親指シフト王国の興亡
最速の日本語入力は、なぜ標準になれなかったのか
本記事は実際の技術的・社会的背景に基づいたブラックコメディ仕立ての読み物です。引用・参照はすべて実在の文献・発言・報道に基づきますが、語り口はフィクション的表現を含みます。
270万円の日本語タイプライター
1980年5月。富士通が、1台270万円の機械を売り出した。
名前を「OASYS100」という。日本語のワープロ、つまり文章を打って印刷するための専用機である。前の年に東芝が出した日本初の日本語ワープロ「JW-10」は630万円だったから、それでも半額を切ったことになる。もっとも、この値段では、企業が専門のオペレーターを雇って使わせる業務用の機械にしかなりようがなかった。
このOASYS100に、ひとつの発明が載っていた。キーボードである。
当時、コンピューターに日本語を入れる方法は、まだ誰も正解を持っていなかった。英文タイプライターを真似た横一列のアルファベット。それがコンピューターの標準の入り口だった。だが、そこから日本語の漢字かな交じり文を、どうやって打てばいいのか。
富士通で日本語処理システムを率いていた神田泰典は、この問いに正面から答えようとした。タブレットに並んだ漢字をペンで選ぶ方式や、漢字に番号を振って打ち込む方式は、訓練を積んだ専門家にしか扱えない。そうではなく、ふつうの人が、考えながら文章を書ける機械がほしい。神田が採ったのは、読みをかなで打ち、それを変換する「かな漢字変換」だった。
問題は、その「かな」を、どのキーで打つかだった。
親指の発見
神田は、当時の新入社員だった池上良己に、日本語キーボードの設計を命じた。
すでに1972年、かなを打つためのJISキーボードの配列は国の規格として決まっていた。だがそれは、かな1文字にキー1個を割り当てる方式で、キーが4段にまたがり、指の移動が大きかった。神田の理想とは違った。
池上が最初に試したのは、キーを1段に減らして複数のキーを同時に押す方式だった。指の移動はなくなるが、どの指の組み合わせでも同時に押すのは難しく、うまくいかない。ところが実験を重ねるうち、彼はあることに気づく。
親指と、他の指。この組み合わせだけは、無理なく同時に押せる。
英文を打つとき、親指はスペースを叩くのに使う。だが日本語を打つとき、親指はほとんど遊んでいる。その遊んでいる親指に、シフトの役目を持たせたらどうか。左右の親指の真下にシフトキーを置き、文字キーと同時に叩けば、1つのキーで2つのかなを打ち分けられる。ホームポジションから手を離さずに。
この方式が「親指シフト」と名づけられた。
配列そのものは、英文タイプライターの配列を科学的に組み替えた「ドヴォラック配列」の手法を手本にした。どのかながよく出てくるかを、早稲田大学が音声研究のために集めていたデータを借りて調べ、頻度の高いかなを打ちやすい場所に置いた。国立国語研究所の新聞語彙調査から漢字熟語3,271語を、雑誌の話し言葉から約1万5,000語を抜き出して、出現頻度を数えた。感覚ではなく、統計で並びを決めたのである。
こうして、一台のキーボードが完成した。人間が日本語を打つために、初めて日本語の側から設計された配列だった。
数字は、正しさを証明した
親指シフトが優れていることは、感想ではなく、数字で示せた。
新聞のコラム「天声人語」の4日分、3,735文字を打つのに必要な打鍵数を、方式ごとに比べた資料がある。親指シフトは3,735打。文字数とぴったり同じ、つまり1文字1打で打てる。同じかな入力でも、JIS配列かなは4,110打かかる。濁点や半濁点を別に打つ手間があるからだ。そしてローマ字入力は、6,474打。文字数のじつに1.7倍を叩かねばならない。
速さも実測された。日本能率協会が標準時間法で比べたところ、1分あたりの入力は親指シフト83字、JISかな72字、ローマ字51字。1983年からは日本オフィスオートメーション協会などが主催するワープロコンテストで、親指シフトが4年連続で金賞を独占した。速く、正確に打てる。それが競技の場でも証明された。
学者も評価した。大阪外国語大学の倉田直臣は、1982年の論文でこう書いている。
日経の品目調査では、1981年に富士通のワープロがシェア首位に立った。後発でありながら、業務用ワープロのトップブランドになった。速さで選ばれた王国だった。
神田には口癖があった。「これはいずれ1,000万台売れる商品になる」。彼が見ていたのは、専門のオペレーターではなく、日本語を書くすべての人だった。
「JISは標準である」という呪文
だが、王国の外には、性能とはまったく別の論理が回っていた。
富士通は、親指シフトを載せた最初の1号機から、JIS配列のモデルも並べて売っていた。理由を、神田自身がこう説明している。特定の企業が権利を持ち、かつJIS規格ではない親指シフトは、その性能とはまったく関係のない理由で、官公庁からの受けが悪い、と。
役所は、国の規格に沿ったものを買う。それが速いか遅いかは、審査の項目に入っていない。「JISであること」そのものが要件だった。どれほど数字で勝っても、規格の欄が空白なら、土俵に上がれない。
ならば、親指シフトをJISにすればいい。話は当然そこへ向かった。
1980年代半ば、業界を巻き込んで「新しいJISキーボード」を決める作業が始まる。富士通は、すでに売れていて評判もいい親指シフトを、そのまま新JISに、と提案した。ところが1986年に制定された新JIS配列は、親指シフトではなかった。既存のJIS配列のかなの並びを組み替えた、まったく別の配列だったのである。
審議は、通商産業省の研究機関でキーボードを研究していた委員長が主導した。その研究成果に沿って規格が決まった、と神田は書き残している。実績ある方式ではなく、新しく調べ直したデータで並びが決められた。
そして、その新JIS配列も、市場に広まらなかった。各メーカーは積極的に採用せず、出荷は伸びず、次々と作るのをやめた。1999年、新JIS配列は「利用実態がない」という理由で、日本工業規格から静かに削除された。
残ったのは、誰も最良とは言わない、あの古いJIS配列だった。
誰も、速く打ちたくなかった
もうひとつ、王国の想定が外れたことがあった。市場そのものである。
1980年代の後半、ワープロは値下がりを続けた。1982年に75万円の「My OASYS」、1984年に22万円の「OASYS Lite」。やがて10万円を切る機種が現れ、ワープロは家電になった。神田が夢見た「日本語を書くすべての人」の時代が、ついに来たかに見えた。
ところが、家電としてワープロを買った人たちは、皮肉な使い方をした。
多くの家庭にとって、ワープロの用途は「年に一度の年賀状」か「一度作った文書の使い回し」だった。毎日、快適に、長い文章を創作したい——そんな需要は、まだほとんどなかったのである。
年に数回しか触らない道具に、練習して身につける最速の配列など、必要ない。むしろ、キートップを眺めて文字を探せるほうがありがたい。親指シフトは、その「たまにしか使わない」層には、かえって不親切に見えた。
誤解も広まった。「親指シフトを覚えると、他社のワープロが使えなくなる」。実際には、ひらがなとカタカナを両方書ける人がいるように、両方の配列を覚えることはできる。だが愛用者が「もう他の配列は打てない」と言うのを、初心者は文字どおりに受け取った。速さを誇る声が、そのまま参入の壁として響いた。
そして時代は、ワープロ専用機からパソコンへ移る。日本のパソコン市場を制していたNECのPC-9801は、親指シフトに対応していなかった。神田が予言した「作家でない個人が、日常的に文章を書く時代」——メールやブログや掲示板の時代——は、たしかに21世紀に訪れた。だがそのころには、勝負はとうについていた。人々はローマ字で打っていた。
速く打つ必要がなかった時代に、王国は最速を売っていた。速く打つ人が現れた時代には、標準はもう別のものに決まっていた。
コンソーシアムの長い夜
新JIS化に敗れたあと、富士通は1989年、親指シフトの権利を業界団体「日本語入力コンソーシアム」に譲った。設立時の会員は、アスキー、内田洋行、ソニー、PFU、松下電器産業など7社。1社の独自規格という印象を消し、みんなの規格として広めようという試みだった。
コンソーシアムは、NICOLA配列を正式なJIS規格にすべく、要望書を出す。1996年10月のことだ。そこには、打鍵数も入力速度も、あの実測データがすべて並べられていた。数字はどれも、変わらず親指シフトの優位を示していた。
そして要望書は、シェアが落ちた理由を、自分の言葉でこう記している。
負けた理由は、性能ではなかった。「みんながそう思っている」——それが理由だった。
要望書は、実らなかった。2002年、JIS X 4064という規格の中で、NICOLAは物理キーボードの「実装例のひとつ」として紹介されるにとどまる。正式な標準の座は、最後まで得られなかった。
その後も試練は続いた。パソコンが64ビットへ移行しても、親指シフトを動かすソフトの対応は遅れ、愛用者は数年にわたって不便を強いられた。正式に追いついたのは2012年。発明から、すでに30年以上がたっていた。
王国の年代記
性能は、標準に勝てない
2020年5月19日、富士通は親指シフト関連製品の終売を発表した。理由を、こう述べている。
40年間、根強い愛用者がいた。作家の宮部みゆき、猪瀬直樹、評論家の勝間和代——「もう手放せない」と公言する人は、少なくなかった。速く、正確に打てる。その事実は、最後まで揺らがなかった。
にもかかわらず、王国は消えた。ここに、この物語のいちばん静かな残酷さがある。
誰も、「JIS配列のほうが優れている」と判断したわけではない。役所は規格の欄を見た。量販店の店員は「これが標準です」と言った。学校はJISを教えた。買う人は、まわりが使っているものを選んだ。一人ひとりは、その場でいちばん無難な選択をしただけだ。その無難の積み重ねが、優れたものを土俵の外へ押し出した。
これは、悪意の物語ではない。「みんなが使っているから、みんなが使う」という、それだけの物語である。いったん標準が決まると、その標準は、優れているから続くのではなく、標準だから続く。乗り換えるには、まわり全部が同時に乗り換えねばならず、誰も最初の一歩を踏まない。性能の差は、この慣性の前では、驚くほど無力だった。
私たちの仕事の道具も、たいていこの理屈で決まっている。いちばん良いものではなく、いちばん多くの人が使っているものを、私たちは選ぶ。そしてその選択は、たぶん間違っていない。道具は、一人で使うものではないからだ。周りと同じであること自体が、ひとつの性能なのである。
親指シフトは、負けたのではない。ただ、勝ち方が一つしかない世界で、別の勝ち方をしようとしただけだった。