一人一台王国の興亡
情報処理王国史 外典第九十三巻
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一人一台王国の興亡

端末は配られた。しかし回線は細かった

GIGA SCHOOL BANDWIDTH
この記事について
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
CH.01

王国、四カ年の計画を立てる

2019年12月13日。日本国政府は、ひとつの大きな決断をした。

全国の小中学生、そのひとりひとりに学習用の端末を配る。あわせて学校に高速の通信回線を引く。そのために、その年の補正予算に2,318億円を計上した。内訳は公立に2,173億円、私立に119億円、国立に26億円である。

計画の名は「GIGAスクール構想」といった。

【用語解説】GIGAスクール構想
GIGAは「Global and Innovation Gateway for All」の頭文字。直訳すると「すべての人のための、世界とつながる革新の入り口」。通信速度の単位「ギガ」とかけた命名で、文部科学省が2019年に打ち出した教育情報化政策を指す。

同年12月19日、当時の文部科学大臣・萩生田光一は、国民に向けたメッセージを公開している。表題は「子供たち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現に向けて ~令和時代のスタンダードとしての1人1台端末環境~」。

「Society 5.0時代に生きる子供たちにとって、PC端末は鉛筆やノートと並ぶマストアイテムです。(中略)1人1台端末環境は、もはや令和の時代における学校の『スタンダード』であり、特別なことではありません。」
— 文部科学大臣メッセージ(2019年12月19日)より
【用語解説】ICT(アイシーティー)
Information and Communication Technology の略。「情報通信技術」と訳す。パソコン・タブレット・インターネットなど、情報をやりとりする仕組み全般を指す。教育の分野では「ICT教育」「ICT環境」といった形で使われることが多い。

計画は、2023年度までの4年をかけて、学年ごとに順を追って配っていく段取りだった。ゆっくり配り、ゆっくり慣れる。それが当初の設計思想である。

そこへ、疫病が来た。


CH.02

4年の計画が、1年で終わる

2020年、新型コロナウイルスの流行により全国の学校が一斉休校となる。子どもたちが学校に来られない。ならば端末を配って家でつなぐしかない。

計画は前倒しされた。4年ぶんの整備が、1年に圧縮された。

2021年3月の文部科学省の集計では、全自治体等の97.6%にあたる1,769自治体等が、2020年度内に端末の納品を完了する見込みとされた。数百万台の端末が、1年足らずで全国の教室に届いたことになる。行政のスピードとしては、まず例を見ない。関係者の努力は本物だった。

ただし、ここで王国はひとつの事実を見落としていた。

端末は買い切りだが、回線は契約である。

端末は補助金で一気に買える。工場に発注すれば、箱に詰まって届く。だが回線はそうはいかない。学校に引かれている線が細ければ、そこに何台つないでも、細いままなのだ。


CH.03

細い管に、千人が並ぶ

一人一台が実現した教室で、何が起きたか。

たとえば、朝の一時間目。ある教室が、いっせいに学習用のサイトを開く。三十数人が同時に接続する。隣のクラスも開く。上の階も開く。全校の児童が、同じ一本の回線に殺到する。

画面が、止まる。

「先生、つながりません」——この一言が、令和の教室で最も多く発せられた言葉になった。

文部科学省自身が、自治体によって端末の活用状況に大きな差がある理由を分析し、その最大の阻害要因のひとつは「ネットワークの遅延や不具合」であると認めている。

問題の根は、契約の中身にあった。

【用語解説】ベストエフォート型回線
「best effort(最善の努力)」の意味。通信速度の上限は示すが、その速度を保証しない契約形態のこと。実際の速度は、同じ回線を使う人の混み具合で上下する。家庭向けの光回線はほぼこの方式で、安価な代わりに、混雑時は遅くなる。対して「帯域確保型」は一定の速度を保証する契約で、価格は高い。

文部科学省が2024年4月に公表した資料によれば、学校の回線について、約95%の自治体がベストエフォート型(共用回線)を契約していた。速度を保証する帯域確保型を契約していた自治体は、約3%にとどまる。

そして、文部科学省が示す「当面の推奨帯域」を実測で確保できていた学校は、2割程度と報告されている。

【用語解説】帯域(たいいき)
通信回線が一度に運べるデータの量。よく「道路の車線数」にたとえられる。契約書に書かれた「1Gbps」は道路の設計上の最大値であって、渋滞していないときの理論値にすぎない。実際に何台の車が通れたかが「実測値」で、学校で問題になるのはこちらである。

王国は数百万台の車を買い、無償で配った。道路は、片側一車線のままだった。


CH.04

誰も嘘をついていない

ここで、悪者を探したくなる。だが探しても、見つからない。

文部科学省は嘘をついていない。端末を配ると言って、配った。回線も整備すると言い、そのための予算も計上した。

自治体も嘘をついていない。予算の範囲で、調達できる回線を契約した。ベストエフォート型を選んだのは、それが一般的で、安く、当時の使用量なら足りていたからだ。一人一台になる前の学校では、パソコン教室の40台が同時につながれば十分だったのである。

通信事業者も嘘をついていない。契約書には最初から「ベストエフォート」と書いてあった。速度を保証しないという約束を、約束どおり履行しただけだ。

学校の先生も嘘をついていない。配られた端末を、授業で使おうとした。使おうとしたら止まった。それだけである。

全員が、それぞれの持ち場で正しく振る舞った。にもかかわらず、教室の画面は止まった。

これは無能の物語ではない。責任が誰の机の上にも乗らなかった、という物語である。

端末の担当者は端末を、回線の担当者は回線を、授業の担当者は授業を担当した。「端末と回線を足したときに何が起きるか」を担当する者だけが、どこにもいなかった。


CH.05

5年後の請求書

そして王国には、もうひとつの時限装置が仕掛けられていた。

一斉に配ったものは、一斉に壊れる。

2020年度に前倒しで納品された数百万台は、同じ時期に製造され、同じ時期に使われはじめ、同じ時期に寿命を迎える。学習用端末の耐用年数はおおむね5年前後とされる。計算すれば、2025年から2026年にかけて、全国の教室で電池がふくらみ、画面が割れ、動作が重くなる時期が重なることになる。

政府は手を打った。2023年度の補正予算に2,661億円を計上し、都道府県に5年間の基金を造成。2025年度までに更新が必要となる端末、およそ7割ぶんの費用に充てる仕組みを整えた。補助の基準額は1台あたり5万5,000円。故障に備える予備機についても、児童生徒数の15%以内であれば補助の対象とした。

これを「GIGAスクール構想 第2期」と呼ぶ。

第2期では、回線の問題も正面から扱われた。文部科学省は2024年4月26日に「学校のネットワーク改善ガイドブック」を策定し、実際の授業のデータ量を測ったうえで、学校規模ごとの推奨帯域を示した。2024年8月29日には、文部科学大臣・総務大臣・デジタル大臣の連名で、電気通信事業の関連4団体に対し、学校が適切な通信サービスを選べるよう協力を要請している。

一巡して、ようやく道路の話が始まったのである。


CH.06

王国の年代記

2019年12月13日 令和元年度補正予算に2,318億円を計上。GIGAスクール構想が始動。
2019年12月19日 文部科学大臣メッセージ「令和時代のスタンダードとしての1人1台端末環境」公開。
2020年 新型コロナウイルスによる全国一斉休校。4カ年計画が1年に前倒しされる。
2021年3月 全自治体等の97.6%が2020年度内に端末納品を完了する見込みと公表される。
2021年度〜 教室で「つながらない」問題が表面化。活用状況に自治体間の格差が生じる。
2023年度補正 端末更新のため2,661億円を計上。都道府県に5年間の基金を造成。
2024年4月26日 文部科学省「学校のネットワーク改善ガイドブック」策定。推奨帯域を提示。
2024年8月29日 文部科学・総務・デジタルの3大臣連名で、電気通信事業4団体に協力を要請。
2024年度〜2028年度 第2期。端末の計画的な更新と、回線の再整備が並行して進む。
2026年(現在) 更新の山場。5年前に一斉に配られた端末が、一斉に寿命を迎えつつある。

CH.07

配ることは、始まりでしかない

この物語から取り出せる教訓は、教育の話に限らない。

そして興味深いことに、その教訓は最初から書かれていた。2019年の大臣メッセージ、あの高らかな宣言の後半に、こんな一節がある。

「忘れてはならないことは、ICT環境の整備は手段であり目的ではないということです。」
— 文部科学大臣メッセージ(2019年12月19日)より

王国は、自分で書いた注意書きを、自分で読み飛ばしたのである。

理由は、たぶん単純だ。手段は数えられるが、目的は数えにくい。端末の配布率も、予算の執行額も、数字で報告できる。だが回線の実測速度も、先生の習熟も、授業そのものの変化も、報告書の一行にはなりにくい。数えられるものが目標の席に座り、数えにくいものが後回しになる。

これは学校だけの病ではない。会社でも同じことが起きる。パソコンを新しくした。クラウドのサービスを契約した。そこで「導入完了」と報告書が書かれ、実際に仕事が速くなったかどうかは、誰も測らない。

しかも、配り終えた瞬間に5年後の請求書が発行されている。一度に揃えることの快感は、同じ大きさの負債になって戻ってくる。

GIGAスクール構想は、失敗ではない。数百万人の子どもが、実際に端末を手にした。その事実は消えない。

ただ、配り終えた日は、ゴールではなく開始の合図だった。王国がそれを思い出すまでに、5年かかったのである。


かくして王国は今日も授業を続けている。
教室では端末の蓋が開き、
子どもたちが画面をのぞきこみ、
読み込みの輪が、静かに回りつづける。
職員室では、先生が
「今日は重いですね」と言い、
「そうですね」と返事が返り、
それ以上は誰も何も言わない。
配線室の壁の裏では、
一本の細い回線が、
全校ぶんの好奇心を、
順番に、律儀に、運んでいる。
――接続 待機中

参考・引用資料
・ 文部科学省「GIGAスクール構想実現への歩み」リンク
・ 文部科学大臣メッセージ「子供たち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現に向けて ~令和時代のスタンダードとしての1人1台端末環境~」(2019年12月19日)リンク
・ 文部科学省「GIGAスクール構想の最新の状況について」(2021年3月19日)リンク
・ 文部科学省「学校のネットワークの現状について」(2024年4月)リンク
・ 文部科学省「学校のネットワーク改善ガイドブック」(2024年4月26日策定/2025年6月27日改訂)リンク
・ 中央教育審議会初等中等教育分科会 デジタル学習基盤特別委員会「次期ICT環境整備方針の在り方ワーキンググループ 取りまとめ」(2024年7月)リンク
・ 文部科学省「学校のネットワーク環境整備」リンク