第五世代コンピュータ王国の興亡
540億円で「考える計算機」を作ろうとした、最後の通産省AI計画
あなたが今、ChatGPTやClaudeのようなAIに話しかけているとき、その裏で動いているのは米国製のGPU(画像処理プロセッサを大量に並べた計算機)と、英語で訓練された巨大なニューラルネットワークである。
実はその45年前、1981年。日本の通産省は、まったく別の方法で「考えるコンピュータ」を作ろうとしていた。論理を直接書き下すPrologという言語と、専用ハードウェア「並列推論マシン」で世界に挑む ―― 総額約540億円、11年がかりの国家プロジェクト。世界中のAI研究者が日本の本気を警戒し、米国DARPAも、欧州ESPRITも、英国アルヴェイも、日本に対抗するために動き出した。
これは、その「考える計算機」の夢が、十年後に「客が誰も来なかったパーティ」と呼ばれて静かに看板を下ろした記録である。
本稿は、1982年から1992年にかけて日本の通商産業省(現・経済産業省)所管の「新世代コンピュータ技術開発機構」(ICOT)が推進した第五世代コンピュータ計画の興亡を、実在する記録に基づいてまとめた歴史コラムです。事実関係は公開資料・一次文献・新聞報道に依拠していますが、章立て・語り口は外典シリーズの体裁としてやや劇的な編集を含みます。実在する人物・組織への敬意を持って書いています。
1981年、京王プラザの抱負
1.1 会場には世界の研究者がいた
1981年秋、新宿の京王プラザホテルに、世界中のコンピュータ科学者が集まっていた。
会議の名は「第五世代コンピュータシステム国際会議」(FGCS1981)。日本の通商産業省が主催し、招かれたのは米国・欧州の人工知能研究の第一人者たちである。スタンフォード大学のエドワード・ファイゲンバウム博士、MITのマービン・ミンスキー、カーネギーメロンのアレン・ニューウェル ―― 当時の人工知能研究を率いていた面々が、日本の発表を聞きに来日した。
1.2 壇上の渕一博博士
壇上に立ったのは、通産省の研究機関である電子技術総合研究所(電総研)の渕一博博士。日本側は次のような構想を披露した。
「これまでのコンピュータは、人間が書いたプログラムを忠実に実行する『計算機』だった。次の世代のコンピュータは、知識を蓄え、推論し、自然言語で人間と対話する。それが第五世代コンピュータである」
会場は静まり返った。
1.3 ファイゲンバウムの問いと、渕の応答
ファイゲンバウム博士が手を挙げた。「なぜ二十年来の研究実績があるLISP(リスプ/人工知能研究で広く使われていた関数型プログラミング言語)ではないのか。なぜProlog(プロログ/論理を直接書き下せる新しい言語)なのか」
渕博士は答えた。
会場がざわついた。後にファイゲンバウム博士は自著で「日本は本気だ」と書く。
これは、戦後の日本のIT政策の中で、もっとも野心的で、もっとも世界に注目され、そして十年後にもっとも静かに消えていくプロジェクトの ―― 序章だった。
IBMの影と、AIというスローガン
2.1 日本コンピュータ産業 ― IBM互換機の影で
1970年代後半、日本のコンピュータ産業は、輸出を含めた市場規模が約2兆円に達するまで成長していた。日立、富士通、NEC、三菱電機、東芝 ―― 国内メーカーは技術力を蓄えていた。しかし、その実態は「IBM互換機の製造」が中心であり、独自路線とは言いがたかった。
2.2 1982年6月、IBM産業スパイ事件
1982年6月22日、米国でとんでもない事件が起きた。日立製作所と三菱電機の社員ら計6人が、IBMの当時の最新鋭メインフレーム機(IBM 3081系列)の機密情報を盗もうとしたとして、FBIのおとり捜査で逮捕されたのである。いわゆるIBM産業スパイ事件。
通産省は焦っていた。「いつまでもIBMの後追いをしていては、日本のコンピュータ産業は二級国家のままになる」。そこで産官学を糾合し、IBMがまだ持っていない領域 ―― 人工知能 ―― で世界の頂点に立つ計画が立てられた。それが第五世代コンピュータである。
2.3 国家プロジェクトの時間軸
国家が、IBMに勝つために、AIを国策にする。
その構想は、1979年から具体化に入っていた。電総研の渕一博博士らが中心となった委員会が二年あまりかけて設計図を描き、1981年の京王プラザで世界にお披露目し、1982年にICOTを設立する ―― という時間軸である。
PrologかLISPか ―― 渕一博の賭け
3.1 Prologという言語
第五世代コンピュータは、設計の根本でひとつ大きな賭けをした。
人工知能の言語にPrologを選んだのである。
3.2 なぜLISPを選ばなかったか
当時の人工知能研究の世界標準はLISPだった。MIT、スタンフォード、CMU ―― AIといえばLISP、LISPといえばAIという時代である。それを日本は捨て、まだ研究室レベルの言語だったPrologに賭けた。
渕博士たちの理屈はこうである。
第一に、欧米の後追いをしても勝ち目はない。
第二に、Prologは論理を直接表現できるため、推論を中心に据える第五世代コンピュータの哲学に合っている。
第三に、Prologはまだシンプルで、いわば「論理プログラミング界のBASIC」(学習しやすく、応用が広がる素朴な言語)であり、これを高速に動かす専用ハードウェアを作れば日本独自の優位性が築けるはずだ。
3.3 欧米の反応 ―― 嘲笑と警戒
この選択は、欧米の研究者からは前衛的に受け止められた。「日本人は若いから、何でも採用してしまう」と冷笑混じりに評する者もいた。一方で、ファイゲンバウム博士ら一部の研究者は「もしPrologで本当にAIが作れるなら、日本は十年で世界を抜く」と本気で警戒した。
歴史の答え合わせは、十年後に来る。
ICOT発足 ―― 産官学が集めた「夢の研究所」
4.1 研究所長 渕一博、46歳
1982年4月、新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)が東京都内に設立され、同年6月から研究所が本格始動した。研究所長として送り込まれたのが、当時46歳の渕一博である(1936年2月16日生まれ、東京大学工学部応用物理学科卒、通産省工業技術院 電気試験所〜電子技術総合研究所のパターン情報部長を経てICOT入り)。
4.2 出向研究員という奇妙な編成
ICOTは奇妙な研究所だった。
研究員は国立研究機関と民間メーカーから「出向」する形で集められた。富士通、NEC、日立、三菱電機、東芝、沖電気、シャープ ―― 国内主要メーカーが社員を派遣し、彼らは数年単位でICOTの所属となって研究に従事した。発足時は約30名の若手研究員からスタートし、最盛期には所員数十〜100名規模、外部協力者を含めると延べ数百名が関わった。
予算は、当初は5年で約240億円。1987年に5年間の追加予算が認められ、最終的に総額約540億円(11年)が投じられた。当時の日本の科学技術プロジェクトとしては破格である。
4.3 渕一博の方針 ―― 「論文を書くな、動くものを作れ」
渕博士はメンバーに繰り返し説いた。
これはICOTの基本姿勢だった。学術誌の論文発表ではなく、Prologが超高速で動く専用機械を実際に作って世界に見せる ―― それが目標である。後年、この方針は「アカデミックな成果が乏しかった」という批判の根拠にもなるが、当時のメンバーの士気は高かった。
夢の研究所、と呼ばれた。
並列推論マシンの十年 ―― PSI、CHI、PIM
5.1 並列推論マシンとは何か
ICOTの十年を象徴するのが、研究所が次々と作り上げた「並列推論マシン」という奇妙なハードウェア群である。
5.2 1985年 ―― PSI-Iと専用OSのSIMPOS
1985年、最初の個人用逐次推論マシンPSI-I(Personal Sequential Inference Machine)が完成。約30 KLIPS(一秒間に約3万回の論理推論)。専用OSのSIMPOSは、Prologにオブジェクト指向を取り入れたESPという独自言語で記述された。市販価格は数千万円規模。世界初の「Prolog専用機」である。
5.3 1987年 ―― 並列化とKL1への進化
1987年、最初の並列推論マシンPIMが動き始める。プロジェクトはここで5年間の追加予算を獲得した。中核言語もGuarded Horn Clauses(GHC、ガーディッド・ホーン・クローズ)に基づくKL1に進化。OSもPIMOSに置き換わった。
5.4 1991年 ―― 完成、最大512プロセッサ
1991年、本格的な並列推論マシンが完成する。最終的にPIMには5機種が作られた。最大構成のPIM/pは512個のプロセッサを搭載し、当時としては世界最大規模のPrologマシンとなった。
・PIM/m:256プロセッサ(CISC方式)
・PIM/c:256プロセッサ(CISC方式)
・PIM/k:16プロセッサ(RISC方式)
・PIM/i:16プロセッサ(LIW方式)
5.5 応用試作 ―― そして「お客」がいなかった
ICOTの研究員たちは、これらの機械の上で、並列データベース「Kappa」、法的推論システム、並列VLSI-CADシステム、遺伝子情報処理システム、並列定理証明システムなど、知識情報処理の応用を次々と試作した。
技術的には、確かに動いた。
問題は、動いた先に「お客」がいなかったことである。
海の向こうの反響と「日本AI脅威論」
6.1 ファイゲンバウム博士のベストセラー
第五世代コンピュータが世界に与えた衝撃は、技術的成果そのものよりもむしろ「日本が国家ぐるみでAIに本気を出した」という事実そのものにあった。
1983年3月、米国の作家パメラ・マコーダックとファイゲンバウム博士は共著で『The Fifth Generation: Artificial Intelligence and Japan’s Computer Challenge to the World』(邦題『第五世代コンピュータ ― 日本の挑戦』)を出版した。本書は米国でベストセラーとなり、論調はおおむね「日本がAIで世界を獲りに来る、米国は危機にある」というものだった。
6.2 米国DARPA戦略計算構想 ―― 10年で約10億ドル
そして、世界各国は本当に動いた。
1983年、米国国防高等研究計画局(DARPA)は戦略計算構想(Strategic Computing Initiative、SCI)を発足。10年で約10億ドルを投じる対抗計画である。
6.3 欧州ESPRIT・英国アルヴェイ
同年、英国はアルヴェイ計画(Alvey Programme、総額3億ポンド超)、欧州共同体はESPRIT(European Strategic Programme on Research in Information Technology、初期5年で約15億ECU規模)を立ち上げた。
6.4 最大の皮肉
世界が日本を真似て、AIに国家予算を突っ込みはじめた。日本がいちばん成功しなかったプロジェクトが、世界各国の研究費の奔流を生み出した ―― ここに第五世代コンピュータの最大の皮肉がある。
王国の年代記
客が誰も来なかったパーティ
8.1 1992年 ―― 終了の時
1992年、約11年の歳月と総額約540億円が費やされたプロジェクトは終了した。
成果として確かに残ったものがある。並列推論マシンの試作機群、専用OSのPIMOS、日本独自の並行論理プログラミング言語KL1、そしてICOTで育った数百人の研究者たち。技術的には、初期の目標 ―― 「述語論理に基づく自動推論を高速実行する並列推論マシンを構築する」 ―― は達成されていた。
しかし、それを使う「アプリケーション」が、ついに生まれなかった。
8.2 International Herald Tribune の総括
1992年6月2日付の International Herald Tribune(東京版)紙、ウィリアム・ザックマン氏のコラム「The Japanese Give Up on New Wave of Computers」は、第五世代の終焉を厳しい筆致で総括している。
同じ記事に、皮肉にも、かつてICOTを最も注目した人物のコメントが掲載されている。
8.3 失敗の解剖 ―― 四つの理由
ハードウェアは作った。OSも作った。言語も作った。しかし、その上で動かす実用的なアプリケーションが、誰の手からも生まれてこなかった。
なぜだったのか。
第一に、PrologとKL1という選択が、結果的にニッチすぎた。世界の主流はC言語、UNIX、後にWindowsへと向かい、論理プログラミングは応用領域を広げられなかった。
第二に、「ハードウェアの作り込み」を重視するあまり、ソフトウェアやアプリケーション側の人材投資が後回しになった。同時期のΣプロジェクト(シグマプロジェクト、1985〜1990年、通産省主導の国産UNIX計画)も同じ轍を踏み、似たように静かに消えた。目に見える機械を作ることは政治的に通りやすいが、目に見えないソフトウェアやコミュニティを育てることは、行政には捉えにくかった。
第三に、そもそも当時のAIに対する「過剰な期待」が世界中で潮を引きはじめていた。第五世代計画の終了とほぼ同時に、世界は「AI冬の時代」(1987年頃〜1993年頃の人工知能研究低迷期)に突入する。日本だけが失敗したのではなく、AIそのものが、まだ早すぎた。
8.4 誰も悪くなかった
そして第四に ―― これが最も外典的な視点だが ―― 誰も悪くなかった。
通産省は国家の威信をかけて予算を出した。電総研の渕博士たちは、欧米の後追いをしない独自路線という信念を貫いた。出向した民間メーカーの研究員たちは、本気で動く機械を作った。海外からは本気で警戒され、対抗プロジェクトを次々生み出した。誰一人として、サボった者はいない。
ただ、「考える計算機を作れば、AIアプリケーションは自然に生まれるはずだ」という前提が、外れていた。今になって振り返れば、AIに必要だったのは専用ハードウェアではなく、大量のデータと、それを学習する統計的アルゴリズムだったのである。それは2012年AlexNet以降の深層学習革命を待たねばならなかった。
第五世代コンピュータ王国は、客が来なかったパーティを片付け、静かに看板を下ろした。研究員たちは古巣のメーカーや大学に戻り、PIMOSのソースコードはパブリックドメインとして公開され、ICOTの建物の鍵は施錠された。
8.5 35年後 ―― 2026年から見るFGCS
そして35年が経ち、2026年の今、私たちは「考えるコンピュータ」 ―― 大規模言語モデルや生成AI ―― と日常的に対話している。それを動かしているのは、日本のPrologマシンではなく、米国製のGPU(画像処理プロセッサ)と、英語で訓練された巨大なニューラルネットワーク(脳の神経網を模した数理モデル)である。
最後に、二つだけ触れておく。
ひとつは、ICOTが育てた数百人の研究者たちが、その後の日本のIT・AI研究の中核を担ったこと。論理プログラミング・自然言語処理・並列計算 ―― 彼らが各大学・企業に持ち帰った経験は、目に見えない遺産として2026年の今も残っている。
もうひとつは、「夢の研究所」をもう一度作るには、どうすればいいかという問いが、今なお答えられていないこと。第五世代コンピュータの後、日本はこれほどの規模で「世界に先んじてAIを国家プロジェクトにする」挑戦を、もう40年近く行っていない。
国家プロジェクトには、二種類しかない。動いたが客が来なかったものと、動かないうちに終わったものである。第五世代コンピュータは、前者だった。後者よりは、たぶん幾分かましなのである。