ガラケー王国の興亡
iモードと「進化しすぎた島」の27年戦争
本稿は実在する企業・人物・サービス・年表に基づくが、語り口は歴史書を模した文学的脚色を含む。引用は出典のある言説を要約しており、特定の組織や個人を貶める意図はない。
「i」という三文字 ― 1999年、雪の二月
1999年2月22日。NTTドコモは、世界に先駆けて携帯電話からインターネットへ接続するサービス「iモード」を商用化した。
仕掛け人は四人いた。リクルートから移籍した編集者・松永真理、ハイパーネット出身の夏野剛、ドコモ生え抜きの榎啓一、そして当時20代の若手社員・栗田穣崇。彼らは新宿の小さな会議室で、「メールが届く電話」「銀行が振り込める電話」「天気予報が読める電話」を、限られた液晶と限られた電波の中に詰め込もうとしていた。
「i」の意味は、interactive、information、internet、そして英語の一人称「I」。曖昧で、欲張りで、しかし、当時の世界のどこにも存在しないサービス名だった。
写真と絵文字 ― 2000〜2004年、自前進化の起点
栗田穣崇はiモード開始と同じ1999年、12×12ピクセルの正方形に、傘・ハート・にこにこ顔・電話・新幹線などを詰め込んだ。これが「絵文字 176種」である。後にこのセットは、2016年10月26日、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に永久収蔵される。
2000年11月1日、J-PHONE(後のソフトバンク)はシャープ製端末「J-SH04」を発売した。11万画素のカメラを背面に搭載し、撮影した写真をメールに添付して送れた。翌年、この機能には「写メール」という愛称が与えられ、「写メ」は日本語の動詞になった。
2001年10月1日、ドコモは第三世代携帯電話「FOMA(Freedom Of Mobile multimedia Access)」を商用化する。これも世界初のW-CDMA方式商用サービスだった。
おサイフケータイ ― 2004〜2006年、楽園の頂点
2004年7月10日、NTTドコモはパナソニック製の「mova P506iC」を発売した。携帯電話にFeliCa(フェリカ)チップを載せ、改札を通り、コンビニで支払い、自販機にかざせば飲み物が出る ―― 「おサイフケータイ」の誕生である。
着メロ、着うた、着うたフル、デコメ、ワンセグ、赤外線通信、QRコード、おサイフ、絵文字、写メ。2004〜2006年の日本の携帯電話は、世界のどの端末よりも多機能で、世界のどの携帯電話よりも電池がもたず、世界のどの携帯電話よりも操作が複雑だった。
そして、世界のどの市場でも売れなかった。
「ガラパゴス」と名付けられた日 ― 2006年
2006年11月、野村総合研究所の研究員北俊一は、同所機関誌『NRI 知的資産創造』に一篇の論文を寄稿した。題して「携帯電話産業の国際競争力強化への道筋 ―― ケータイ大国日本が創造する世界羨望のICT生態系 ―― 」。
ここで日本の携帯電話業界の状況が「ガラパゴス」になぞらえられた。独自の進化を遂げ、固有種が増え、世界基準とは隔絶された島。やがて、総務省のICT国際競争力に関する懇談会の場で当時のKDDI社長・小野寺正がこの論文に言及したことで、「ガラパゴス化」は業界の合言葉になっていく。
褒め言葉の体裁をとった、最大級の警告だった。
黒船は2008年、夏に来た
2007年1月9日、サンフランシスコのMacworld。スティーブ・ジョブズは黒いタートルネックでステージに立ち、「電話を再発明する」と宣言した。日本の業界では、これを「アメリカの遅れた市場が、ようやく日本並みに追いついてきた程度の出来事」と受け止める空気があった。すでに自分たちは”その先”を走っているはずだった ―― あの頃は、本気でそう信じられていたのだ。
2008年7月11日、午前7時。東京・表参道のソフトバンク表参道店前には、開店前から1,500人を超える行列ができていた。iPhone 3Gの日本発売日である。当時のソフトバンクモバイル社長・孫正義はカウントダウンの壇上でこう述べた。
同年3月、三菱電機は携帯電話事業からの撤退を発表していた。2008年度の国内携帯電話出荷台数は前年度の5,076万台から3,589万台へ ―― 約3割の急落(MM総研)。日本の端末メーカーは、ここから一社、また一社と姿を消し始める。
王国の年代記
三度の停波の儀 ― 2022・2024・2026
2022年3月31日、KDDIはau 3G「CDMA 1X WIN」を停波した。同社が祈るような声明文を出した、その夜。長く愛用された「INFOBAR」「W21S」「W42K」たちは、突然、ただの硝子と樹脂の塊になった。
2024年4月15日、ソフトバンクの3Gが終了した。同年1月の能登半島地震を受け、石川県内のみ7月31日まで延長されたのは、せめてもの儀礼だった。
そして2026年3月31日、NTTドコモは「FOMA」と「iモード」のサービスを終了した。1999年2月22日に始まった世界初のモバイル・インターネットは、27年と1ヶ月、誤差にして数十時間の生涯を閉じた。
ドコモは公式声明で「孤高主義の失敗」を反省し、次世代規格6Gと光通信構想IOWN(アイオン)への展開に活かすと述べた。失敗、と本人たちが書く。歴史書として、これほど律儀な国も珍しい。
進化は罪ではなかった
ガラパゴスケータイは、進化しすぎたから滅んだのではない。世界が求めるより少しだけ早く、世界が求めるのと違う方向に、本気で進化してしまったから、世界に居場所を作れなかった。
iモードは間違いなく、世界初のモバイル・インターネットだった。絵文字は、日本語より先に世界共通語になった。FeliCaのおサイフ機能は、2016年のiPhone 7にようやく搭載されるまで、12年間も世界に先んじていた。
しかし、世界はそれを望まなかった。あるいは、世界がそれを望むタイミングを、私たちは待たなかった。あるいは、待っていたら他の島の生物に喰われていた。誰も悪くない。誰の判断も、その瞬間は最善だった。
それでも、振り返ると問いが残る。 ―― 自社の「世界一」は、いま誰の役に立っているか。 機能を増やすほど、自分たちの市場の外には届かなくなる。お客様の要望に丁寧に応えるほど、お客様以外には響かなくなる。ガラケーが残した最大の遺産は、絵文字でも、おサイフでも、写メでもなく、この一つの問いかもしれない。
絵文字はMoMAに収まり、おサイフケータイは日本人の通勤を20年支え、写メは動詞になった。三つも遺産を残せた島は、人類史にそう多くない。それは「失敗」の二文字では到底括れない、長い、長い、夏のような記録である。