P2P王国の興亡
情報処理王国史 外典第六巻
47

P2P王国の興亡

Winny事件。 天才と国家、「ソフトウェアは中立か」を巡る七年半の記録

WINNY P2P
この記事について
本記事は実際の判例・報道・公的資料に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。故人への敬意をもって執筆しました。
CH.01

47番目の書き込み

西暦2002年5月6日。日本のインターネットの片隅——2ちゃんねる「ダウンロードソフト板」に、ひとつの書き込みが現れた。通し番号で、ちょうど47番目。

「動作確認のためのテスト版を公開してみます。Winnyとは、WinMXの後継的な意味で名付けました」
— 2002年5月6日、2ちゃんねるダウンロードソフト板への投稿(要約)

書き込んだ人物は、本名を伏せ「47氏」と名乗った。そのソフトは、後に日本のインターネット史を二つに割ることになる。

47氏の正体は、当時31歳の金子勇——東京大学大学院情報理工学系研究科の特任助手。日本でも数えるほどしかいない、純粋に「P2Pの理論」を理解して実装できる技術者だった。

【用語解説】P2P(ピアツーピア)
中央のサーバーを介さず、利用者同士のパソコンが直接データをやり取りする通信方式。クライアント・サーバー型と対になる概念で、「みんなのパソコンが互いにサーバーになる」と理解するとわかりやすい。SkypeやBitTorrent、ビットコインなどの基盤にもなっている、現在のインターネットの基礎技術のひとつ。
【用語解説】著作権法違反幇助(ほうじょ)
著作権法では、著作権を侵害する者に対して「手助け」をした者も、犯罪の共犯として罪に問われる可能性がある。問題は「手助けの範囲」だ。ナイフを売った刃物職人は殺人の幇助に問われないのに、なぜソフトウェアの開発者は問われるのか——これが本事件の核心的な問い。

Winnyは、純粋なP2Pだった。中央のサーバーを持たず、誰がどのファイルを持っているかも、誰が誰とつながっているかも追跡しにくい設計になっていた。匿名性が高く、効率も良かった。技術的には、当時世界最高峰と評価する声もあった。

ところが、ここは日本だった。

そして、日本人は——このソフトを「コンテンツの倉庫」として使い始めたのである。


CH.02

ユーザーが先に捕まった

2003年11月27日。京都府警察ハイテク犯罪対策室は、Winnyを使って映画ソフトやゲームソフトを違法にアップロードしていたとして、愛媛県松山市の19歳少年と、群馬県高崎市の自営業男性の2名を、著作権法違反(公衆送信権の侵害)の容疑で逮捕した。

Winnyの利用者が逮捕されるのは、これが日本初だった。

事件は本来、ここで終わるはずだった。逮捕されたのはあくまで、違法アップロードを行った2名のユーザーである。彼らは確かに著作権法に違反していた。罪に問われるのは順当な話だ。

ところが京都府警は、視線を別の方角に向けた。

「このソフトを作った者にも、責任があるのではないか」——と。

そして、半年後の2004年5月10日、京都府警は東京・文京区の本郷で、東京大学大学院特任助手・金子勇を著作権法違反幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕した。容疑は「ユーザーの著作権侵害行為を、ソフトの開発・配布によって手助けした」というものだった。

ソフトウェアを開発・配布しただけで、開発者本人が刑事責任を問われる——日本の司法史上、極めて特異な構図だった。


CH.03

Antinny、暴露の年

逮捕後、金子はWinnyのバージョンアップを止めた。すると皮肉なことに、更新の止まったソフトを狙うウイルスが大量発生した。代表格が「Antinny」——感染するとパソコン内の文書・写真・メールが勝手に世界中に晒される暴露ウイルスである。修正パッチを出せる作者は、留置場と法廷を行き来していた。司法が作者を止めた結果、セキュリティパッチが止まり、新たな脆弱性が生まれた——この逆説が、2006年の実態だった。

そして2006年、流出は連鎖した。海上自衛隊の護衛艦「あさゆき」乗員のパソコンから、暗号関連の機密情報が流出した。警察庁の捜査資料が流出した。原子力発電所の点検記録が流出した。裁判所の関係資料が流出した。国会議員の事務所からも流出した。

「政府としても、最も確実な情報漏えい対策は『Winnyを使わないこと』だと考えている。国民の皆さんにも、Winnyを使わないようにお願いしたい」
— 安倍晋三官房長官、2006年3月15日記者会見より要約(『INTERNET Watch』2006年3月15日報道)

一国の官房長官が、特定のソフトウェアの名を挙げて「使わないでください」と国民に呼びかける——これは前代未聞の事態だった。

防衛庁は同年、職場での私物パソコン使用を禁止し、デル製を中心に約5万6000台のクライアントPCを新規調達したと報じられた。当時の関連調達額は約40億円、追放対象となった私物PCは約7万台に上ったという(『日経xTECH』2006年4月13日/2006年3月9日報道)。

ウイルスを作った者ではなく、ウイルスに食われたソフトの作者が、留置場の中にいる。これが、2006年の日本だった。

【用語解説】司法による開発停止とセキュリティパラドックス
Winnyが捜査の対象となってバージョンアップが止まったこと自体が、ユーザーをさらに脆弱にした。セキュリティパッチが出ないソフトは、ウイルスの格好の標的になる。この「死に体のソフト」が新しい脅威を招く、という逆説的な状況が2006年を特徴づけている。

CH.04

罰金150万円——一審有罪

2006年12月13日。京都地方裁判所は、金子勇に罰金150万円の有罪判決を言い渡した(裁判長・氷室眞)。検察の求刑は懲役1年。判決は、罰金刑とはいえ「有罪」だった。

判決の論理は単純だった。「金子はWinnyが著作権侵害に使われることを認識していた。にもかかわらず、開発・公開を続けた。よって幇助にあたる」。

裁判の途中、金子側の主任弁護人を務めたのは、当時35歳の壇俊光弁護士。後に著書『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(2020年、インプレスR&D)で、この長い裁判の記録を残している。

弁護団の主張は単純明快だった。

「価値中立的な技術を提供した者が、その技術を悪用した利用者の責任まで問われるなら、ナイフを作った刃物職人は刺殺事件のたびに逮捕されるのか。包丁メーカーは料理にも殺人にも使われる包丁を作っているが、誰も幇助で立件しない。なぜソフトウェアだけが違うのか」
— 壇俊光『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(2020年)の論旨より要約

しかし一審は、この問いに「ソフトウェアは違う」とは明言しないまま、金子の有罪を確定させた。


CH.05

逆転無罪——大阪高裁、そして最高裁

2009年10月8日。大阪高等裁判所は、一審判決を破棄し、金子勇に逆転無罪を言い渡した(裁判長・小倉正三)。判決は「悪用される可能性を認識していたというだけでは、幇助の故意としては不十分。専ら著作権侵害のためにソフトを提供したとは認められない」と述べた。

検察側は最高裁に上告。さらに2年が経過した。

2011年12月19日。最高裁判所第三小法廷(裁判長・岡部喜代子)は、検察の上告を棄却した。金子勇の無罪が確定した。判決はこう判示した。

「例外的とはいえない範囲の者がそれ(Winny)を著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識し、認容していたと認めることは困難である」
— 最高裁判所第三小法廷判決、平成21年(あ)第1900号、2011年12月19日(裁判所ウェブサイト掲載判決文)

47氏が2ちゃんねるに書き込んだ日から、9年7か月。京都府警が金子を逮捕してから、7年7か月。ソフトウェアの作者は、技術提供という行為そのものでは罪に問われない——日本の最高裁が、この線をはっきりと引いた瞬間だった。


CH.06

王国の年代記

2001年 金子勇、東京大学大学院特任助手に任用される。並行してP2Pファイル共有ソフトの開発に着手
2002年5月6日 2ちゃんねる「ダウンロードソフト板」に「47氏」名義でWinnyベータ版が公開される
2003年11月27日 京都府警ハイテク犯罪対策室、Winny利用者2名を著作権法違反容疑で初逮捕
2004年5月10日 京都府警、金子勇を著作権法違反幇助の容疑で逮捕。同月31日起訴
2003〜2006年頃 暴露ウイルス「Antinny」拡散。自衛隊・警察・原発・裁判所・国会議員事務所などからの情報流出が連続報道される
2006年2月 海上自衛隊護衛艦「あさゆき」関連の機密情報流出が発覚
2006年3月15日 安倍晋三官房長官、記者会見で「Winnyを使わないで」と国民に呼びかけ
2006年12月13日 京都地裁、金子勇に罰金150万円の有罪判決(裁判長・氷室眞)
2009年10月8日 大阪高裁、一審判決を破棄し逆転無罪(裁判長・小倉正三)
2011年12月19日 最高裁第三小法廷、検察上告を棄却。金子勇の無罪確定(裁判長・岡部喜代子)
2013年7月6日 金子勇、急性心筋梗塞のため死去。42歳
2023年 映画『Winny』(松本優作監督・東出昌大主演)公開。事件が広く再評価される

CH.07

失われた7年半、失われた人

無罪確定は、最初の逮捕から7年7か月後。その間、金子勇は何をしていたか。裁判に費やした。逮捕直後から保釈中も、Winnyのバージョンアップを司法から事実上禁じられていた。世界に類を見ないP2P研究者は、研究成果を世に問う道を、自国の司法によって閉ざされていた。

無罪確定から1年9か月後——2013年7月6日、金子勇は42歳で他界した。司法は「彼は罪を犯していない」と認めた。だが失われた7年半は、誰も返してくれなかった。

WIRED日本版は2018年、彼を「日本が失った天才」と評した。Winnyの設計思想——分散型・匿名性・耐障害性——は、ブロックチェーンや分散ストレージの基礎と驚くほど重なる。金子が止められた7年半は、日本が世界の分散技術競争から遅れる時間でもあった


CH.最終

誰も悪くない、という地獄

例によって、この物語にも「明確な悪人」は存在しない。

ユーザーは違法ファイルをアップロードした。これは犯罪である。捕まるのは当然だ。
京都府警は、巨大化するファイル共有問題に「上流から手を打つ」必要を感じた。動機は理解できる。
検察は、上司の指示と起訴方針に従った。組織人として正しい行動だった。
一審の裁判官は、提出された証拠と既存の法理論で「幇助」を認定した。論理として成立しなくはない。
官房長官は、官僚と警察の説明を受けて「使わないで」と呼びかけた。守るべきは情報漏えいの被害者たちだった。

全員が、それぞれの持ち場で、それぞれの役割に忠実に振る舞った。

そして、その合算として、一人の天才プログラマーが、人生の最も貴重な7年半を法廷で過ごし、無罪が確定した1年9か月後に世を去った

これもまた、Excel方眼紙やFAXや脱ハンコの物語と、構造的には同じだ。
誰も悪くない。誰も悪くないことが、最大の問題である。

新しい技術が登場するたび、社会は最初に「これを止めるべきか」を問う。そして「止める」と決めた瞬間から、止める側は組織として動き、作る側は個人として裁かれる。組織の慣性は、いつも個人の発明より重い

それでも最高裁は、この国の司法史に一行を刻んだ。「ソフトウェアは、価値中立である」。47氏のレスから始まったこの物語は、その一行を勝ち取るために9年7か月を費やしたのだった。


かくして王国は閉じた。
47番目の書き込みは、もう誰にも読めない。
開発者は墓の下で、
判決文は最高裁のサイトに、
ユーザーが流したファイルだけが、
いまも世界のどこかのハードディスクに、
静かに眠っている。
中央のサーバーを置かなかったソフトは、
中央の権力に裁かれた。
中央の権力は、最後に「それは罪ではない」と認めた。
認めるのに、
一人のプログラマーの生涯のうち、
およそ五分の一の時間を費やした。
――接続 終了

参考・引用資料
最高裁判所第三小法廷判決、平成21年(あ)第1900号「著作権法違反幇助被告事件」(2011年12月19日)/裁判所ウェブサイト掲載判決文
大阪高等裁判所判決(2009年10月8日)/京都地方裁判所判決(2006年12月13日)
壇俊光『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(インプレスR&D、2020年)
『INTERNET Watch』2006年3月15日「『Winnyを使わないで』安倍官房長官が国民に呼びかけ」
『日経xTECH』2006年3月「自衛隊、警察、議員、原発、裁判所…Winnyウイルスで流出し続ける機密情報」/2006年4月13日「防衛庁、Winny対策に5万6000台のパソコンを40億円でデルから調達」
WIRED日本版「日本が失った天才、金子勇の光と影」(2018年11月)
ScanNetSecurity「Winny開発者の金子勇氏が急逝、42歳」(2013年7月)