ホームページ・ビルダー王国の興亡
HTMLを知らずに国を建てた30年
この記事は、日本のホームページ制作史における「ホームページ・ビルダー」の圧倒的支配と静かな衰退を、歴史書体裁のブラックコメディとして描いたものである。年月日・製品バージョン・シェア数値はすべて公式発表と報道記事から取ったが、章題や皮肉めいた語り口はフィクション的である旨、あらかじめ断っておく。
王国の誕生
1.1 1994年、HTMLがまだ「詠み書き」だった時代
1994年、日本IBMの大和開発研究所は、ひとつのソフトウェアを世に放った。名は「ホームページ・ビルダー」。バージョン1.0。
当時、HTML(HyperText Markup Language:ウェブページを記述する言語)は登場したばかりで、「ホームページを持つ」ということはすなわち「タグを書く」ことを意味していた。<html>と<body>の間に、<font>と<b>と<center>を並べる。改行は<br>で入れる。画像は<img>で貼る。
そのすべてを、「知らなくても大丈夫」と言い切ったのがホームページ・ビルダーだった。
1.2 ターゲットは「プロではない人」
大和研究所は、当初からターゲットを明確にしていた。プロのウェブ制作者ではない。中小企業の経理担当者。定年後にホームページを始めたい元教師。町の写真館の店主。
彼らに「HTMLの参考書」を読ませず、ドラッグ&ドロップで「ホームページらしきもの」を作らせる。それが王国の建国理念だった。
13年連続、売上1位
2.1 静かな独占
王国は静かに、しかし確実に領土を広げた。
1996年12月13日、バージョン2.0発売。1997年10月31日、バージョン3.0。1998年11月13日、名前を「ホームページ・ビルダー2000」と改める。1999年10月8日、「ホームページ・ビルダー2001」発売。
そして1999年10月、Webオーサリングツール(ウェブページ作成ソフトのパッケージ製品)市場で売上1位に立った。ここから13年間、その座を一度も降りることはなかった。
2.2 「7割の日本語サイト」という数字
2007年2月、情報処理推進機構(IPA)が公表した調査「OSSデスクトップ普及に資するWebコンテンツ互換性向上に関する調査」によれば、Webオーサリングソフトを使って作られている日本語サイトの実に68%以上が、ホームページ・ビルダーで制作されていた。
2008年、ソースネクストが実施した「ホームページ作成に関する使用実態調査」では、回答者の71.7%が「ホームページ・ビルダーを使っている」と回答した。
町の花屋のホームページも、ある町工場のホームページも、地方の観光協会のホームページも。そのおおよそ7割が、大和研究所生まれの同じソフトから吐き出されていた。
秘伝の技「テーブルレイアウト」
3.1 <table>で組む、というやり方
ホームページ・ビルダーが君臨した時代、日本のホームページには、ある独特の「型」があった。
見出しは<font size="5">。写真は<center>で囲む。文字が横に流れるあの動きは<marquee>。そして最も重要なのは、レイアウト調整のためにあらゆる場所で使われた<table>だった。
<table>を、ページのレイアウト(左に写真、右に文章、下に住所…)を組むために転用する手法。当時のブラウザでCSS(後述)の実装が不安定だったこともあり、1990年代後半から2000年代前半にかけて広く用いられた。「見えない罫線を消して、複雑な入れ子のマス目に文章と画像を放り込む」ことでホームページの体裁を保っていた。
3.2 「知らなくてよい」という発明の副作用
ホームページ・ビルダーは、この「テーブルレイアウト」を初心者に許した。というより、推奨した。ドラッグ&ドロップで写真を置くと、内部では静かに<table>が生成されていた。ユーザーはそれを知らない。知らなくてよい。それが建国理念だった。
やがて、こうして生まれた膨大な「ホームページ・ビルダー製サイト」たちは、ひとつの副作用をもたらした。HTMLソースを開いたときの、あの独特の光景である。何十行にもわたる<table>の入れ子。空白セルを埋めるだけの<img src="spacer.gif">。閉じ忘れられた</font>。
3.3 Firefoxで開くと消えるサイト
2007年2月、IPAはFirefox(当時のオープンソースブラウザ)とInternet Explorer 6の互換性問題を調査した際、あるバージョンのホームページ・ビルダー(V6〜10)が、z-index(要素の重ね順を指定するCSSプロパティ)にマイナス値を使う独特の設計をしており、その結果Firefoxで開くと該当要素が「すべて非表示になる」致命的な副作用を引き起こすことを報告している。
王国のサイトは、王国のブラウザ(Internet Explorer)でしか、正しく見えなかった。
王朝の内乱
4.1 同じ商品を、二社が売る
2007年、王国に不穏な影が差した。
日本IBMは、この年発売のバージョン11(V11)について、ソースネクスト社と「独占販売契約」を結んでいた。しかしその一方で、ジャストシステム社を通じて教育機関・官公庁向けにライセンス販売を開始した。
同一製品を、独占契約のパートナーと、別のパートナーの両方から売る。ソースネクストは「独占契約違反」として日本IBMを提訴。2007年12月に一部和解、2008年7月に全面和解が成立した。
4.2 棚のパッケージは、そのままだった
王朝の血縁関係は複雑だった。開発は日本IBMの大和研究所。販売はソースネクストとジャストシステムの両方。教育・官公庁向けは別ルート。パッケージには「IBM」のロゴが誇らしげに刻まれていたが、その内側では複数の企業が「うちが売る権利がある」と主張しあっていた。
ユーザーはそんな内乱を知らない。町の写真館の店主は、家電量販店の棚に並ぶ「IBM ホームページ・ビルダー」を、そのままレジに運んだ。
王権の譲渡
5.1 2010年2月16日、王朝が代わった日
2010年2月16日。
ジャストシステムは、日本IBMから「ホームページ・ビルダー」のプログラム著作権と商標権を取得した、と発表した。
譲渡金額は公表されていない。IBMは、日本市場向けに16年間育ててきたパッケージソフトを、正式にジャストシステムへ手渡した。
5.2 IBM本体の「軸足の移動」
背景には、IBM本体の事業方針の変化があった。IBMは2004年12月にパソコン事業(ThinkPadブランド)を中国のレノボに売却することを発表し、2005年5月に事業移管を完了しており、コンシューマー向け製品から手を引く流れの中にあった。「大企業向けIT」に軸足を移す本社の意向は、日本の中小企業向けパッケージソフトを長く抱え続ける理由を薄めていた。
ジャストシステムは、日本語入力の一太郎とATOKで培ったブランドで、この「元IBM」の王国を引き受けた。開発チームの一部も移り、パッケージのロゴから「IBM」の文字は消え、代わりに「JustSystems」の名が刻まれた。
町の写真館の店主は、その変化にほとんど気づかなかった。「箱が変わったな」と思っただけだった。
CSSへの改宗
6.1 建築様式の総取り換え
2010年12月3日、王権を引き継いだジャストシステムは、バージョン15を発売した。
このバージョンには、王国の歴史を書き換える決断が含まれていた。
15年以上にわたって王国の建築様式だった「テーブルレイアウト」を、正式に終わらせる。テンプレートを全面刷新し、レイアウトはすべてCSSで組む。それが決断だった。
6.2 しかし、過去の資産は残る
翌年2011年10月7日、バージョン16でスマートフォン用サイトの自動生成機能を搭載。翌々年2012年10月5日、バージョン17でWordPress対応とHTML5対応。ジャストシステムは、王国の建築様式を、時代の潮流に合わせて何度も塗り替えた。
しかし、問題があった。過去15年間、王国の民が作り続けてきた膨大なホームページは、依然としてテーブルレイアウトのまま残っていた。町の写真館のホームページも、地方の観光協会のホームページも。「バージョン15を買えばいい」だけでは、既存のサイトは新しい様式に変換されない。多くの民は、古いバージョンを使い続けた。それで十分だと思っていた。
侵略者たちの波
7.1 外から来た四つの波
王国が新様式を整えている間、外の世界は違う方向に進んでいた。
WordPressが来た。無料で使えるコンテンツ管理システム(CMS:ウェブサイトの記事を投稿・管理する仕組み)。世界のウェブサイトの約4割で使われるまでに成長した(W3Techs 2024年統計)。パソコンにインストールするパッケージソフトではなく、レンタルサーバー上で動く。更新はブラウザで行う。「箱を買ってインストールする」文化そのものへの侵略だった。
WixやJimdo、そして日本発のペライチが来た。ブラウザだけで、ドラッグ&ドロップで、ホームページが作れる。しかも無料または月額課金。パッケージソフトの店頭販売という商流そのものを迂回する存在だった。
スマートフォンが来た。パソコンでホームページを見る文化そのものが揺らいだ。「レスポンシブデザイン」(画面幅に応じてレイアウトを自動調整する設計)が必須になった。テーブルレイアウトのままのホームページは、スマホの狭い画面で崩れて、押しつぶされた文字を表示するようになった。
SNSが来た。個人事業主は「まずSNSで発信すれば十分」と考えるようになった。ホームページを持たない選択肢が、初めて現実味を帯びた。
7.2 王国側の対応と、離脱する民
王国は、これらすべての侵略に、粛々と対応した。バージョン17でWordPress対応、バージョン19で「ホームページ・ビルダーSP」(初心者向けの簡易編集モード)を追加、バージョン20でレスポンシブデザイン対応。
しかし、対応するたびに、王国の民の一部は「新しいバージョンを覚えるのが面倒だ」と、そのまま更新をやめた。
まだ終わらない王国
8.1 2020年、2025年、それでも新版が出る
2020年4月22日、バージョン22発売。前バージョンから3年半ぶり。
2025年6月27日、バージョン23発売。前バージョンから5年ぶり。個人向け価格29,700円(税込)。約9,700通り以上のテンプレートを収録。
8.2 68%が1.7%になった、それでも
シェアは、もはや全盛期の面影を残していない。2024年時点のある調査によれば、日本語を使用するWebサイトのCMSシェアで、ホームページ・ビルダーは全体の約1.7%。全盛期の68%からの落差は約40倍である。
しかし、王国は消えていない。
家電量販店のパソコンソフトコーナーには、今も「ホームページ・ビルダー23」の箱が並ぶ。地方の商店主が、店を継いだ息子に「そろそろホームページ、作り直したいんだが」と相談する。息子は「WordPressで作った方が…」と言いかけて、「いや、お前が慣れているソフトでいいよ」と付け足す。息子は、家電量販店の袋を提げて実家を出る。
王国の民は、減った。しかし、消えたわけではない。「HTMLを書きたくない」「箱を買って所有したい」「ジャストシステムだから信用できる」——理由はまちまちだが、王国はまだ、その民に応え続けている。
誰も悪くない王国だった
9.1 勝ち負けでは語れない何か
ホームページ・ビルダーは、1994年に誕生してから2026年の現在まで、32年間続いた。日本のIT製品としては、極めて長命な部類に入る。
その歴史を、勝ち負けで語ることはできる。「WordPressに敗北した」と言えば、そう言える。「シェア68%から1.7%になった」と言えば、そう言える。しかし、それだけでは足りない何かがある。
HTMLを知らなくてもホームページが作れる——この理念は、1994年当時、極めて民主的な発明だった。技術者だけが情報発信できる世界を、町の花屋にも観光協会にも開いた。地方の商店主は、この王国のおかげで、初めて「うちの店のホームページ」を持てた。それは事実である。
そして同じ理念が、副作用も生んだ。ユーザーはHTMLを学ぶ機会を失い、テーブルレイアウトの巨大な遺産を残し、CSSやレスポンシブという新しい建築様式に自力で移行することが難しくなった。世界の建築様式が変わったとき、王国の民は取り残された。
9.2 誰の落ち度でもなく、時代の流れだった
これは、誰かが悪いのだろうか。IBMは、初心者に優しい製品を作った。ジャストシステムは、王国を引き継いで、時代に合わせて改修し続けた。ユーザーは、目の前にある道具で、精一杯ホームページを作った。それぞれが、それぞれの持ち場で、正しいことをした。
——それでもなお、王国は縮んだ。技術の潮流は、そういう向きに流れた。それだけのことだった。
誰も悪くない王国が、静かに縮んでいく光景を、私たちはこの30年、たしかに見てきた。