MD王国の興亡
74分の宇宙を、手のひらに編んだ国の物語
本稿は、ソニーが1990年代に築き上げた音楽記録メディア「MD(ミニディスク)」の興亡を、史実に基づいて再構成した歴史書仕立ての読み物です。年号・人名・統計・引用はいずれも実在の文献・報道・公式発表に基づいていますが、語り口には王国の興亡記になぞらえたフィクション的な脚色が含まれます。特定の企業・個人を貶める意図はありません。
かつて、この国のすべての通学カバンの中に、小さな四角い円盤が入っていた時代があった。
CDより小さく、カセットテープより賢く、ポケットの中で74分の音楽を抱く――その円盤の名を、MD(ミニディスク)という。日本だけが、世界で唯一、この円盤に夢中になった。
これは、一枚のディスクに未来を賭けた国が、自ら張り巡らせた堀のなかで、静かに滅んでいくまでの物語である。
王国の創建 ―― 一枚のディスクに、未来を賭けた国
1991年、ソニーは小さな四角い箱に未来を見ていた。CD(コンパクトディスク)のように音が良く、カセットテープのように録音でき、しかもポケットに入るほど小さい――そんな夢の記録メディアである。
最初、ソニーはオランダのフィリップス社と手を組もうとした。両社はかつてCDを共同開発した盟友だったからだ。だがフィリップスの答えは「ノー」だった。彼らはまったく別の未来図を描いていた。すなわち「カセットテープをデジタル化する」という道である。
盟友は袂を分かった。ソニーは独自路線を選び、CD開発の技術者と、社内に蓄積していたMO(光磁気ディスク。レーザーと磁気の両方を使ってデータを記録する円盤)の技術をかき集めた。こうして1991年に「ミニディスク」が発表され、翌1992年11月、ついに王国の旗が揚がる。直径わずか64ミリの円盤が、74分の音楽を抱いて世に出たのである。
74分の宇宙 ―― ATRACという名の魔法
ここで王国は、ひとつの難題に直面していた。CDと同じ74分を、CDより遥かに小さなディスクへ、どうやって詰め込むのか。
答えが「ATRAC(アトラック)」だった。
これは魔法のような技術だった。耳には分からないように音を捨て、容量を5分の1にする。さらにソニーは、走りながら聴いても音が途切れないよう、半導体メモリーに音を貯めておく「ショックプルーフメモリー」まで開発した。
技術的には、王国は明らかに先進国だった。問題は、この先進性が「ソニーだけのもの」だったことである。
「借りて録る」という国民的儀式
MDが日本でだけ異様に栄えた背景には、この国に固有の文化があった。「レンタルCD」である。
1985年の著作権法改正で「貸与権」が整備され、レンタル店は権利者へ報酬を払うことで合法的に営業できるようになった。日本人はCDを「買って聴く」のではなく、「借りて録る」ようになった。借りてきたCDから好きな曲だけを選び、自分だけのアルバムを編む――その「編集する楽しさ」を完璧な形で叶えたのが、頭出しも編集も自在なMDだったのである。
通学カバンの中で、恋人へ贈るプレイリストを編んだ世代がいる。ディスクの背に油性ペンで曲名を書き込んだ世代がいる。MDは単なる機械ではなく、平成日本の青春の記録媒体になった。
ただし、この「借りて録る」文化には、静かな代償が組み込まれていた。
規格戦争 ―― 二つのデジタルの衝突
王国の旗揚げと同じ頃、海の向こうではもう一つのデジタル音楽メディアが進軍していた。フィリップスと松下電器が推す「DCC」である。
二つの陣営は、まったく逆の哲学で戦った。MDは「カセットを捨て、円盤の未来へ進め」と説き、DCCは「カセットを残したまま、デジタルへ橋を架けよ」と説いた。
勝負は数年で決した。小さく、頭出しが速く、編集が自由なMDの前に、DCCは見るべき普及をみないまま市場から姿を消した。王国は規格戦争に勝利した。1995年には国内のMD機器販売が年間100万台規模に達したとされる。
だが歴史の皮肉とは、しばしばこういう形をとる。最大のライバルを倒した、まさにその直後に、誰も予想しなかった黒船が太平洋を渡ってきたのである。
黒船、再来 ―― 「Hello iPod. Goodbye MD.」
2001年、アメリカのアップルが「iPod」を世に放った。物理的なディスクを持たず、ハードディスクの中に何千曲も収め、パソコンと繋ぐだけで音楽が流れ込んでくる。「ディスクを一枚ずつ録音し、ペンで曲名を書く」というMD王国の作法は、その瞬間、過去のものになりかけていた。
そして2004年、アップルは王国の名を直接名指しした広告を打つ。
それは宣戦布告というより、引導であった。日本という、世界で唯一MDが本当に栄えた土地に向けて、「もう、さようならだ」と告げたのである。
自らの城に堀を巡らせた王
ここで多くの人はこう思うだろう。「ソニーには、ウォークマンがあり、ソニー・ミュージックという音楽会社まであった。ハードもソフトも持っていたのに、なぜ負けたのか」と。
王国は、戦わなかったのではない。むしろ早く動いていた。2001年には「NetMD」を投入し、パソコンから高速で曲を転送できるようにした。仕組みだけ見れば、iPod+iTunesと同じ「ネット配信+携帯プレーヤー」を、ソニーは先に実現していたのである。
問題は、その作法だった。曲を転送するには「SonicStage(ソニックステージ)」という専用ソフトを使い、手持ちのMP3ファイルさえ、わざわざソニー独自のATRAC形式に変換させられた。背後では「OpenMG」という厳格な著作権保護の仕組みが、利用者の一挙手一投足を監視していた。
利用者は悲鳴をあげた。「重い」「分かりにくい」「なぜこんな面倒な手続きが要るのか」と。一方のiTunesは、ただ曲を放り込めば、それで終わりだった。
なぜソニーは、自らの城にこれほど深い堀を巡らせたのか。理由は、王国の中にもう一つの王国があったからだ。音楽を売るソニー・ミュージックにとって、コピーされやすい仕組みは脅威でしかない。だから機器を作るハード部門が「もっと自由に」と望んでも、コンテンツを守る側は「もっと厳しく」と引いた。ハードとソフトとコンテンツ――すべてを持っていたがゆえに、社内で利害がぶつかり、誰も身動きが取れなくなったのである。2005年、業績不振の責任をとって、当時の会長・出井伸之が退任する。
王国の年代記
誰も間違っていなかった、という結末
MDは、敗れるべくして敗れたのだろうか。
技術は優れていた。圧縮技術は時代を先取りし、編集機能はカセットを過去にし、規格戦争では正々堂々と勝った。文化的にも、平成日本の青春そのものになった。どこにも、決定的な「無能」はいない。
ソニー・ミュージックが著作権を守ろうとしたのは正しい。違法コピーが横行すれば、音楽家は食べていけない。ハード部門が自由な使い勝手を求めたのも正しい。不便な機械は売れない。著作権保護の仕組みを厳格にした技術者も、国際ルールに忠実だっただけだ。全員が、それぞれの持ち場で正しかった。
ただ、その「正しさ」が一つの方向にまとまらなかった。すべてを持っているという強みが、すべてに配慮しなければならないという足かせに変わった。一方、何も持たなかったアップルは、ただ「利用者が楽なこと」だけを一直線に追えた。失うものがない者は、軽い。
これは、ソニー一社の物語ではない。優れた技術を持ち、市場で勝ち、それでも緩やかに退場していった、あらゆる組織の物語である。失敗は、しばしば「誰かの過ち」ではなく、「全員の正しさが噛み合わなかった調整の問題」として訪れる。そして、それが最も厄介なのだ。叱るべき相手が、どこにもいないのだから。
油性ペンで曲名を書き込んだ、あの小さなディスクは、いまも誰かの引き出しの奥で眠っている。読み出す機械は、もう作られない。けれど、そこに編み込まれた74分の宇宙は、確かに一度、誰かの青春のすべてだった。