電子書籍元年王国の興亡
毎年が「夜明け」だった国の、終わらない朝
2004年、日本は世界で初めて電子ペーパーを採用した読書端末を世に出した。 アマゾンの「Kindle(キンドル)」より、3年も早く。技術でも発想でも、日本は確かに世界の先頭を走っていた。
それなのに、日本の電子書籍は何度も「今年こそ電子書籍元年だ」と宣言しては、朝を迎えられずに終わった。先頭を走った国が、なぜゴールにたどり着けなかったのか。
これは「日本は遅れていた」という単純な物語ではない。むしろ「早すぎた」国が、守ろうとしすぎて動けなくなる——誰も悪くないのに、こうなった、という構造の記録である。
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。登場する個人・企業・団体への批判意図はなく、「誰も悪くない、けれどこうなった」という構造的問題を描くことを目的としています。
何度も訪れる「元年」
ある王国には、奇妙な暦があった。
その国では、何年かおきに「元年」が宣言された。新聞が「いよいよ今年こそ」と書き、家電メーカーが新しい箱を発表し、出版社が会議室に集まる。そして人々は口々に言うのだった——「ついに、電子書籍元年が来た」と。問題は、その「元年」が、一度きりではなかったことである。
1985年ごろ、CD-ROMという銀色の円盤が登場したとき、人々は「これで本が変わる」と言った。1990年、ソニーが手のひらサイズの「電子ブックプレーヤー(データディスクマン)」を出したとき、また「元年」と言われた。2004年、世界に先駆けた読書端末が二つ同時に生まれたとき、やはり「今年こそ」と言われた。そして2010年、iPad(アイパッド)が海を渡ってきたとき、メディアはこぞって、また「電子書籍元年」と書いた。
日本電子出版協会は、のちにこんな趣旨のコラムを掲げている——「『電子出版元年』は、いったい何回目なのか」と。当事者たち自身が、半ば自嘲気味に数えはじめるほど、その夜明けは繰り返された。夜明けは、来るたびに本物に見えた。そして、来るたびに、朝にはならなかった。
世界に先んじた、二つの箱
2004年、日本はたしかに、世界の先頭にいた。
この年、画期的な読書端末が二つ、ほぼ同時に生まれた。一つは松下電器産業(現・パナソニック)のΣBook(シグマブック)。もう一つはソニーのLIBRIé(リブリエ)である。
ΣBookは2004年2月20日に発売された。価格は39,900円。見開きの本のように二つの画面を並べた、ユニークな端末だった。採用したのは「記憶型液晶」という、電気を切っても表示が消えない特殊な画面で、単三電池二本で約3か月も動いた。
そしてソニーのLIBRIéである。2004年4月24日に発売されたこの端末は、世界で初めて「電子ペーパー」を本格採用した一般向け読書端末だった。6インチ、白黒の落ち着いた画面。名前はスペイン語の「Libro(本)」「Libreria(書店)」に、電子の「e」を添えた造語である。
ここで、歴史の皮肉を一つだけ確認しておきたい。アマゾンが「Kindle(キンドル)」を世に出したのは、2007年である。つまり日本は、世界的ベストセラーとなる読書端末の、その心臓部の技術を、3年も早く製品化していた。先頭を走っていた。それは間違いない。問題は、先頭を走ることと、ゴールに着くことが、まったく別の話だったことである。
60日で消える本
では、世界より3年早かった王国は、なぜ朝を迎えられなかったのか。理由はいくつもあるが、最も象徴的なのは、「買ったはずの本が、消えた」ことである。
LIBRIéの本は、「タイムブックタウン」という配信サービスから手に入れた。ソニーと出版社が共同で立ち上げた、当時としては意欲的な書店だ。ところが、ここで配信される本の多くには、奇妙な仕掛けがあった。ダウンロードしてから一定の期間——おおむね2か月(約60日)——が過ぎると、本に「鍵」がかかり、読めなくなってしまうのである。松下のΣBook陣営にも、似た発想のサービスがあった。一定の日数で読めなくなる、期限付きの配信だ。
作り手の理屈は、わからなくもない。本という財産をデータでばらまけば、いくらでもコピーされ、出版社の商売が立ちゆかなくなる。だから「貸す」形にして、期限が来たら回収する。違法コピーを恐れる出版社を安心させるための、苦肉の設計だった。
だが、読者の感覚は違った。「本屋でお金を払って買った本が、二か月で手元から消える」——これは、紙の本では決して起きないことだ。本棚に並べ、十年後にふと読み返す。その当たり前の喜びが、最初から奪われていた。著作権を守ろうとする仕組みが、強すぎた。守りたかったのは本であり、本を愛する人だったはずなのに、その人たちが一番がっかりする形になってしまった。
LIBRIéの生産は2007年5月に終わり、タイムブックタウンも、2009年2月にその役目を終えた。世界初の電子ペーパー端末は、世界が追いついてくる前に、静かに店じまいをしていた。
規格の関ヶ原
買った本が消える問題に加えて、王国にはもう一つ、根の深い分断があった。「本の形式が、ばらばらだった」のである。
紙の本は、どこの出版社のものでも、同じように開いて読める。当たり前のことだ。ところが電子書籍の世界では、本の中身を記録する「形式」が、メーカーごとに分かれて争っていた。
二大勢力があった。一つは、シャープが開発したXMDF(エックスエムディーエフ)。もう一つは、ボイジャーという会社が広めたドットブック(.book)である。どちらも文字中心の日本語の本に向いた、よくできた形式だった。だが、よくできた形式が二つあるということは、読者にとっては「どちらの本棚に置かれた本かで、読める端末が変わる」ことを意味した。
ある書店ではXMDF、別の書店ではドットブック。さらにそこへ、世界標準になりつつあったEPUB(イーパブ)が加わる。書店ごと、端末ごとに本の形が違い、いったん買った本を別の端末に持っていける保証もない。紙なら、文庫本を一冊カバンに入れればどこでも読めた。電子書籍では、「この本はあの端末でしか読めません」という説明から始まった。便利になるはずの技術が、説明書を分厚くしていった。
三たびの黒船、2010年の「元年」
そして、最も盛大な「元年」がやってくる。2010年である。
この年の5月、アップルのiPad(アイパッド)が日本でも発売された。海の向こうでは、アマゾンのKindleが本を読む道具として話題をさらっていた。日本のメディアは、ほとんど反射のように、また書いた——「電子書籍元年、ついに到来」。今度こそ本物だ、と誰もが思った。
国も動いた。2010年3月、総務省・経済産業省・文部科学省の三つの省庁が合同で、ものものしい名前の会議を立ち上げる。「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」——通称、三省懇談会である。同年6月には報告書がまとめられた。
ここで、王国の体質がはっきりと顔を出す。外から黒船(Kindle、iPad)が迫っているこの局面で、会議の主な関心の一つは、「国産フォーマットであるXMDFとドットブックを、どう守るか」にあった。二つの規格をそのまま生かしつつ、あいだを橋渡しする「中間フォーマット」を作ろう、という方向が有力だったのである。
その発想は、業界の事情を考えれば理解できる。これまで各社が投資してきた資産を無駄にしたくない。既存の関係者の顔も立てたい。誰も傷つけずに、全員でゆっくり前に進みたい。しかし、その「誰も傷つけない合意」をていねいに練っているあいだに、世界標準のEPUBは進化を続け、黒船は本棚ごと、こちらへ向かっていた。
王国の年代記
黒船は、本棚ごと持ってきた
2012年10月25日。アマゾンが、日本でKindleストアを開いた。
その日、特別な発明があったわけではない。電子ペーパーは、8年前にソニーが製品化していた。読書端末という発想も、課金の仕組みも、目新しくはなかった。アマゾンが持ってきたのは、技術ではなかった。「一つの店に、一つの形式で、最初からたくさんの本が並んでいる」という、ただそれだけの状態だった。
約5万点。マンガも1万5,000点以上。利用者は、規格を気にする必要がなかった。「この本はどの端末で読めるか」を考える必要もなかった。Kindleアプリを入れれば、スマートフォンでもタブレットでも、同じ本が同じように読めた。そして、買った本が60日で消えることもなかった。
日本の王国が10年かけて議論してきた論点——規格、課金、著作権保護、端末——を、黒船は議論せずに、ただ一つの答えで通り過ぎていった。「全部こちらで決めました。あとは読むだけです」。その潔さの前で、「中間フォーマット」の精緻な設計図は、急に古びて見えた。
そして、最初の夜明けを告げた当の主役たちは、静かに退場していく。ソニーは2014年に海外の電子書籍事業から撤退し、利用者を楽天koboへ引き継いだ。世界初の電子ペーパー端末を生んだ会社が、世界が電子書籍を本格的に読みはじめた時代に、表舞台から下りていった。
毎年が夜明けだった国
電子書籍元年王国の物語を、「日本は遅れていた」の一言で片づけるのは、たやすい。だが、それは正確ではない。
日本は遅れていたのではない。早すぎたのだ。世界に3年先んじて電子ペーパー端末を出し、誰よりも早く「次の本の形」を真剣に考えた。技術者も、出版人も、官僚も、みな優秀で、まじめで、本を愛していた。では、なぜ朝にならなかったのか。
一つには、守ろうとしすぎたからだ。違法コピーから本を守り、各社の資産を守り、既存の関係者の立場を守った。守るべきものが多すぎて、思い切って捨てる決断が、誰にもできなかった。もう一つは、「元年」を宣言できてしまったからだ。毎年のように夜明けを祝えるということは、毎年、本気の総括をせずに済むということでもある。今年がだめでも、また来年「元年」と言えばいい。そうやって、本当の問い——「なぜ私たちのやり方では、人々は本を読まないのか」——は、いつも来年へと先送りされた。
誰も悪くなかった。出版社は合理的に、慣れたコピー対策を守った。メーカーは合理的に、自社の規格に投資した。官庁は合理的に、関係者全員の合意を尊重した。一つひとつの判断は正しく、誰も責任を問われない。だから——誰も、深くは学ばなかった。
ただし、この物語には続きがある。世界初の電子ペーパーを生んだ技術は、いまも世界中の読書端末の中で生きている。三省懇談会が後押しした国内のEPUB対応への動きは、のちに日本語の縦書きや読み仮名を世界標準へ取り込ませる素地になった。早すぎた挑戦は、無駄にはならなかった。種をまいた畑で、別の誰かが、ずっとあとに実を収穫しただけだ。
国家プロジェクトでも、企業の新規事業でも、本当に難しいのは、技術そのものではない。「いつ、何を捨てるか」を決めることだ。守りたいものを一度手放す勇気がないと、夜明けは何度でも、朝の手前で止まってしまう。毎年が夜明けだった国は、ついに本物の朝を、自分の手では掴めなかった。だが、その何度もの夜明けが照らした道の上を、いま私たちは、当たり前のように歩いている。
その国では、毎年、夜明けが告げられた。
「今年こそ」と、誰かが鐘を鳴らす。
人々は窓辺に集まり、東の空を見た。
たしかに、空はうっすらと白んでいた。
だが、朝は来なかった。
雲が出て、また夜のような時間が続き、
やがて人々は、それぞれの仕事に戻っていった。
翌年、また鐘が鳴る。「今年こそ」と。
誰も嘘はついていなかった。空は、毎年ちゃんと白んだのだ。
ある日、海の向こうから一隻の船が来た。
鐘も鳴らさず、夜明けも告げず、
ただ、本棚をまるごと一つ、港に下ろしていった。
気づけば、もう朝だった。
何度も夜明けを数えた国の、
誰も「元年」と呼ばなかった、静かな朝が。
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https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0324/sony.htm