iPhone上陸王国の興亡
3社が同じ端末を売り始めるまでの、5年間
かつて日本の携帯電話市場には、3人の王がいた。 ドコモとauとソフトバンクは、それぞれ独自の暦(メールアドレスの後ろの文字)と独自の宗教(絵文字の非互換)を持って、隣り合わせで暮らしていた。
そこに、太平洋の向こうから、1台の板が上陸してくる。
これは「アップルが3社を打ち負かした物語」ではなく、「3人の王がそれぞれの立場でいちばん正しい判断を続けた結果、5年かけて全員が同じ板を売るようになった」物語である。
本記事は「情報処理王国史 外典」シリーズの一編です。日本のIT・通信・行政にまつわる実話をベースに、歴史書のような語り口とブラックコメディを混ぜて記録しています。数字・日付・発言はできる限り公式資料や当時の一次報道に沿っていますが、章タイトルや比喩表現には物語的な誇張が含まれます。特定の企業・個人を貶める意図はなく、「誰も間違っていないのに、そうなってしまう」構造を記録することが目的です。
王国は3つに分かれていた
1.1 3人の王
2008年(平成20年)の春、日本の携帯電話市場には3人の王がいた。
NTTドコモは加入者5,000万人超を抱える最大の王国だった。1999年に始まった「iモード」という自国通貨で、着メロ・ゲーム・天気予報・銀行残高照会まで、あらゆる日常を回していた。au(KDDI)は「着うたフル」と「LISMO」で音楽の王国を築き、ソフトバンクモバイル(2006年4月に英ボーダフォン日本法人を買収して発足)は「ホワイトプラン月額980円」でシェアの奪回を狙う、いちばん若い王国だった。
1.2 3つの暦と3つの宗教
3つの王国はそれぞれ独自の暦(メールアドレス @docomo.ne.jp、@ezweb.ne.jp、@softbank.ne.jp)と独自の宗教(絵文字の非互換問題)を持ち、互いに翻訳が必要な通貨で交易していた。
そこへ、太平洋の向こうから、1台の板が上陸してくる。
「歴史的な日」の予告
2.1 WWDC 2008 と予告
2008年6月9日、米サンフランシスコ。アップルの世界開発者会議(WWDC)でスティーブ・ジョブズが「iPhone 3G」を発表した。同日、日本のソフトバンクモバイルはプレスリリースを出し、7月11日に日本で発売することを予告した。
日本上陸を担うのは、3王国のうち末席の若い王国だった。
2.2 技術と思想の非対応
技術的な理由もある。初代 iPhone(2007年)は通信規格が GSM 方式で、日本の電波網に乗らなかった。3G 版(W-CDMA)でようやく日本の周波数に対応した。ドコモも au も、話をしなかったわけではない。ただ、iPhone を売るという選択肢は、いくつもの前提を捨てることを意味していた。
前提とは、iモード(あるいは EZweb)である。
iPhone にはブラウザ Safari とメール(Gmail、IMAP)が最初から乗っていた。だが、その中に「iモードメール」の受信箱はなかった。@docomo.ne.jp のアドレスは iPhone に載らない。着メロ・きせかえツール・iチャネル・iモード公式コンテンツも、すべて対象外だった。
これは技術的な非対応ではなく、思想の非対応だった。iモードは「携帯電話会社が入口を握るインターネット」で、iPhone は「メーカー(アップル)が入口を握るインターネット」だった。同じ回線の上で、王座の主が入れ替わる。
表参道の朝
3.1 1,500人の行列
2008年7月11日、朝7時。東京・表参道のソフトバンク表参道店の前には、前夜から並んだ人を含めて1,500人近くが列を作っていた。ソフトバンクの孫正義社長は開店セレモニーでこう述べた。
3.2 新しい売り方が生まれた朝
売り出された 8GB モデルの実質価格は、24回分割で月々960円、支払総額23,040円。16GB は月々1,440円で34,560円。基本のホワイトプラン(i)月額980円に、パケット定額のパケットし放題フラット月額5,985円、S!ベーシックパック月額315円を組み合わせると、通信費だけで月7,280円という水準だった。当時のフィーチャーフォンの平均月額(総務省統計で概ね5,000〜6,000円台)より少し高い程度で、機種代を実質2万円台まで抑えて広く売る、という初期スマートフォンのビジネスモデルの原型となった。
その日、iPhone は全国で品切れした。表参道店にはやがて「本日の受付は終了しました」の掲示が出された。
3.3 残りの2王国の風景
その夜、ドコモの最大手販売店では、いつも通りの「らくらくホン」と「N-06A」と「F-05B」が売られていた。翌朝の日経新聞は、経済面の三段目にこの発売を載せた。派手に一面を張るには、まだ小さな事件だった。
だが、統計の中で数字は確実に動き始めていた。
「純減」という言葉が知られていく
4.1 MNP という新しい戦場
2008年、日本の携帯電話市場は緩やかに成熟期に入っていた。年間契約数の伸びは鈍り、事業者間の乗り換え(2006年10月24日に始まった番号ポータビリティ=MNP)で顧客を奪い合う局面だった。
MNP: Mobile Number Portability の略。同じ電話番号のまま、他の携帯電話会社に契約を移せる制度。日本では2006年10月24日に開始された。
4.2 「純増1位」の月が積み上がる
iPhone を扱うソフトバンクが「純増1位」を続ける月が増え、KDDI とドコモの経営陣は苛立ちを募らせた。加入者総数ではまだドコモが圧倒的な王だったが、成長のマウンドはソフトバンクに奪われた形だった。
4.3 auが動く
au は動いた。2011年10月7日、KDDI は「auから iPhone 4S を10月14日より発売する」と発表した。田中孝司社長は発売セレモニーでこう述べた。
この一言は、後にドコモ社長が同じ舞台で言うことになる台詞と、ほぼ同じ構造をしていた。
こうして日本の iPhone 市場は「2キャリア体制」になった。残された王国はひとつだった。
最後の王が抱えていたもの
5.1 社長交代の直前だった
ドコモは動かなかった。動けなかった、と言うほうが近い。
2008年6月、ドコモは社長交代を控えていた。中村維夫社長が退任し、山田隆持副社長(当時)が6月20日付で社長に就任することが5月に発表された。まさに iPhone 3G 発売の直前の交代だった。
5.2 Android路線で追う
新体制のもとで、ドコモはスマートフォン戦略を「Xperia」「GALAXY」などのAndroid端末に集約した。2010年4月にXperia SO-01Bを、2011年10月にはGALAXY S IIを主力として売り出した。iPhone ではなくAndroid で iPhone に挑む、という方針だった。
しかし、店頭で顧客が言う一言は変わらなかった。「iPhone、ないんですね」。
5.3 3つの守るべきもの
理由はいくつも重なっていた。第一に、iPhone を扱えばアップルが要求する販売台数の最低保証(コミットメント)を飲む必要があり、経営数字への影響が大きい。第二に、iモードに紐づく数千万規模の資産——@docomo.ne.jpのメール、iモード公式コンテンツの決済プラットフォーム、iチャネル、それらが iPhone には載らない(iモード契約数は2010年7月に約4,900万でピークを迎え、その後緩やかに減少しつつも、2013年頃も4,000万台の水準にあったとされる)。第三に、当時のドコモは自社ブランドの端末を「dメニュー」「dマーケット」で束ねる、自国通貨経済圏の構想を進めていた。iPhone を売ることは、そのすべての入口を、アップルとソフトバンクの後追いに預けることを意味した。
5.4 統計の残酷さ
だが、統計は残酷だった。2013年に入ると、ドコモは MNP による月次流出が10万〜20万件台で続く、いわゆる「一人負け」の状態が定着した。
そして、社長がまた交代していた。2012年6月19日、加藤薫氏がドコモ社長に就任していた。
「本当にお待たせしました」
6.1 共同発表の日
2013年9月11日、東京。NTTドコモとアップルは、9月20日から iPhone 5s と iPhone 5c を提供開始する、と共同で発表した。加藤薫社長は「革新的な iPhone 5s、iPhone 5cをお客様にご提供できることを、大変嬉しく思っております」とコメントした。
6.2 販売初日の短い挨拶
9月20日の販売セレモニーで、加藤社長は集まった顧客に向けて短く言った。
6.3 5年2ヶ月と9日の顛末
こうして、iPhone 3G の日本上陸から5年2ヶ月と9日、日本の3大キャリアがそろって同じ iPhone を売る朝を迎えた。ソフトバンクは店頭に旗を立てた。auは「三太郎」のCMを走らせた。ドコモは、静かに MNP の流出を止めていった。
その日、iモード対応の携帯電話(フィーチャーフォン)は、まだ売り場の隅で売られていた。だが、その隅は年ごとに小さくなり、2026年3月31日、NTTドコモは公式発表(2024年3月21日発表)どおり「FOMA」および「iモード」のサービス提供を終了した。
長い王朝は、電源を落とすように終わった。
王国の年代記
終わったのは「電話が電話であった時代」
8.1 3社の判断はどれも合理的だった
この5年間で起きたことは、けっして「アップルが日本の携帯業界を打ち負かした」という単純な物語ではない。
3社の経営者は、それぞれの立場でいちばん正しい判断をしていた。ソフトバンクは失うものが少なく、独占契約という賭けに乗る余地があった。KDDI は追随する時期を測り、通信品質と CM で「二番手の強み」を作った。ドコモは4,000万件超のiモード契約という守るべき資産を最後の日まで守り、守るのが割に合わなくなった段階でようやく手放した。
いずれも、その組織においては合理的だった。ただ、業界全体としては、電話が電話であった時代——ボタンを押すと着メロが鳴り、キャリアがコンテンツを認可し、公式サイトからだけ音楽を落とせた時代——が、5年かけて静かに終わった。
8.2 読者への問い
そう考えると、iモード王国が5年抵抗して降参したのは、決して遅すぎたわけではない。「決めることができるようになった時、決めた」だけだ。
私たちが自分の会社で決めるのも、それと同じかもしれない。
3つの王国は、まだそれぞれの旗を掲げている。
ただ、店頭のガラス棚に並ぶ端末は、みな同じ形になった。
角がわずかに丸い、薄い板。
裏面にリンゴのマークが刻まれた、
あるいは Android の緑の菱形が起動画面に浮かぶ、
同じような板。
かつて絵文字は3社で互いに翻訳が必要だった。
いまはユニコードの標準表で、同じ絵が届く。
かつてメールアドレスの後ろは、キャリアの旗印だった。
いまは Gmail と LINE と iMessage が、その旗を吸収した。
王朝は倒されたのではなく、
次の暦に置き換わっただけだ。
歴史書には、置き換わりの間にあった小さな一言が残る。
「歴史的な日です」(2008年7月11日、表参道)
「すべての始まりなんです」(2011年10月14日、原宿)
「本当にお待たせしました」(2013年9月20日、都内店舗)
3つの台詞は、それぞれの立場から見れば、みな正しかった。
―― 接続 完了
https://www.apple.com/newsroom/2008/06/09Softbank-and-Apple-to-Bring-iPhone-3G-to-Japan-on-July-11/
https://www.softbank.jp/corp/group/sbm/news/press/2008/20080610_01/
https://www.softbank.jp/corp/group/sbm/news/press/2008/20080623_02/
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1708/10/news036.html
https://av.watch.impress.co.jp/docs/20080711/sb.htm
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0805/13/news088.html
https://www.kddi.com/corporate/news_release/2011/1007b/
https://www.itmedia.co.jp/promobile/articles/1110/14/news044.html
https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/2013/09/11_00.html
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK20027_Q3A920C1000001/
https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/2024/03/21_01.html
https://www.tca.or.jp/database/