地デジ王国の興亡
情報処理王国史 外典第七十四巻
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地デジ王国の興亡

10年前に決まった「その日」に向けて、国中のテレビが取り替えられるまで

CHIDEJI 2011
この記事について
この物語は、公表されている報道・法令・総務省資料に基づく実話を、外典シリーズの語り口でまとめたものです。日付・数値は公的資料に依拠していますが、人物の心情表現などには演出を含みます。「地上デジタル放送への完全移行」は、日本のほぼ全世帯が同時に受信環境を切り替えた、世界にも例の少ない国家プロジェクトでした。ITの話でありながら、居間のテレビ一台、屋根のアンテナ一本、一人暮らしの高齢者の一言が主役になる、そんな王国の記録です。

10年前に日付だけが決まった、「テレビの終わりの日」があった。

その日に向けて、テレビ画面のすみに小さな警告文字が浮かび、シカのゆるキャラが商店街を回り、生活保護世帯に無償チューナーが届けられた。

そして到来した2011年7月24日、東北の海岸線を襲った津波が、10年計画にひとつだけ例外を作った――。

CH.01

王国の建国

2001年(平成13年)7月25日、改正電波法が施行された。

条文は静かなものだった。地上アナログテレビジョン放送に割り当てられている電波の周波数を使える期間は、この改正法の施行から「10年を超えない範囲」で定める――。

条文を素直に読めば、答えはひとつしかない。2011年7月24日。この日をもって、1953年(昭和28年)にNHKが本放送を始めて以来続いてきた「電波を空に流し、家庭のアンテナが受ける」というアナログ放送の営みは終わる。ちょうど10年前に、終わりの日は決まっていた。

決めた側は、こう思っていたはずである。

――10年もあれば、なんとかなる

(今から振り返れば、10年で完了できたのは奇跡に近い。当時の日本の世帯数はおおよそ5,000万世帯規模。屋根の上のアンテナ、テレビ本体、共聴施設、中継局のすべてを、この10年で入れ替える計画だった。)

【用語解説】電波法
電波(テレビ・ラジオ・携帯電話などが使う無線の周波数)を、誰が、どの範囲で、どんな条件で使ってよいかを定めた法律。1950年(昭和25年)制定。地デジ移行はこの法律の改正で「アナログ放送の使用期限」を設けたことから始まった。

CH.02

三都で灯された、最初の火

2003年(平成15年)12月1日、正午。

東京・大阪・名古屋の三大都市圏で、NHK3局と民放16社から地上デジタル放送が始まった。世界にも例の少ない、日本独自の方式「ISDB-T」による放送だった。

【用語解説】ISDB-T
Integrated Services Digital Broadcasting – Terrestrial(統合デジタル放送・地上波)の略。日本が独自に開発した地上デジタル放送の規格で、1つの電波帯を13の区画に分け、うち1区画を携帯向けの「ワンセグ」に、残りを固定テレビ向けの「フルセグ」に使う。ハイビジョン映像・データ放送・電子番組表を同じ電波で運べる仕組み。

三大都市圏の一部世帯では、屋根のUHFアンテナ(もともとローカル局を受信するための小さなアンテナ)とデジタル対応チューナーがあれば、その日のうちに新しい映像が映った。ノイズのない、細部まで見える映像だった。

ただ、映る家はまだ少なかった。放送は始まったが、送信所は都心部の中継局から順に整備されていく。「地デジ」という言葉は、一部の家電量販店の店頭ポスターにあるだけの言葉だった。

3年後の2006年(平成18年)12月1日、地デジは全都道府県の県庁所在地とその近隣で受信可能になった。

同じ2006年の7月には、霞が関の総務省で「地上デジタル放送完全移行まであと5年!カウントダウンセレモニー」が開かれ、銀座・数寄屋橋の交差点にはカウントダウンボードが立った。日付は毎日1ずつ減っていった。

まだ、多くの居間のテレビはブラウン管だった。


CH.03

茶の間に浮かぶ「アナログ」の文字

2008年(平成20年)7月24日。

その日を境に、日本中のアナログ放送を映しているテレビの画面には、ある小さな文字が浮かぶようになった。

――右上に、「アナログ」。

この日、NHK総合・NHK教育で「アナログ」の常時表示が始まった。民放各局もほどなく続いた。技術的にはただの重ね合わせだが、視聴者の受け止め方はそうではなかった。

「うちのテレビ、壊れたのかしら」
「なんで、この4文字が消えないの」

各地の家電量販店とNHK営業所には、同じ質問が集中した。答えは決まっている。

壊れていません。3年後の2011年7月に、この放送は終わります。

2010年7月5日からは、画面をさらに上下に黒帯で挟み、その黒帯にも終了告知が流れるようになった。テレビ画面は、常にどこかに「終わる」と書かれた画面になった。

【用語解説】レターボックス
映画館のような横長(16対9)の映像を、昔ながらの正方形に近い画面(4対3)に表示するとき、上下に黒帯を入れて全体を収める方式。地デジ準備期には、この黒帯を告知スペースとして使い、視聴者に移行を思い出させた。

一日の暮らしの中で最も長く見つめる長方形の中に、静かなカウントダウンが埋め込まれた。テレビは、テレビ自身の終焉を毎日告げるようになった。

「アナログテレビ放送は2011年7月に終了します」
— NHK・民放各局が2008年7月24日以降、画面上に表示した告知文言(一般的な文言・報道より要約)
読者へのひとこと
皆さんの家に、あの「アナログ」4文字が浮かんでいた時期を覚えていますか? 「なぜ消えないの」と親に聞いた記憶がある方は、いま高齢になったその親御さんが、新しいテレビの電源に困っていないか、たまに確認してみてください。あの時のカウントダウンの続きが、今も続いています。

CH.04

地デジカと、カウントダウンの日々

2009年(平成21年)4月27日、キャンペーンキャラクターが発表された。

黄色いレオタード、頭にはアンテナ状の角。名は「地デジカ」。日本民間放送連盟(民放連)が版権を持ち、フジテレビが制作幹事となって約150の案から選ばれた、ゆるいシカのキャラクターだった。

【用語解説】ゆるキャラ
「ゆるいマスコットキャラクター」の略。行政や団体が地域や政策の広報のために作る、あえて洗練されていない可愛らしさを狙ったキャラクターの総称。2000年代後半に一大ブームとなった。

「地デジカ」の前任者と目されたのは、俳優の草彅剛である。地デジ推進大使として長くCMに出ていたが、2009年4月に草彅氏の私生活に関する報道があり、CMは差し替えとなった。そこに登場したのが、この角の生えたシカだった。

CH.03の「アナログ」表示が「怒られる側の告知」だったとすれば、地デジカは「愛される側の告知」を担った。ぬいぐるみが作られ、着ぐるみが商店街を回り、ローカル局の子ども番組で踊った。角がアンテナである、というだけの単純な絵柄が、記憶に残る絵になった。

同じ頃、全国各地に「デジサポ」(総務省テレビ受信者支援センター)の看板が立った。2008年10月1日に全国11か所で業務を開始し、2009年2月2日には40拠点が追加され、全都道府県51か所体制となった。

デジサポの仕事は地味である。マンションの共同アンテナの改修相談、山かげでうまく映らない家への訪問調査、電話での問い合わせ対応、機器選びのアドバイス――。テレビ画面の派手なカウントダウンを、屋根の上と電話口で支える人たちが、こうして全国に配置された。


CH.05

追いつけない者たちのために

「10年もあれば、なんとかなる」と考えた側の想定には、二つの欠落があった。

ひとつは、新しいテレビを買えない人。もうひとつは、電波が届かない場所に住む人

まず前者へ。

2009年5月15日から、政府は「家電エコポイント制度」を始めた。地デジ対応テレビ・エアコン・冷蔵庫のうち、省エネ性能の高いものを買うと、購入額に応じて商品券などと交換できる「エコポイント」がつく。目的は温暖化対策と景気刺激だったが、テレビ需要を強く押し上げた。

制度開始から翌年4月末までの間、エコポイント申請の約73.8%(件数ベース)約83%(発行ポイントベース)が地デジ対応テレビだった。国が景気対策の名でテレビ売り場を回し、視聴者は「もらえるうちに」と買い替えた。制度は当初の期限を何度も延ばしたのち、2011年3月末で終了した。

同じ頃、生活保護世帯やNHK受信料の全額免除世帯には、簡易チューナーを無償で配布する制度が動いていた。運営は「総務省地デジチューナー支援実施センター」。古いブラウン管テレビにチューナーを繋げば、あと数年は使える。安価な機器と、それを届ける物流が、静かに全国を回った。

次に後者へ。

山間部や離島など、地デジの電波が地上からは届きにくい地域のために、「地デジ難視対策衛星放送(衛星セーフティネット)」が2010年3月11日から始まった。放送衛星(BS)を使って、地デジで放送されている番組を暫定的に配信する仕組みで、対象世帯にはBSアンテナが貸与された(この開始日「3月11日」が、翌年の同じ日に別の意味を持つことを、当時は誰も知らなかった)。

「経済的な理由により地上デジタル放送を受信できない世帯に対し、簡易な地上デジタル放送用のチューナーの無償給付等を行う。」
— 総務省 地デジチューナー支援実施センター 案内資料より要約

もう一つ、忘れてはいけない登場人物がいる。悪徳アンテナ工事業者である。

「今すぐ工事しないと、7月からテレビが映りませんよ」――そう言って一軒家を回り、相場の何倍もの工事費を請求する業者が全国に現れた。総務省は自らのウェブサイトに「地上デジタル放送に関する悪質商法とその対策」を掲げ、国民生活センターにも同種の相談が並んだ。角の生えたシカが子どもたちに笑いかけていた同じ頃、玄関先では別のドラマが起きていた。

読者へのひとこと
中小企業の経営者の方は、社内のテレビや会議室のモニターを覚えていらっしゃいますか? あの時期、社用のテレビもまとめて入れ替わりました。今、その二代目もそろそろ寿命です。導入から10年以上経った映像機器の入れ替えは、次の準備が始まっているサインかもしれません。

CH.06

3月11日、時計が止まった東北

2011年(平成23年)3月11日、14時46分。

東日本大震災が起きた。津波は東北の海岸線を襲い、放送に必要な設備の一部――中継局の予備電源、共聴施設(山や谷にまとめて共同で電波を分ける設備)、屋根の上のUHFアンテナ――もまた、傷つき、流された。

その4か月後に、10年前に決まっていた「その日」が控えていた。

総務省は同年4月、地デジ完全移行のスケジュールを見直すと表明した。岩手・宮城・福島の3県については停波を延期する――アナログ放送を、東北3県だけは、もうしばらく残す。他の44都道府県は予定通り、2011年7月24日にアナログ放送を終える。

7月24日、正午。

44都道府県のアナログ放送は終了した。画面には、静かに終了告知が流れ、そのあと砂嵐(信号のない画面)になった。約60年続いた地上アナログ放送の歴史が、ここで一度、幕を閉じた。

翌2012年(平成24年)3月31日、正午。東北3県のアナログ放送も通常放送を終え、同日24時までに停波した。これで日本全国のアナログ放送は、正真正銘、姿を消した。

【用語解説】共聴施設(きょうちょうしせつ)
山かげ・ビル陰・離島などで個別のアンテナでは受信が難しい地域に、共同でアンテナを立て、そこから各家庭に信号を分ける仕組み。地デジ移行の際は、これらの共聴施設の改修が全国で必要になり、費用の一部は補助金で支援された。

CH.07

王国の年代記

2001年7月25日 改正電波法が施行される(10年後にアナログ停波)
2003年12月1日 三大都市圏(東京・大阪・名古屋)で地上デジタル放送開始
2006年7月 「あと5年!」カウントダウンセレモニー、銀座・数寄屋橋にカウントダウンボード
2006年12月1日 全都道府県庁所在地で地デジ受信可能に
2008年7月24日 NHKで画面上「アナログ」表示が開始(民放も順次)
2008年10月1日 総務省テレビ受信者支援センター「デジサポ」が全国11か所で業務開始
2009年2月2日 デジサポが40拠点追加、全都道府県51か所体制に
2009年4月27日 地デジカ発表(民放連キャンペーンキャラクター)
2009年5月15日 家電エコポイント制度開始(〜2011年3月末)
2010年3月11日 地デジ難視対策衛星放送(衛星セーフティネット)開始
2010年7月5日 アナログ画面のレターボックス化と拡大された終了告知の常時表示開始
2011年3月11日 東日本大震災。東北3県の完全移行延期が決定へ
2011年7月24日 正午、東北3県を除く44都道府県でアナログ放送終了
2012年3月31日 東北3県(岩手・宮城・福島)でもアナログ停波、全国で完全デジタル化完了

CH.08

誰も悪くなかった、という結末

10年前に日付を決めた官僚は、いつか替わり、いつか退官した。カウントダウンボードを立てた広報担当者も、地デジカを世に送り出したフジテレビの若手も、今は別の仕事をしている。屋根に上ってUHFアンテナを立てた電気工事店の親方は、今日も別の工事で梯子をかけている。

みんな、自分の場所では正しかった。

総務省は正しかった。世界的な周波数再編(アナログ電波の跡地は携帯電話や防災用無線に再利用された)を前に、期限を切って移行を進めなければ、日本だけが取り残されていた。

放送局は正しかった。ハイビジョン品質での放送・電子番組表・データ放送は、視聴者にとって明確な利便性の向上だった。ISDB-T方式は、後にブラジルなどにも採用され、世界に輸出される規格となった。

視聴者は正しかった。「壊れてもいないテレビをなぜ買い替えるのか」――この問いはずっと合理的である。実際、家電エコポイントと簡易チューナーがなければ、多くの家庭は取り残されていたはずだ。

震災で予定を変えた判断も正しかった。屋根が流された地域に、アナログ停波の日付だけを押し付ける国は、まっとうな国ではない。

そして、誰かの善意だけでは埋まらなかった溝には、玄関先で高額な工事費を請求する業者がスッと入り込んだ。誰も彼らに「そこに入っていい」と許可を出したわけではない。ただ、制度と広報とキャラクターと補助金だけでは、玄関の扉の内側までは届かなかった、というだけのことだった。

移行から十数年が経った今、当時買い替えられた地デジ対応テレビの多くはすでに寿命を迎え、二代目・三代目に交代した。あの時、居間の主役だった大画面は、動画配信サービスに主役の座を譲りつつある。テレビが総出で「アナログ」の4文字を出していた日々を、覚えている人はどれだけいるだろうか。

砂嵐は静かに、しかし確かに、日本のすべての茶の間から消えた。

読者へのひとこと
「10年で全世帯」を実現したこの計画を、成功と呼ぶか、しんどい事業と呼ぶかは意見が分かれます。ただ、次に日本のあらゆる家庭のIT機器を一斉に切り替える機会は、そう遠くないうちに必ず来ます(電子帳簿保存、マイナ保険証、あるいはまだ名前のついていない別の何か)。そのとき、玄関の扉の内側まで届く仕組みは、今度こそ用意されているでしょうか。

その日は、暦の上でしっかり10年前から決まっていた。
それでも、その日を迎えるためには、
シカのキャラクターと、
画面のすみの4文字と、
数寄屋橋の看板と、
屋根に上る職人の梯子と、
生活保護世帯に届く小さな箱と、
東北を襲った波と、
その全部が必要だった。
――アナログ、終了

参考・引用資料
総務省「アナログ放送の停波の状況」(総務省資料)
Wikipedia「2011年問題(日本のテレビジョン放送)」/「日本の地上デジタルテレビ放送」/「地デジカ」/「東日本大震災における放送関連の動き」/「エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業」
AV Watch「地上デジタルテレビ、12月1日11時より3大都市圏でスタート」(2003年12月1日)
Impress Watch「アナログ放送に『2011年7月放送終了』のメッセージ表示」(2008年4月25日)
AV Watch「地デジ移行支援センター『デジサポ』を全都道府県に」(2009年1月23日)
総務省「地上デジタル放送に関する悪質商法とその対策」
総務省 地デジチューナー支援実施センター 案内資料
日本経済新聞「地デジ完全移行、被災3県で最長1年延期 総務省」(2011年4月21日)
一般社団法人放送サービス高度化推進協会(A-PAB)「地デジ難視対策衛星放送の概要」