情報大航海王国の興亡
日本がGoogleを追い越そうとして、海図だけを残した記録
「日本も、自前の検索エンジンを持つべきだ」。 2006年、Google一強に危機感を抱いた経済産業省は、産官学50を超える企業・団体を集め、「情報大航海プロジェクト」を立ち上げた。世間はこれを「日の丸検索エンジン」と呼んだ。
だが、約150億円の国費を動かしたこの大航海は、Googleに勝つことも、誰もが使う国産サービスを生むこともないまま、2010年に「予定通り」解散する。
なぜこのプロジェクトは、失敗とも成功とも言い切れない形で終わったのか。そして、その構造はなぜ、この国で何度も繰り返されるのか。外典として記録しておく。
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。登場する個人・組織への批判意図はなく、「誰も悪くない、けれどこうなった」という構造的問題を描くことを目的としています。
グーグルショック、ある夏の決意
2006年。日本のインターネットには、ひとつの不安が漂っていた。
人々が「調べもの」をするとき、入り口はほとんどGoogleかYahoo!だった。どちらも外国の会社である。日本中の検索行動が、外資のサーバーを一度通っていく。そういう時代が、いつのまにか当たり前になっていた。
このとき官僚たちの頭をよぎったのは、「グーグル八分」という言葉だった。検索結果から特定のサイトが消えれば、そのサイトは事実上、存在しないのと同じになる。その「消す力」を、日本は一切持っていない。すべて海の向こうの一社が握っている——。
経済産業省は動いた。2006年7月、「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」が発足する。次世代の検索技術を国産で育てようという、産官学あわせて50を超える企業・団体が名を連ねる一大プロジェクトだった。世間はこれを、わかりやすく「日の丸検索エンジン」と呼んだ。
名前は壮大だった。情報の海を、自分たちの船と海図で渡る。大航海時代の冒険者のように——。だが、冒険には、しばしば「なぜ今から出航するのか」という問いがついてまわる。
「今さら日本版Googleか」という冷笑
プロジェクトが税金の投入を伴うとわかると、世論はあたたかくはなかった。
「今さら税金で日本版Googleを作るのか」——新聞も、ネットの論者も、そろって冷ややかだった。検索エンジンの世界ではGoogleがすでに圧倒的で、技術者の目から見れば「数年遅れて、国費で、追いつく」という構図はあまりにも分が悪く見えた。
経済産業省側は、この批判に何度も釈明することになる。「私たちが作ろうとしているのは、Googleと同じ検索サービスそのものではない」。狙いは検索を支える基盤技術であり、画像や音声、センサーの情報まで扱える次世代の情報処理技術なのだ、と。
説明は理屈として正しかった。だが、世間が覚えていたのは「日の丸検索エンジン」という最初のキャッチフレーズのほうだった。一度貼られた看板は、なかなか剥がれない。
ここに、最初のすれ違いがあった。看板は人を集めるために大きく掲げる。だが大きすぎる看板は、達成できなかったときに、そのまま大きな失望の的になる。
検索エンジンが「情報活用基盤」になった日
船出してみると、航路はみるみる広がっていった。
当初「検索エンジン」と呼ばれていたものは、いつしか「情報活用基盤」「次世代の情報大航海技術」と呼ばれるようになる。扱う対象は、文字だけではない。画像、映像、音声、位置情報、ICタグ(商品などに付ける小さな無線の荷札)から集まるデータ、さらには決済の履歴まで——あらゆる情報を、検索し、分析し、つなげる。そういう壮大な構想に育っていった。
参加企業も多彩だった。通信会社、電機メーカー、人材サービス、そして鉄道会社まで。それぞれが自分の事業領域で「情報を活用する実証実験」を持ち寄った。駅の人の流れを解析する、医療や介護の情報を役立てる、商品の流通を追う——テーマは数十にのぼった。
技術的には、どれも先進的だった。問題は、その全部を束ねる一本の柱——つまり「これさえあれば誰もが使う、Googleのような何か」——が、どこにも立ち上がらなかったことである。
冒険は広がるほど、目的地がぼやける。「情報の海をすべて渡る」という旗のもとでは、どこに着いても「まだ航海の途中」と言えてしまった。
先例という亡霊
この国には、よく似た航海日誌が、すでに何冊もしまわれていた。
ひとつは「第五世代コンピュータ」。1982年、当時の通商産業省(現・経済産業省)が立ち上げた国家プロジェクトで、人間のように推論するコンピュータを国産で作ろうという壮大な計画だった。総額540億〜570億円とされる国費を投じ、1992年度に終了したが、その成果が世の中の主流になることはなかった。
もうひとつは「シグマ計画(Σプロジェクト)」。1985年から1990年にかけて進められた、ソフトウェア開発の効率化を目指す国家プロジェクトだ。通商産業省の所管のもと、総額250億円規模の予算が組まれたが、こちらも目立った実用化に至らないまま幕を閉じた。
つまり「外国に追いつくため、国費を集中投入し、数年で成果を出す」という形の国家プロジェクトは、情報大航海が初めてではなかった。むしろ、それは繰り返されてきた様式美だった。
亡霊は、誰かを呪うわけではない。ただ、同じ場所に立つと、同じ景色が見えるだけだ。そして人は、前の航海者がどこで座礁したかを、なぜか毎回、出航してから思い出す。
予定通り、解散しました
2010年3月。情報大航海プロジェクトは、解散した。
ここで重要なのは、それが「破綻」や「打ち切り」ではなく、当初の計画どおりの「予定された終了」だったことだ。何かが爆発したわけでも、誰かが責任をとって辞めたわけでもない。3年から数年という期間を走りきり、契約の満了とともに、静かに解かれた。
投じられた費用について、ITmediaの記事は、当初「3年で実用化」を掲げ国家予算300億円規模ともいわれた構想に対し、実際には3年で約150億円ほどが投じられた、と振り返っている。そして、誰もが入り口で使うような国産検索エンジンは、ついに生まれなかった。
不思議だったのは、その後である。プロジェクトのウェブサイトは、しばらくのあいだ、役所のサーバーにそのまま残されていた。個別の実証サイトの多くは消えたが、「本体」のページは生き延びた。
船は港に戻り、乗組員は散った。だが、航海の計画書だけが、誰も読まない棚に、きちんと製本されて残っていた。
王国の年代記
誰も負けなかった戦争
情報大航海プロジェクトを「失敗だった」と切り捨てるのは、たやすい。
検索エンジンはGoogleに勝てなかった。約150億円の国費が動いた。誰もが使う国産サービスは生まれなかった。事実だけ並べれば、たしかに分が悪い。
だが、見方を変えると、別の風景も見えてくる。多種多様な企業が「情報をどう活用するか」を本気で実証した経験は、その後のビッグデータやAIの時代に、確かに地続きだった。プライバシーを守りながらデータを使うという論点も、当時としては早すぎるほど早く議論された。プロジェクトに参加した技術者たちが、その経験をそれぞれの現場に持ち帰ったことも、見えにくいが小さくない遺産だ。
そして何より——このプロジェクトで、誰も明確には負けなかった。
経産省は計画通りにプロジェクトを完遂した。参加企業は実証の成果を持ち帰った。批判した論者は「ほら言わんこっちゃない」と言えた。みんな、それぞれの立場で、それぞれに正しかった。誰も悪くない。誰も責任を問われない。だから——誰も、深くは学ばない。
国家プロジェクトの本当の難しさは、技術そのものより、「いつ、どう終わるか」を最初に決めておくことにある。何をもって成功とし、何をもって撤退とするのか。その線を引かずに大きな旗だけを掲げると、航海はいつまでも「途中」のまま、静かに港へ戻ってくる。
第五世代も、シグマも、情報大航海も、同じ海図を持っていた。次の船が同じ航路を選ぶとき、棚に並んだ過去の計画書を、誰かが先に開いていればいい。それだけが、この王国が遺した、たったひとつの、しかし決して小さくない教訓である。
その国は、大きな船を造った。
帆には「情報の海をすべて渡る」と書かれていた。
出航の日、港は人で埋まり、誰もが手を振った。
船は、霧の中へ、堂々と漕ぎ出していった。
海は広かった。
広すぎて、どこへ着けば「着いた」と言えるのか、
誰も決めていなかったことに、皆、途中で気づいた。
やがて船は、静かに港へ戻ってきた。
沈んだのではない。座礁したのでもない。
予定の日数を、ちょうど走りきっただけだった。
乗組員は散り、帆は畳まれ、
ただ海図だけが、誰も読まない棚に、きちんと残された。
次の船が、同じ海へ出ようとしている。
―― 受信 完了
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1302/01/news021.html
https://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0611/17/news082.html
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20061206/256126/
https://it.impress.co.jp/articles/-/6406
https://japio.or.jp/00yearbook/files/2007book/07_1_03.pdf