ジオシティーズ王国の興亡
情報処理王国史 外典第六十三巻
🏠

ジオシティーズ王国の興亡

全国民に「住所」を配った国が、街ごと取り壊されるまで

GeoCities HOMEPAGE
この記事について
この記事は、実在の出来事・企業・サービスにもとづいています。ただし「王国」「街」「地主」といった語りは、歴史書になぞらえた演出です。年月日・統計・固有名詞はできるかぎり公開情報で確認していますが、解釈や比喩には筆者の脚色が含まれます。正確な情報は末尾の参考資料をご確認ください。

なお本文には、いくつかの略語が出てきます。初めて登場する箇所で意味を添えていますが、まとめておくと――ISP(Internet Service Provider=インターネット接続を提供する業者)、BBS(Bulletin Board System=電子掲示板)、URL(Uniform Resource Locator=Webページの住所を表す文字列)、GIF(画像ファイル形式の一つで、簡単な動く絵=アニメーションを作れる)、TB(テラバイト=データ量の単位。1TBはおよそ1兆バイト)。これだけ覚えておけば、街を歩くのに不自由はありません。

かつて、インターネットには「街」があった。映画好きが集まる街、技術者が集まる街、金融に縁のある者が集まる街――。

新しくやってきた住人には、無料で「番地つきの住所」が配られた。プロでも企業でもない、ごく普通の人々が、生まれて初めて自分の小さな家を世界に持てる場所。その名をジオシティーズという。

日本で開設されたサイトは、400万を超えた。だが20年後、その街は――住人ごと、まるごと取り壊された。誰も悪意を持たないまま。

CH.01

王国は「街」として始まった

1994年11月、米国カリフォルニア州ビバリーヒルズ。デビッド・ボネットとジョン・レズナーという2人が、小さなISP(インターネット接続業者)を立ち上げた。社名は所在地そのまま、「ビバリーヒルズ・インターネット(BHI)」。

彼らが思いついた仕掛けが、後の王国の設計図になった。利用者に無料でWebページの置き場所を配る。ただし、ただ配るのではない。利用者を「街(ネイバーフッド)」に住まわせたのである。

映画好きは「ハリウッド」、技術者は「シリコンバレー」、金融に縁のある者は「ウォール街」――。テーマごとに名づけられた区画があり、新しい住人には順番に番地が割り当てられた。あなたのページの住所(URL)は、たとえば geocities.com/Hollywood/1234 のようになる。番地が若いほど、その街の古株である証だった。

【用語解説】ジオシティーズの「街」と「住所」
ジオシティーズは利用者を趣味やテーマ別の「街」に振り分け、各人に番地つきの住所(URL)を与えた。物理的な土地は存在しないが、「どの街の住人か」「番地は何番か」がそのまま自己紹介になる――インターネットを地理に見立てた、世界初の大規模な試みだった。

土地の値段はゼロ。誰でも引っ越してこられる。社名はやがて「ジオシティーズ(GeoCities)」へと変わった。Geo(土地)+Cities(街々)。直訳すれば「地理の街々」。王国は、住所を配ることから始まった。


CH.02

日本に渡った街

街は海を渡った。1997年6月、ソフトバンクとの合弁で日本法人「ジオシティーズ」が設立され、同年9月、日本版サービスが始まる。

タイミングは完璧だった。当時の日本は、個人が初めて「発信する側」に回りはじめた時代である。テレホタイム(深夜の定額電話時間)に回線をつなぎ、初めての「ホームページ」を世に出す。プロでもなければ、企業でもない。普通の会社員が、主婦が、学生が、自分の小さな家を持てる。それも無料で。

ジオシティーズは、その受け皿になった。難しいサーバー契約はいらない。手順どおりに進めれば、数十分後には自分のページが世界に公開されている。「ホームページを持つ」という、それまで一部の物好きの特権だった行為が、誰の手にも届くものになった。

【用語解説】「ホームページ」という言葉
本来は「ブラウザを開いたとき最初に表示される画面」を指す英語だが、日本では「個人や会社が公開するWebサイト全体」の意味で広まった。ジオシティーズ全盛期の日本では、自分のサイトを持つことを「ホームページを作る」と言うのがごく普通だった。

王国の人口は、増え続けた。


CH.03

街の風景

ジオシティーズの街には、独特の風景があった。今となっては牧歌的に見えるが、当時はこれが最先端の都市景観だった。

まず、玄関にはたいてい「アクセスカウンター」が回っていた。あなたのページが何回見られたかを示す数字盤である。そして住人たちは、その数字が「100000」のようなキリのいい数――通称「キリ番」――になる瞬間を、本気で奪い合った。キリ番を踏んだ訪問者は掲示板(BBS)に報告し、ページの主は記念のイラストを贈る。何の金銭的価値もないのに、街はこの儀式に熱中した。

【用語解説】アクセスカウンターとキリ番
アクセスカウンターは訪問者数を数えて表示する仕組み。キリ番は、その数字がキリのよい数(10000、77777など)になること。「キリ番を踏む(=ちょうどその回数目の訪問者になる)」のは名誉とされ、報告と記念品の贈答という独自の作法が生まれた。

次に、多くのページには「工事中」を示すアニメーションGIF(簡単な動く画像)が貼ってあった。ヘルメットをかぶった人がスコップを振る、あの絵である。問題は、その「工事中」が何年経っても完成しないことだった。未完成であることを堂々と掲げる――それが許される、おおらかな街だった。

そして街と街は「相互リンク」で結ばれていた。気の合うページ同士がお互いの玄関にリンクを貼り、「Webリング」という輪をつくる。検索エンジンがまだ非力だった時代、人は人のリンクをたどって街を歩いた。


CH.04

ヤフーという地主

街が栄えれば、地主が現れる。

1999年1月、米国ジオシティーズは検索大手ヤフーに買収された。金額は30億ドルを超える――当時としては破格の値づけである。広大な「街」に住む何百万人もの住人、その一人ひとりが見る広告。それが価値の源泉だった。

日本でも2000年、ジオシティーズはヤフー株式会社(Yahoo! JAPAN)と統合され、「Yahoo!ジオシティーズ」と名を変える。地主が代わっても、街そのものは賑わい続けた。2008年7月には開設サイト数が400万を突破。報じられたところによれば、その開設ペースは、1997年のサービス開始からおよそ11年間、ほとんど変わらなかったという。

「『Yahoo!ジオシティーズ』で開設されているWebサイトが400万件を突破した。97年のサービス開始以降、開設ペースは変わっていない」
— ITmedia News(2008年7月30日)の報道より要約

11年間ペースが落ちなかった、という事実は重い。それは、王国が一度も「飽きられていなかった」ことを意味する。住人は、増え続けていたのだ。


CH.05

本国の取り壊し

最初に崩れたのは、本国だった。

2009年、ヤフーは米国版ジオシティーズの終了を決める。同年10月、3,800万ページとも言われる英語圏のサイトが、まとめて消える運命に置かれた。買収からわずか10年。30億ドルで買った「街」は、広告収入の主役がブログやSNSに移るなかで、地主にとって維持費のかかる土地になっていた。

ここで動いたのが、有志たちだった。インターネット上の資料を図書館のように保存する非営利団体「インターネット・アーカイブ」と、消えゆくサイトを丸ごと退避させる集団「アーカイブ・チーム」。彼らは取り壊し直前の街に駆け込み、できるかぎりのページを記録媒体に写し取った。

【用語解説】インターネット・アーカイブと Wayback Machine
インターネット・アーカイブは、Webページを過去の姿のまま保存し続ける非営利団体。その閲覧サービスが「Wayback Machine(ウェイバック・マシン=時をさかのぼる機械)」で、消えてしまったサイトの過去の姿を、今でも一部たどることができる。

行政でも企業でもない、名もなき有志が、消えゆく街の記録係を買って出た。誰に頼まれたわけでもなく。これは、後で効いてくる伏線である。


CH.06

最後の通告

本国が消えても、日本の街はまだ生きていた。だが、その時計の針も止まる日が来る。

2018年10月1日、ヤフーは発表する。「Yahoo!ジオシティーズ」を、翌2019年3月31日をもって終了する、と。約20年の歴史に、幕を引く決定だった。

2019年3月31日。サービスは静かに止まった。膨大な数の個人ページが、一斉に表示されなくなる。アクセスできなくなったページにアクセスすると、「Yahoo!ジオシティーズは終了しました」とだけ告げられた。サーバー上のデータは2020年3月31日まではダウンロード可能とされ、その後に全削除される予定とされた。住人には、引っ越しのための猶予が1年だけ与えられた格好である。

ネット上には、惜しむ声があふれた。とりわけ嘆かれたのが、古いコンテンツの消失である。ジオシティーズには、初期のWeb文化を語るうえで欠かせない作品群――凝ったFlash(当時主流だったアニメーション技術)のページや、個人が手作業で書いた膨大な資料――が眠っていた。それらの少なくない部分が、街の取り壊しとともに、たどれなくなった。

「貴重なデータが消えてしまった」「資料を保管していたサイトが滅びた」――サービス終了を惜しむ声が、ネット上で相次いだ。
— ITmedia News(2019年4月1日)の報道より要約

CH.07

王国の年代記

1994年11月 米国でビバリーヒルズ・インターネット(後のジオシティーズ)設立。「街」と「番地」の仕組みが生まれる。
1997年6月 ソフトバンクとの合弁で日本法人「ジオシティーズ」設立。
1997年9月 日本版サービス開始。個人が無料で「ホームページ」を持てる時代へ。
1999年1月 米国ジオシティーズ、ヤフーが30億ドル超で買収。
2000年 日本でもYahoo! JAPANと統合、「Yahoo!ジオシティーズ」に。
2008年7月 日本の開設サイト数が400万件を突破。開設ペースは11年間ほぼ不変。
2009年10月 米国版ジオシティーズ終了。有志がページを緊急保存。
2018年10月1日 Yahoo!ジオシティーズ、翌年3月終了を発表。
2019年3月31日 Yahoo!ジオシティーズ、約20年の歴史に幕。
2020年3月31日 サーバー上データのダウンロード期限。以降は削除予定とされた。

CH.08

誰も街を保存しなかった

ジオシティーズの最期から、一つの問いが残る。なぜ、これほど多くの人の記録が、こうもあっさり消えたのか。

犯人を探すのは難しい。ヤフーは悪事を働いたわけではない。20年も無料でスペースを提供し、終了の半年前に告知し、1年間のダウンロード猶予を設けた。企業として、むしろ丁寧なほうである。住人たちも、怠けていたわけではない。多くは、自分のページがいつか消えるなどと、考えたこともなかっただけだ。

問題は、もっと構造的なところにあった。「無料」とは、誰も対価を払っていないということだ。対価を払っていないものに対して、人は「自分のもの」という意識を持ちにくい。住所をもらい、街に住み、20年そこで暮らしても、土地は最後まで地主のものだった。住人は、自分が「借家人」であることを、取り壊しの通告で初めて思い出す。

そして、誰のものでもない記録は、誰も保存する責任を負わない。行政は「個人の趣味のページまで国が守る話ではない」と考え、企業は「採算の合わない土地は畳む」と判断し、住人は「まさか消えるとは」と油断する。誰一人として悪意はなく、誰一人として職務怠慢でもない。それでも、街はまるごと消えた。

唯一、街を救おうとしたのは、何の見返りもない有志たちだった。インターネット・アーカイブも、アーカイブ・チームも、誰かに命じられたわけではない。「このまま消すのは惜しい」という、ただそれだけの動機で動いた。皮肉なことに、巨大な地主でも、行政でもなく、名もなき有志こそが、人類のデジタルな記憶の最後の番人になっている。

私たちが今、クラウド上に置いている写真も、文章も、思い出も、本質はジオシティーズの住人と変わらない。それは「自分の場所」のように見えて、たいていは誰かの土地の借家である。家賃を払っていようがいまいが、地主が「畳む」と決めれば、街は消える。問題は、私たちがそのことを、たいてい取り壊しの通告で初めて思い出す、という点にある。

あなたのデータは今、誰の土地に置かれているだろうか。その地主が「畳む」と決めたとき、引っ越し先の当てはあるだろうか。

無料で配られた住所に、20年分の人生を置いた者たちがいた。街が消えたあと、その住所をたどると、今もこう表示される――「このページは見つかりません」。

街は、誰のものでもなかった。だから、誰も守らなかった。

番地は配られ、家は建ち、20年分の言葉が積もった。

そして地主が鍵を回すと、街はまるごと静かになった。


―― 表示、終了

参考・引用資料
・ ITmedia NEWS「『Yahoo!ジオシティーズ』終了 『貴重な資料消えた』──ネットから惜しむ声」(2019年4月1日)リンク
・ ITmedia NEWS「『Yahoo!ジオシティーズ』来年3月に終了 Webサイト作成サービス、約20年の歴史に幕」(2018年10月1日)リンク
・ ITmedia NEWS「『Yahoo!ジオシティーズ』400万開設突破 開設ペースは11年間変わらず」(2008年7月30日)リンク
・ Wikipedia「ジオシティーズ」リンク
・ Wikipedia「GeoCities」(英語版)リンク
・ Internet Archive Blogs「GeoCities, Preserved!」(2009年8月25日)リンク
・ Computer History Museum「A Tale of Deleted Cities: A Conversation with GeoCities Co-founder David Bohnett」リンク