P2P王国の興亡
Winny事件。 天才と国家、「ソフトウェアは中立か」を巡る七年半の記録
本記事は実際の判例・報道・公的資料に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。故人への敬意をもって執筆しました。
47番目の書き込み
西暦2002年5月6日。日本のインターネットの片隅——2ちゃんねる「ダウンロードソフト板」に、ひとつの書き込みが現れた。通し番号で、ちょうど47番目。
書き込んだ人物は、本名を伏せ「47氏」と名乗った。そのソフトは、後に日本のインターネット史を二つに割ることになる。
47氏の正体は、当時31歳の金子勇——東京大学大学院情報理工学系研究科の特任助手。日本でも数えるほどしかいない、純粋に「P2Pの理論」を理解して実装できる技術者だった。
Winnyは、純粋なP2Pだった。中央のサーバーを持たず、誰がどのファイルを持っているかも、誰が誰とつながっているかも追跡しにくい設計になっていた。匿名性が高く、効率も良かった。技術的には、当時世界最高峰と評価する声もあった。
ところが、ここは日本だった。
そして、日本人は——このソフトを「コンテンツの倉庫」として使い始めたのである。
ユーザーが先に捕まった
2003年11月27日。京都府警察ハイテク犯罪対策室は、Winnyを使って映画ソフトやゲームソフトを違法にアップロードしていたとして、愛媛県松山市の19歳少年と、群馬県高崎市の自営業男性の2名を、著作権法違反(公衆送信権の侵害)の容疑で逮捕した。
Winnyの利用者が逮捕されるのは、これが日本初だった。
事件は本来、ここで終わるはずだった。逮捕されたのはあくまで、違法アップロードを行った2名のユーザーである。彼らは確かに著作権法に違反していた。罪に問われるのは順当な話だ。
ところが京都府警は、視線を別の方角に向けた。
「このソフトを作った者にも、責任があるのではないか」——と。
そして、半年後の2004年5月10日、京都府警は東京・文京区の本郷で、東京大学大学院特任助手・金子勇を著作権法違反幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕した。容疑は「ユーザーの著作権侵害行為を、ソフトの開発・配布によって手助けした」というものだった。
ソフトウェアを開発・配布しただけで、開発者本人が刑事責任を問われる——日本の司法史上、極めて特異な構図だった。
Antinny、暴露の年
逮捕後、金子はWinnyのバージョンアップを止めた。すると皮肉なことに、更新の止まったソフトを狙うウイルスが大量発生した。代表格が「Antinny」——感染するとパソコン内の文書・写真・メールが勝手に世界中に晒される暴露ウイルスである。修正パッチを出せる作者は、留置場と法廷を行き来していた。司法が作者を止めた結果、セキュリティパッチが止まり、新たな脆弱性が生まれた——この逆説が、2006年の実態だった。
そして2006年、流出は連鎖した。海上自衛隊の護衛艦「あさゆき」乗員のパソコンから、暗号関連の機密情報が流出した。警察庁の捜査資料が流出した。原子力発電所の点検記録が流出した。裁判所の関係資料が流出した。国会議員の事務所からも流出した。
一国の官房長官が、特定のソフトウェアの名を挙げて「使わないでください」と国民に呼びかける——これは前代未聞の事態だった。
防衛庁は同年、職場での私物パソコン使用を禁止し、デル製を中心に約5万6000台のクライアントPCを新規調達したと報じられた。当時の関連調達額は約40億円、追放対象となった私物PCは約7万台に上ったという(『日経xTECH』2006年4月13日/2006年3月9日報道)。
ウイルスを作った者ではなく、ウイルスに食われたソフトの作者が、留置場の中にいる。これが、2006年の日本だった。
罰金150万円——一審有罪
2006年12月13日。京都地方裁判所は、金子勇に罰金150万円の有罪判決を言い渡した(裁判長・氷室眞)。検察の求刑は懲役1年。判決は、罰金刑とはいえ「有罪」だった。
判決の論理は単純だった。「金子はWinnyが著作権侵害に使われることを認識していた。にもかかわらず、開発・公開を続けた。よって幇助にあたる」。
裁判の途中、金子側の主任弁護人を務めたのは、当時35歳の壇俊光弁護士。後に著書『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(2020年、インプレスR&D)で、この長い裁判の記録を残している。
弁護団の主張は単純明快だった。
しかし一審は、この問いに「ソフトウェアは違う」とは明言しないまま、金子の有罪を確定させた。
逆転無罪——大阪高裁、そして最高裁
2009年10月8日。大阪高等裁判所は、一審判決を破棄し、金子勇に逆転無罪を言い渡した(裁判長・小倉正三)。判決は「悪用される可能性を認識していたというだけでは、幇助の故意としては不十分。専ら著作権侵害のためにソフトを提供したとは認められない」と述べた。
検察側は最高裁に上告。さらに2年が経過した。
2011年12月19日。最高裁判所第三小法廷(裁判長・岡部喜代子)は、検察の上告を棄却した。金子勇の無罪が確定した。判決はこう判示した。
47氏が2ちゃんねるに書き込んだ日から、9年7か月。京都府警が金子を逮捕してから、7年7か月。ソフトウェアの作者は、技術提供という行為そのものでは罪に問われない——日本の最高裁が、この線をはっきりと引いた瞬間だった。
王国の年代記
失われた7年半、失われた人
無罪確定は、最初の逮捕から7年7か月後。その間、金子勇は何をしていたか。裁判に費やした。逮捕直後から保釈中も、Winnyのバージョンアップを司法から事実上禁じられていた。世界に類を見ないP2P研究者は、研究成果を世に問う道を、自国の司法によって閉ざされていた。
無罪確定から1年9か月後——2013年7月6日、金子勇は42歳で他界した。司法は「彼は罪を犯していない」と認めた。だが失われた7年半は、誰も返してくれなかった。
WIRED日本版は2018年、彼を「日本が失った天才」と評した。Winnyの設計思想——分散型・匿名性・耐障害性——は、ブロックチェーンや分散ストレージの基礎と驚くほど重なる。金子が止められた7年半は、日本が世界の分散技術競争から遅れる時間でもあった。
誰も悪くない、という地獄
例によって、この物語にも「明確な悪人」は存在しない。
ユーザーは違法ファイルをアップロードした。これは犯罪である。捕まるのは当然だ。
京都府警は、巨大化するファイル共有問題に「上流から手を打つ」必要を感じた。動機は理解できる。
検察は、上司の指示と起訴方針に従った。組織人として正しい行動だった。
一審の裁判官は、提出された証拠と既存の法理論で「幇助」を認定した。論理として成立しなくはない。
官房長官は、官僚と警察の説明を受けて「使わないで」と呼びかけた。守るべきは情報漏えいの被害者たちだった。
全員が、それぞれの持ち場で、それぞれの役割に忠実に振る舞った。
そして、その合算として、一人の天才プログラマーが、人生の最も貴重な7年半を法廷で過ごし、無罪が確定した1年9か月後に世を去った。
これもまた、Excel方眼紙やFAXや脱ハンコの物語と、構造的には同じだ。
誰も悪くない。誰も悪くないことが、最大の問題である。
新しい技術が登場するたび、社会は最初に「これを止めるべきか」を問う。そして「止める」と決めた瞬間から、止める側は組織として動き、作る側は個人として裁かれる。組織の慣性は、いつも個人の発明より重い。
それでも最高裁は、この国の司法史に一行を刻んだ。「ソフトウェアは、価値中立である」。47氏のレスから始まったこの物語は、その一行を勝ち取るために9年7か月を費やしたのだった。