、その人は右手で透明なシートを数ミリずらしていた。ブラウン管の上でぽつんと光る点と、シートに印刷された交差点を、目で重ねるためだ。1981年、世界で初めて「地図を表示するカーナビ」は、そうやって使うものだった。
その9年後、日本のカーナビは衛星から座標を受け取るようになる。さらに6年後には、国が全国の道路に交通情報を流すインフラを敷いた。世界初を、日本は3度取った。
そして2010年代、無料の地図アプリに負けた。技術で負けたのではない。「地図は完成品である」という、当時は誰もが正しいと信じていた前提ひとつで負けた。
王国の建国 ― 地図はセルロイドだった
1.1 29万8千円の紙芝居
1981年、ホンダがフルモデルチェンジしたアコードのオプションとして、ある装置を売り出した。名前を「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」という。世界初の、地図型カーナビゲーションである。
価格は取り付け費込みで29万8千円。当時としては、小型車がもう一台買えそうな金額だ。
そして、その中身がすごい。人工衛星は使わない。1981年の日本に、民間が使える測位衛星などない。かわりに積んでいたのは、航空機の慣性航法(かんせいこうほう)の応用だった。ガスの流れで車の向きの変化を測る「ガスレートジャイロ」と、走った距離を測るセンサー。この二つの数字を16ビットのマイコンが積み上げて、「出発点からこれだけ曲がって、これだけ走った」という現在地を計算する。
表示は6インチの白黒ブラウン管。そこに光点で自車位置が浮かぶ。
1.2 地図はどこにあったのか
セルロイドの透明シートである。ブラウン管の前に、地図を印刷した透明シートを差し込む。ドライバーは信号待ちのたびに、シート上の交差点と画面の光点を目で合わせ、ズレていたらシートを手でずらして直す。エリアが変われば、シートを抜いて別のシートを差す。
「紙芝居ナビ」と呼ばれた。売れた台数は、およそ200台と伝えられている。
1.3 200台が持ち帰った結論
商業的には、まぎれもなく失敗だ。
だがホンダはこの200台から、たったひとつの結論を持ち帰った。地図はデジタルにしなければならない。そして光ディスクに地図を記録する方式の特許を取り、それを無償で公開した。地図のデジタル化を業界全体で急がせるためだったと説明されている。
王国は、最初の一歩で自分の負け筋を正確に理解していた。これが後々まで効いてくる。
星に道を聞く ― 1990年の逆転
2.1 空の事情が変わった
9年後、空の状況が変わった。米国が軍事用に打ち上げた測位衛星が、民間にも使えるようになっていた。GPSである。
2.2 1990年、世界初が二つ同時に
1990年4月、マツダが三菱電機と共同開発したGPS式カーナビを、ユーノス・コスモに搭載して発売した。自動車メーカーの純正装備としては世界初とされる。
同年6月、パイオニアが市販モデル「AVIC-1」を出す。こちらは後付けできる製品としての世界初だ。「サテライト・クルージング・システム」と名づけられ、広告のコピーはこうだった。
日本のカーナビは、この一行で完全に別のものになった。
2.3 ダッシュボードの中央を取った王
セルロイドのシートを手でずらしていた王国が、9年で衛星から座標を受け取る王国になった。世界初の称号は、二度目も日本のものだった。
ここから1990年代を通じて、カーナビは日本の自動車文化そのものになる。CD-ROMに地図を焼き、音声で「およそ300メートル先、左方向です」と喋り、ダッシュボードの真ん中に鎮座した。海外では地図を膝に広げて走っていた時代に、日本の乗用車には画面がついていた。
共通の敵は渋滞だった ― VICS建国
3.1 3省庁が同じ机についた日
1990年3月、警察庁・郵政省・建設省の3省庁が「道路交通情報通信システム連絡協議会」を立ち上げた。省庁の縦割りを越えて、渋滞情報を車に届けるための会議である。翌1991年10月には民間を含む推進協議会が発足し、会員は201法人・団体にのぼった。発起人代表はトヨタ自動車の豊田章一郎氏だった。
1995年7月、財団法人 道路交通情報通信システムセンターが設立される。通称、VICSセンター。
3.2 情報を運ぶ三本の道
1996年4月、東京圏でサービスが始まる。同年12月に大阪圏へ。2003年2月には全国展開が完了した。
情報を運ぶ道は三本あった。ラジオのFM電波にデータを混ぜて広く飛ばす「FM多重放送」。高速道路の頭上から電波で送る「電波ビーコン」。一般道の信号機付近から赤外線で送る「光ビーコン」。三本の経路で、渋滞の赤い線がカーナビの地図に流れ込むようになった。
これが世界初の三度目である。国が主導して、全国の道路に交通情報インフラを敷き、それを車載機に無料で配る。ここまでやった国は、当時ほかになかった。
3.3 8,000万台の絶頂
VICS対応機の累計出荷台数は、2004年に1,000万台、2011年に3,000万台、2016年に5,000万台、2020年12月に7,000万台を突破する。2023年12月には8,000万台に達した。
王国は、絶頂にあった。
地図は買い直すものだった
4.1 更新料は1万5千円から2万5千円
ところで、地図はどうやって新しくするのか。
答えは単純だった。買う。
CD-ROMの時代は、新しい年度版のディスクを買った。DVDになっても買った。HDD内蔵になっても、更新用のディスクやSDカードを買った。カーディーラーに持ち込んで作業してもらうこともあった。
現在でも、購入から2〜3年の無料期間が終わったあとの地図更新料は、おおむね1万5千円から2万5千円程度が相場とされる。メーカーによってはさらに工賃がかかる。そして8年から10年ほど経つと、更新データの提供そのものが終わる機種も多い。
つまりカーナビの地図は、買った瞬間から古くなり、お金を払わないと古いままで、いつか払っても新しくならなくなるものだった。
4.2 それは当時の唯一の正解だった
誰かが悪意でそう設計したわけではない。1990年代の技術で考えれば、これ以外に方法がなかった。地図データは巨大で、車は通信していない。物理メディアを配る以外に届ける手段がなかった。工場でプレスして、箱に詰めて、店に並べて、レジを通す。その工程には全部お金がかかる。有料なのは当然だった。
この「当然」を、王国は20年抱えて走った。
手のひらから来た侵略者
5.1 武器は性能ではなかった
2009年10月、GoogleがAndroid向けに音声案内つきのナビゲーション機能を出した。米国が最初で、2010年には英国や欧州各国へ広がった。日本でも2010年代の初めには、スマートフォンで無料のナビを使うことが当たり前になっていく。
侵略者の武器は、性能ではなかった。
地図が、勝手に新しくなることだった。
新しい道が開通すれば、次に開いたときにはもう載っている。店が閉じれば消える。渋滞は、走っている無数のスマートフォンの位置情報から推計されて、その場で色がつく。更新料は0円。ディーラーに持ち込む必要もない。
5.2 数字は正直だった
王国が20年かけて「更新は買うもの」という前提で組み上げた城の隣に、「更新は勝手に済んでいるもの」という前提の城が建った。しかも無料で。
国内のカーナビ出荷台数は、2018年に614万4千台、2019年に604万1千台と年600万台を保っていたが、2023年にはピーク時のおよそ3分の2にまで落ち込んだと報じられている。市販カーナビ(後付けで買うカーナビ)の需要は、2027年度に2023年度比で4割近く減るという予測も出ている。
5.3 劣っていたのではない、閉じていた
言い添えておくと、これは「日本のカーナビが劣っていたから」ではない。むしろ逆で、日本のカーナビは真面目に作り込みすぎていた。細街路の案内、渋滞を織り込んだ到着予測、車速パルスとジャイロを併用してトンネルの中でも位置を見失わない仕組み。どれも当時のスマートフォンにはできなかった芸当だ。
ただし、その全部が箱の中で完結していた。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末
7.1 三度の世界初と、ひとつの前提
日本は、カーナビで世界初を三度取った。
1981年、地図型カーナビ。1990年、GPSカーナビ。1996年、全国規模の交通情報インフラ。どれも他国に先んじていた。技術で負けたわけではないし、怠けていたわけでもない。
負けたのは、たったひとつの前提だった。
地図は完成品であるという前提だ。
工場で作り、箱に入れ、売り、次の版でまた売る。製造業として何も間違っていない。むしろ日本が世界一得意なやり方だった。カーナビは家電であり、家電は完成させて出荷するものだったからだ。
7.2 永久に未完成な地図
一方で侵略者は、地図を完成させなかった。永久に未完成のまま、毎日ちょっとずつ書き足した。走っている人たちの位置情報を集めて、渋滞を推計し、また書き足した。利用者そのものが地図の一部になっていた。
これはどちらが賢いかという話ではない。1990年に「地図は通信で毎日更新される」という設計を選べた企業は、世界のどこにも存在しなかった。回線がなかったからだ。当時の正解を、当時の全員が正しく選んだ。その正解が、20年後に前提ごと引っくり返されただけである。
7.3 VICSは死んでいない
そして、ここが面白いところなのだが。
VICSは死んでいない。
FM多重放送は今日も渋滞情報を飛ばしている。累計出荷台数は8,000万台を超え、2025年4月にはスマートフォンと同じ発想の「プローブ活用サービス」、つまり走っている車から集めた情報で交通状況を推計する仕組みを、本格運用に乗せた。財団は同じ年の7月に30周年を迎えている。
つまり王国は、滅びたのではなく、王座を降りて土台になった。ダッシュボードの真ん中という玉座はスマートフォンに明け渡し、そのかわり道路の下と電波の中に潜って、今も交通情報を流し続けている。
私たちが渋滞を避けて別ルートを走るとき、その赤い線の一部は、1990年に3つの省庁が縦割りを越えて始めた会議の子孫である。
思えば、最初の王もそうだった。エレクトロ・ジャイロケータはおよそ200台しか売れず、失敗作として記憶されている。だがその開発チームが持ち帰った「地図はデジタル化しなければならない」という結論と、無償で公開された光ディスク地図の特許が、次の王朝の土台になった。
王国というものは、たいてい負けた側の遺産の上に建っている。
7.4 あなたの会社にもある
そしてこれは、車の話だけではない。あなたの会社にも、たぶん一つか二つ、「買った時点が最新で、あとは古くなるだけ」の仕組みが動いているはずだ。買い切りの業務ソフト。更新の止まったパソコン。3年前に作ったExcelの台帳。
それらは壊れていない。ちゃんと動く。誰も悪くない。
ただ、世界のほうが毎日書き足されている。
セルロイドのシートを、信号待ちのたびに指でずらしていた人がいた。
交差点の光点と紙の十字路を、目で重ねていた人がいた。
その手つきを、いま誰も覚えていない。
かわりに私たちは、何も持たずに車に乗り、「およそ300メートル先、左方向です」という声を、どこから来たのかも考えずに聞いている。
地図は、もう完成しない。毎晩、誰かが少しだけ書き足している。走っているのは、私たちだ。
―― 現在地 更新中