地デジ王国の興亡
10年前に決まった「その日」に向けて、国中のテレビが取り替えられるまで
この物語は、公表されている報道・法令・総務省資料に基づく実話を、外典シリーズの語り口でまとめたものです。日付・数値は公的資料に依拠していますが、人物の心情表現などには演出を含みます。「地上デジタル放送への完全移行」は、日本のほぼ全世帯が同時に受信環境を切り替えた、世界にも例の少ない国家プロジェクトでした。ITの話でありながら、居間のテレビ一台、屋根のアンテナ一本、一人暮らしの高齢者の一言が主役になる、そんな王国の記録です。
10年前に日付だけが決まった、「テレビの終わりの日」があった。
その日に向けて、テレビ画面のすみに小さな警告文字が浮かび、シカのゆるキャラが商店街を回り、生活保護世帯に無償チューナーが届けられた。
そして到来した2011年7月24日、東北の海岸線を襲った津波が、10年計画にひとつだけ例外を作った――。
王国の建国
2001年(平成13年)7月25日、改正電波法が施行された。
条文は静かなものだった。地上アナログテレビジョン放送に割り当てられている電波の周波数を使える期間は、この改正法の施行から「10年を超えない範囲」で定める――。
条文を素直に読めば、答えはひとつしかない。2011年7月24日。この日をもって、1953年(昭和28年)にNHKが本放送を始めて以来続いてきた「電波を空に流し、家庭のアンテナが受ける」というアナログ放送の営みは終わる。ちょうど10年前に、終わりの日は決まっていた。
決めた側は、こう思っていたはずである。
――10年もあれば、なんとかなる。
(今から振り返れば、10年で完了できたのは奇跡に近い。当時の日本の世帯数はおおよそ5,000万世帯規模。屋根の上のアンテナ、テレビ本体、共聴施設、中継局のすべてを、この10年で入れ替える計画だった。)
三都で灯された、最初の火
2003年(平成15年)12月1日、正午。
東京・大阪・名古屋の三大都市圏で、NHK3局と民放16社から地上デジタル放送が始まった。世界にも例の少ない、日本独自の方式「ISDB-T」による放送だった。
三大都市圏の一部世帯では、屋根のUHFアンテナ(もともとローカル局を受信するための小さなアンテナ)とデジタル対応チューナーがあれば、その日のうちに新しい映像が映った。ノイズのない、細部まで見える映像だった。
ただ、映る家はまだ少なかった。放送は始まったが、送信所は都心部の中継局から順に整備されていく。「地デジ」という言葉は、一部の家電量販店の店頭ポスターにあるだけの言葉だった。
3年後の2006年(平成18年)12月1日、地デジは全都道府県の県庁所在地とその近隣で受信可能になった。
同じ2006年の7月には、霞が関の総務省で「地上デジタル放送完全移行まであと5年!カウントダウンセレモニー」が開かれ、銀座・数寄屋橋の交差点にはカウントダウンボードが立った。日付は毎日1ずつ減っていった。
まだ、多くの居間のテレビはブラウン管だった。
茶の間に浮かぶ「アナログ」の文字
2008年(平成20年)7月24日。
その日を境に、日本中のアナログ放送を映しているテレビの画面には、ある小さな文字が浮かぶようになった。
――右上に、「アナログ」。
この日、NHK総合・NHK教育で「アナログ」の常時表示が始まった。民放各局もほどなく続いた。技術的にはただの重ね合わせだが、視聴者の受け止め方はそうではなかった。
「うちのテレビ、壊れたのかしら」
「なんで、この4文字が消えないの」
各地の家電量販店とNHK営業所には、同じ質問が集中した。答えは決まっている。
壊れていません。3年後の2011年7月に、この放送は終わります。
2010年7月5日からは、画面をさらに上下に黒帯で挟み、その黒帯にも終了告知が流れるようになった。テレビ画面は、常にどこかに「終わる」と書かれた画面になった。
一日の暮らしの中で最も長く見つめる長方形の中に、静かなカウントダウンが埋め込まれた。テレビは、テレビ自身の終焉を毎日告げるようになった。
地デジカと、カウントダウンの日々
2009年(平成21年)4月27日、キャンペーンキャラクターが発表された。
黄色いレオタード、頭にはアンテナ状の角。名は「地デジカ」。日本民間放送連盟(民放連)が版権を持ち、フジテレビが制作幹事となって約150の案から選ばれた、ゆるいシカのキャラクターだった。
「地デジカ」の前任者と目されたのは、俳優の草彅剛である。地デジ推進大使として長くCMに出ていたが、2009年4月に草彅氏の私生活に関する報道があり、CMは差し替えとなった。そこに登場したのが、この角の生えたシカだった。
CH.03の「アナログ」表示が「怒られる側の告知」だったとすれば、地デジカは「愛される側の告知」を担った。ぬいぐるみが作られ、着ぐるみが商店街を回り、ローカル局の子ども番組で踊った。角がアンテナである、というだけの単純な絵柄が、記憶に残る絵になった。
同じ頃、全国各地に「デジサポ」(総務省テレビ受信者支援センター)の看板が立った。2008年10月1日に全国11か所で業務を開始し、2009年2月2日には40拠点が追加され、全都道府県51か所体制となった。
デジサポの仕事は地味である。マンションの共同アンテナの改修相談、山かげでうまく映らない家への訪問調査、電話での問い合わせ対応、機器選びのアドバイス――。テレビ画面の派手なカウントダウンを、屋根の上と電話口で支える人たちが、こうして全国に配置された。
追いつけない者たちのために
「10年もあれば、なんとかなる」と考えた側の想定には、二つの欠落があった。
ひとつは、新しいテレビを買えない人。もうひとつは、電波が届かない場所に住む人。
まず前者へ。
2009年5月15日から、政府は「家電エコポイント制度」を始めた。地デジ対応テレビ・エアコン・冷蔵庫のうち、省エネ性能の高いものを買うと、購入額に応じて商品券などと交換できる「エコポイント」がつく。目的は温暖化対策と景気刺激だったが、テレビ需要を強く押し上げた。
制度開始から翌年4月末までの間、エコポイント申請の約73.8%(件数ベース)、約83%(発行ポイントベース)が地デジ対応テレビだった。国が景気対策の名でテレビ売り場を回し、視聴者は「もらえるうちに」と買い替えた。制度は当初の期限を何度も延ばしたのち、2011年3月末で終了した。
同じ頃、生活保護世帯やNHK受信料の全額免除世帯には、簡易チューナーを無償で配布する制度が動いていた。運営は「総務省地デジチューナー支援実施センター」。古いブラウン管テレビにチューナーを繋げば、あと数年は使える。安価な機器と、それを届ける物流が、静かに全国を回った。
次に後者へ。
山間部や離島など、地デジの電波が地上からは届きにくい地域のために、「地デジ難視対策衛星放送(衛星セーフティネット)」が2010年3月11日から始まった。放送衛星(BS)を使って、地デジで放送されている番組を暫定的に配信する仕組みで、対象世帯にはBSアンテナが貸与された(この開始日「3月11日」が、翌年の同じ日に別の意味を持つことを、当時は誰も知らなかった)。
もう一つ、忘れてはいけない登場人物がいる。悪徳アンテナ工事業者である。
「今すぐ工事しないと、7月からテレビが映りませんよ」――そう言って一軒家を回り、相場の何倍もの工事費を請求する業者が全国に現れた。総務省は自らのウェブサイトに「地上デジタル放送に関する悪質商法とその対策」を掲げ、国民生活センターにも同種の相談が並んだ。角の生えたシカが子どもたちに笑いかけていた同じ頃、玄関先では別のドラマが起きていた。
3月11日、時計が止まった東北
2011年(平成23年)3月11日、14時46分。
東日本大震災が起きた。津波は東北の海岸線を襲い、放送に必要な設備の一部――中継局の予備電源、共聴施設(山や谷にまとめて共同で電波を分ける設備)、屋根の上のUHFアンテナ――もまた、傷つき、流された。
その4か月後に、10年前に決まっていた「その日」が控えていた。
総務省は同年4月、地デジ完全移行のスケジュールを見直すと表明した。岩手・宮城・福島の3県については停波を延期する――アナログ放送を、東北3県だけは、もうしばらく残す。他の44都道府県は予定通り、2011年7月24日にアナログ放送を終える。
7月24日、正午。
44都道府県のアナログ放送は終了した。画面には、静かに終了告知が流れ、そのあと砂嵐(信号のない画面)になった。約60年続いた地上アナログ放送の歴史が、ここで一度、幕を閉じた。
翌2012年(平成24年)3月31日、正午。東北3県のアナログ放送も通常放送を終え、同日24時までに停波した。これで日本全国のアナログ放送は、正真正銘、姿を消した。
王国の年代記
誰も悪くなかった、という結末
10年前に日付を決めた官僚は、いつか替わり、いつか退官した。カウントダウンボードを立てた広報担当者も、地デジカを世に送り出したフジテレビの若手も、今は別の仕事をしている。屋根に上ってUHFアンテナを立てた電気工事店の親方は、今日も別の工事で梯子をかけている。
みんな、自分の場所では正しかった。
総務省は正しかった。世界的な周波数再編(アナログ電波の跡地は携帯電話や防災用無線に再利用された)を前に、期限を切って移行を進めなければ、日本だけが取り残されていた。
放送局は正しかった。ハイビジョン品質での放送・電子番組表・データ放送は、視聴者にとって明確な利便性の向上だった。ISDB-T方式は、後にブラジルなどにも採用され、世界に輸出される規格となった。
視聴者は正しかった。「壊れてもいないテレビをなぜ買い替えるのか」――この問いはずっと合理的である。実際、家電エコポイントと簡易チューナーがなければ、多くの家庭は取り残されていたはずだ。
震災で予定を変えた判断も正しかった。屋根が流された地域に、アナログ停波の日付だけを押し付ける国は、まっとうな国ではない。
そして、誰かの善意だけでは埋まらなかった溝には、玄関先で高額な工事費を請求する業者がスッと入り込んだ。誰も彼らに「そこに入っていい」と許可を出したわけではない。ただ、制度と広報とキャラクターと補助金だけでは、玄関の扉の内側までは届かなかった、というだけのことだった。
移行から十数年が経った今、当時買い替えられた地デジ対応テレビの多くはすでに寿命を迎え、二代目・三代目に交代した。あの時、居間の主役だった大画面は、動画配信サービスに主役の座を譲りつつある。テレビが総出で「アナログ」の4文字を出していた日々を、覚えている人はどれだけいるだろうか。
砂嵐は静かに、しかし確かに、日本のすべての茶の間から消えた。