あなたが今日、病院の廊下を歩いていたら、看護師さんの胸ポケットに小さな電話が刺さっているのを見たかもしれない。あれは”携帯電話”ではない。日本で1995年から28年間生き続け、2023年に静かに消えた、別の電話の最後の血脈である。
名前を「PHS(ピー・エイチ・エス/Personal Handy-phone System)」という。世界に先駆けてデータ通信を月額定額にし、iPhone登場の2年前にスマートフォン的端末を発売した、技術的にはきわめて優秀な王国だった。
これは、その王国が三つに分かれて生まれ、一つに減り、世界より早く未来を作り、それでも携帯電話の波に飲まれていった、25年戦争の年代記である。
この記事について
本記事は、1995年から2023年まで存在した日本独自の簡易携帯電話システム「PHS(ピー・エイチ・エス/Personal Handy-phone System)」と、その最後の事業者であるウィルコム株式会社の興亡を、ブラックコメディ仕立ての年代記としてまとめたものです。主要な年月日・会社名・契約数・サービス名は公的資料および各社プレスリリースに基づきますが、語り口は外典シリーズの作法に従いやや誇張・寓話化しています。
【用語解説】PHS(Personal Handy-phone System)
1995年に日本で商用化された、移動体通信規格のひとつ。電話局の代わりに「親機(基地局)」を街中に細かく配置し、半径100〜500m程度の小さなセルで通話する方式(マイクロセル方式)を採用していた。携帯電話より電波が弱く(PHSの平均出力は80ミリワット程度、最大でも500ミリワット/携帯電話は数ワット級)、消費電力も小さい代わりに、高速移動中の通話が苦手だった。略して「ピッチ」と呼ばれた時期もある。
CH.01
1995年7月1日、王国は三つに分かれて生まれた
あらすじ:1995年7月1日、日本に三つの新しい電話王国が同時に誕生する。NTTパーソナル・DDIポケット・アステル(同年10月開始)。携帯電話より安く、軽く、デジタル音質。郵政省(当時)が制度設計した「もうひとつの携帯」が始まる。
1.1 三つの王国は、それぞれ生まれが違った
1995年7月1日、日本に三つの新しい電話王国が同時に誕生した。NTTパーソナル、DDIポケット、そして同年10月1日に追随したアステル(東京通信ネットワーク系列)の三つである。
携帯電話(移動電話)はまだ重く、月額1万円を超える贅沢品だった時代である。当時の郵政省(後の総務省。中央省庁再編で2001年1月から総務省に)はもうひとつの選択肢として、軽くて安く、デジタルで音質も良い「簡易な携帯電話」を技術基準に定めた。これがPHSである。
1.2 マイクロセルという思想
【用語解説】マイクロセル方式
基地局の出力を絞り、半径100〜500m程度の小さな”セル(電波が届くエリア)”を市街地にびっしり並べて電話を成立させる方式。携帯電話の「マクロセル方式」(半径数キロ)に対する呼称。出力が小さいぶん、高速移動には弱いが、機器の値段も電気代も安く、輻輳(混雑時の繋がりにくさ)に強いという長所があった。
三つの王国はそれぞれ生まれが違った。NTTパーソナルはNTTの実子、DDIポケットは京セラ・第二電電(DDI、現KDDI)連合の連合軍、アステルは旧電力会社系の地方通信会社の集合体だった。家系は違うが、共通の敵は同じだった。携帯電話である。
俯瞰メモ:3社並列という設計
同じ規格、同じ電波、同じ料金体系で三つの会社が並んで始まる――これは独占を避けるための行政設計だった。3社あれば競争で値下げが進むという期待のもとで作られた制度だが、結果として「3社とも体力が分散され、誰もスケールできなかった」という別の帰結を生む。設計と実態のズレは、その後25年の通奏低音になる。
CH.02
1997年9月、頂点で立ち止まった国
あらすじ:1995〜1997年、PHSは「ピッチ」と呼ばれて若年層に爆発的に流行し、1997年9月に総契約数約710万でピークに到達する。しかし1999年2月22日のiモード開始で、「安いが繋がらない」PHSの位置取りが急速に苦しくなる。
2.1 ピッチと呼ばれた電話
1995年から1997年にかけてのPHS市場は爆発的に成長した。料金は基本料金約2,500円・通話料は1分10円台と、当時の携帯電話の半額以下。「ピッチ」と呼ばれて中高生に流行し、ポケベル文化からの移行先になった。
1997年9月、PHS総契約数は約710万に達した。これがPHSの第一の頂点である。
2.2 頂点と分岐点は同じ場所にある
「いつでもどこでも、安く、軽く」
―― 1995年から1997年にかけてのPHS各社の広告に共通したメッセージの骨子(NTTパーソナル各種広報物・DDIポケット製品カタログより要約)
しかし、頂点は同時に分岐点でもあった。1999年2月22日、NTTドコモが「iモード」を開始する(外典第九巻「ガラケー王国の興亡」参照)。携帯電話がメールとWebを内蔵し、しかも全国どこでも高速移動中につながるようになった瞬間、「安いが繋がりにくい」PHSの長所は急速に色あせ始めた。
皮肉メモ:基地局と鉄塔
PHSが「あらゆる場所で繋がる安い電話」を目指して街角に基地局をびっしり並べていた一方、携帯電話側は鉄塔を高く建てて「速く動いてもつながる電話」を目指していた。理屈の上では両方が正しい。現場で勝つのは「動いている人が文句を言わないほう」だった、というだけのことである。
CH.03
NTTパーソナルの撤退と、アステルの連鎖崩壊
あらすじ:三つの王国のうちNTTパーソナルが1998年12月1日にNTTドコモへ営業譲渡。アステルは2002〜2006年にかけて地域別に廃業していき、2006年12月に消滅。残ったのはDDIポケット系列だけだった。
3.1 NTTの子が、NTTの別の子に吸収される
最初に脱落したのはNTTパーソナルだった。1998年12月1日、NTTパーソナル通信網グループ各社の事業は、NTTドコモグループ9社に営業譲渡される。
NTT本体の子会社が、NTT本体の別の子会社に吸収される。書類上は穏やかな統合だが、実態は「PHS事業の出口」の意味だった。NTTドコモはPHS事業を継承したものの、本業の携帯電話との二者択一で当然のように携帯電話を選び、2005年4月30日に新規受付を停止、2008年1月7日24時にサービスを完全終了する。最盛期から数えて10年で、NTTのPHSは消えた。
3.2 アステル、地方から崩れる
二番目に崩れたのがアステルである。地方の電力系通信会社が集まって作った連合だったため、地域ごとに事業を維持する体力に差があった。2002年11月30日に九州が新規受付を停止、2003年11月19日にアステル九州がサービス終了。これがPHS事業者として日本国内初の廃止となった。
皮肉メモ:電気の使い方ほどには
アステル九州の最後の声明は「ご利用が伸び悩んだため」だった。電力会社の子会社が始めた電話事業が、電気の使い方ほどには伸びなかったということだ。
その後アステルは2004年12月1日の全国ローミング停止でグループとしての体を失い、2006年12月20日に最後まで残った地域の音声PHSサービスも終了した。三つあった王国のうち、二つが10年以内に消えた。残ったのはDDIポケット系列だけだった。
CH.04
AIR-EDGE ― 世界より先に、定額データ通信を作った国
あらすじ:PHSはデータ通信に強い素地(PIAFS規格)を持っていた。DDIポケットは2001年6月1日に「AIR-EDGE」(パケット通信基盤)を開始し、同年8月29日にPCカード型データ通信端末向け「AirH”」で月額定額制を導入する。これがモバイルデータ通信の月額固定料金(パケット定額)の本格的な先駆けとなった。
4.1 PIAFS、外でインターネットをつなぐ唯一の手段
1995年から2000年にかけて、DDIポケットも音声通話だけでは生き残れないことを悟っていた。彼らが選んだのは、データ通信だった。
PHSは元々データ通信に強い素地があった。業界団体PIAF(PHSインターネットアクセスフォーラム)が策定した規格「PIAFS(ピアフ/PHS Internet Access Forum Standard)」により、PHS回線で最大32kbpsの安定したデジタルデータ通信が可能だったのである。
【用語解説】PIAFS(PHS Internet Access Forum Standard)
PHS回線でインターネット接続などのデータ通信を行うための業界標準規格。1996年のデータショウで32kbpsの公開実験が行われ、1997年4月から各社が商用サービスを開始した。後に2スロット束ねて64kbpsに拡張された。1990年代後半、ノートパソコンに接続して「外で」インターネットを使う唯一現実的な手段だった。
4.2 AIR-EDGEの誕生と、AirH”の月額定額制
2001年6月1日、DDIポケットは「AIR-EDGE(エアーエッジ)」を開始する。PHS回線をパケット通信で束ねて使う、IPデータ通信サービスである。
そして同年8月29日、DDIポケットは「AirH”(エアーエッチ)」として、PCカード型データ通信端末向けに月額固定料金のデータ通信プランを投入した。「いつでも、どこでも、つなぎ放題」がうたい文句だった。月額一定の料金を払えば、外出先からノートパソコンをインターネットに繋ぎ放題になる、世界でも先駆的なモバイルデータ定額制サービスである。
【用語解説】AirH” と AIR-EDGE のブランド関係
2001〜2004年は「AirH”(エアーエッチ)」と「AIR-EDGE」が並存していた。AIR-EDGEがパケット通信基盤の名称、AirH”が定額制データ通信ブランドの呼称、という二段構えだった。2005年2月2日のDDIポケット→ウィルコム社名変更にあわせて「AirH”」表記が「AIR-EDGE」に一本化された。
データ通信用カードをノートパソコンに挿し、月額の通信料を払うだけで、外出先からインターネットに繋ぎ放題になる。営業職・記者・エンジニアの仕事の仕方が静かに変わった瞬間だった。
俯瞰メモ:世界より先だった
2001年の段階で「データ通信が定額で使い放題」を商用化したのは、世界で見てもPHSが先駆けである。iPhoneの登場(2007年)よりも、3Gのパケット定額が日本で一般化する時期(2003〜2004年)よりも、PHSのほうが先に「使った分ではなく毎月いくら」という料金体系に踏み込んでいた。
CH.05
京ぽんとW-ZERO3 ― 早すぎた「スマートフォン」
あらすじ:2004年5月14日、DDIポケットは日本初のOpera搭載端末「AH-K3001V(京ぽん)」を発売。2005年12月14日、ウィルコムは横スライドキーボード搭載「W-ZERO3」を発売し、200人超の行列・初回完売・抽選販売の社会現象を起こす。iPhone登場の2年前である。
5.1 京ぽん、PCサイトを電話で見る
2004年5月14日、DDIポケットは京セラ製の音声端末「AH-K3001V」を発売する。愛称は「京ぽん」。日本国内で初めて、PCサイト用のHTMLが見られる「Opera」ブラウザを搭載した携帯端末だった。
【用語解説】Opera(オペラ)
ノルウェーのOpera Software(現Opera社)が開発した、PC用Webブラウザのひとつ。携帯端末向けに軽量化した版「Opera Mobile」が、京ぽんに採用された。当時の携帯電話に積まれていたCompactHTML対応のブラウザではPCサイトが満足に見られなかったが、Opera搭載の京ぽんは「PCで見るのと同じWebサイト」を画面に表示できた。
つまり京ぽんは、2004年の時点で「PCのインターネット」をそのまま電話に持ち込んだ。AIR-EDGEのパケット定額と組み合わせれば、PCにつなぎ替えなくてもいきなりWebが見られる。iPhone登場の3年前である。
5.2 W-ZERO3、200人の行列
そして2005年12月14日、ウィルコムは「W-ZERO3」を発売する。シャープ製、横スライド式キーボード、Windows Mobile搭載の、紛れもないスマートフォンだった。発売前の予約段階で店頭に200人を超える行列ができ、初回出荷分は当日完売。サイトは注文殺到でつながらず、抽選販売を実施した店舗もあった。発売後6か月足らずで販売台数は15万台を超えた。
皮肉メモ:言葉が来る前に消える
W-ZERO3は2005年に「日本初のスマートフォン」と呼ばれた。だが世界が「スマートフォン」という言葉を共通語にするのは、2007年6月29日のiPhone発売以降である。先駆者になるということは、たいてい、世間が言葉を覚える前に消えるということでもある。
5.3 あなたが今、スマホで見ているそのページを、2004年に京ぽんは見ていた
普段なにげなくスマートフォンで開いている「PCサイトと同じWebページ」を、2004年の時点で同じ姿で見ていた人たちがいた。21世紀の最初の数年間、最先端は東京や北京ではなく、京セラ製の小さなPHS端末の中にあった。
CH.06
2005〜2008年、再びの頂点
あらすじ:2004年10月にカーライル・グループと京セラがDDIポケットを約2,200億円で買収し、2005年2月に「ウィルコム」へ社名変更。AIR-EDGEとW-ZERO3を武器に、加入者は2005年300万→2007年450万→2008年470万へと再び増加し、PHSは第二の頂点を迎える。
6.1 カーライル・京セラ連合と、ウィルコムの誕生
DDIポケットは2004年10月1日にカーライル・グループ(米投資ファンド)と京セラの連合に約2,200億円で売却された後、2005年2月2日に社名を「ウィルコム」に変更した。
カーライル60%、京セラ30%、KDDI10%という資本構成のもと、ウィルコムは「定額×データ×スマートフォン的端末」という独自路線で再成長した。
6.2 第二の頂点
加入者数は2005年3月末で約300万、2005年12月で約361万、2006年5月末で400万、2007年3月末で450万を突破した。2008年頃には約470万契約に達する。AIR-EDGEとW-ZERO3に押し上げられた、PHSの第二の頂点だった。
6.3 王国の年代記
1995年7月1日NTTパーソナル・DDIポケット、PHS商用開始
1995年10月1日アステル、PHS商用開始
1997年9月PHS総契約数約710万でピーク
1998年12月1日NTTパーソナル、NTTドコモへ営業譲渡
2001年6月1日DDIポケット、AIR-EDGE開始(パケット通信基盤)
2001年8月29日DDIポケット、AirH”開始(月額定額制データ通信)
2003年11月19日アステル九州、国内初のPHS事業者廃業
2004年5月14日DDIポケット、京ぽん「AH-K3001V」発売
2004年10月1日カーライル・京セラ連合がDDIポケット買収
2005年2月2日DDIポケット、ウィルコムに社名変更(AirH”→AIR-EDGEに表記統一)
2005年4月30日NTTドコモ、ドコモPHS新規受付停止
2005年12月14日ウィルコム、初代「W-ZERO3」発売
2006年12月20日アステル、音声PHSサービス完全終了
2008年1月7日NTTドコモ、ドコモPHSサービス完全終了
2010年2月18日ウィルコム、会社更生法適用申請(負債2,060億円)
2010年12月1日ソフトバンクグループの傘下に
2010年12月3日「だれとでも定額」開始(月額980円)
2014年7月ウィルコム+イー・モバイル統合、Y!mobile発足
2020年7月末Y!mobile、一般向けPHSサービス終了
2023年3月末テレメタリングプラン終了、PHS完全終焉
CH.07
2010年2月18日、王国は会社更生法を申請した
あらすじ:ウィルコムは2005年から次世代PHS(XGP)の開発に投資するが、設備投資負担と3G・パケット定額の追い上げで経営が悪化。2010年2月18日、東京地裁に会社更生法の適用を申請(負債2,060億円)。同年12月、ソフトバンクグループの傘下に入る。
7.1 次世代PHS(XGP)への大型投資
第二の頂点に、影は早く差した。
ウィルコムは2005年11月、総務省から次世代PHS(XGP/eXtended Global Platform)の実験予備免許の交付を受け、2009年4月27日に山手線内の一部地区で「WILLCOM CORE XGP」のエリア限定サービスを開始する。10月1日には対象地区を限った正式サービスへ移行した。
【用語解説】XGP(eXtended Global Platform)
ウィルコムが2005年から開発を進めた、PHSのマイクロセル方式と自律分散制御の思想を引き継ぎつつ、2.5GHz帯で高速無線通信を行う「次世代PHS」規格。最大下り20Mbpsを目指したが、3GやLTEに対抗できる速度・カバレッジを商用展開する余力がウィルコムには残されていなかった。
7.2 負債2,060億円、東京地裁へ
XGPの設備投資負担が経営を直撃した。携帯電話側は2006年以降、各社が3G(第三世代携帯電話)でパケット定額を低価格化し、AIR-EDGEの優位性は急速に縮んでいた。法人向けのデータ通信モジュール市場でも、3Gモジュールに置き換わる動きが進んだ。
2010年2月18日、ウィルコムは東京地裁に会社更生法の適用を申請する。負債総額は単体で2,060億円。通信業の経営再建会社としては、それまでの最大級だった。
7.3 ソフトバンクの傘下へ
2010年8月2日、ソフトバンクが管財人の要請に応じて支援に名乗りを上げる。10月14日に更生計画案が東京地裁に提出され、11月30日に認可。12月1日付でウィルコムはソフトバンクグループ傘下の通信事業者となった。
CH.08
残された血脈と、王国の静寂
あらすじ:ソフトバンク傘下で「だれとでも定額」(月額980円)を投入し、累計契約数は2011年6月末で約470万件と過去最高を再記録。しかし2014年7月にイー・モバイルと統合し「Y!mobile」となり、ウィルコムの名は消える。2020年7月に一般向け、2023年3月末にテレメタリングプランが終了し、PHSは28年で完全消滅した。
8.1 「だれとでも定額」と、最後の純増
ソフトバンク傘下となったウィルコムは、2010年12月3日に「だれとでも定額」(月額980円で他社携帯・固定電話への通話も無料)を投入し、2011年度には4年ぶりに純増に転じる。累計契約数は2011年6月末で約470万件と過去最高を記録した。
俯瞰メモ:終わりの始まり
ピーク契約数を更新したのは、奇しくも会社更生法申請から1年余り経った時期だった。料金プランの再設計で復活した数字だが、その時点では3Gの普及で「電話そのものが定額になりつつある」流れの末尾でもあった。最後の上昇は、終わりの始まりでもあった。
8.2 ウィルコムの名が消える
2013年7月1日、東京地裁から会社更生手続終結の決定。同日、ウィルコムは正式にソフトバンクの連結子会社となる。会社更生法申請から約3年4か月での再建だった。
しかし、ソフトバンクの主力は3G/LTEへ完全に移っていた。PHS事業は2014年7月にイー・モバイルと統合され、サブブランド「Y!mobile(ワイモバイル)」となる。PHS事業者「ウィルコム」の名前はここで実質的に消えた。
8.3 停波の年表
そして停波の時期が告げられた。
2018年3月31日、新規契約・機種変更受付終了。2020年7月31日、一般向け(音声・データ)PHSサービス終了。2023年3月31日、テレメタリングプラン終了。PHS完全消滅。
日本国内において、1995年7月1日から続いたPHSの歴史は28年で幕を閉じた。
8.4 最後に残ったのは、病院だった
皮肉メモ:ナースコール代わりに生き延びる
PHSは病院向けに最後まで残った。電磁波が医療機器に与える影響が小さいという理由で、医療機関で広く採用されていたためである(2020年度の業界調査で病院の業務用端末としてPHS導入率約83.9%)。世界最先端の定額データ通信を作った技術が、最後は「電波が弱い」という長所を理由に、ナースコール代わりに生き延びていた。先進性とは、しばしばそういう形で記憶される。
あなたの家の引き出しの中に、白いPHS端末が眠っていないだろうか。あるいは、近所の病院のナースステーションで、まだ似た形の端末が使われているのを見たかもしれない。28年間、王国は本当に「あった」のである。
王国は、技術で世界に勝ったことが何度かあった。
1995年に三つ同時に生まれ、1997年に頂点に立ち、2001年に世界より早く定額データ通信を作り、2005年に世界より早くスマートフォン的なものを発売し、それでも消えた。
理由は単純である。携帯電話のほうが、移動中に切れなかった。それだけのことを、25年かけて確かめた王国の話だった。
―― 圏外 / 切断 完了 / 王国 静寂
参考・引用資料
・ ウィルコム株式会社「会社更生法適用申請に関するお知らせ」2010年2月18日
・ 日本経済新聞「ソフトバンク、ウィルコム支援で投資ファンドと合意」2010年3月
・ ASCII.jp「ウィルコム、会社更生手続終了 ソフトバンク連結子会社に」2013年7月1日
・ ケータイ Watch「DDIポケット、2005年2月より『WILLCOM』」
・ Bloomberg「DDIポケット:社名を『ウィルコム』に変更―来年2月1日」2004年10月14日
・ Carlyle Group公式「Carlyle Group and Kyocera to Buy DDI Pocket from KDDI for $2.03 Billion」
・ NTTドコモ「報道発表資料:PHSサービスの終了に関するお知らせ」2007年4月27日
・ NTTドコモ「重要なお知らせ:PHSサービス終了のお知らせ」2008年1月8日
・ ITmedia Mobile「ウィルコムが会社更生法申請を発表 負債総額2060億円」2010年2月18日
・ ITmedia Mobile「愛称は『京ぽん』 日本初のOpera搭載ケータイ『AH-K3001V』」2018年2月10日
・ ITmedia Mobile「行列ができるほどの人気を集めたスマートフォン『W-ZERO3』」2017年7月8日
・ PC Watch「32Kbps通信規格『PIAFS』公開実験」1996年
・ PC Watch「ウィルコム、VGA液晶搭載のモバイル端末『W-ZERO3』」2005年10月20日
・ ケータイ Watch「『PHS』、本日31日で終了――旧DDIポケットから今を知るキーパーソン、ソフトバンク寺尾氏に聞くその足跡と意義」2023年3月31日
・ ソフトバンク「PHSサービスの提供終了について」2023年4月1日
・ ソフトバンク「テレメタリングプラン以外のPHS向け料金プランなどの提供終了の延期について」2020年4月17日
・ 厚生労働省「医療機関において安心・安全に電波を利用するための手引き」電波環境協議会・平成28年4月
・ 日経BP「経営破綻したウィルコムのこれまでと今後」2010年3月10日
・ 日本経済新聞「復活したスマホの老舗~PHS事業者ウィルコムの軌跡」2012年7月
・ 日本経済新聞「PHSの歴史に幕、ソフトバンクが23年に完全終了」2019年4月
・ Wikipedia「PHS」「ウィルコム」「NTTパーソナル」「アステル」「ドコモPHS」「AIR-EDGE」「AirH”」「AH-K3001V」「W-ZERO3」「WILLCOM CORE XGP」「eXtended Global Platform」「パケット定額制」