Vista王国の失墜
5年の野望とUACが叶えた、静かな自滅の記録
なぜWindowsで最も嫌われたOSが生まれたのか。 開発5年、3年分のコードをすべて捨てたリセット、「Vista Capable」という名のシール詐称、そして「続行しますか?」と何十回も問い続けるUAC——。Windows Vistaはただの失敗作ではない。「正しいことを、正しくない形でやった」ときに何が起きるかを示す、IT産業の教科書的事例だ。
日本ではXPからWindows 7へと「Vistaをスキップ」した企業が続出した。あの時代、何が起きていたのかを、外典として記録しておく。
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。登場する個人・組織への批判意図はなく、「誰も悪くない、けれどこうなった」という構造的問題を描くことを目的としています。
Longhornという王国の夢
2001年5月。マイクロソフト社の開発者たちは、「Longhorn」というコードネームのプロジェクトを立ち上げた。
Windows XPの次のOSだった。しかし、ただの「次のOS」ではない。ビル・ゲイツが言った。「WinFSという革命的なファイルシステムで、コンピュータ上のすべての情報が統合される」。マイクロソフトの技術者たちは言った。「Avalon(後のWPF)でグラフィックスが変わる。Indigo(後のWCF)でネットワークが変わる。」
世界はこれを信じた。Longhornは、コンピュータの未来そのものだと思われた。
だが、夢というものは、膨らみすぎると破裂する。
Longhornプロジェクトは2001年から2004年にかけて、野心的な機能を次々と積み上げていった。WinFS、新しいUI、新しいセキュリティモデル——。コードは複雑になり、依存関係は絡み合い、バグは増殖した。完成の見通しが、まったく立たなかった。エンジニアたちはこの状況を、内部では「code rot(コードの腐敗)」と呼んでいた。
2004年8月、リセットの恥辱
2004年8月27日。マイクロソフトは発表した。「Longhornの開発方針を大幅に変更する」と。
実態は「やり直し」だった。
3年分のコードの大部分を捨て、より安定していたWindows Server 2003のコードベースから作り直すことになった。夢のWinFSは「将来のリリースで」と棚上げされ、そのまま永遠に現れることはなかった。
この決断は、技術的には正しかったと後に評価される。しかし代償は大きかった。リセットによって、Longhornは2003年のリリース予定から2007年初頭まで大幅に遅延した。
このリセットの直前の2004年1月、Windowsの開発責任者ジム・アルチン(Jim Allchin)はビル・ゲイツとスティーブ・バルマー宛てに「losing our way(道に迷っている)」という件名のメールを送っていた。
Windowsの最高責任者が「マイクロソフトで働いていなければMacを買う」と書いた。Longhorn開発が行き詰まる中での「purposefully dramatic(意図的に大げさな)」表現だったとアルチンは後に説明したが、この一行は当時のマイクロソフトの危機感を端的に表していた。
2005年、コードネームは「Longhorn」から「Vista」に変わった。ラテン語で「眺望、景色」を意味する名前。しかし、開発現場の眺望は曇り空だった。
「Vista Capable」という名の詐称
2006年末、Vistaは完成に近づいていた。マイクロソフトと各PCメーカーは焦っていた。年末商戦に間に合わせたい。しかしVista自体は2007年1月30日まで発売できない。
そこで「Vista Capable」というシールが考案された。「このPCはVistaが動く」という認証ラベルを貼り、消費者に先買いを促すものだ。2006年の年末商戦で、このシールを貼ったXP搭載PCが大量に店頭に並んだ。
問題は、このシールの要件が「Vistaが動く」ではなく、「Vistaの最低限の動作版が動く」というものだったことだ。Aeroというガラス風の美しいUIは、より高性能なGPUがなければ動かない。しかし「Vista Capable」シールは、Aeroが動かない低スペックPCにも貼られた。
消費者がVistaにアップグレードすると、期待していた美しい画面ではなく、XPと大差ない基本テーマしか表示されなかった。「Vista Capableのシールが貼ってあったのに」——その声が訴訟になった。
2007年、集団訴訟が提起された。裁判の過程でマイクロソフトの内部メールが大量に公開された。そこから明らかになったのは、IntelのGPU(GMA 950搭載機)でも「Vista Capable」と表示できるよう、マイクロソフトがIntelとPCメーカーの要求に応じて認定要件を意図的に緩めていた、という事実だった。訴訟は最終的に集団訴訟としての認定が外れ、原告は勝訴しなかった。しかし公開された社内メールは、マイクロソフトの「自分たちも問題を知っていた」という事実を世界に晒した。
DRMという自滅のコスト
2006年12月末、ニュージーランドの暗号学者ピーター・ガットマン(Peter Gutmann)はある論文を発表した。タイトルは「A Cost Analysis of Windows Vista Content Protection(Vistaのコンテンツ保護コスト分析)」。
ガットマンの主張は明快だった。「Vistaは、ハリウッドと音楽業界のDRM(デジタル著作権管理)要求に応えるために、膨大なコストをハードウェアとソフトウェアに押しつけている」というものだ。HDコンテンツの再生中、GPUとCPUは常時DRM検証のために負荷がかかる。ドライバが「認定されていない」と判断されると、画質が意図的に下げられる「ダウングレードモード」が作動する。特定のオーディオドライバはVistaで動作しないよう設計が変わった。
このレポートは技術者コミュニティに衝撃を与えた。Vistaが重いのは単に機能が多いからではなく、常時稼働するDRM機構が原因の一部であることが、広く知られるようになった。
UACという名の恐怖政治
Vistaの悪評の中で、最も多くの人が「使いづらい」と感じた機能がある。UAC(User Account Control、ユーザーアカウント制御)だ。
UACの設計思想は正しかった。Windowsの脆弱性の多くは、ユーザーが管理者権限で常時ログインしていることで拡大する。LinuxやmacOSでは、システムに影響する操作には必ずパスワード入力が必要だった。Vistaはそれを真似しようとした。
しかし実装が問題だった。
Vistaの初期設定では、プログラムのインストール、設定の変更、フォルダの作成——あらゆる場面でダイアログが現れた。「このプログラムを起動しますか?」「このフォルダを作成しますか?」。選択肢は「続行」か「キャンセル」の二択。
一日に何十回と「続行」をクリックし続けるうち、ユーザーは学習した。「このダイアログは反射的に『続行』を押すものだ」と。
これは設計の敗北だった。セキュリティ警告が「続行」を押すための儀式になった瞬間、警告は意味を失う。悪意あるソフトウェアも、同じ「続行」ダイアログで起動できてしまう。
日経クロステック(当時・日経ITpro)2008年2月の記事「Windows Vistaユーザーを悩ませる10の厄介事」では、UACの煩雑さが筆頭に挙げられている。
Mojave実験という奇妙な弁明
2008年7月29日。マイクロソフトは「Mojave実験」と名付けたマーケティングキャンペーンを開始した。
内容はこうだ。Vistaに否定的な意見を持つWindows、macOS、Linuxユーザー約120人を集め、「Mojave」という新しいOSのデモを見せる。参加者たちはMojaveを見て、「素晴らしい」「これを使いたい」「買いたい」と言った。その後、実は「Mojave」はVistaだったと告げる。参加者は驚いた。
マイクロソフトが言いたかったことは「Vistaへの否定的評判は先入観に過ぎない」ということだった。実際に見れば良いものだ、という主張だ。
しかし批判はすぐ来た。「デモはマイクロソフトのスタッフが事前にセットアップした環境でした。インストール作業もドライバの互換性問題も、ユーザーが実際に直面する困難が何一つ再現されていません」——技術系ブロガーや記者たちはそう指摘した。
Mojave実験は、Vistaの品質を証明するかわりに「マイクロソフトは自社製品への批判を先入観と見なしている」という印象を残した。
日本企業はVistaをスキップした
2007年1月30日、Windows Vistaは一般発売された。日本では深夜0時から家電量販店で販売が始まり、一部では行列もできた。Ultimate版の定価は51,240円(税込)。
しかし、日本の企業はほとんどVistaを導入しなかった。
インプレス総合研究所が2007年に実施した企業向けアンケートでは、多くの企業がVistaへの移行を「様子見」または「見送り」としていた。主な理由は、業務システムの互換性確認に時間がかかること、そして既存のXP環境で問題がないこと、だった。
日本の大企業・官公庁では、XPを使い続けながら次のOSを待つという判断が広まった。その「次のOS」が、2009年10月22日にリリースされるWindows 7だった。
つまり、多くの日本企業にとってVistaは存在しなかった。XPから7へと飛び越えた。これはWindowsの歴史において、日本特有の奇妙な空白として記録されている。
王国の年代記
「本来のVista」と、残されたもの
2009年10月22日、Windows 7が発売された。
技術者たちは言った。「これが本来のVistaだ」と。Vistaと同じカーネル、同じ基本設計。しかしUACは調整され、動作は軽くなり、互換性は改善された。DRMの悪影響も一部緩和された。
Vistaは「失敗作」として語られるが、正確ではないかもしれない。Vistaが遺したものは多い。UACの概念は7以降も続き、セキュリティの基礎となった。Aeroの美しさは時代を先取りしていた。DRMへの批判は、後にマイクロソフトが著作権保護の扱いを見直す契機になった。
ただ、Vistaは「正しいことを、正しくないタイミングと実装でやった」という教訓を残した。
ジム・アルチンは2007年1月30日、Vistaの発売日と同じ日にマイクロソフトを退社した。長年Windowsを率いてきた技術者の、静かな幕引きだった。
LonghornとVistaの5年間で費やされた人月、削除された機能、提起された訴訟——その総量を数える人は、もういない。ただ、2017年4月11日、Vistaのサポートが終了したとき、世界のほとんどの人はそのことに気づかなかった。
それが、Vistaという王国の最後だった。
その国の城壁は、美しかった。
ガラスでできた壁。光を屈折させ、虹色に輝く壁。
守るために、壁は分厚くなった。
頑丈にするために、重くなった。
正当化するために、問いかけが増えた。
「本当にこれを続けますか?」「本当に?」「本当に?」
問われすぎた民は、やがて「はい」を押し続けることを学んだ。
「はい」が何を意味するか、考えることをやめた。
隣国は、軽かった。
「本来の姿」と呼ばれた後継国も、軽かった。
ガラスの城は、誰にも攻められることなく、
自分の重さで、静かに沈んだ。
―― 互換性 なし
https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/11/09/13876.html
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/30/news046.html
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0701/30/news006.html
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20080206/293165/
https://research.impress.co.jp/report/list/other/16180
https://en.wikipedia.org/wiki/Mojave_Experiment
https://www.informationweek.com/software-services/microsoft-s-allchin-says-his-i-would-buy-a-mac-statement-was-taken-out-of-context
https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1703/23/news054.html